第5話 忍び寄る影
二か月が経ち、机が出来上がった。多くの部分をナタリーが作業してくれたが、それでも木材選びから携わった机が自力で立ったのを見た時は、産まれたばかりの鹿の子が立ち上がったのと同じ感動があった。
「やったね、エリーゼ様」
「ええ。本棚もすごいわね」
こっちは職人だけで作っているので早い。ガラス扉をはめて、どちらも明日王城へ運んでくれるという。
「これで終わりじゃなくて、また来るでしょ?」
「来てもいいかしら? 次は椅子を作ってみたくて」
「いいよ。あたしもデザイン考えておくから、エリーゼ様も書いて持ってきてよ」
「偉そうな口ききやがって! 親方ぶってんじゃねぇよ!」
そこにダンのゲンコツが炸裂する。
「痛ってぇなタコが! いぃんだよ! エリーゼ様はあたしに弟子入りするって言ってんだかんな!」
「バカヤローが!」
本当にこの兄妹は見ていて飽きない。
しかし今日は午後から伯爵夫人とのお茶会があるので、急ぎ王城へ戻らねばならない。工房を出ると衛兵のマットが黙ってついて来た。
「エリーゼ妃殿下ですね。こんにちは」
すると小柄な男性に行く手を塞がれる。すかさずマットが間に入るが、間から見えたのは手入れのされていない天然パーマでボサボサの頭に、毛玉だらけのジャケット。手には分厚いメモ帳とペンだ。
「何者だ。下がれ」
槍を手にしているマットの威圧にも、男は臆する様子がない。
「おっと、危害を加えたりなんかしませんよ。サリエリ新聞の記者でベルナルドといいます。妃殿下にちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
新聞記者と仲良くする必要はないが、親切に応対しろ。クリス王子からはそう言われている。
「予定がありまして少々急いでいますの。手短にでしたらどうぞ」
エリーゼがそう言うと、マットは横にずれた。ベルナルドを上から睨みつける視線は外さない。
「では早速ですが、クリス王子との結婚生活がうまくいってないのではと市民が噂していますね。実際どうなんでしょう」
なんて失礼な。そう言ってやりたいのをエリーゼはぐっとこらえた。
「毎日こんなところへ通ってくるなんて、王城は居心地が悪いんですか?」
「毎日ではありません。公務に支障のない日時を選んで来ています」
思わずムキになってしまい、落ち着きなさいと言い聞かせる。きっと、こうやって挑発するのが記者のやり方なのだ。
「ではどうしてこんなことを?」
「美しく着飾り、夜ごとパーティーに興じるのだけが王族女性の役目だとおっしゃりたいのですか」
「そこまでは申してませんが。しかしそんな格好をしてまで庶民ぶるのは、何か理由があるんじゃないかとね」
男はエリーゼの地味で冴えない服装に嘲笑したようだ。自分の髪型と上着のことは棚にあげて。
「特別なことはありません。わたしは元からこういう人間です。祖国の田舎ぶりをお調べになればご納得のはずです」
「なるほど。ではこんな噂は聞いたことありませんか。王子が女だと」
「……は?」
「この国にはそういう疑惑があるのですよ、ずっとね。ご存知ありませんでしたか?」
「……初めて聞きました。あなたもそんなばかげた噂を信じているのですか?」
「信じるにはまだ証拠がないんですがね。しかし二十三人連続で女子しか産まれなかった家系ですよ? 可能性は十分にあるでしょう」
男の目がギラリと底光りする。
いやだ、逃げたい。この目を前にしてわたしは嘘をつき通せるだろうか。
「エリーゼ様ぁ! お忘れ物ですよ。って、テメェ新聞記者ぁ! また来やがったのか!」
手鏡を手にやって来たダンが、明らかに不審者を見る目つきで記者を威嚇した。
「エリーゼ様が怖がってんだろうが!」
「えぇ? あたしゃただ質問しただけで」
「黙れ! 妃殿下にこんな顔させて恥ずかしくねえとか最低だな⁉︎ あぁん?」
「わかった、わかりましたよ。これだから知能の低い職人ってのは嫌いだ」
「オレも人の気も知らねえ頭のいい記者ってのは大っ嫌いだ。とっとと失せやがれ!」
ダンに怒鳴られ、記者の男はそそくさと立ち去った。
「大丈夫でしたかエリーゼ様?」
「ええ、平気です。あの人、前にも来たことがあるの?」
「ちょっと前に来て、エリーゼ様がここに出入りしてるのをかぎ回ってたんすよ。ここで何してるんだとか、なんでここなんだとか、誰に会いに来てんだとか、根掘り葉掘り。そん時はジジ……親方がホウキで掃き出したんすけど。懲りねえ奴だ」
「そうだったの。わたしのせいでご面倒をおかけし申し訳ありません」
「全然! エリーゼ様が気にすることねえですって!」
「ありがとう、ダン。わたし、そんなにひどい顔してたかしら?」
「えっ、まあ。ってそうじゃなくて! なんつーか、うちに来てる時には見せないような顔して固まってたんで。あいつにひどいこと言われたんじゃないかと思って。怖かったんでしょう?」
ダンに言われて初めて、自分は怖かったのだと気づいた。両手で腕をさする。
「ええ……、そうね。来てくれて助かったわ。本当にありがとう」
もう一度伝えると、ダンの顔が真っ赤になった。
「いいいいいいいんですよそんな! あっ、あんたも護衛なんだからちゃんと助けろよなっ⁉︎ じゃ、これでっ!」
クルっと踵を返すとシャカシャカ戻っていく。相変わらずせわしい人だ。けれどそのおかげで、エリーゼは少しだけ笑うことができた。
王城へ戻ると、ベスにすぐに着替えさせられ木屑を払い落とされる。
「伯爵夫人は厳しいお方ですからね。ちゃんと楽しそうなお顔をなさらなければなりませんよ」
たぶん、エリーゼにとっては工房で過ごす方が何倍も楽しい。それを見越したベスの助言だ。彼女の言葉はいつもエリーゼの痛いところを突いてくる。
「そうね、気をつけるわ。怖くて厳しいおばさまはどこの世界にもいるものね」
「そうですよ。敵視されないようにすることです。絶対マウントなんか取っちゃいけません」
「肝に銘じるわ」
髪をほどいて、ベスが丁寧に
「エリーゼ様、クリス王子とは毎晩一緒にお過ごしになるでしょう? どんな感じなんです?」
「どんなって?」
「もうっ、言わせないでくださいよ。毎晩求められるのか、王子はどんなことを囁かれるのかとか!」
「え、えっ……それを言わないとならないの?」
「私とエリーゼ様の間だけですって!」
どうしよう。当たり障りのない感じで返すべきか。しかしベスのことだから、すぐそうと見破るだろう。
『ではこんな噂は聞いたことありませんか。王子が女だと』
新聞記者の声がふとよぎる。
「ねえ、どうしてそんなこと知りたいの?」
「実はマットから求婚されたんです。夜寝る時も朝起きたときも好きな人ずっといられたらいいとは思いますけど、でも生活となるとどうなのかと思っていて。それで」
「わたしもまだ二ヶ月しか経っていないし、それにわたしと殿下は恋愛結婚じゃないのよ?」
「そうですけど、殿下ってやっぱりお優しいんですか?」
「お優しいわよ」
「あっちの方も?」
「もう! そればっかり!」
「お風呂に一緒に入ったりするんですか?」
「入ったことはあるわ」
「きゃわわっ!」
起きぬけから話が尽きなくて、朝風呂派の王子と一緒に入りながら話の続きをしたことがある。もちろん二人きりで、浴室の外ではユアンが見張っていた。
「ねぇ、そろそろ行かなきゃならない時間じゃないかしら?」
髪はとっくに結い終わっている。「あらっ、いけない」とベスはポンポンと顔に粉をはたいて、ビューラーではさんでまつ毛をくるんとさせ、薄く口紅を塗ってくれた。
「完璧です。いざ、参りましょう」
ベスは本当に結婚生活の話を聞きたかったのだろうか。廊下を歩きながら、後を追いかけて来るような粘っこい新聞記者の声を振り払おうとした。
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