第3話 ホワイト工房

 親方と二人で王城へ参上したダンは、くたくたのキャスケット帽を小さくなるまで折って、手の中に握りしめていた。

 ここは妃殿下の執務室というが、簡易的な椅子が三脚だけがある殺風景な部屋だ。


 嫁入りしてくる若い妃殿下のために衣装箪笥たんすを二棹作ってほしいと、宮廷から注文が入ったのが四か月前。妹のナタリーと同じ十八歳というが、きっとナタリーとは似ても似つかない、しとやかで繊細なガラス細工のような方だろうと想像し、木材選びから精魂込めて携わってきた。出来上がりには一片の妥協もないし、完璧のはずだ。

 なのに今日、妃殿下から直々に呼び出された。


「まずい事になってんな……、どうしようジジイ」

「お気に召さなかったってことだろうな」

 パレードで見た妃殿下は、ちょっと人間離れした美しさのクリス王子よりも親近感を感じたものだ。悪い印象は全く抱かなかったが、存外気難しいお方なのか。


「エリーゼ妃殿下のおなりです」

 衛兵に告げられ、二人は跪いて対面した。


おもてを上げてください。忙しいのにご足労をおかけしお詫びします」

 お詫びしなきゃならないのはこっちだ。顔を上げて口を開こうとすると、妃殿下エリーゼは微笑んでいた。品よく結われたブロンドに、とび色の瞳と目が合い、ダンはまばたきを忘れた。


「わたしの箪笥たんすをしつらえてくれたのはあなたですか?」

 言葉を失ったダンの代わりに、親方が答える。

「作ったのはこいつですが、最後の仕上げと検品したのはあっしですんで。責任は親方のあっしにあります」

「いっ、いいえ! ジジイのせいでも工房の責任でもありませんっ! どっどんな不具合で……、すぐに直しますんで!」


「素晴らしいです」

「はっ……はい?」

「あの素材は胡桃ウォールナットではありませんよね? 弓状の張り出しはどのようにお作りになったの? 引き出しの滑りも心地良いですし、何といっても閉めるときのピタッと静かに止まる感触ですわ! いいえ、止まるというのは違いますね。箪笥が引き出しを待っているという感じかしら。花模様の象嵌ぞうがん細工も本当に美しくて、毎日見るたびに心が安らぎます」


 何も言えない。ダンの体が熱くなり、額から瞬時に汗が噴き出る。

「そんなありがてぇお言葉、もったいねぇです!」

 隣で叫んだ親方が深々を頭を下げているのにならい、ダンも直角にお辞儀をした。


「あれは胡桃に似ていますが、胡桃ではあのような深い色合いにはなりませんよね。何の木材を使っているのですか?」

 妃殿下はダンの顔を見て質問している。今度こそ背筋を伸ばしてダンは声を張った。

紫檀ローズウッドと言いまして、妃殿下のお見立て通り木目は胡桃ウォールナットによく似ています。希少価値の高い木材でして、婚礼のお祝いにと選びました」


「そうでしたか。希少なものをありがとうございます」

「木材を切るとバラのような香りがするんでローズウッドというんですが。クリス王子に嫁がれる妃殿下はきっと、バラのようにお美しい方なんだろうと思いまして」

「まぁ、それだとわたしでは箪笥に負けてしまいますね」

「そそそそんなことはありませんて!」

 また余計なことを言っちまったと、ダンは後悔した。このせいで今まで何度女性に泣かれ、あるいは平手打ちを食らわされてきたか。


 パレードで遠目に見てもこうして近くで見ても、エリーゼ妃にはすごい美人という印象はない。けれど育ちの中で得た気品と、飾り気のない笑顔や話し方が合わさると、こうしてちょっと言葉を交わしただけでダンは日なたにいるような心地になった。


「引き出しの裏張りも見事ですね。寸分の隙間もなく、模様紙まで貼ってくださったのね」

「そこまで見ていただけて、逆に驚きです。妃殿下さまは引き出しをひっくり返したってことですよね?」

「はい。もちろん」

 これまで名家と言われる邸宅や有名人にいくつも納品してきたが、そこを褒められたのは初めてだ。


「実は二つお願いがあります。聞いていただけますか」

「はいっ! 何なりと」

「箪笥の把手とってをこれに付け替えたいのですが、ねじ込みの大きさが合わないようで」

 親方と視線で会話し、ダンがそれを受け取ることになった。「失礼します」とおずおず近づくと、小さな手から渡されたのは、木材を花の形に彫った把手だった。六枚の花弁の中心には赤いガラス玉がはめ込まれている。


「一生懸命に彫った感じが伝わりますね。妃殿下の思い出の品ですか?」

「わたしが作りました。十歳の時に。以来実家の箪笥に着けていたのですが、捨てられなくて持ってきました」

「えっ、妃殿下ご自身で!? すごい、お上手ですね」

 花びらが浮いて見えるよう彫ってあり、子どもの工作のような単純なものではない。


「付けられますか?」

「ええ、この形状なら問題ありません。すぐにできますよ」

「よかった。それでは二つ目です。この部屋をご覧になって、何か足りないと思いませんか?」

「そうですね……、足りないっていうか、何にもないっていうか」

「その通り。この部屋に必要な家具を作っていただきたいのです」


「そりゃもちろん! 願ってもないことですよ。なぁジジ……親方!」

 後ろで親方も「へぇ」と頭を下げている。

「その製作にはわたしも一緒に混ぜてほしいのです。でもまだこの国に来たばかりですから、自由になるお金もあまりなくて。ですからわたしを労働力として使ってもらい、その分費用をお安くしていただけませんか?」

「はい……? つまり妃殿下が働くと?」


「田舎の祖国ではわたし、のこぎりで木材を切ってウサギ小屋を作ったり、屋敷の壁を塗り直したりしたんですよ。少しはお役に立てると思います」

「ありえませんっ! そんなこと許されませんよ⁉ もし妃殿下がケガでもされたらオレたち責任取れませんし!」

「やっぱりご迷惑でしょうか」

「ええっとぉ……」

 そんなあからさまにガッカリされたらどうしていいのか分からない。親方を振り返ると、「一日考えさせてください」と答えてくれた。


 今日は把手を替えるための道具を持っていないので、明日また参上することになった。返答もせねばならない。工房の食堂で二人して頭を抱えた。

 職人の世界において、宮廷からの受注はこれ以上ない名誉だ。あらゆる職人が喉から手が出るほど欲しがっている。断ればもう次はないだろう。だが今回はそれに付随してくるものがあまりに大きすぎる。


「デザインに口を出してくるだけならいいんすけど、あの方絶対それじゃ終わらないよなぁ」

「だろうな。見ただけで木材の名前を言ってくる奥方なんざ、聞いたことねぇよ」

 まず何より、1ミリたりともケガをさせないこと。それから職人どもにどうやってバレないようにするかだが……。


「ムリだ。パレードでみんな顔見てるから分かるだろうよ」

「そっかああぁ! 隠しようがねぇぇ!」

「こうなったら腹くくって、ウチが安全でまっとうな工房だって見せかけるしかねぇよ」

「マジかよジジイ」

「ジジイじゃねえ! オレのことは親方と呼びやがれ! 話すっから全員集めろ。今日からウチはパワハラ、モラハラ、残業、下ネタなしのホワイト工房だ! いいなッ!」

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