第2話 王子のキス

 その笑顔で世界中を虜にするアマデウス王国の第一王子が夫になる。朝からずっと一緒に挙式を終え、パレードで市民の前に揃って姿を見せ、こうして寝台に二人きりの今になっても、まだ現実のことと思えていないのに。

 予想だにしないまさかの告白だ。すぐに受け入れるにはあまりに衝撃的だが、このお顔なら女性でも不思議ではないとどこか納得する部分さえあった。


「妃を変え側室を変えても父には男児が産まれなくてな。俺には姉が少なくとも二十三人いる。二十四番目も女児だった時にはさすがに父は嫌になったのか、もう子供は作らないと宣言されて。俺は末子で第一王子として育てられた」


 だが大国の跡取りが女では、面子メンツが保てない。

「理由はそれだけだ。女というだけで国内外からナメられる。王族の女なんて、政治の駒か子供を産むしか役割がないものだからな」


 ぽかんとして王子の可愛らしい胸から目を離せずにいると、「信じられないなら下も見せるか?」と言われてしまったので慌ててお断りした。

「あのっ、でもお声は低いですし」

「男性らしくなる薬を注射しているんだ。だから胸はこの程度で済んでいるし、月のものは来ない。髭もちょっと生えてくるぞ」

 王子は衣の前を止めると、エリーゼと横並びになり、たくさんのクッションにもたれて長い足を伸ばした。


「そそそれでは、どうしてわたしが結婚相手に選ばれたのでしょうか」

「一番は口が固そうだからだ。君、趣味に打ちこんでばかりで友だちも少ないそうじゃないか。社交界も好きじゃないだろう? 秘密を共有するにはそういう人がいい。それに魔鉱石だ」

 蒸気車や電力の源となるのは魔鉱石という特殊な鉱石だ。ピアニッシモ公国は良質な産地で、最大の取引相手が大量に消費するアマデウス王国だった。


「つまりもし私が秘密をばらしたら、ピアニッシモ公国は取り潰しというわけですね?」

「察しが良くて助かる」


 辺鄙へんぴなところにある祖国の人々は、ずっと素朴な生活を営んでいた。公爵家とて例外ではなく、エリーゼも民と共に牛を引いて農地を耕し、畑で小麦を収穫し、果物や肉を干して保存食を作った。屋敷が雨漏りすれば、父や執事たちと一緒になって木を切り釘を打ったものだ。

 ド田舎が魔鉱石という新しい産業を知ったのはわずか五年ほど前で、そのおかげで新しい街道ができ、街ができ、人が増えて、ピアニッシモ公国はかつてない活気に湧いている。


 わたしの言動一つに、領民やお父様たちの生活全てがかかっているんだわ。

 初夜のときめきはどこへやら。エリーゼの体内で冷えた決意が固まった。

「祖国の名にかけ、誰にも言わないと誓います」


「うむ、頼むぞ。知っているのは俺の乳母と息子のユアン。父と母と侍医に、あと近衛隊長だけだ。姉たちも知らぬが、全員もう嫁いで国外だしな」

「ご家族にすら……」

 改めて王子の横顔を見れば、髪は耳が全部出るくらい短い。眉は太いまま整えていないし、そばかすを隠す化粧も施していない。立ち振る舞いも男そのもので、これまでは女を感じさせる要素はどこにもなかったのに、今はもう女性にしか見えなくなってしまった。


 重たいっ。秘密がこんなに重たいなんて。

 これはただ秘密を黙っているだけではなく、王子が男だという嘘までつき通さねばならないのだ。これから、一生、ずっと。


「こんなはずではなかったよな。君の結婚生活をめちゃめちゃにして、申し訳なく思っている。だからここでは好きに暮らすといい」

「好きにとは?」

「美しく着飾り、華やかに暮らせ。恋をして幸せになれ。そして子を作れ」

「えっ、えっ、どういうことですかっ?」

「世継ぎが必要だが、俺との間にできるわけないだろう」

「でもそれでは王家の血筋がっ!」

「君の腹から産まれれば構わんさ。ああ、でも俺の子に見えるように、相手の髪の色と目の色は選んでな」


「そんな……、全部嘘ばっかり……」

面子メンツさ。男にとっても家庭にとっても国家にとっても、それが最も重要なのだよ。だから君には幸せを見つけて、ここでの暮らしはいいものだと実家へ手紙を書いてほしい」


 アマデウス王国は大国だ。エリーゼの祖国とは比べ物にならないほど多くの民を抱え、最先端の文明を保持し、これからも世界の憧れを受け続けねばならない。衣食住だけではない魅力が多くの人を集め、新たな文化が絶えず生まれ、躍動する。国が更に大きく豊かになる。それを思えば、クリス王子の嘘などちっぽけなものに過ぎないのかもしれない。


 王子の横顔には、曇りがない。男として生きることに一筋の疑問も迷いも抱いていないのだろう。強い人だ。


「殿下、先ほど好きに暮らせとおっしゃいましたね?」

「うむ。足りないものは何でも用意させよう」

「お城の中を拝見して、気になったことがあるんです」

「あぁ、言いたいことは分かる気がする」

 王城は広いし、柱や天井にいちいち細かな装飾が施された建物はそれだけで壮麗だ。しかし、がらんとして殺風景を通り越し、何にもないのだ。


「姉が二十三人もいると結婚持参金も大変なものでな。金目の家具や美術品はすべて持っていかれてしまったんだ」

「そうだったんですか」

 この王城も壮麗なのは外部に見せるところだけ。上品な嘘で塗り固められているというわけだ。


「わたしにやらせていただけませんか。この王城を美しく、暮らしやすいものにしたいのです。お金はあまりかけずに」

「君が?」

「ここは世界の流行最先端の都でしょう。才能ある職人がたくさん集まっているはずです。田舎とは大違いですもの!」

「まぁ、好きなようにやってくれて構わないが」


「もちろんお金のかかることは勝手に決めず、相談させていただきますね。あぁ~楽しみだわ!」

「ふっ……、アッハッハッハッハッ!」

 すると王子が笑った。初めて見せた無邪気な明るい笑顔で、見ているこっちまで幸せな気持ちになれる顔だった。


「絶対泣かれると思って覚悟していたんだが、すごいな君は。うん、俺はついてる」

 そう言ってエリーゼのブロンド髪を撫で、頬に触れた。

「今日は俺も疲れた。このまま一緒に寝ることにしよう。おやすみ」

 と、エリーゼの頬にキスして、向こう側を向いて布団をかぶる。ベッドは二人で並んで寝ても十分な距離が保てるサイズだ。


 ほっぺたが熱くて、体温が一気に上昇してしまったエリーゼは、とても眠れそうになかった。

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