ド田舎から嫁いだらとんでもない秘密を暴露されました。嘘をつき通す自信がないのでとりあえずDIYで住環境だけでも快適にさせていただきます。

乃木ちひろ

第1話 結婚初夜

 花の都。アスティはそう呼ばれるにふさわしい、華やいだ大都会だった。


 王城を中心に整然と敷かれた道路は全てアスファルトで舗装されているし、往来するのは馬車ではなく蒸気で走る路面列車と車だ。道行く女性の羽根飾りがたくさんついた火山のような帽子や、色鮮やかなドレスに次々と目を奪われる。

 ひしめき合う建物にはたくさんの花飾りがあしらわれ、人々は一様にこちらを向いて手を振っていた。


「ほら手を振って。みんな君を祝福してる」

「わっ、ひゃ……」

 吐息を感じるほどすぐそばで囁かれて、エリーゼの胸はもうドキドキが止まらなくなる。ツンツンとした短髪の黒髪の下にある、意志の強そうな緑色の大きな目。キリっとした黒い眉、細く端正な鼻筋と、絶妙な細さに削り出したような顎。完璧すぎる美貌の王子だが、日焼けした肌とそばかすが親しみやすさを加えている。


 アマデウス王国の第一王子クリス。今日、エリーゼの夫となった人だ。

 教会での結婚式を終えて、今は蒸気車のオープンカーに乗り、市内をパレードだった。


 歓声のほとんどはクリス王子に向けられている。エリーゼへは「どうしてあんな田舎娘がクリス王子と?」「全然美人じゃないわね」「なにあのドレス、ダッサ」そんな声ばかりが届く。

 やっぱり都会って怖いところなんだわぁ……。

 エリーゼの祖国、ピアニッシモ公国はド田舎だった。アスティのような大都会は来たのも見るのも初めてだ。


「だいじょうぶ? 疲れただろう」

 パレードを終え王城へ戻ると、緑色のクリスの瞳にのぞき込まれた。

「いえ……、お気遣い痛み入ります」

「俺の前で無理をする必要はない。それに言葉遣いもな。痛み入りますなんてやめてくれ」


「もっ、申し訳ありません! あのそのわたし田舎者なので——」

「何も恥じることはない。中身がないのに表面だけお高く留まられるよりずっといいさ」

 そう言って、全世界を虜にする笑顔をエリーゼだけに向けた。

「晩餐会まで少し休むといい。ユアン、お連れしろ」

「承知しました」

 エリーゼがホケーッと見とれている間に、白い礼装の背中はサッと城の奥へと行ってしまう。


「本当に、あの方がわたしの夫なんでしょうか……」

「間違いございません」

「あんなにお美しく聡明なのに!? お気遣いまで完璧で、非の打ちどころないですよね⁉」

「はい、おっしゃる通りです。妃殿下」

「ひでんか……っ⁉」

「今日からは妃殿下とお呼びいたします。私などに敬語はお使いになりませんように。妃殿下」


 ユアンはクリス王子の乳兄弟で、幼い頃より従者として仕えているという。ユアンの後について部屋に入ると、ごく親しい人を招く小さな応接間だった。カウチにもたれ込むと、朝からずっと続いてた緊張と疲労で、思わず大きな溜息が出る。

「果実水をお持ちします。どうぞ靴を脱いでおくつろぎください」

 一人になると早速靴を脱ぎ捨てたが、コルセットがきつくてとても寛ぐ気にはなれない。


 緊張の源はもちろん、夫だ。

 繰り返すが祖国のピアニッシモ公国はド田舎の小国だ。エリーゼは一応領主の公爵家の娘だが、アマデウス王国のような大国の王位継承者とは、とても釣り合うような家柄ではない。それに王子の顔ときたら。


「美人は三日で飽きるっていうけど、嘘よ! 三日じゃ全然慣れなかったものっ!」

 というかクリス王子は一生美人だろう。だから一生慣れないと思う。

「わたし、やっていけるのかしらぁ……」


 異国への輿入れで、エリーゼは一人きりになった。侍女や護衛はすべてアマデウス王国側が用意する。それが先方が提示してきた唯一の婚姻条件だった。だから慣れ親しんだ召使や身内といえる人は、この宮廷内に誰もいない。

 慣れない都会に来て今日で四日目。もれなくエリーゼはホームシックにかかったが、クリス王子やユアンはとても気遣ってくれていると思う。これはとても幸運なことだ。


 コンコンと控えめに扉がノックされ、茶色の髪を結いあげた丸顔の女官が顔をのぞかせた。

「ベス!」

「エリーゼ様、お疲れでしょう。よく頑張りましたね」

 ベスはエリーゼよりも三つ年上の二十一歳で、クリス王子の近衛兵と付き合っているらしい。四日でそこまで仲良くなった。


「あぁ~ん、怖かったわよぉ」

「みんな嫉妬したいだけなんですから、言わせておけばいいんですよ。真に受ける必要なんてありません」

「ダサいって言われたしぃ」

「知らないから言ってるだけですよ。そういう人に限ってアレックス・ステュワートのドレスだって聞いたら『アタシは素敵だと思ってたけど』って真っ先に言い出しますから!」


 アレックス・ステュワートというのは今、大陸で最も人気のあるファッションデザイナーなんだそうだ。男女問わず憧れのブランドで、注文しても全く手に入らないらしいが、その名をエリーゼは初めて聞いた。

「晩餐会は新郎新婦は途中までですからね。あと三時間ちょっとの辛抱です」

 そう言って、ベスはエリーゼの足の裏やふくらはぎをマッサージしてくれた。


 晩餐会はおとぎ話のようにきらびやかなものだった。何を食べて誰と会話をしたのか全く覚えていないが、気付くとベスにドレスを脱がされ絹のシュミーズ一枚で寝室へ送り出されていた。

 このために新郎新婦は晩餐会を中座する習わしなのだ。寝台の周りには、普段は留められている天蓋の幕が下りている。この中で、夫婦として務めを果たさなければならない。しかも王族のそれには見分役がいる。神への誓いと夜の営みが完了して、ようやく婚姻成立となるのだ。


 寝台の足元には、見分役の神官が控えている。男性だ。エリーゼがちょっと会釈をすると、神官は更に深いお辞儀を返してきた。

 薄暗い天蓋の中で、心臓が最高潮にバクバクしている。脇や背中に変な汗をかいているんじゃないかと触ったり匂いをかいだりしていると、カチャッとドアが閉まり、ドッ、ドッと大股な足音が近づいてきた。


 見分役が天蓋を持ち上げた隙間から中に入った王子は、寝台に乗ってエリーゼと向かい合った。そして唇の前に人さし指を立て、完璧な形の唇を少しすぼめる。

「しー」

 その人さし指をエリーゼの唇に当てる。声を出すなということだ。拳を握りしめ、意を決して頷いた。

 優しく押し倒されて、膝を広げられる。ギュッと目を閉じて、最初は痛いというその瞬間を耐えようとした。


「……?」

 けれども、それは来ない。寝台は規則的に揺れているのに、それはおろかどこも触れられてすらいない。

「っは、あぁ……」

 すぐ近くで王子に色っぽい声を出され、首筋がゾクっとしてしまう。体位だけ見れば間違いなくそれなのだが……。


「婚姻は、成立だな」

 わざわざはぁはぁ息をつきながら、天蓋の外にいる神官へ王子は問う。すると「おめでとうございます」と告げ、寝室から出て行く音がした。


 何がなんだかわからない。一体どういうこと?

「すまなかったな。もう喋っていいぞ」

 喋っていいと言われても、何をどう聞いたらいいのかわからない。もしかして、美しい王子はこんな田舎娘を抱くのはやっぱり嫌なんだろうか。


 エリーゼが体を起こすのを待ち、王子はやんわりと、そして心を込めてエリーゼの手を握った。

「君にはきちんと説明しなければならない。これはこの国でもごく一部の者しか知らぬことだ」


 王子が紐を解いて上衣を脱いだ。今はお互いに、絹の下着しか身に着けていない。

 日焼けした顔や腕とは裏腹に、白く滑らかな肌だった。そして太っていないのに胸がほんの少し突き出ている。まるで成長期の少女のようで——


「俺は女だ」

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