第28話 彼の気持ち

荒い息、嬌声、水音。

私はなぜこんな場違いなところに、足を踏み入れているのだろうか?

壁にもたれて、床に座り、私は自分の身体を、自分でぎゅっと抱きしめる。腰につけた短剣がとても重く感じた。


今私が、とどまっているところの横は大きく壁がくりぬかれていて、その奥には大きな寝台が設置されている。その寝台には天蓋がかかっていて、薄く透けた布を通してしか寝台の中は見通せないのだが、明らかにその寝台の上には、服を着ていない男女がいる。そして、聞こえてくる音から多分そういうことをしているだろうことは、分かっている。何を話しているかまでは分からないので、その男女が誰なのかははっきりしていないのだが。


ここは彼の夢の中だから、その男性は彼なのだろう。まさか、彼が他の女性と睦み合っているところに来てしまうとは。


どうしよう・・。

やはり、彼を助けることはあきらめて、夢から覚めるべきなのだろうか?

でも、彼を目覚めさせないと、このまま死んでしまうのに。諦めていいのか?

どうすべきか迷っていると、閉じられていた天蓋が開く音がした。


首を伸ばして、様子を伺うと、寝間着を着た男性が立ち上がって、寝台の横に降りるのが見えた。髪の色は青紫。ラーファエルで間違いない。

天蓋を閉じたので、中は伺えないが、女性はそのまま寝台の上にいるようだ。

これは、ラーファエルが一人になるいい機会かもしれない。


ラーファエルは、こちらの方ではなく、部屋の奥の方に歩いていく。奥にも別の部屋があるらしい。

大きく深呼吸すると、私は寝台のある部屋に姿勢を低くして、足を踏み入れた。

寝台を伺ってみるが、中の影らしきものは少しも動く様子がない。声もしないので、寝ているのか、気を失っているのか。


天蓋を開けて相手を確認してみたい気持ちもあるが、万が一起きていたらややこしいことになる。それにしても、ラーファエルに恋人がいる等聞いたこともないのだが、相手は私が知っている人物なのだろうか?

告白する前に振られてしまったなぁ。

とにかく今はラーファエルと対峙しないと。

私は、ラーファエルが向かった先に、足を進めた。


部屋を覗くと、私に背を向けて、彼が飲み物を用意しているのが見えた。用意しているのは一人分のようだから、やはり寝台の女性は寝ているのかもしれない。

私は思い切って、ラーファエルに声をかけることにする。


「あの・・ラーファエル。」

彼の後ろの少し離れたところに立って、彼に向かって声をかけると、彼は驚いたようにこちらを振り返った。

「どうした?イヴォンネ。喉が渇いたのか?」

「・・ええ。」


私がいることを特に不思議とは思わないのか、ラーファエルは普通に声をかけてきた。普段の彼よりも口調が柔らかいように感じるのは、ここが夢の中だからだろう。


「君の分も用意するから、そこの長椅子にでも座って待っていてくれ。」

彼が手で指し示した長椅子に腰を下ろす。部屋には大きな窓があり、窓の外にも木の床が続いている。その奥は雪景色だった。多分見えないところに月が出ているのだろう。雪が月の光を反射して光っている。座っている長椅子はちょうど窓に向かい合っておかれているので、外の様子がよく見えた。


これだけ大きな窓だと、部屋の中が寒くなりそうなものだが、部屋の中はちょうどいい加減に保たれている。しかも、扉や帳(とばり)もないようだが、どのように熱を部屋の中に抑え込んでいるのか・・夢の中だから何でもありなのか。


「できたぞ。」

彼は両手に陶器でできた器を持って、片方を私に手渡した。中には白い液体が入っている。

恐る恐る口に含むと、懐かしい味がした。

「これはルーヴェ?」

「そうだが?嫌いではなかったと思ったが。」


彼は私が座っている隣に腰を下ろすと、自分が持っている飲み物を飲んだ。彼が飲んでいるものも同じルーヴェのようだ。ルーヴェはハンニカイネンに自生する果実を絞った飲み物だ。冬の寒い時に温かくしたものを飲むのが一般的だ。ほんのりと甘く、身体がぽかぽかと温かくなっていく。

「とても美味しいわ。ありがとう。」


「いや、それにしてもいつの間に着替えた?先ほどまで着ていた服と違うように思うのだが?」

「・・気分転換?」

彼の問いに私はぎこちなく笑って答える。どうやら、夢の中の私は、ここにいたらしい。鉢合わせしなくてよかった。私が夢の中の私を殺すことになってしまったら、目が覚めなくて困ったことになっただろうから。


「ねぇ、ラーファエル。」

彼は私の呼び掛けに視線で答える。

「貴方は・・思い人がいるの?」

こうして夢で愛し合うくらいに。


彼は私の質問に、目を見開いた後、なぜか顔を赤くして、その後考え込んだ。

普段と違って夢の中だからなのか、彼の反応が素直でかわいい。

もし、彼に思い人がいるなら、私が魔王に成って、彼を解放してあげようと思った。ここまで私に付き合ってくれたのだから、それでもいいだろうと。


魔王でなければ、彼の魔力量が少なめなのもそれほど気にならないだろうし、私も魔力の消費を抑えられるかもしれないから、贄を必要としないでいられるかもしれない。

私の好意は彼に伝えられないまま、終わってしまうけど。


彼はなかなか答えを口にしなかった。考え込む時点で彼に思い人がいるのは確かなのだが、なぜこれほど言うことをためらっているのだろう?これは夢だと、彼も分かっているだろうに。・・それとも、夢だと思っていないのかしら?そんなことはないはずだ。ハンニカイネンに、ここと同じような建物は存在しない。


「なぜ、そのようなことを聞く?イヴォンネ。」

「私は貴方の口からその答えを聞きたいの。」

その方が、心に決着がつけやすいではないの。

私が彼の顔を見上げると、彼はこれ以上ないほど顔を赤くさせて、視線をそらした。その後、軽く息を吐いて、強く目をつぶる。


思い直したように私に向き直ると、座っている私の背中と膝の後ろに腕を差し込み、軽々と持ち上げた。そのまま自分の膝の上に私を乗せ、ぎゅっと抱きしめる。

ラーファエルからは汗の混じった体臭と、早い鼓動を感じる。彼の顔は見えないけれど、私の耳元で彼の声が響く。


「私が好きなのは、君だけだ。」

彼の答えを聞いて、私の頭の中は真っ白になった。

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