第45話 オッサンたち、少女たちの強さを知る


 少女たちが風呂から上がってきた頃には、ケンジが作っていた夕飯が完成した。


 スープを煮込んだ鍋をリビングのテーブルに移動させ、ケンジは仲間たちに食器を配る。


「今日は鶏もも肉とキャベツのトマト煮込みだ。中に入っているコロッとした白いのはニョッキって言ってジャガイモと小麦粉から作ってる。


 パンに代わる主食だ。三人ともたくさん食べてくれよ」


「うんっ!」


「いやホーセイには言ってねーよ! おまえは少し遠慮しろ!」


 大食漢なホーセイを窘めたケンジの顔には、さきほどまで浮かんでいた眉間の皺が消え去っていた。


「ほないただこかー(じゃあいただこうか)」


「はい! えっと……いただきます!」

「いただきます」

「いただきますわ」


 オッサンたちに倣って両手を合わせると、少女たちはスプーンで掬ったスープを口に運んだ。


「美味しい……! ご主人様、すっごく美味しいです!」


「ホント、美味しいわねこのスープ。トマトのスープってもっとあっさりとした味わいなのに」


「トマトの酸味とスープの濃厚な味わいが舌を楽しませてくれますの……」


「トマトのグルタミン酸と鶏もも肉のイノシン酸は混ざると味に深みが出るんだ。そこにニンニクの風味が混ざれば、食欲増進間違いなしだろ」


「美味しい! 美味しいよケンジ! お替わり!」


「はいはい。量はそれなりにあるけどフィーたち優先なんだから、オッサンは少しは遠慮しろよホーセイ?」


「分かってるって!」


 ドカ食い気絶部所属のホーセイとは対象的に、本当の身分は良家の子女であるフィーたちの食べ方は上品だ。


 皿と口をめまぐるしく往復するホーセイのスプーンの動きに笑いながら、少女たちもお淑やかに食事を楽しむ。


 そうして食事を終えた頃――。


 洗い物を終えたケンジは、フィーたちに声を掛けて皆をソファーに座らせ、自身もソファーに腰を下ろして少女たちと正対していた。


「……フィーたちに許してほしいことがある」


 そういうとケンジは少女たちに頭を下げた。


「俺たちの目的の一つはフィーたちを生まれ故郷であるノースライド王国に送り届けることだ。それは重々承知している。だけどどうしても見過ごせないことができちまったんだ」


 そういうと下げていた頭をあげたケンジはまっすぐに少女たちを見た。


「俺は『モンスター大発生スタンピード』に襲われるかもしれないこの街のためにモンスターと戦いたい。困っている人のために手を貸したいんだ。それを許してはくれないだろうか」


 自分には戦う力がある。

 そして目の前に困っている人が居る。

 だけど自分には優先すべき事があった。


 それでも見ないフリをして通り過ぎることがケンジにはできなかった。


 会社に遅刻しそうだからと、道に倒れた人を見過ごすことができないのと同じように、モンスターに襲われるのが分かっているのに自分だけその場から立ち去るようなことがケンジにはできなかった。


 ケンジの真摯な表情に少女たちは目を見合わせた。


「それはこの街に留まり、スタンピードから街を守ることですか?」


「守れるかどうかは分からない。だけど俺が戦えば誰かを守れるかもしれない。その可能性を無視することは俺にはできない」


 ケンジの言葉を聞いて少女たちが微笑みを浮かべた。


「やっぱりご主人様はお優しい方ですね」


「優しいっていうか不器用っていうか……」


「お人好し過ぎるとは思いますが、でもそういうご主人様は好ましいですわ」


「アタシたちは奴隷なんだから、アンタの決めた事に逆らうことなんてできないんだし、一々、断りなんて入れなくて良いのに」


「でもこうやってちゃんと相談してくださるのは嬉しいことですの」


「それはまあ、そうだけど……」


「ご主人様。私たちはご主人様のお考えに反対はしません。ご主人様の為さりたいように為さってください」


「おまえら……」


 自分の望みを受け止め理解を示してくれた少女たちに、ケンジは目を潤ませた。

 だが――。


「ちょい待ち。なんか良い雰囲気で終わろうとしとるけど、そんな簡単な話やないと思うで」


 黙って事の成り行きを見守っていたリューが口を挟んだ。


「それは……分かってるよ。だけど俺は――」


「うん。ケンジが困っている人を助けたいと思うのはエエ。善し悪しの問題やなく、それでこそケンジやと思っとる。だからそこには反対せん」


 長年付き合ってきた親友のことだ。

 ケンジが何を悩み、何を相談しようとしているのか、リューにはケンジの考えていることが良く分かった。


 だが『分かる』と『わかる』は違うのだ。


「せやけどケンジのその行動によって起こり得る結果についてもフィーっちたちに説明せんと片手落ちや。違うか?」


「違わない……」


 オッサンたちの会話の主題が理解できず、少女たちは首を傾げる。


「ケンジがスタンピードの防衛に参加するのはエエ。せやけどスタンピードから街を守るつもりなら避けられへんことがある」


「僕たちの強さが人の目を惹いちゃうってことだね」


「せや。オレらはこの世界では異端な強さを持っとる。なんせ(なにせ)Aランク冒険者やら騎士団が束になってようやく勝てる強さの瘴魔リニオグナタを、たった六人で討伐してもーたんやからな」


「スタンピードから本気で街を守ろうとすれば、僕たちの強さが多くの人に目撃されることになる。つまり悪目立ちしてしまうってこと」


「フィーっちは亡国の元王女さんや。アリっちもクレアっちもその王女様の側近で貴族や。ノースライド王国に攻め込んだトリアゲス王国やらバンガス帝国からすれば、反乱の火種になる危険分子や。


 オレらが目立つということは、フィーっちたちのことがそいつらに知られてまう確率が上がるってことや」


「それはそうだ……」


 リューの正論に答えることができないケンジ。

 ケンジ自身、その危険性について考えは及んでいた。

 

だが街を壊滅させるかもしれない、天災にも等しいスタンピードの話を聞いて黙っていられなかったのだ。


 それからずっとケンジは板挟みになっていた。

 どうすれば良いのか。何を選択すれば正しいのか――。


 いくらケンジがオッサンとは言え、必ずしも正しい選択などできるはずがなかった。


 だからケンジは仲間たちに相談したのだ。

 そしてリューの言葉を聞いてケンジは決断を下した。


「そうだよな、やっぱりフィーたちにそんな危険な橋を渡らせる訳にはいかない。悪い、やっぱ今の話はナシに――」


 自分のワガママだった。

 それを認めたケンジが心を切り替えようとしたそのとき。


 フィーが口を開いた。


「ダメですそんなの!」


 ソファーから立ち上がったフィーが怒ったような表情で捲し立てた。


「誰かを助けるのに時と場合を選ぶことなどできません。誰かを助けるのに理由を探す必要なんてありません」


 真剣な目で。

 真っ直ぐな瞳でフィーは言葉を続ける。


「己の身の安全のために目の前の災難を見過ごすことをよしとする王族が、故郷に戻って民たちに胸を張れるでしょうか? 


 自国の民以外を見捨てるような王族を見て民たちは慕ってくれるでしょうか?」


 フィーの表情から王女としての威厳が溢れ出してくる。


「ご主人様方が活躍することで私たちに危険が及ぶというのなら、私たちは笑顔と共にその危険を乗り切ってみせましょう。


 だからご主人様。私たちのことは気にせず、己の心に従ってください」


「そうね。フィーの言う通りよ」


「それにご主人様方の強さが知られれば知られるほど、わたくしたちに手を出すのが難しくなってくる可能性だってありますもの」


「うん、そうだよ! きっとそう!」


 王女然としていたフィーの表情が、友人たちの援護射撃を受けて年相応な幼い顔に戻る。


「いや、さすがにそれは楽観視しすぎな気もするで……?」


「杞憂していたって何かが変わる訳じゃないもの。それにこれは貴族としての矜持きょうじの問題よ」


「困っている庶民を見捨てて己の保身を図るなど、ノースライド王国の貴族の末席に連なる者として受け入れられることではありませんの」


「アタシたちは奴隷になってしまったあとも、その矜持を忘れたことはないわ。アタシたちは生きるために生きてる訳じゃない。アタシたちは貴族としての義務と矜持を忘れず実践するために生きているのよ」


「生きるために生きている訳じゃない、か。ちーっとばかし、オッサンたちの耳には痛いセリフやな」


「ご安全に、は大事だけど。なんとなく生きるために生きてきた僕たちオッサンたちよりもフィーちゃんたちの方がよっぽど大人なのかもね」


「そうは言ってもフィー……俺のワガママでおまえたちに危険が及ぶのは――」


「全然問題ないです! ドンと来いですよご主人様!」


 躊躇するケンジの背中を押すように、フィーは満面の笑顔を浮かべた。


「それにアタシたちもスタンピードの防衛戦に参加してレベルを上げれば、もっと強くなれるってことでしょ? だったらやるしかないわ」


「強くなれば何があったとしても生き残ることができますの。という訳でわたくしたちもスタンピード防衛戦に参加いたしますわ!」


「うん! もちろん良いですよね、ご主人様!」


「それは……」


「ハハッ、ダメとは言えなくなっちゃったねえ」


「貴族の矜持。プライドか……。そのプライドのために危険な目にあってもそんなんは承知の上ってことやな。そういう発想はオレらにはなかったかもなぁ」


「明治維新の頃の人たちにはあったのかもしれないけど。現代で生きてた僕たちは安心、安全っていうのに固執しちゃうところがあるのかもね」


「……本当にそれで良いのか? フィー」


「もちろんです!」


 胸を張って答えるフィーの姿に、ケンジの覚悟は決まった。


「フィー。アリーシャ。クレア。ありがとう……」


 理解を示し、背中を押してくれた少女たちにケンジは深々と頭を下げた。


「ほな防衛線に参加することに決定、でエエんやな?」


「はい!」


「ガンガンモンスターを倒してレベルを上げてやるわ!」


「ふふっ、楽しみですの」


 さも当然とでも言うように少女たちは楽観的な答えを返す。

 その姿はオッサンたちには、貴族として矜持を貫こうとしている一人の大人の姿に見えた。

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