第11話 ∞ダース君とファッジとミュージカル・スター

 十二階雅之じゅうにかいまさゆきは二十歳の劇団員。まだ端役はやくしかもらえない研修生だ。今日は地方の寒村にある古い映画館へとアルバイトに来ている。


「ごめんよ。年季物だろう。今回の上映は古い映画の複製焼き直し、ラッシュフィルムってやつでね、ようやく配給を回してもらえたっていうのに、映写機がこれだ。このサイズの機械、前に動かしたのが半年前でね。ロールのモーター、たまにスピードが変わって、それに合わせて音声もぐにゃぐにゃに聞こえるときがある」


 支配人兼映写技師の藤堂が白髪に丸眼鏡で済まなそうな顔をする。


「今時フィルムの配給で上映するところも少ないよね。最新のデジタルを入れる予算もなくてね。これが駄目になるまで、ガンバるんだ。歳いくとさあ、目が駄目でね。細かい作業が上手くいかないんだよ。セットだけは若い人たちに毎回お願いしているんだ」


 指先をで動かしながら、目を細めて説明をする藤堂。


「巻リールがこっちで、送りのリールがこっち。このスイッチが映写機の灯りだ。結構熱くなるから触れないように気をつけて。やけどするよ」


「はい」

 手ぬぐいをはちまき風に縛って、額に巻く雅之は汗ばんだ顔を拭きながら、仕組みをおさらいしている。


「おにいちゃんは、この辺りにゆかりのある人って聞いたけど、生まれ故郷なの?」

「いいえ。祖父母と両親、それに姉の墓があるんです」

「すると欠の上にある真言寺しんごんじかな?」

「はい」

「そういえばあの辺りには十二階さんって名字、多いね」

「まあ僕は東京生まれの東京育ちなので、行き来のある親戚がいるわけではないんですけど」と電源ケーブルをセットしながら彼は話す。

「そっか。まあ折角来たんだ。帰りにお墓参りもしていくと良い」

「ええ、そうします」


 雅之は、セッティングを終えて、上映予定の映画をセットし終えると、はちまきの手ぬぐいを外した。

 テストランでフィルムを走らせると、その冒頭の映し出される画面に少し驚いた。だが彼は声に出すことはなく、言葉を飲み込んだ。この映画の最初の場面は、エキストラ役で始まる。そこに生前の実姉の姿を見ることが出来たのだ。


『ねえちゃん……』


 これも何かのご縁と思い、映画館の支配人に挨拶をすると、そのあしで雅之は菩提寺に向かった。そして墓前に花を手向けると、帰路に就いた。


 東京に戻った頃は、ちょうど夕食の時間だった。仕事疲れと日当が即払いの現金支給だったので、彼は駅前で食事を済ませて帰ることにした。『潮風食堂』は暖簾を出して営業中だ。


「こんばんは」

 雅之の声に、

「おっ、演劇青年。いらっしゃい」と笑う一色。

「とんかつ定食の上をください」

 笑顔の雅之に、

「奮発したね。日当の良いバイトにありつけたな。いい顔だ。じゃあ、少し大きめのやつサービスしてやるよ」と一色は、冷蔵庫から一回り大きく肉を切ってまな板にのせた。


「今日ね、両親と祖父母の墓参りもしてきた。たまたまバイト先が親父の故郷だったんで」と雅之。

「へえ。山梨だっけ?」

「うん。凄い田舎。鉄道も二時間に一本って具合の村なんだ」

「のどかな、良い景色がありそうだね」

 照れくさそうに雅之は、

「四方が山ばかりだったよ」と笑う。

「演劇青年は板芝居いたしばいにしか興味ないんだっけ?」

 料理をしながら一色が訊ねる。

「エキストラなんかを、副業でやることはありますけど、基本はナマの演劇ですね。媒体は使いません」

「なるほど。こだわりがあるんだね」

「亡くなった姉の夢だったんです。舞台女優」

「おねえさんの意志を継いでいるってわけだ」

「はい」

「こみ入ったこと聞いてごめんね」と一色。

「いや、たまに誰かに話すのは、自分にとっても良いことなんです。忘れかけていた初心を思い出せますから」

「まじめだね」

 一色は千切りキャベツにのせたとんかつと味噌汁、ご飯を彼の目の前に並べると、袋入りのお菓子を一緒に渡した。

「これは?」

「おまけのお裾分け。ファッジ。知ってる?」と訊ねる一色。

「ええ、姉の好物でした」と偶然の産物に驚く雅之。

「そうなの? おねえさんハイカラだね」

 イギリス生まれのキャラメルとも、砂糖菓子とも言えるチョコの香り満載のお菓子。デザートにうってつけのこの菓子を食後に頂けるとはラッキーデイだ、と思う雅之だった。



 その夜、雅之は近所の安アパートに戻って、こたつ布団にくるまった。そして明日のオーディションに向けた台本の台詞を頭にたたき込む。


「雅之」

 囁くようなその言葉に、彼はフッと顔を上げると、そこには亡くなった筈の姉、雪がいる。


「えっ? ねえさん」

 姉は黄色の雨合羽を羽織って、まるでスクリーンのデビー・レイノルズのような姿で立っていた。

「雅之、明日のオーディションは歌がリクエストされるから、『シンギン・イン・ザ・レイン』を歌って!」


 姉はそう言い終えると、すっと電球のフィラメントが燃え尽きるように静かに消えてしまった。

 雨戸の隙間から日差しが入る立て付けの悪いアパートの窓。気付けば彼は、こたつでうたた寝をしていたようだ。


 彼は昨夜の夢を思い返す。

「ジーン・ケリーの『雨に唄えば』だったよな……。名画のスタンダード・ミュージカルだから確か持っていた筈。」

 彼はカラーボックスの本棚から廉価版のDVDを探し出す。

「あった!」

 一枚の廉価版ディスクを、PCで再生する。彼の歌うシーン、雨の中でのパフォーマンスを何度も繰り返し、時間ぎりぎりまで見続けた。空で歌えるようになるまで何度も再生している。


 有楽町の路地裏、大手プロダクション傘下の舞台俳優専門の所属事務所のオーディション会場。そこには『新作劇 雨とブロードウェイ 俳優オーディション会場』と印刷された帯幕が貼られていた。


「えっ? 作品名決まったんだ。作品名未定のオーディションだったのに……」


 古びた雑居ビルを全室丸ごと借りたこの事務所は、一階に控え室を設けていた。受付で整理券を受け取り、受験票と交換する。受験まで残ったのは十人たらずと言われた。合格の確率は一割強。書類選考が厳しかったのだろう。本選は一般的なオーディションよりはやや緩い倍率だ。


「十二階雅之さんですね」

「はい」

 会場整理の案内役が控え室で雅之の顔を写真と照合して声をかけた。

「十二階さんは三階の会議室が審査会場です。ご案内します」

 そう言って黒のスーツの地味目な女性の後について行く。古びたエレベーターを使って三階へと上がる。


 木で出来た古い扉を女性が『トントン』とノックする。


 開いた扉の向こう、長机を並べた面接会場には、プロデューサーらしき人と舞台監督、そして若い女性がひとり座っていた。面接官はたったの三人だけだ。


『まあ、こんな程度だよな。話題性もない小さな劇だしなあ……』


 雅之は心中で思っていた。そして指示された椅子の前に立つ。


 ところが、そのメンツ、よく名前を見ると、有名な舞台監督、そして若い女性は二十代後半、人気絶頂期の映画女優だ。十代の頃はアイドル的な人気要素も持っていたためファンが多く、出る作品は超満員で知られている人物だ。


「おかけください。十二階雅之さんですね」とプロデューサーと札をかけた人物。


 椅子に腰掛けると雅之は返事をした。

「はい」

「突然で申し訳ないが、皆さんにお願いしているので、ここでパフォーマンスを含めて一曲お願いしたい。ミュージカルに対応できる逸材なのかを知りたい」


 受験の通知にはないリクエスト。昨夜の姉の言葉通りの展開である。

 彼は鞄から中折れ帽を取り出して、ジーン・ケリーの模写を演じ始める。

 彼が演じている間、男性二人は頷き合って、紙に何かを書いている。そして真ん中に座る女優に、説明をしている風にも見えた。そして何よりもその女優がほろりと一粒の涙を流しているのが、歌っている雅之からも見えた。


 歌い終えると、三人は拍手をした後で、

「今回の主題にぴったりのパフォーマンスを見れて、大変参考になりました」と舞台監督。そして彼はそのまま続けて、

「実は今回は内密の募集で、舞台の劇団経験者だけに主に募集をかけましてね。小さな作品と謳っていたのですが、ここにいる紗弓さゆみえみの主演ミュージカルなんです。だから協賛企業も凄い、そして脇を固める俳優陣も凄い作品なんですよ。当初とは違うサプライズの話になってしまうのですが、その辺はご了解いただけますか? もし了解いただければ、紗弓の相手役にしたい」と言う。


 雅之は驚きを隠せなかったが、「はい」と小さく頷いた。

 すると男性二人はホッとした顔で、胸をなで下ろし、何度も笑顔で頷いていた。きっと女優たっての希望だったのだろう。


「最後に一つだけ、いいですか?」

 沈黙を保っていた女優が、雅之に声をかける。

「はい」

「十二階さんて、珍しいお名前なんですけど、本名ですか?」

 雅之は軽く笑って、

「はい、本名です」と返す。


 すると嬉しそうに彼女は、

「私ね、同じ名字の十二階さんって人をよく知っていたんです。十代の頃の仲の良い舞台女優仲間。同じ劇団にいて、いつも一緒に休憩時間にファッジを食べて、夢を語り合った青春時代の親友。雪ちゃんって、言って、すごく才能あふれた子だったんですよ。その子がよくその歌を歌っていて、凄く嬉しくて泣いちゃいました。彼女は一緒に夢を叶えられなくて、一足先にお空に召されたんです。でもあなたの演技を見ていたら、なぜか彼女に会えたような気持ちになりました」と目尻を拭いながら嬉しそうだった。


 雅之は一息ついてから、

「ありがとうございます。雪は僕の姉です。ドロシー・ガーランドという劇団で舞台女優の卵やってました」とだけ告げる。


 その言葉を聞いて、清楚なイヤリングが左右に揺れ始めると、紗弓は大粒の涙をぼろぼろと落とし始めた。俯くこともなく、雅之の顔を直視したまま、懐かしそうな優しい笑顔で。

「ドロシー・ガーランドの雪ちゃん……。あなたが弟のダース君なのね」

 うわずって、こみ上げる言葉が震える。驚いたのは雅之の方だ。大女優が自分の事を話だけでも知っている。


「雪ちゃんの自慢の弟君ね」


 女優の言葉を受けるように彼は返す。

「ダース君というのは、十二階の十二をとって近所の同級生が僕を呼んでいたニックネームです。それが気に入って、姉も僕をそう呼んでました。自分だってダースちゃんなのに」と微笑む。

 うんうん、と頷いて、嬉しそうに雅之の言葉を噛みしめる紗弓。


「こんな形でお会いできて、光栄です」


 女優は取り乱すことなく、嬉しさを言葉にのせた。ただ相変わらず目頭は熱く、大粒の涙は頬を伝っている。

 ダース君、そう雅之は、夢枕の姉、雪自身が好きだった二人を引き合わせたのだろうと内心思った。そして、彼は審査員の満場一致で、この舞台のキャストに抜擢されることになった。


                                                了




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