第三十四章 8月31日
“一時保釈された。少し話がしたい。自宅に来てくれないか。来ない場合はお前の自宅に行く”
高倉は岸本家へ向かう途中のバスの中で、岸本聡一から送られてきたチャットの文章を思い出した。
最初はタクシーで急いで岸本家へ向かおうと思った。だが岸本家に向かう姿をタクシーの運転手に目撃されたくなかったので、人目につかないようにバスで向かう事にした。バスなら人混みに紛れて岸本家へ行く事が出来る。
何故目撃者を作りたくなかったかというと、万が一岸本家でトラブルが発生した場合目撃者が居ない方が好都合だと思ったからだ。
このタイミングで岸本聡一から脅しのような連絡が入ったという事は、岸本聡一は逆上して自分を殺そうとするかもしれない。それは好都合だった。それなら自分が少しでも怪我をして警察を呼ぶか、正当防衛に見せかけて岸本聡一を殺せばいいと思考した。
岸本聡一は散弾銃を使えない。父親からやり方を教わっていないと以前聞いていた。そうすると使用する凶器はあの家にある物から考えて鈍器か刃物だろうと思考した。高倉は岸本家に飾ってあったナイフを思い出した。岸本聡一を煽れば岸本聡一の手にナイフを握らせる事は容易だと思考した。
高倉はリュックの中から充電器に接続されているペンを取り出し、沢田に渡した物ではない二本目のペン型ボイスレコーダーの充電を確認した。充電がされている事を確認すると、自分のワイシャツの胸ポケットにペン型ボイスレコーダーを入れ、電源をオンにした。
岸本聡一が何もしなくても、包丁等の刃物で自分に傷を付けて自作自演をすればいいと高倉は思考した。自分に不利な発言が録音されていたとしても後でデータを消せば良い話だ。
問題は岸本聡一の家族だ。岸本家で同居している家族は他に三人居る。岸本聡一の父親で札幌市長の岸本有馬、その嫁で岸本聡一の母親、岸本聡一の祖父だ。普段雇っている家政婦はこの時刻既に帰宅をしているはずだ。以前岸本聡一から話を聞いた際に知っていた。
岸本聡一と揉めた際に岸本聡一の家族がどのような行動を取るかを高倉は頭の中でシチュエーションを何パターンか考えた。一番考え付くシチュエーションは暴走した岸本聡一を止めるパターンだ。通常なら息子にこれ以上罪を着せたくないと思考をするはずだと考えた。岸本聡一と話す際は二人きりがいいと高倉は思考した。どうにか二人きりになれないだろうか。岸本有馬がその後どういう行動を取るかが高倉は気になっていた。
高倉は念のため、笠木が自分のスマートフォンに入れているゴーストアプリを削除して居場所の移動履歴やチャットの履歴を見られないようにしていたが、再度スマートフォンを確認した際に笠木からチャットが届いていた事に気が付いた。
“来ないで”
チャットにはこう書いてあった。高倉は意味が分からなかった。自宅に帰って来ないでという意味だろうか。どうせ今晩は帰る事が難しいだろうがと思考した。高倉は笠木に返信をしようか悩んだが、やめた。
先程の笠木からの電話を思い出した。万が一自分が警察や病院に運ばれた後もしばらく笠木は金に困る事はないだろうと思考した。
バスが岸本家の最寄り駅に到着したので、高倉はリュックを背負ってバスから降りた。
「創也?」
高倉は岸本家の悲惨な惨状を見た後に、岸本家のアイランド型キッチンの前に笠木が俯き床に座り込んでいるのを見た。
笠木の腹には包丁が刺さっている。奥まで刺されてはいないようだが包丁を刺された傷口から血が流れている。笠木は俯いたまま動かない。
高倉は恐る恐る笠木の頬を触り笠木の顔を上に上げた。高倉がしゃがみ込んで笠木の顔を見るとやはり見間違いではなく、笠木だった。笠木は顔色が悪く目を瞑っていた。笠木は浅くだが呼吸をしていた。
高倉は笠木がここに居る意味が分からなかったが、急いでワイシャツの胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。救急車を呼ぼうとした時、背後から声が聞こえた。
「お前はあの日俺と目が合った方か?俺の事を陥れようとしたという事は、俺の事をまだ覚えてたんだろう?」
高倉は大音量のクラシックに負けない太い声を聞いた。高倉は急いで後ろを振り向いた。
リビングの入り口に、こちらを見下ろして片手に散弾銃を持った岸本有馬が立っていた。
「彼を殺されたくなかったらスマートフォンを床に置け」岸本有馬は散弾銃の銃口をこちらに向けて言った。
高倉は散弾銃の銃口を向けられ、岸本有馬から視線を外さずに持っていたスマートフォンを急いで床に置いた。
高倉は岸本聡一の死体を見た瞬間、死体のなかった岸本有馬がこの状況を作ったのではないかと思考をしていた。岸本聡一は散弾銃を使えないはずなので岸本聡一が犯人ではないと思った。だがまさか岸本聡一から呼び出された後、岸本有馬が散弾銃で一家惨殺をするとは思いもしなかった。通常の人間の思考ではない。
「お前は何で俺に気付かないふりを続けていた?何故今更俺を陥れようとした?」岸本有馬が大音量のクラシックに負けない声で聞いてきた。
「彼は助けてください。お願いします」高倉は横に居る笠木を指で差し、クラシックに負けないように大きな声で言った。
「俺がお前の両親を殺したと気付いていたんだろう?」岸本有馬は笠木を見もせずに聞いてきた。
高倉は頭に血が登るのを感じた。
「そんな話はどうでもいい。彼を助けてくれ」高倉は言った。
「どうでもよくないからお前は俺を失墜させようとしたんじゃないのか。何で母親を殺したか知りたくないのか」岸本有馬は聞いてきた。
高倉は胸ポケットに入れているペン型ボイスレコーダーを思い出し、黙った。笠木に一瞬視線をやった。笠木は意識が朦朧としている。
「何で殺した」高倉は笠木から岸本有馬に視線を戻して聞いた。
「お前の母親は淫乱だったんだよ。そして俺に惚れてた。お前の認知も求めてきた。断ったら今度は俺の政治生命を盾に脅してきた。私を見捨てないでってな。不倫関係を続けるなら認知していない子供が居る事は黙っててやると脅された。鬱陶しかった。だから殺した」岸本有馬は散弾銃の銃口をこちらに向けたまま、リビングのソファーに倒れている岸本聡一の方を見て淡々と言った。
「父親は何で殺した」高倉は聞いた。
「母親を殺した人間を別途作る必要があったからな。父親の無理心中に見せかけるために殺した。すまないな、お前から両親を奪って。だが得をしたんじゃないか?お前はあの家で虐待をされていたんだろう?」岸本有馬はまたこちらに視線を戻して言った。
「弟はお前のせいでおかしくなった」高倉は怒りに拳を握りしめて言った。
「おかしいのはお前もだろう。弟だけじゃない。こんな状態で冷静に話せるなんて肝が据わってるな。過去に自分を殺そうとした人間にまた殺されそうになっているのに。お前は俺が殺そうとした方じゃないって事か?まぁどちらでもいいが」岸本有馬は表情を変えずに言った。
「市長さん、やめてください。助けてください」弱弱しく笠木の声が聞こえたので、高倉は急いで振り向き笠木を見た。笠木は貧血なのか顔が青白く目が虚ろだったが、意識を取り戻して岸本有馬の方を見ていた。
「喋らない方がいいぞ。傷口が開く」岸本有馬が言ったので、高倉は岸本有馬に視線を戻した。
岸本有馬はしばらくこちらを眺めていたが、首を傾け何やら思考をすると散弾銃をリビングの天井に向けた。岸本有馬は一瞬リビングの天井に視線を移して散弾銃を撃った。その瞬間スプリンクラーが作動し、天井からリビングに勢いよく水のシャワーが降ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます