第二十九章 6月28日

「お邪魔します」


 高倉は岸本聡一の自宅に入る際少なからず緊張している自分に気が付いた。自分が緊張をする事は滅多にないのだが、過去に自分を殺そうとしたかもしれない人間の家に行くという事は高倉に緊張と興奮をもたらした。今日はその人間が自宅に居ないと分かっていてもだ。


 アドレナリンにより心拍数が高まり、掌が汗ばんでいる気がしたので高倉は深呼吸をした。眼鏡を外してコンタクトにしていて良かったと思った。眼鏡がマスクにより曇っていたかもしれない。


 今回は岸本聡一を利用した家の内覧だ。


 岸本家はホワイトとベージュのクラシカルな二階建ての大きく豪勢な家で、目の前に車が二台分入るのではないかと思われる大きなシャッターの降りた車庫が左右に二つあり、周囲を二メートル程のベージュのレンガ調の模様の施されたコンクリートの壁が覆っている。この一軒家の周囲は空き地や田畑、木々が広がっており、見晴らしの良い家だった。この家に着く途中、遠くに札幌ドームが見えた。


 高倉は自分の車を岸本聡一に指定された通り、岸本家の横にある空き地に駐車した。車を降りて高倉が家の前を歩くと、この家のセキュリティの高さを表すように、セキュリティ会社のロゴのシールがシャッターの横の壁に貼ってあった。


 高倉がシャッターと外壁に囲まれた黒い大きな扉の横にあるインターホンを押すと、最初に女性の声が聞こえた。


「はい。どなたですか?」声の高い女性の声が聞こえた。


「初めまして。私高倉と申します。聡一さんとお約束をしていて、お会いしに来ました」高倉は言った。


「ああ、いらっしゃいませ。今開けますね」女性がそう言うと、ビーっと音がした。扉のロックが解除されたらしい。扉が自動で少し開いたので、高倉は扉を開けて庭の中に足を進めた。


 庭の中は家の玄関まで続いているコンクリートの歩道に沿って全面に芝が植えてあり、隅にはコンクリートの壁より高い木が何本か植えてある。家の手前には花壇もあった。


 高倉が両開きの重厚感のある黒い扉の前に近付くと、扉が開き中から中年のふくよかな女性が顔を出した。


「こんにちは。いらっしゃいませ」女性は笑顔で声を掛けてきた。


「素晴らしいご自宅ですね。初めまして。高倉有隆です」高倉は女性に挨拶をした。


「このご家庭は建築に凄く拘っていましてね。ああ、私は家政婦です。聡一さんは中にいらっしゃいます。高倉様もどうぞ中へ」家政婦の女性はそう言うと高倉を家の中に招待した。


 高倉は岸本家に足を踏み入れた。家の中は靴を脱ぐ玄関の段差や仕切りがなく、廊下が広々と続いていた。


「すみません、靴はどうすれば良いでしょうか?」高倉は念のため聞いた。


「ああ、うちは欧米式スタイルを取っていましてね。皆さん靴を履いたまま生活をしています。聡一さんはスリッパなどを履いていますけどね。私もずっと靴を履いてます。高倉様もそのまま靴でお上がりください」家政婦は言った。


「わかりました。お邪魔します」高倉は土足のまま家の中を歩く事で自分の実家を思い出したが、何も言わずに靴のまま家政婦について行き、広いリビングへ向かった。掌の汗を履いていた黒いパンツで誰にも見えないように軽く拭いた。


 家政婦についてリビングに行くと、広いリビングの大きなソファーを家政婦に手で案内された。


「遠慮なくどうぞ。今聡一さんをお呼びしますね」家政婦は高倉にそう言うと廊下へ戻った。


 高倉は座りたくなく、ソファーの前に立ったまま軽くリビングを見渡した。玄関に入って左に曲がり廊下を渡ると左側に今自分の居るリビングと、右側にダイニングがある。リビングにはベージュの大きなソファーと大きなテレビが置いてある。その横の窓際にはグランドピアノも置いてあった。


 リビングと反対側のダイニングにはガラス窓の嵌められた白い間仕切りの壁越しに、十人程座れるのではないかと思われる大きな黒いダイニングテーブルが置いてあり、その横に広いアイランド型キッチンがある。ダイニングは白い大理石の床で覆われている。キッチンの横に一瞬大きな水槽があるのかと思ったが、よく見ていると水槽を模した液晶パネルの付いた冷蔵庫のようだ。魚が動いている映像が映し出されている。


 遠くからスリッパで歩く足音が聞こえた。


「高倉さん、ようこそ我が家へ」高倉が廊下の方に視線をやると、岸本聡一が笑顔で廊下を歩いてきた。岸本の足元を見ると家政婦の言った通りスリッパを履いていた。


「お邪魔します岸本さん。この度は招待してくださってありがとうございます。素晴らしいご自宅ですね。つい見とれてしまいました」高倉は立ったままの自分の理由を正当化するように言った。


「一番見たいものは二階ですよ。どうぞこちらへ」岸本が高倉を手招きした。


 高倉は岸本についてリビングから出て廊下に進んだ。玄関から見て右側の奥の部屋は客間のようで、襖が開いており部屋の中が軽く見えた。中は和室で広い空間が広がっていた。岸本はその部屋の手前にあった階段を登ったので、高倉も後をついて登った。


「この家は亡くなった祖母の趣味でね。祖母も政治家で、祖父も元札幌市長なんです。政治家系なんですよ。祖父は今一緒に暮らしているんですけど祖父も母親も今日は出払っていて。祖父の実家に行っているんです。だから今日は家には俺と家政婦と高倉さんだけ。気軽に寛いでください」岸本は階段を登りながら言った。


「こちらです」二階に登ると岸本は廊下を左に曲がり、奥の部屋へ向かって歩いた。


「この部屋が父親の部屋でね。今は鍵を閉められている。普段から自分の部屋には鍵を閉めてるんですよ。用心深いでしょ?で、この部屋の隣の部屋が父親のコレクションルーム。今日は特別に鍵を借りました」岸本は手に持っていた鍵についたチェーンを指に通し軽く回しながら鍵を高倉に見せてきた。奥の部屋の前に着くと、扉を鍵で開け始めた。


 岸本が鍵を使い扉を開けると、中の広い部屋には壁一面にガラスケースが広がっていた。中身は複数の散弾銃やトロフィー、置物だった。ガラスケースの置いていない壁には狐の毛皮のような物が飾ってあった。


「これが写真で見せた散弾銃。のごく一部です」岸本は手前のガラスケースの中に飾られている黒や茶色の散弾銃何本かを手で差して言った。「沢山あるでしょ?残念ながらガラスケースからは出せませんが」


「凄い。格好良いですね」高倉はガラスケースに顔を近付けて言った。「俺の父親もコレクターでしたけど、ここまで凄くはなかった」


「高倉さんのお父様は何のコレクターだったんですか?」岸本が聞いてきた。


「船の模型とか、船のパズルとか。船関係ですね」高倉は言った。


「貿易関係のお仕事で?それとも海上自衛隊かな?」岸本は聞いてきた。


「貿易関係ですよ」高倉は散弾銃を見ながら答えた。


「へぇ。貿易かぁ。うちの父親は政治家になる前はIT関係で働いていたんですよ。だから俺も同じIT系への就職を進められたんですけど、高倉さんはお父様と同じ道は歩かなかったんですね」岸本は後ろから言ってきた。


「ええまぁ。この写真は?」高倉はガラスケースの端に飾られていた写真立てに飾ってある写真を見て岸本に聞いた。写真は岸本の父親の岸本有馬が狩った動物と一緒に写っている写真だった。写真立ての手前には鋭利なサバイバルナイフがガラスケース越しに飾ってあるのが見て取れた。


「ああ、父親はクレー射撃以外にも狩猟が趣味だった時期がありましてね。今は仕事が忙しくて出来ていないみたいですけど。ナイフも集めるのが趣味でこれは父親が一番気に入ってるやつで。他にも狩猟グッズを倉庫に保管してますよ」岸本は言った。


「へぇ。凄いですね。岸本さんも銃の免許を持ってるんですか?」高倉は聞いた。


「いや、俺は持ってない。そのうち取ろうとは思ってるんですけどね。高倉さんもクレー射撃に興味があるんですよね。今度一緒に取りに行きますか?」岸本は笑って言った。「ああ、その前に高倉さんを是非招待したいと思っているパーティがあるんですよ。七月十八日なんですが、実は俺の誕生日でしてね…」






 高倉は自宅のマンションに帰宅すると、自室のデスクへ向かった。鍵を普段閉めている引き出しの鍵を開け、中からスマートフォンを取り出した。これは会社から支給されているスマートフォンだ。笠木はこのスマートフォンの存在を知らない。


 “散弾銃 暴発”


 高倉はブラウザを立ち上げ検索をしようとしたが、検索ボタンは押さずに止めた。


 高倉はガラスケースに飾られている散弾銃を思い出した。何かあれば自分は岸本有馬にあの散弾銃で殺されるのだろうか。高倉は一瞬こう思考をしたが、流石に形跡の残る散弾銃は使用しないだろうと思考し直した。


 昔は他殺を自殺に見せかける事が出来たかもしれないが、現代は違う。絞殺を自殺に見せかける事は不可能だと思考した。警察の技術にかかればすぐに他殺だと分かるだろう。ならば絞殺もない。


 今日自宅に招き入れた自分の名前を岸本は父親に言うだろうか。いや、もう伝えているかもしれない。岸本は父親とはどのような関係性なのだろうか。


「有隆君、晩御飯出来たよ」笠木がリビングから声を掛けてきた。


「俺まだやる事があるから、先に食べてて」高倉は声を出した。


 高倉は業務用スマートフォンを使って検索をする事を躊躇い、自身のノートパソコンを開いて検索欄に単語を入力した。


 “刃物 急所”

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