第二十七章 5月10日
笠木は高倉と共に、小樽にある古びた木造の平屋の一軒家へやってきた。ここは高倉の母親の実家で、今は親戚が住んでいる家だそうだ。
笠木は普段から高倉を観察していた。高倉は札幌市長の男をテレビで見てから様子がおかしくなった。ある日突然、高倉が一人で親戚の家に行くと言ったので笠木は不審に思い付いてきた。高倉は親戚に絶縁をされているはずだった。だが高倉は本当に親戚の家に来た。
高倉がインターホンのチャイムを押すと、中から声が聞こえた。
「はい」女性の声がした。
「高倉有隆です」高倉は名乗った。
インターホンの向こう側の女性は何も言わずに通話を切った。笠木は玄関の向こう側にバタバタと歩く音を聞いた。玄関のドアの鍵が開く音が聞こえ、ドアの引き戸が開いた。引き戸は少ししか開かれなかったので高倉の体に隠れて、横に居る笠木には中に居る人間が見えなかった。
「急に連絡を入れてすみませんでした。どうしても探したいものがあって」高倉は中に居る人間に言った。
「分かったから、早く入って早く出て行って」先程のインターホン越しの女性の声がした。
高倉がドアを開け家の中に入ったので、笠木も後に続いて家の中に入った。
「お邪魔します」笠木は家の中の人間に挨拶をした。玄関の前の廊下に立っていた綺麗な中年女性は笠木を何か汚らわしいものを見るような目で睨みつけてきた。笠木は綺麗な女性に睨みつけられた事で圧倒されてしまった。その女性はすぐに笠木から視線を外して、廊下の横にある襖を開けて部屋の中に入り、何も言わずに襖を閉めた。
「ごめんね。こっちの部屋だよ」高倉は今の出来事を何も気にしていないように廊下の奥の部屋を指差して言った。笠木は高倉が親戚から歓迎されていない様子である事は理解した。自分も歓迎されていないらしい。
高倉が廊下を進んで奥の部屋に入ったので、笠木も後を付いて部屋の中に入った。畳の敷かれた和室は畳の湿気た匂いがし、しばらく使用されていないようだった。家具や段ボールが雑多に置いてあり、物置として使用されている部屋のようだ。
「この段ボールだと思う」高倉は襖の目の前の押し入れの前に置かれた段ボールに向かい、畳の上に座って段ボールの中を開けた。
笠木も段ボールに近寄って中を覗いた。中には写真立てや複数のアルバム、ノート、色褪せたぬいぐるみ、オルゴールのようなものが入っていた。
「これがお母さんの遺品?有隆君は写真が見たいんだっけ?」笠木は小声で聞いた。
「うん」高倉は中からまず写真立てを取り出して見た。笠木もその写真を見た。写真立てに飾られている写真は四人家族の写真だった。父親と母親らしき人間と可愛らしい女の子二人だ。幼い方の女の子が一人手前に座り、笑顔でピースサインを作っている。この両親らしき人間は高倉の祖父母だろうか。
笠木は高倉をふと見た。高倉はマスクで顔を隠しているが、眼鏡の向こうに見える目元は何処か悲しそうな表情に見えた。
「これがお母さんの小さい頃?可愛い人だね」笠木は写真を見て言った。
「顔だけね」高倉はその写真立てを段ボールの中に戻して言った。高倉はアルバムを取り出した。
笠木も事前に高倉から聞いていた通り、高倉の両親の写っている写真を探す為に他のアルバムに手を伸ばし、中を開いて見た。
笠木はある写真を見て手が止まった。その写真は二十代らしき母親が生まれたての子供二人を抱いている写真だった。母親は微笑み、子供二人は色違いの同じ柄を着ており顔がそっくりだった。母親は化粧をしていない様子だったが、綺麗な顔をしていた。顔が高倉に似ていた。
「これもしかして有隆君と弟さん?」笠木は高倉に聞いた。笠木は高倉を見た。隣に座っている高倉は自分の持っていたアルバムから視線を外し、笠木の持っているアルバムに顔を近付けて写真を見た。高倉の目付きが鋭くなり、表情が歪んだ。
「多分ね」高倉は言った。
「どっちが有隆君か分からないね」笠木は言った。
笠木は高倉の弟と一度会話をしたシーンを思い出していた。あれは高倉の弟が高倉に成りすまし自分を北区にある高倉の実家に呼び出し、情緒不安定になりながら昔のトラウマを訴えている場面だった。
高倉の弟は罪を告白した後笠木を焼身自殺に誘ったが、笠木は心中を断った。その後高倉の弟は灯油を被り、ライターで火を点けて笠木の目の前で自殺をした。笠木は高倉の弟の自殺を止めようと何度も説得をしたが、止められなかった。高倉の弟が燃えた後、高倉と警察が自分を助けに来た。その家はその後全焼した。
「ごめんね。僕があの時弟さんの自殺を止められていたらって未だに思うよ」笠木は俯いて言った。
「創也は関係ない。弟はどのみち死刑になった」高倉は淡々と言った。
「何で殺人をするようになっちゃったんだろうね…」笠木は写真を見ながら小声で呟いた。「有隆君は今年の末で執行猶予が終わるんだよね」
「そうだよ。あまり時間がないから弟の写真はもう片付けよう」高倉は冷たい声で言った。
笠木はその冷たい声に驚き思わず高倉を見た。高倉は自分の持っていたアルバムに視線を戻し、アルバムを再度捲って見ていた。笠木は触れてはいけない話題に触れてしまったと気付き、何も言わずに高倉から視線を戻した。自分の手元にあるアルバムを捲って見た。
しばらく二人とも無言が続いた。だが笠木はアルバムの最後のページを捲ると、手が止まった。
目に入った写真はアルバムの一番後ろにあるページの写真で、今まで大人の男性が一切写っていないアルバムの写真の中、唯一大人の男性と高倉の母親が写っている写真だった。
その写真は海の見える崖の手前の柵を背景に立って写っている男女二人だった。二人とも二十代前半に見える。高倉の母親は微笑み、隣に立っている相手の男性は無表情だった。
高倉は確実に母親似だと笠木は思った。顔立ちが母親そっくりだった。だが高倉の目元は写真の男性に似ている。切れ長な目をしている。
「これ有隆君のお父さん?」笠木は沈黙を破って高倉に聞いた。
笠木が高倉を見ると、高倉は笠木の見ているアルバムを見た。その瞬間、高倉は目を見開いた。笠木の持っていたアルバムを笠木から取り、掛けていた眼鏡を右手で掛け直し写真を間近で見た。高倉はその写真をアルバムの中から抜き取ろうと、上に貼ってある透明なカバーフィルムを剥がそうとした。だが古い写真はフィルムに完全に張り付いており、剥がそうとすると写真の一部がフィルムに張り付いて一部色が剥がれてしまった。高倉は舌打ちをした。
笠木は疑問に思った。今見た写真の男性だが、この男性の顔に笠木は見覚えがあった。この男性は少し前にテレビで見た札幌市長の若い頃ではないのだろうか。
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