第二十三章 6月30日
「この地域の都市開発計画ですが、住民からの反対意見が未だ多いです。特に地元商店街、ローカルサークルの人間ですね。住民の賛同を得られるようさらに一工夫が必要かと」議員の一人が言った。
「土地収用の目途はまだ経っていないのですか」別の議員が言った。
「まだ第三者機関の意見聴取中です」また別の議員が言った。「尾崎議員が反対していますが彼の意見はどうでしょう。ローカルサークルの施設再配置計画に反対して動いていますが」
「あの施設は老朽化が激しい。維持管理費で負担が掛かっている。彼はただ地元の老人の声を優先して若者の意見を聞いていない」議員の一人が言った。
武田春樹秘書は札幌市長の岸本有馬の代理出席で議会に参加していた。広い会議室にスーツを着た十人程の議員や秘書が座り、会議室の壁に取り付けられた大きなモニターに写された資料や手元のタブレットを見ながら意見交換をしている。全員がマスクを着用していた。
隣に座っている議員が腕を組み思考を始めた時、会議室の扉が開いた。
「遅くなりまして申し訳ございません」武田が扉に視線をやると、マスクを着用してスーツを着た岸本有馬が扉の前に立っていた。岸本は扉を閉めると会議室に足を踏み入れ、武田の隣の空席に腰を下ろした。
「岸本さんから尾崎議員に一言言ってやってくださいよ。彼が都市開発計画の反対意見を増幅させているんです。主に地域に住んでいる老人ですがね。何個かの老人の溜まり場のために都市開発は出来ないと訴えていてね。これが通らないと岸本さんの訴えていた政策にも影響が出ますよ」先程尾崎議員の事を否定した議員が岸本に言った。
武田が持っていたタブレットから視線を外して岸本を見ると、岸本は掛けていた眼鏡を右手で上げてその議員を見た。
「反対意見を訴えている年齢層は何歳ですか。高齢者ですか」岸本は通った声で議員に聞いた。
「七十代から九十代まで様々ですが、高齢ですね」その議員は手元のタブレットを見ながら答えた。
「それなら問題ありませんよ。そのまま話を進めましょう」岸本は言った。会議室に居る議員が驚いた表情をして岸本を見た。
「そのまま進める、というのは?」近くに座っていた議員の一人が聞いた。
「土地収用が認定されれば問題はないのですが、もし申請を却下されても問題はありません。その土地の開発予定は七年後です」岸本は言った。
「七年後が何か影響でも?」議員の一人が聞いた。
「ええ。ああ、ただ無理には話を進めたらいけません。あくまで今まで通り保証金と土地権利の話をしつつ、ゆっくり話を進めましょう。決して急いではなりません。心証が悪くなりますので。今開発を進める土地は若い世代が既に出払っている土地です。自分の土地の権利を若い世代が訴えて来ても将来的に孫の為になるなら受け入れるでしょうし、保証金の話を出すと老人は話を聞きませんでしたが若い世代は黙った。問題は今そこに住んでいる高齢者です。幸いな事に問題は開発が進む頃には落ち着いているでしょう。お亡くなりになられなくても老人ホームに行っている可能性が高い。認知の問題もあるでしょうし、その頃には問題提示をする力もなくなるでしょう」岸本は落ち着いた声で言った。
数人の議員が目を丸くして岸本を見ていた。武田はいつも通りの岸本に安心をして思わず笑みが零れそうになったので、マスクを着用していて良かったと思った。
相変わらず他人を丸め込む事が上手く、計画通りに事を進ませる力のある岸本に武田は満足した。武田は岸本が副市長を務めている時から長い間岸本の秘書を専属してきた。このまま岸本が北海道知事になってくれれば安泰だと思った。岸本をサポートし続けたら今の自分の地位も補償してくれるという岸本の言葉を、武田は信じていた。
「岸本先生、お疲れ様です。今警察から電話が入りました。息子の聡一さんがお酒を飲んで騒いで警察沙汰になったとか。警察に暴言を吐いたらしいのです」武田は残業中に警察から連絡を受け取ったので、岸本のオフィスを訪れていた。
業務用のスマートフォンの番号の書いた名刺をこれだけ息子の岸本聡一が利用するとは武田は岸本の秘書になるまでは想定していなかったのだが、もはや慣れていた。
「そうか」岸本は自分のオフィスのデスクを前に椅子に座り、ため息を吐いた。
この岸本にとって問題は息子の聡一くらいではないだろうかと武田は思考した。
「聡一は今警察に居るのか?」岸本は武田を見て聞いてきた。
「はい。公務執行妨害で現行犯逮捕されたとか。今は留置所に拘束を受けているようです」武田は答えた。
「いつも通り弁護士を手配してくれ。あと悪いが、車を出してくれないか」岸本はこちらを見ずに口元を手で押さえ、何かを思考しながら言った。
「かしこまりました。すぐに手配します。お車は公用車ですか」武田は聞いた。
「いや、私の車だ。今日は疲れていて運転をする気力が湧かなくてね。帰りはタクシーを使ってくれ」岸本は言った。
「かしこまりました」武田は市長室から出ると、秘書室の自分のデスクには戻らず誰も居ない廊下の端に行き、業務用スマートフォンで弁護士に連絡をした。
「…すみません、よろしくお願いいたします」武田は岸本聡一専属の弁護士と連絡を取る事がもう慣れてしまっていた。
武田は岸本有馬を後部座席に乗せ、岸本の車を運転し警察署まで来た。
岸本が息子の居る留置所のある警察署に行きたいと言った時には驚いた。いつもは弁護士に全てを任せていたからだ。
「岸本先生、警察からも言われましたが今日は聡一さんにお会い出来ないんですよ。逮捕されてから七十二時間は弁護士以外は会えないそうで。今日は一体何のために?」武田は車を警察署の駐車場にバックで停めながら聞いた。
「それは知っている。いつもの事だからな。学生時代から聡一は警察に世話になってる。さすがにそろそろ恩を返す時期だと思ってね」岸本は車から降りながら言った。
武田は岸本の後について警察署内に入った。この時間正面出入り口は閉まっており、元々連絡を入れていた夜間専用出入り口から中に入った。警備員の前を通り、警察署内に足を進めていく。照明の消えた一階待合室の横の受付内がうっすらLEDライトで照らされていた。武田が受付内を覗くと、マスクを着用しスーツを着た中年の男が椅子に座っていた。その男は警察官だと武田にはすぐに分かった。岸本の息子関係で何度も会っている顔だからだ。
警察官はこちらを振り向くとすぐに席を立ち、受付内から出てこちらに歩んできた。
「岸本市長。わざわざおいでいただけるとは思いませんでした。先程弁護士の方から連絡がありましたよ。明日面会に来ていただけるとのことで」警察官は言った。
この警察官は警部の地位があるにも関わらず威厳がなく、岸本の前では頭が上がらない様子だった。
その時目の前に立っていた岸本が急に跪き、土下座をした。武田は驚いた。目の前の警察官も目を丸くした。
「大変申し訳ございませんでした。息子の聡一が毎回事を起こすのを放置していた私の責任です。大変申し訳ございませんでした。息子には今後厳しく接しますので、どうかお許しください。お願いいたします」岸本は声を震わせ大きな声で土下座をし、謝罪をした。
「岸本市長、顔を上げてください。謝られても困りますよ」警察官は動揺し、しゃがんで岸本に顔を近付けた。
「大変申し訳ございません」岸本は譲らなかった。
「市長がそんなことしないでくださいよ」警察官はそう言い困った顔をし、小声で岸本の顔元で言った。「ちょっとした言い争いだけなので、今回も内輪で何とかしますんで」
「ありがとうございます」岸本はそう言うと顔を上げ、警察官を見た。
「明日弁護士さんとも話し合いますんで。表には出ないようにしますよ」警察官は小声で言った。
「本当にすみません。今後は息子とちゃんと話し合います」岸本は土下座を止めて立ち上がったが、また警察官に頭を下げた。
「今日はもう遅いですし、お帰りになられてください。息子さんは大丈夫ですよ」警察官は言った。
武田は権力のある人間とない人間の格差を思い知った。こうして世の中は不平等が生まれるのか。
岸本は再度警察官に頭を下げると、武田を見て頷いた。武田は岸本と共に警察官に見送られるように、そのまま来た道を戻り車に戻った。
「岸本先生、土下座までしなくてもよかったんじゃないですか」武田は後部座席でスーツの汚れを手で払い落している岸本をバックミラーで見ながら聞いた。
「武田君、許される人間とそうでない人間の差は何だと思う?」岸本は低い声で聞いてきた。先程の土下座し謝罪をしていた人間とは思えない程冷たい声だった。
「普段行いの良い人間は許される、でしょうか?」武田はバックミラーで岸本を見ながら聞いた。
「いや。元々悪行を行いそうな人間は許される。想像通りだと思われてね。だが好感度の高い人間は反感を買う。こんな人間だとは思わなかったとね」岸本は落ち着いた声で言った。「不倫をした芸能人で復帰出来た人間を思い返すと良い」
「では、聡一さんの件は許されると?」武田は恐る恐る聞いた。
「いや。聡一は許されても私は許されない。何故ならメディアで好感度が悪くならないように気を付けているからね」岸本は言った。「だがまだ許される道はある。立場のある人間が低姿勢で謝ると、人間は許さないといけないと考える生き物なんだよ」
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