第二十二章 6月23日

 岸本聡一は居酒屋のカウンターで一人酒を飲んでいた。今はビールを飲みながらたこわさを摘まんでいた。


 本当は瓶ビールが好きなのだが、ビアサーバーから出すタイプの店で失敗したと岸本は思っていた。


 いつも入る店は騒ぎすぎて出禁になった。周囲の店の視線も気になったので、今日は珍しく一駅離れた入った事のない居酒屋に入ったのだが、何を頼んだら良いのか分からなかった。晩酌セットがあったので適当にそれを注文していた。


 岸本は社会人になっても学生時代のように毎晩飲み歩く事が止められなかった。常に感じているストレスのせいだ。家に居ると父親や母親に監視をされている気がしており、心休まる時が仕事後外で酒を飲んでいる時間だけだった。


 実家を出て一人暮らしをしようとも考えたが父親に反対され、また家事の事を考えると面倒だった。また、将来自分があの家を受け継ぐ事も分かっていた。監視されている以外は便利な実家を出る理由が他になかった。


 この居酒屋は常連が多いのか、テーブル席は年配の人間達が居座っている。テーブル席の方にあるテレビでバラエティが流れている音がする。


 岸本が一通り晩酌セットを食べ終わり二軒目に行こうと思っていた時に、店の扉が開いた。


「いらっしゃいませー」カウンター内に居る店員が客に声を掛けた。


 岸本が入り口の方をふと振り向くと、岸本の顔見知りの男が一人で店内に入ってきた。高倉だ。高倉はマスクをしていたがシルエットで分かった。このご時世にあまり外出をしないタイプに見えたので意外だった。高倉とは以前職場で名刺を交換していた。フリーランスの高倉とは仕事で意気投合したのだ。


「あれ、岸本さん?こんばんは」高倉は岸本に声を掛けてきた。


「高倉さん。こんばんは。一人ですか」岸本は驚いて聞いた。


「はい。隣座ってもいいですか?」高倉は聞いてきた。


「どうぞどうぞ」岸本がそう言うと、高倉は背負っていたリュックを足元に置き、隣の椅子に座った。


「お久しぶりですね。岸本さんの食べてるそれ何ですか」高倉が聞いてきた。


「晩酌セットですよ」岸本は答えた。


「じゃあ、俺もそれにしよう。すみません、彼と同じものをいただけますか」高倉は水とおしぼりを持ってきた店員に注文した。


「晩酌セット一つですね。かしこまりました」店員はそう言うとカウンター内に戻って行った。


「いやぁ、まさか高倉さんとここでお会いするとは思いませんでしたよ。今はほら、こんなご時世だし。俺は自由をモットーに生きているタイプなんで出歩いてますけど、高倉さんはそうは見えないから」岸本は言った。


「いえ、俺もずっと家に籠っているのがストレスに感じましてね。今日はたまたま飲みに来たんですよ」高倉は言った。


 店員が丁度ビールを持ってきたので、高倉は店員に会釈をしビールを受け取ると、口元を覆っていたマスクを顎に掛けてビールを一口飲んだ。


「高倉さんはこの辺に住まわれてるんですか?」岸本も残っていたビールを飲み干して高倉に聞いた。岸本は店員に注文した。「すみません、ビール一つください」


「いえ、澄川近くに住んでます。今日はたまたまここに来たんですよ。岸本さんはこの辺りにお住まい…ではないですよね」高倉は岸本の方を見ながら聞いてきた。


 岸本は高倉の事を気に入っていた。女も男も見た目が美しい方が目の保養になる。優れた同性には嫉妬をする事もあるが、高倉は仕事も出来て性格も良かったので嫉妬を通り越して尊敬をしていた。岸本は高倉との仕事に関する会話が楽しかった。


「俺の実家はドームの近くですよ。澄川かぁ、近いですね」岸本はテーブルの上で手を組み高倉を見ながら言った。


「遠いじゃないですか。ドームと言ったら、このご時世で音楽ライブも軒並み中止になったしスポーツは時期契約解除の噂もあるし、赤字が心配されてますけど大丈夫なんですかね」高倉はメニュー表を見ながら言った。


「スポーツが離れたら最後ですよ。広告とかグッズとか、収益をほぼ独占した結果企業に見切りつけられただけですからね。自業自得ですよ。まぁうちの父親は今その尻拭いをしてるんですけどね。イベントはちらほらやってるみたいですよ。ドームが赤字でも俺には関係ないですけどね。詳しくは分からないし」岸本は店員からビールを受け取りながら言った。


 店員が晩酌セットの一部のつまみ、焼き鳥などを持ってきて高倉の前のテーブルに置いた。


「家ってドームが見える位置にあるんですか?」高倉はビールを飲みながら聞いてきた。


「二階からは見えるかな。俺の部屋からは見えないけど父親の部屋から見えます。なんかこの年で実家暮らしって恥ずかしいですかね」岸本は高倉を見て聞いた。


 高倉はビールを置いて箸を持ちながら不思議そうに岸本を見てきた。高倉は微笑んだ。


「何で恥ずかしいんです?俺は岸本さんが羨ましいけどな。市長の家ってどんな家か気になりますし」高倉は言った。


「今度遊びに来ますか?うちの父親散弾銃を集めるのが趣味で、他にも色々面白いものありますよ。家電製品とか最新技術も好きみたいで、家中最新機器だらけです。高倉さんも好きそうでしょ」岸本は聞いた。


「へぇ。そういえばお父様は政策でAIを使った都市開発を推してるんですもんね。散弾銃か。俺もクレー射撃ってやってみたかったんですよね。あれ免許が必要なんですよね。銃って写真とかありますか?」高倉は聞いてきた。


 岸本は自分のパンツのポケットに入れていたスマートフォンを取り出して写真一覧を表示して見た。中から写真を一枚選んで表示させると、高倉に見せた。


「これですよ。父親のコレクションです」岸本はガラスケースに綺麗に並べられた散弾銃の写真を見せた。


「かっこいいな。このケースって特注ですか?凄いな。ぜひ実物を見てみたいです。ああ、俺は今日曜と祝日が休みなんです。土曜日はフリーの副業を入れてましてね。いつなら行っても大丈夫そうですか?お父様は普段休日は自宅に居るんですか?」高倉は聞いてきた。


「俺も土日祝日が休みなんで高倉さんが良ければいつでも。父親は忙しくて全然家に居ないですよ。フリーの副業かぁ、うちの仕事以外にはどんな案件をやってるんですか?普段はサイト作成をしてるんですよね?」岸本はスマートフォンをテーブルの上に乗せて聞いた。


 高倉は着ていたワイシャツの胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、何やら確認し始めた。


「次の日曜とかどうでしょう。この日もお父様はいらっしゃらない感じで?そうです。普段はサイト作成の会社勤めですね。まぁそれも在宅勤務なんですけど。最近は岸本さんのとこみたいにアプリの作成受注にも手を広げていて。副業は、副業アプリから依頼を受けてそれを都度受注してって感じですね。簡単なプログラミングの依頼とか」高倉は言った。


 岸本も自分のスマートフォンでカレンダーを確認した。


「二十八日ですか。大丈夫ですよ。ああ、その日は父親が出張で居ないんです。別日にしますか?父親が不在時は散弾銃の部屋は父親が鍵をかけていてね。居ない時も事前に言ったら見せてくれるかもしれないけど、鍵のかかったガラスケースからは出せないかもしれない。副業って疲れませんか?在宅といえば、この感染症の中テレワークをうちも導入しようとしてるんですけどね。問題が管理側の責任でね。社員がちゃんと仕事をしているか確認するのにタスクが増えるのが嫌で困ったもんです」岸本は言った。


「ガラスケース越しに見えるだけでも嬉しいです。じゃあ二十八日にお伺いしてもいいですか?市長さんに会うのは緊張するので不在の方が有難いかもしれません。副業というか、仕事が楽しいんですよね。いかに効率の良い綺麗なコードを書けるか考えるのが楽しいし、作成したものが完成した瞬間は達成感がありますね。テレワークに関しては、うちは業務用パソコンを貸し出しで自分のパソコンでは作業させないんです。業務用パソコンは起動中常に監視ソフトが作動していて毎日ウェブミーティングも行って近況報告をしているので、管理に関しては問題なく出来てますね」高倉はスマートフォンをテーブルに置いて箸でつまみを食べながら言った。


「へぇ。じゃあ、二十八日ですね。その日に父親に部屋の鍵を開けておいてもらうように聞いておきますよ。高倉さんは仕事に前向きで素晴らしいですね。パソコン貸し出し、うちは基本デスクトップなので別途コストがかかるんですよね。自分のパソコンでリモート接続にするかって話もあるんですけど。監視ソフトは何処のソフトを使ってるんですか?」岸本はスマートフォンのカレンダーにメモをしながら高倉に聞いた。


「楽しみにしてますね。ソフトはうちのお手製なので企業秘密なんですよね」高倉はビールを飲んで苦笑いをしながら言った。


「自社開発ですか。その開発に高倉さんも関わったんですか?」岸本はビールを飲みながら高倉を見て聞いた。


「入社時には既に出来ていたので、改修する時に少し関わったくらいですね。今はそのうち使う新しい管理ツールの作成を任せられたので、作るのが今から楽しみでしてね。岸本さんは、いずれ会社を辞めて政治家になられるんですか?」高倉は聞いてきた。


 岸本は高倉を見て口角が上がったまま黙った。自分もいずれ父親のように政治の道に行くのだろうなと思っていた。家族がそう自分に普段から言い聞かせていたからだ。今の会社は腰掛けだった。今まで岸本は自分が何をやりたくて何が好きなのかもよく理解をしていなかったが、岸本は高倉と話すうちにまだIT企業で働き続けたいと思考している自分に気が付いた。


 高倉は自分を持っていた。自分は、ただ親の敷いたレール上を歩いて生きてきただけだった。

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