第二十一章 4月26日
「有隆君は相変わらずフルーツグラノーラが好きだね」
高倉が日曜日の休日の朝、リビングのテーブルの上でフルーツグラノーラの入った皿に牛乳を掛けて朝食の支度をしていると、笠木が焼いたトーストの乗った皿を持ってきてテーブルに置き、高倉に言った。
「朝はこれしか胃が受け付けないんだ」高倉は言った。
「あとコーヒーの牛乳割りでしょ?持ってこようか」笠木は聞いてきた。
「いや、俺が持ってくるからいいよ」高倉は座椅子から立ち牛乳を持って、キッチンへ向かった。
「テレビ付けてもいい?」笠木が座椅子に座り声を掛けてきた。
「いいよ。わざわざ聞かなくていいよ」高倉は冷蔵庫からブラックコーヒーの入ったペットボトルを取り出し、マグカップに注いだ。半分より少し多い量を入れたところで手を止め、持ってきた牛乳を少量入れた。牛乳のパックを冷蔵庫の中に戻した。
リビングに笑い声が流れた。
高倉がコーヒーの入ったマグカップを持ちリビングのテーブルに戻ると、笠木がリビングの隅のテレビ台の上に置いてあるテレビを見ていた。テレビではお笑い番組が流れている。昨晩笠木が録画をしていたものだろう。
「お笑い好きだよね」高倉は座椅子に座って言った。
「うん。あと僕が好きな番組分かる?」笠木が聞いてきた。
「バラエティと音楽番組」高倉はマグカップを持ってコーヒーを飲みながら答えた。
「正解。よく分かってるね」笠木はテレビを見ながら言った。
「四年付き合ってたから好みは覚えてしまうよ」高倉はマグカップを持ったまま言った。ふと視線を感じ高倉が笠木を見ると、笠木は悲しそうな顔をして高倉を見てきた。
「何?どうしたの」高倉はマグカップを持ったまま止まった。
「なかなか仕事が見つからなくてごめんね。ここで暮らさせてもらってもうだいぶ経つのに」笠木は言った。
「急いで仕事探さなくても大丈夫だよ。変な職場に当たっても困るし」高倉はコーヒーをまた飲みながら気にせずに言った。目の前に笠木がいる事で不思議な気持ちになった高倉は、思わず口から言葉が零れ落ちた。「創也が家にいるっていいね。何で俺はその日常を壊すような事をしてしまったんだろうって思うよ」
高倉が笠木を見ると、笠木はまだ悲しそうな表情をして高倉を見ていた。
「僕最低だよね」笠木は言った。
「何が」
「有隆君と別れてすぐに別の人の家に上がり込んで今度はまた有隆君の家に上がり込んで、すぐに付き合い始めて」笠木は俯いて言った。
「よりを戻したいってお願いしたのは俺なんだし、創也は別に悪くないよ」高倉は笠木から視線を外してテーブルの上にマグカップを置いて言った。
「でも」笠木が何か言おうとした瞬間、テレビで流れていたお笑い番組が急に切り替わり、ニュース番組に変わった。
「あれ、録画失敗したのかな」笠木はテレビに視線を戻し言った。
高倉もテレビに視線を移した。ニュース番組では丁度選挙の話題が流れており、北海道知事に立候補をしていた四人の顔写真と投票数がテレビの画面に映し出されていた。
「北海道知事選挙の結果です。自民公明が推薦する現職の沢田基弘さんが立憲が推薦する野田聡ら新人三人を下して、三回目の当選を決めました。沢田基弘さんは東京都出身の五十五歳。札幌市長を一期務めた後前々回の選挙で初当選し、度重なる災害からの独自対策を実施し、観光業や都市の財源を守るなどの実績を訴え指示を集めました」ニュースのアナウンサーは読み上げた。
「そういえば選挙カーうるさかったけど、やっと選挙が終わったね」高倉はテレビを見ながら言った。
「番組変える?」笠木は聞いてきた。
自宅で笠木は基本録画をした番組しか見ずに、ニュース番組が流れないようにしていた。それは高倉が弟の起こした事件の後からしばらくニュースを見る事を嫌っていたからだと分かった。
「いいよ。たまにはニュースを見ないと世の中についていけなくなる」高倉はそう言い、テレビを見ていた。
ニュースでは「万歳」と言いながら数人が手を上げ当選を喜んでいた。
「そういえばマスクもう手持ちがなくなるんだよね。薬局で売ってなくてさ。有隆君ってまだマスク持ってる?」笠木が聞いてきた。
「まだあるよ。事件の後にマスク生活してた時にまとめ買いしたものが大量にある。使っていいよ」高倉はテレビから視線を外し、フルーツグラノーラを食べながら言った。
「札幌市長選の結果です。立憲が推薦する岸本有馬さんが無所属新人の平岡修三さん、共産推薦の三和尚子さんを下し初の当選を果たしました」アナウンサーは読み上げた。「岸本有馬さんは札幌市出身の五十三歳。札幌市の副市長等を経て人工知能によるスマート技術を用いた都市技術開発などを訴えました」
「有隆君も年を取ったらこんな感じになるのかな」笠木は言った。
高倉はテレビに視線を戻した。そこには「万歳」と言いながら数人がまた手を上げ当選を喜んでいた。人に囲まれ中心で笑顔を作り手を上げている男が映っている。その男はスーツを着て眼鏡を掛けていた。黒髪を七三分けにし利発そうに見え、まだ若く見える。目の形が切れ長で、凛々しい目元が印象的な顔立ちの整った男だった。
「何で…」高倉はその男の顔を見て既視感を感じた。何処かで見た事があるのだろうか。ニュースはずっと見ていないので選挙に関しては何も分からなかった。街中で見たのだろうか。高倉が選挙のニュースを見ていると、その男の顔がアップされ男はマイクの前で報道陣に向かって話し出した。
「今回争点の一つという風に言われましたけれども、東京大会での様々な出来事を検証してより札幌市民だけではなく観光客や他の県、国からやってくる方々の住みやすいAIを活用したスマートな都市開発計画を目指していく為に、準備を加速していきたいと…」男は語った。
高倉は男の声を聞いてまた既視感を感じた。何処かで聞いた声だっただろうか。
「この人の声良いね。低くてラジオのパーソナリティーみたい」笠木は言った。
高倉はふと右指に痛みを感じた。自分の指を見た。昨晩笠木の料理を手伝った際に包丁で指を怪我していたので、絆創膏を貼っていた。
高倉は料理だけは昔から苦手で、小学生の頃に弟に料理を作って失敗して以降、包丁を使う事を極力避けていた。弟は料理上手だったので、大学時代に弟と同居をしていた間は弟が料理を担当していた。高倉は包丁をあまり使わない料理なら作る事が出来た。弟は甘い物が好きだったので、休日になると毎日料理を作ってくれる弟にお礼でフレンチトーストを作っていた。その弟は殺人鬼になり自殺をしたが。
弟がおかしくなった元々の原因は何だったか。両親が死んだ事によって歪んだ価値観が出来たからだろうか。
高倉はテレビに映っている男の顔を見て違和感がした。この男は老けすぎている。自分の知っている顔ではない。この男がもう少し若かったらどんな顔をしていただろうか。高倉は自分の首を絞めて殺そうとした男の顔と声を思い出していた。母親と不倫をしていた男だ。
「有隆君、大丈夫?」笠木に声を掛けられ、俯いていた高倉は我に返った。自分の右手を掴み、少し過呼吸を起こしていた。
「ああ、大丈夫」高倉は言った。テレビに視線を戻したが、選挙のニュースが終わり今は流行りの感染症に関するニュースが流れていた。
「どうかした?やっぱりニュース番組じゃないものに変えようか。テレビ消そうか?」笠木は自分の顔色を見ようと顔を近付けて来た。
高倉にはそれが不快に感じたので、座椅子から立ち上がってキッチンへ向かった。吐き気がしていた。母親の嫌な声が脳内で再生された。キッチンに向かうと、水切り籠に入れていたコップに水道水を入れて飲んだ。深呼吸をしながらキッチンに手を付けて体を支えて俯いた。顔と背中に冷や汗が流れていた。
「具合悪いの?」笠木の声が遠くに聞こえた。
「お前は何も見ていない。そうだな」
高倉は頭の中で、先程の札幌市長になったばかりの男の声と、自分の首を絞めてきた男の声を比較した。昔の事なのに頭の中で鮮明に再生された。二人の声は似ていた。顔も似ている。
高倉は頭痛がしたので、こめかみを片手で抑えた。
高倉は母親の不倫相手の男が両親を殺したと疑って止まなかった。不倫相手の男が憎かった。自分を殺そうとした事だけではなく、両親が死んだ事で弟はトラウマが出来ておかしくなった。その事に対する怒りだ。弟は絞殺された母親と首吊り自殺をした父親から、首に執着をしており、女性を絞殺したり弟自身も何度も首吊り自殺をしようとしていた。そのせいで高倉は弟と一緒に居られなくなった。
今思えば父親は自殺をするような人間には見えなかった。いくら母親と仲が悪くても母親の不倫が父親に露呈していたとしても、父親が母親を殺すようには見えなかった。不倫相手の男がそそのかしたか、父親に罪を着せたのだと思った。不倫相手の男があの場にいた事が証明だ。
高倉は心配して声を掛けて来る笠木を無視しリビングの向こうにある自室へ行くと、机の上に乗せていたスマートフォンを手に取った。
「ちょっと、調べ物が出来たから一人になりたい」高倉はそう言うと自室の扉を締め、スマートフォンで札幌市長の事を調べ始めた。
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