第二十章 5月6日

「またか。悪いが上手く揉み消しておいてくれ。このご時世に遊び歩くなとも忠告をしておいてくれ」岸本有馬は秘書の武田からの連絡に返事をすると、ため息を吐いて通話を切った。


 岸本はデスクのチェアから立つと、自室の端の棚の上に乗せてある蓄音機型レコードプレーヤーに向かった。レコードプレーヤーの電源を入れた。ターンテーブルには既にレコードが乗せてあったが岸本はそれを無視し、横に置いていた予備のスマートフォンとBluetoothで接続し、スマートフォンでクラシックのピアノリストを再生した。


 レコードプレーヤーからクラシックのワルツ第十七番の「遺作」が流れ始めた。


 岸本はまたデスクに戻りチェアに座ると、ため息を吐いた。今度は息子の聡一が酒を飲んでバーで誰かと喧嘩をして警察沙汰になったらしい。


 札幌市長になったのは良いが、自分の息子が二十五歳になるというのに未だに遊んでばかりな事に苛立った。息子の聡一の今の就職先も全て岸本家の力で手に入れたようなものだった。祖父の岸本肇も元札幌市長だ。聡一の事が気がかりだったが、聡一は北海道知事の娘と婚約させてある。いずれそれが自分の役にも立つだろうと岸本は思考した。


 岸本はチェアに座ったまま自室を見渡した。


 部屋の窓際に置いた木製の重厚感のある机の上にはデスクトップパソコンとノートパソコン、スマートフォンが二台置かれ、パソコンは今どちらもシャットダウンしてある。部屋の内装は至ってシンプルで、茶色い家具で統一されている。


 一枚板で出来た大きなテーブルと黒いカウチソファが部屋の入り口付近に置いてあり、壁は茶色い本棚で埋め尽くされている。本棚の下段の扉で隠された棚の中は本で埋まっているが、上段の扉のない剥き出しの棚には本ではなくガラスや石で出来た置物を飾っている。


 蓄音機型レコードプレーヤーや飾ってある置物からしてこの部屋は一見古風な物好きな人間の部屋に見えるが、岸本は最先端技術が好きだった。その証拠に部屋のライトやカーテンは全てIT機器と連携しており、声を掛けるだけで点灯や開閉がされるように設定してある。普段連携しているスピーカーに関しては現在調子が悪く、修理中だった。


 岸本はクラシックピアノリストの中から前奏曲「雨だれ」が再生され始めた中、昔大雨の日に訪れた一軒家の事を思い出した。古風な作りだが豪勢な家だった。この家には劣るが。


 あの家の表札の札には“高倉”と掘られていた。あの一家だけが自分の過去に泥を塗っていた。公にはなっていないが。


「私を捨てるならあんたのしてきた事を公にしてやる」岸本はヒステリックに叫ぶ女の声を思い出した。“都”という名前の女だ。まだこの名前を憶えているとは岸本は自分でも驚いた。都と交際をした事は自分の人生の中で最も恥ずべき汚点だった。


 “交際”こう思考しただけで岸本はふと笑いそうになった。交際ではない。都は風俗嬢をしており、中身はないが容姿だけは魅力的だったので何度か若気の至りで遊んでいた。本命は勿論今結婚をしている香苗だった。


 都が妊娠をしていると知った時には、もう手遅れだった。都は妊娠に気付かず、既に堕胎出来る期間を過ぎていた。岸本はそもそも都の腹に宿っている子供が本当に自分の子供か疑った。双子だった。


 岸本は岸本香苗と結婚をして政治家系である岸本家に婿入りする予定だったので、都に認知と結婚を迫られた時には苛立ちから、一瞬都を殺す事も考えた。だが今まで人を殺した事のない岸本は抵抗感が出た。まして違うかもしれないとはいえ、自分の遺伝子を受け継いだかもしれない子供だ。あの時に人情で見逃した事を後悔した。


 見逃したのは一度だけではない。二度だ。


 都に認知を求められたが、岸本は断った。都に何か言われるか気にしたが、都はその後すぐに別の男と結婚をした。風俗店に通っていた客だそうだ。岸本はその際、やはり都の生んだ子供は自分の子供ではないのかもしれないと思考した。


 だが出産後に都に脅され始め、岸本が都の機嫌取りに何度か高倉家に足を運ぶうちに、玄関に飾られた成長した子供の写真を見ては、顔が自分に似てきている双子を見て鳥肌が立った。その双子は都の結婚をした征二郎という男とは似ても似つかなかった。


 岸本は双子の写真を見ていて違和感を抱えていた。写っているのはどれも笑顔がなく、手足のやせ細った子供達だった。都の自宅に訪れる日は、征二郎が自宅に居ない日を狙っていた。だが子供達は家に居るはずなのに一度も出くわした事はなかった。都の家を訪れる際は毎回、二階の奥の部屋に外から鍵が掛けられているのを岸本は見ていた。


 双子は都に虐待をされているのではないか。岸本は思っていた。玄関にこれ見よがしに飾ってある子供の写真は、都が岸本に見せつけるためにわざと飾っていたのではないか。だが岸本は子供の話題には触れないようにしていた。関わりたくなかった。


 都は自分に惚れていた。都は結婚をした征二郎の事は多分愛してなどおらず、ただの金づるとしか考えていなかったのだろうと岸本は思っていた。都の機嫌を取ってさえいれば自分は平和に生きられる。岸本はそう思考し、香苗に露呈しない範囲で都と不倫関係を続けていた。だが妻の香苗に不倫が露呈しそうになり、岸本は都に別れ話を切り出した。その際に都に言われた。


「私を捨てるならあんたのしてきた事を公にしてやる」


 岸本はその際今までにない殺意が自分の中に込み上げるのを感じた。だが衝動的に殺人をするわけにはいかない。捕まるわけにはいかない。自分の人生を守る為に、計画的に都を殺そうと思考した。


 征二郎が都の首を絞めて無理心中を図った事に見せかけようとしたのだ。遺書を書けば警察もそれ以上疑わないだろう。


 岸本が最初にした事は、高倉家に週末雇われていた家政婦の殺害だった。あの家政婦は自分が都に会いに高倉家を訪れている場面を何度か見ていた。口止めが必要だった。高倉家が殺害に関与しているように見せかけるために、わざと征二郎所有の山に埋めた。


 その後に征二郎の仕事中を見計らい、ロープで都の首を絞めて殺害した。仕事から帰宅した征二郎とは揉め合いになったが、なんとかロープで絞殺に成功した。


 その後征二郎が都を殺した後に首吊り自殺をしたように見せかけ、パソコンで事前に打ち用意をしていた遺書をキッチンの横に置いてあったダイニングテーブルの上に置き、無理心中を演出した。双子の子供達はいつも通り二階の子供部屋に外から鍵を掛けられているのだろうと考えていた。両親の遺体が見つかり警察がやって来る頃には、やせ細ったあの兄弟は部屋で餓死でもしているだろうと岸本は思考した。


 だが想定外の事が起きた。双子のうち一人が、二階から降りて居間にやってきた。自分と視線が合った。


 岸本は双子のどちらかは分からなかったが、その子供を殺そうとして首を絞めた。だが自分の用意した遺書には子供の事は記載していなかった。失敗をしたと岸本は思考した。


 また、自分の手の中で苦しそうにしている自分と顔の似ている子供を見て、岸本は子供を殺す事に抵抗感が出た。このまま子供を殺せば征二郎の遺書の内容から外れてしまう。この子供を殺せば、おそらくまだ二階にいるであろう双子のもう一人も殺さなければいけなくなる。それにまだ子供だ。子供の言う事など警察は全て信じるだろうか。岸本は両親の無理心中という計画から外れない事を優先し、双子を見逃した。


 あの双子の一人はその後誰にも自分の事を言わなかったようだ。双子が大人になってからも監視をしていたが、自分が副市長となりテレビへの露出をしてもあの子供は自分の事を覚えていないのか、何も事を起こさなかった。双子に近付く事は、忘れているかもしれない記憶を思い出させるかもしれないと危険を感じ、岸本は双子に接する事はしなかった。


 だが二年半前に双子の弟が殺人事件を起こした事で、岸本は自分に火の粉が飛んで来ないかが心配だった。


 双子の兄はまだ生きている。

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