第十四章 2月28日
「最近体臭が気になるんですよね」
岡本は高倉と休憩時間が重なったので空き教室で一緒に夕食を取っていた。高倉とは休憩時間がよく重なる。高倉が急にこんな発言をしたので岡本は驚いた。高倉はコンビニのおにぎりを食べようか悩んでいるようで、おにぎりをテーブルの上に置いたが食べずに野菜ジュースを飲んでいた。
「コンビニ弁当ばかりだからですかね」高倉は言った。
「高倉さん体臭なんて気にならないと思うけど。俺も今日はコンビニ弁当だよ」岡本はコンビニで購入したグラタンを食べながら言った。
「岡本さんってシャンプーとか柔軟剤のおすすめって何かありますか?通りすがりに良い匂いがしたって、事務の女性が言ってました」高倉は片手でスマートフォンを触りながら言った。
岡本はグラタンを飲み込む際に誤って気道に入り、むせた。
「大丈夫ですか」高倉は心配そうに見てきた。
「大丈夫。むせただけ」岡本はテーブルに置いていたペットボトルのお茶を飲んだ。女性に匂いに関して何か言われるどころか、同性の高倉に同じ事を言われた事に気恥ずかしさを感じてしまった。
「岡本さん使ってるシャンプーって何ですか?」高倉は遠慮なく聞いてきた。
「俺は普通に安物だよ。薬局で一番安く売ってるやつ。柔軟剤は昔下手なの選んで香水を付けてるって疑われてから、無臭だし」岡本は言った。
「へぇ。こういうのですか?」高倉は持っていたスマートフォンでシャンプーの画像が載ったページを見せてきた。
「ああ、これだよ。使ってるやつ」岡本は高倉のスマートフォンの画面の一番上に丁度表示されていた画像を指差して言った。高倉はスマートフォンの画面を見た。
「へぇ。教えてくれてありがとうございます」高倉はそういう言うとまたスマートフォンを触り出した。
「そういえばなんですけど」高倉はスマートフォンから顔を上げてこちらを見てきたが、気まずそうに視線を少し外した。「俺の受け持っている個人クラスの中に、毎週水曜日と金曜日の夜間に通っている花見さんって女性いるじゃないですか」
「ああ、花見さんね。水曜日の俺のクラスの人ね。資格取りたがってる。高倉さんのクラスではプログラミング選択してる人だよね。昼間はOLしてる」岡本は生徒の顔を思い出しながら言った。
「花見さんって彼氏居ないらしいんですけど」高倉は口元に手をやり表情を少し隠しながら言った。「今度花見さん誘って飲みに行きたいんですけど、いきなり二人じゃ気まずくて。もしよければ岡本さんも一緒に来てもらえませんか」高倉は恥ずかしそうに言った。
「えっ?」岡本は高倉が急に女性の話をし出した事に驚いた。「高倉さん花見さんに気があるの?」
「ええ、まぁ、生徒と講師っていう立場でどうかと思うんですけど未成年じゃないですし。駄目ですかね」高倉は不安そうに聞いてきた。
「俺は別にいいと思うよ。でももう一人女性誘った方がよくない?人数合わせ的にもさ」岡本は女性が苦手だったが、普段よく会話をする高倉からのお願いを無碍にする事も躊躇われた。
「それが、花見さんは人数が居る場所での食事が苦手らしくて。特に同性が苦手みたいで」高倉は言った。
「そうなんだ。俺は別に良いよ。遅番シフトでなければ。高倉さん、花見さんともう結構プライベートな話してるんだね」岡本は聞いた。
「ええ、まぁそうですね。ありがとうございます。じゃあ今度花見さん誘ってみるんで、決まったら日程聞かせてください」高倉は嬉しそうに表情を明るくして言ったので、岡本は思わず頬が緩んだ。
「上手くいくといいね」岡本は言った。
「高倉さん英語も話せるんですか?凄い。羨ましいです」花見美鈴という女性はかなり酔った状態で高倉の目の前の席に座り、カクテルを飲みながら言った。花見は茶髪の長い髪を、カクテルを持っていない方の手で時折触っている。
岡本は高倉の選んだ居酒屋の個室で高倉の横に座っていたが、始終二人が上手く付き合えるように会話を合わせる事で必死だった。花見は既に高倉に気があるようで、岡本は自分が邪魔な気がした。途中で帰ろうかとも思ったが、高倉が「最後まで居てください、お願いします」とトイレで懇願してきたので帰宅出来なかった。
「凄くないですよ。それに読めるけど話すのは苦手なんです」高倉は苦笑いして言った。高倉は今日酒を全然飲んでいない。
「岡本さんそれ飲み終えたら何飲みますか?ビールにします?」奥の席で商品注文パネルに近い位置に座っていた高倉が聞いてきた。高倉は岡本が退屈にならないよう、岡本にも気を遣って話しかけてくれる。高倉は良い人間だと岡本は思った。
「じゃあ、ビールで。ありがとう」岡本は高倉に言った。高倉はパネルを操作してビールの画像を押した。
「花見さんは次何を飲む?」高倉は花見に聞いた。
「何ですか、今日めっちゃ飲ますじゃないですか。飲み放題なんだから高倉さんも飲まないと損ですよ」花見はカクテルを飲み終えるとテーブルに置いてあったカクテルのメニュー表を見て悩んだ後、「じゃあ、カシスオレンジお願いします」と高倉に言った。高倉はパネルを操作して注文した。
「高倉さんはお酒苦手なの?」岡本は聞いた。
「いや、飲めるんですけど性格が変わるそうなので控えてます」高倉は言った。
「性格が変わった高倉さんが見たいです」花見は笑いながら言ったが、真っ赤だった顔が白くなっていた。
「花見さんかなり酔ってるように見えるけど大丈夫?」岡本は花見を気に掛けて聞いた。
「そうですね、ちょっとお手洗いに行ってきます」花見は笑いながら席を立ったが、足元は覚束なかった。
「すみません岡本さん、花見さんが心配なので見に行って貰っても良いですか?俺も少し気分が悪くて、立てなくて」高倉は言った。
「大丈夫?分かったよ」岡本は足元が覚束ないままトイレへ向かって歩いている花見の後ろについて行った。途中でドリンクを運んでいる店員とすれ違った。
岡本は酷く痛む自分の頭を触りながら目を開けた。
頭も目頭も重かったが、自分はどうやら白い布団を被り白いシーツの上に横になっているようだ。岡本はふと自分の体を手で触り、飛び起きた。
急いで飛び起きた事で頭痛が酷くなり、岡本は頭を右手で抱えた。岡本は服を着ていなかった。恐る恐る布団の中を確認すると、下着も履いていなかった。此処は何処だと岡本は周囲を見渡した。
白い大きなベッドの前には大きなテレビと二人掛けの椅子が置いてある。ベッドの左側にある窓には分厚いカーテンが掛けられており、カーテンによって外の明かりが遮られていた。窓の横の部屋の隅にスロットマシンが置いてある。部屋の中は怪しいオレンジ色のライトで薄っすら照らされていた。岡本は広いベッドの反対側を恐る恐る見た。茶髪の長い髪が布団越しに見えている。岡本は鳥肌が立った。
岡本はふと思い出したように慌てて自分のスマートフォンと財布の入った鞄を探した。ベッドの左側の床に落ちていた服の上に置いてあったので、中身を確認した。どうやらスマートフォンも財布の中身も無事なようだ。
スマートフォンにはロック画面からでも数件の着信とチャットが届いている事が分かった。相手は殆ど笠木だった。
岡本は頭痛を我慢して身を起こし、ベッドに座りスマートフォンで笠木からのチャットを確認した。
“今日遅いの?”
“今何処に居るの?”
笠木は深夜三時まで起きていたようで、最後のチャットは深夜三時に送られていた。岡本は頭痛が酷くなった。
スマートフォンで現在時刻を確認した。今は朝の十時だった。今日は土曜日なので岡本は遅番勤務で仕事は十四時からだ。岡本は笠木に何と言い訳を言えば良いのか必死で考えたが二日酔いなのか、この状況で戸惑っているからか頭が上手く働かない。
そもそも言い訳とは何だと思った。事実を笠木に伝えて謝るべきなのではないのかと岡本は考えたが、その案は横に寝ている女性らしき人間を見た瞬間に頭の中から消え失せた。
笠木はバイセクシャルにトラウマがある。笠木とは最近やっと付き合い始めたばかりだ。自分がバイセクシャルではないにしても、この状況を笠木に知られるわけにはいかない。
岡本が戸惑いスマートフォンを握りしめて思考をしていると、隣に寝ていた女性が動いた。どうやら起きたようで、女性は布団から顔を出し岡本の方を見た。女性は花見だった。花見は慌てて布団の中の自分の体を見た。花見の方を見た岡本にも若干花見の体が見えてしまった。花見も裸だった。
花見は周囲を見渡すと、口を開けたまま呆然として岡本を見つめてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます