第十三章 1月5日

 高倉は興信所から受け取った書類を自宅のリビングで見て目を疑った。


 その書類には笠木が現在住んでいる住所が記載されており、同居している男と一緒に歩いている笠木の写真が添付されていた。


 高倉は病院から退院した後自宅に戻ると、笠木は高倉と同居していたマンションに居なかった。


 笠木が実家に戻ったのかと思ったが、笠木は実家とは絶縁状態のはずだ。笠木が実家に戻ったのか疑問だったので、仕方なく興信所を利用する事にした。笠木に謝りたかったのだ。笠木は高倉を着信拒否しており、チャットもブロックをしているのか連絡が通じなかった。笠木の現住所が分からなかった。


 高倉は興信所から受け取った書類を右手で握りしめるとリビングの床に叩きつけた。苛立ちと悲しみが止まらなかった。


 笠木に別れ話をされたのは九月の末だ。それから短期間で笠木は別の男の家に上がり込んでいた。高倉は笠木がゲイバーに行き、他の男とスマートフォンで親密そうに連絡を取り合っていた事を思い出した。笠木のスマートフォンの中に笠木に隠れて入れたゴーストアプリで調べていたので知っていた。今は笠木にゴーストアプリの存在に気付かれ、ゴーストアプリを削除されており見る事は出来ないが。


 高倉は自宅のマンションのリビングに立ち、笠木の部屋だった空室を覗いた。ベッドと机や本棚が置いてあったのだが、今は何も置いていない。笠木は綺麗に身辺整理をしたようだ。リビングの壁に飾っていたコルクボードのみ持っていく事を忘れたようで、コルクボードに笠木の描いたイラストが飾られている。


 高倉はそこに飾ってあったキリンのイラストを手でなぞった。絵本の挿絵のようなふんわりとしたタッチのイラストだ。これは笠木の描くイラストの特徴だ。このイラストは高倉が笠木と動物園に行った後に描いたイラストだと聞いていた。高倉はこのイラストも粉々にして捨てたい衝動に駆られたが、イラストの紙に手をつけると、何もせずにその手を床に向けた。捨てられなかった。


 笠木は現在もイラストレーターの仕事をしているのだろうか。興信所に記載されていた情報には、笠木の職場は記載されていなかった。在宅での仕事なら職場を特定出来なくても仕方がない。代わりに、笠木がよく通っているカフェと、笠木と同居している男の職場は分かった。男は札幌市内のパソコン教室に勤めているらしい。


 高倉はリビングに置いてあった座椅子に崩れるように座った。こたつを囲むように座椅子が二つ置いてあるが、もう一つの座椅子に座る人間はもう居ない。


 高倉はため息を吐くと、スマートフォンを取り出した。そして笠木の通っているカフェを検索した。そこは札幌の大通にあるコーヒーチェーン店だった。高倉の在籍している職場と距離も近かった。高倉は男の勤めているパソコン教室の公式ホームページも見た。


 “従業員募集中”


 高倉はホームページの下部に書いてあった求人内容を見た。人を募集している。週に二日から夜間講師の募集だ。これなら現在している在宅のプログラマーの仕事と両立が出来るかもしれない。高倉はそのホームページの求人問い合わせフォームのページへ遷移するボタンをタップした。






「ホットコーヒー一つお願いします」高倉はコーヒーチェーン店のレジで注文をすると、トレーに乗せられたホットコーヒーを持って店内を見渡した。笠木が店内の窓際のカウンター席の隅に座っているのが見えた。


 高倉は偶然を装おうとして、あれから毎日仕事が終わる度にこのチェーン店に通っていた。チェーン店にわざわざ通う為に、自宅ではなく大通近くにあるコワーキングスペースで仕事をしていた。


「創也?」高倉は笠木の後ろから声を掛けた。後ろ姿でも笠木だと分かった。身長の低い小柄な天然パーマが特徴的だった。


 笠木はすぐに振り向いた。近くに立った高倉を見上げ、驚きと戸惑いの混ざった表情をしている。


「やっぱり創也だった。久しぶりだね」高倉は戸惑ったような素振りをし、苦笑いをして笠木に言った。


「久しぶり…」笠木は高倉に返事をしてきた。困惑している。笠木の目の前のテーブルに置いたノートパソコンの画面に、何かのイラストが見えた。


「偶然だね。元気だった?」高倉は笠木に聞いた。


 笠木は一瞬視線を落としたが、高倉を見て「元気だったよ。有隆君は?」と聞いてきた。


「俺はまぁまぁかな。そこ、座ってもいいかな」高倉は笠木の横の空いた席を指差して言った。


 笠木はまた困惑した表情をしたが「いいよ」と言ってきた。高倉は一つ段階を踏めたと感じ、満足した。笠木のノートパソコンの横のテーブルの上にコーヒーの乗ったトレーを置き、カウンターの椅子に座った。


「創也に、入院時の保証人になってくれてありがとうって言いたかった。俺は親が居ないから。迷惑掛けてごめんね」高倉は笠木を見ながら言った。


「ううん、それは気にしなくていいよ」笠木は自分の目の前のホットコーヒーを見ながら言った。「怪我の具合はどうなの?」


「リハビリが辛かった。傷はもう完治したよ」高倉は答えた。


 笠木はまだ目の前を見たままこちらを見もしない。


「そっか…。傷跡って残っちゃったの?」笠木は聞いてきた。


「まぁ残ってるかな。でも別に気にしてない」高倉は答えた。


「本当にあの時はありがとうね、守ってくれて」笠木は言った。


 高倉は笠木をずっと見ていたが笠木は、今度は目の前のノートパソコンの方に視線をやったまま話した。余所余所しい態度が高倉は気に入らなかった。


「今は実家に住んでるの?」高倉は何も知らないふりをして聞いた。


「うん、そうだよ」笠木は嘘を付いた。まさかこの短期間で違う男の家に上がり込んだとは自分には言えないだろうなと高倉は思考した。


「そうなんだ。居なくなってたから心配してたんだ。創也、あの時は本当にごめんね」高倉は笠木を見たまま謝った。笠木は高倉を見たので視線が合った。


「ううん、もういいんだ」笠木は視線を落として言った。高倉はまた苛立ちが高まるのを抑えた。


「今も仕事はプログラマーなの?在宅の」笠木は聞いてきた。


「うん。でも自宅よりコワーキングスペースの方が集中出来るから、今はこの近くにあるコワーキングスペースで日中仕事してる。創也はまだイラストレーターしてるの?」高倉は聞いた。


「そうなんだ。うん、イラストレーターやってるよ。あまり儲かってないけど」笠木は言った。


「うちにイラストとコルクボード、忘れて行ったよね」高倉は聞いた。


「ああ、忘れたのに後から気付いて。捨てちゃっていいよ」


「捨てる事は出来ないかな」高倉は笠木を見て言った。「もう戻れないんだよね」


 笠木は高倉をまた見てきた。不安そうな表情に見えた。笠木は周囲に一度視線をやると、高倉をまた見てきたので視線が合った。


「ごめん」笠木は俯いて言った。


「そうだよね」高倉は笠木から視線を外し、湯気が収まった自分のホットコーヒーに視線を移した。「あのさ」


「何?」笠木は聞いてきた。


「ただの友達には戻れないのかな。俺、友達居ないから話し相手が今誰も居なくて」高倉は正直に打ち明けた。


「職場の人とは話さないの?」笠木は聞いてきた。


「職場の人間にはプライベートな話はしないよ。それに基本在宅勤務だからウェブミーティングくらいしか接する事はないし」高倉は言った。


 笠木は黙り込んだ。高倉は仕方なく冷めたホットコーヒーの入ったコップを持ち上げ、口を付けた。


「友達ならいいよ」笠木は言ってきた。


 高倉は予想外の言葉に驚き笠木を見た。笠木とよりを戻せたらいいとは思っていたが、まさかこんなに早く友人関係に戻る事が出来るとは思っていなかったからだ。友人関係に戻る事も時間が掛かると思っていた。


「本当?」高倉はホットコーヒーをトレーの上に置いて笠木を見た。


「うん。ただの友達ならね」笠木は高倉を見て言った。「僕今付き合ってる人居るから、二人きりで会ったりは出来ないけど」


「付き合ってる人居るんだ」高倉は薄々感づいてはいたが、同居している男だと思った。笠木の身の切り替えの早さに悲しくなると同時に、笠木を軽蔑している自分も居た。


「そっか…」高倉は一瞬何を言えばいいのか悩んだ。色々言いたい事があったが、本心を抑えた。「幸せになってね。俺はただの友達に戻れるならそれでいいよ。チャットブロックしてるよね、あれ解除してくれたら嬉しいんだけど」


「ブロックしてないよ」笠木は言った。高倉は驚いて目を見開いた。


「でも既読にならないから」高倉は笠木を見て言った。


「見ないようにしてただけだよ。チャットの件数が凄かったから」笠木はノートパソコンの方を見て言った。


「ごめん」高倉は何度も連絡を取ろうとした事を後悔した。中には酷い暴言を吐いたチャットの内容もあった気がした。「過去のチャットは見ないで消してくれたら助かる」


「分かったよ。消しとく」笠木は高倉を見ずに言った。


「ありがとう。創也、本当にごめんね」高倉は笠木を見て言った。


 笠木は高倉の方を見て、何か悲しそうな表情をした。高倉は何で笠木が悲しそうな表情をしているのか理解は出来なかった。

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