第十五章 3月6日

「ありがとうございます」


 高倉は岡本と花見が居酒屋で席を外した後、店員が個室のテーブルに持ってきた二人分の酒と二つ水の入ったコップを置いて行くのを見て言った。


 高倉は横に置いていた自分のリュックの奥から小さなジップロックの袋を取り出すと、周囲を軽く確認した後に中に入っていた白い粉末状の睡眠薬を四つのドリンクに入れた。一つの水には多めに、もう一つの水とカシスオレンジとビールには少なめに入れた。その後近くに置いてあった新品の箸で掻き混ぜ、睡眠薬の残り少なくなったジップロックの袋を閉じると、自分のコートのポケットの奥に入れた。睡眠薬の多く入った水とカシスオレンジを花見の席の前に置き、残りを岡本の席の前に置いた。


 しばらくすると岡本と花見が戻ってきた。花見は気分が悪そうだった。


「花見さん大丈夫?水を注文したから飲んだ方がいいよ」高倉は席に座った花見に言った。花見は白い顔で頷くと、目の前に置かれた水を飲んだ。


「岡本さんも水飲みます?一緒に注文しておきました」高倉は隣に座ってきた岡本にも水を差し出して言った。


「ありがとう」岡本も水を飲んだ。もう二人とも酒は飲まないだろうなと高倉は思っていたので、酒に睡眠薬を少ししか入れなくてよかったと思った。睡眠薬が勿体ない。


 高倉は隣で水を飲んでいる岡本を観察していた。この男の何処が良くて笠木は付き合っているのだろうとずっと思っていた。見た目はいまいちだが性格は人の好さがある。その人の好さが高倉には馬鹿にしか思えなかった。


「もう会計しちゃいましょうか。もう飲まないですよね」高倉は既に眠そうな顔をしている二人に聞いた。


「俺も出すよ」高倉が店員を呼び出し自分のクレジットカードを店員に渡していると、岡本が横から言ってきた。


「いいですよ。今回は付き合っていただいたので、出させてください」


 高倉は個室で会計を済ますと、椅子にもたれかかり眠っている花見を見てから、眠そうな岡本に言った。


「俺は女性が苦手なので花見さんを抱えてあげて貰えませんか」


「え?俺が?」岡本は眠そうだが驚いて聞いてきた。


「俺は花見さんに触れるのは緊張するので、すみませんがお願いします」高倉がそう言って自分のコートを着ていると、岡本は戸惑っている様子だったが眠っている花見に一声掛けて起こそうとした。だが花見は起きなかったので、岡本は仕方なく花見の腕を肩に掛けて支えて店から出ようとした。


 高倉は二人が上着を着ていない事に気付き岡本に着るように促すと、岡本は目の据わった顔で上着を着た。高倉は眠っている花見に上着を着せた。岡本は再度花見の腕を肩に掛けた。


 高倉は三人で居酒屋の外に出た。雪はもうほぼ解けて地面が見えていたが気温が低く、吐息からは白い息が出た。高倉は足元が覚束ない岡本と花見を支えて歩いた。大きな通りを無視し反対方面に歩き、中島公園の近くを創生川から少し外れた道沿いに歩いた。


「寒いですね。タクシーを呼ぶのでここにとりあえず入って休みませんか」高倉は居酒屋の先を少し歩いたらあるホテル街を指差して言った。この近辺はラブホテルが連なり、裏に入ればタクシーはおらず店先には男女が歩いていたり、女性を待つ為に待機している車が停まっているだけだった。


 岡本は泥酔状態で意識が曖昧なのか、高倉の横を歩きながら頷いた。足元が怪しいので高倉は花見を支えて歩く岡本を支えてラブホテルの中へ入った。ここは事前に確認していたホテルだが、部屋の指定はタッチパネル式で受付に店員はおらず、男二人と女一人で入っても誰も何も言わなかった。


 高倉は短時間休憩ではなく宿泊を選択した。パネルに記載されている説明文によると、宿泊だと部屋に直接店員が宿泊料金を取りに来るようだ。勿論顔は客と店員がお互いを見えないようにするのだろうが。通常ラブホテルは後払いの料金を退室時に支払うまで一旦入室すると部屋から出られないが、このラブホテルは宿泊にすると前払い制となっており、自由に部屋を出入りする事が出来る。


 高倉はラブホテルの部屋の中に岡本と花見と一緒に入ると、二人をベッドに座らせた。


 店員が来る前にホテルのホームページに記載されていた通りに宿泊料金を玄関横の棚の上に置いてあった金銭トレイの上に乗せ、支払いを済ませた。部屋の扉を閉めて部屋の中に居ると、玄関で店員が入って来て宿泊料金を確認し出て行く音が聞こえた。


「岡本さん酔ったでしょう。水飲んだ方がいいですよ。ちょっと待っててください」高倉はそう言うと自分の着ていたコートのポケットに入れていたゴム手袋を二枚取り出し、自分の両手に嵌めた。


 ラブホテル備え付きの冷蔵庫から水を購入した。二人の方をふと見ると岡本と花見はベッドに横たわり岡本は朦朧とし、花見は完全に眠っていた。


 高倉はホテル備え付きの食器棚からコップを一つ取り出し、ペットボトルの水をコップの中に注いだ。着ていたコートのポケットから粉末状の睡眠薬の入ったジップロックの袋を取り出し、自分の体を陰にして後ろに居る二人に見えないようにしながらコップの中に睡眠薬を全て入れた。ジップロックの袋を裏返し高倉は自分の指を袋の中に入れ、コップの中をジップロックの袋で軽く混ぜた。水で濡れて中身の空になったジップロックの袋は裏返し、自分の着ていたコートのポケットの奥に入れた。


「岡本さん、水入れました」高倉は既に寝そうになっている岡本に、睡眠薬を混入させた水の入ったコップを差し出した。「飲んだ方がいいですよ。ここに泊まるんですか?」


 高倉がそう言うと岡本はコップを手にし、無言で水を飲んだ。


「落ち着いたらタクシー呼ぶので寝てて大丈夫ですよ。室内で暑いし上着脱ぎませんか」高倉は岡本が飲み終え空になったコップを受け取ると言った。


 コップをベッドの手前にあるテーブルに置き、岡本の上着を脱がせ、ベッドの横の床に置いた。岡本の腕を自分の肩に回しベッドの枕元に頭が乗るように横たわらせた。横に居た花見も同じように移動させ、岡本の横に寝かせた。その際、掛け布団を後で二人に掛けられるように足元に退かした。


 高倉はゴム手袋をしっかり嵌めている事を再確認すると、寝ている岡本を横に、床に置いてある岡本の持っていた鞄の中を開けた。中には財布やスマートフォン、筆箱や手帳、教科書やノートが入っていた。


 高倉はまず岡本のスマートフォンを取り出し確認した。マナーモードになっている。これは岡本の癖だった。岡本はスマートフォンを常にマナーモードにしている。高倉はスマートフォンを鞄の中に戻した。


 鞄の中を覗き少し悩むと、手帳に挟まっていたペンを取り出した。年季が入っているが高価なペンに見えた。よく見ると”Kenji.O”とネームが入っている。高倉は岡本の鞄を閉じると、そのボールペンをソファーの横の床に置いた自分のリュックの元に持って行った。リュックの中に入れていた新品のジップロックの袋を取り出すと、ボールペンをその中に入れた。リュックのジッパーを閉めた。暖房が効いており暑いので高倉は着ていたコートを一旦脱ぎ、ソファーに掛けた。


 高倉はダブルベッドの上に横たわっている岡本と花見を見下ろした。今や二人とも完全に眠っている。


 高倉はまず先に花見の元へ行き、迷わずに花見の服を脱がせた。脱がせた服をベッドの横の床に置いていく。


 時折花見が寝返りを打とうと動いた。


「高倉さん」花見がふと自分の名前を呼んだので、高倉は我に返り花見の顔を急いで見た。花見は目を瞑っていた。どうやらただの寝言だったようだ。高倉は安心した。


 普段睡眠薬を飲む人間なら耐性が付いているかもしれないが、飲まない人間ならふとした事では起きない量の睡眠薬を盛っていた。さらに酒も入っている。この程度の事では起きないだろうと高倉は思考した。


 花見を裸にすると、高倉は花見の裸には目もくれずに掛け布団を花見に掛けて裸が見えないようにした。次に岡本の服を脱がせていく。岡本も時折寝言を言っていた。途中「創也」と言ったので高倉は苛立ちを覚えた。岡本を裸にすると、高倉は岡本にも掛け布団を掛けた。


 高倉はソファーの元へ行き、ソファーの前のテーブルの上に置かれたホテルの名前の書かれた会員カードとライターを持つと、床に置かれた岡本の履いていたパンツのポケットの奥に入れた。


 高倉はベッド横のサイドテーブルの上に置いてあった受話器に手を伸ばすと、フロントに電話をした。


「はい。フロントです」若い男の声が聞こえた。


「すみません、残り二人を置いて途中退室をしたいのですが大丈夫でしょうか?体調が悪くて。他の二人は今お酒を飲んで眠っています」高倉は小声で言った。


「そうですか。念のため室内に居る方のお声を聞かせていただきたいのですか、難しいですか」フロントの人間は聞いてきた。


 犯罪予防のためだろう。今の世の中は厳しいと高倉は思った。


「ぐっすり眠っているので難しいかと。見に来ていただいても大丈夫ですよ」高倉は言った。


「いえ、結構です。念のためフロントで貴方の身分証を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」フロントの人間は言った。高倉は予想通りだったので「分かりました」と答え、受話器を置いた。


 高倉は自分のコートを着てリュックを背負うと、部屋の扉へ向かった。扉を開ける前にコートの中に入れていた自分のスマートフォンを取り出し、岡本とのチャット画面を表示させた。


 “先に帰りますね。岡本さんも気を付けて帰ってください。花見さんの事よろしくお願いしますね”


 高倉は岡本にチャットを送信した。スマートフォンをコートのポケットの中に戻し、部屋の扉へ向かった。






「おはようございます」高倉は土曜日の十六時四十五分にいつも通りパソコン教室に出社すると、十七時からの個人クラスが始まる前にロッカー室で会った岡本に挨拶をした。


「おはよう」岡本は自分のロッカーの前にしゃがみ教科書を読んでいた。岡本は瞼が腫れぼったい。岡本は高倉を見て明らかに動揺していた。


「俺、昨日花見さんにチャットのID聞くの忘れちゃったんですよね。花見さんもタクシーで送ろうとしたら完全に寝てて住所分からなかったから、起きるまで岡本さんに任せてしまってすみませんでした。俺が体調悪いからって岡本さんに甘えてしまって。あの後無事帰れました?」高倉は何も知らない風を装って聞いた。


「ああ、うん。無事帰れたよ。花見さんも」岡本は高倉から視線を外して俯いて答えた。


「よかった。今度花見さんに会ったらチャットのID聞いてみます」高倉は笑顔を作って岡本に言った。

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