第十一章 8月31日

 高倉は札幌大通駅近くにあるコワーキングスペースで仕事をしていた。


 そろそろ帰宅をしようと思い着ていたワイシャツの胸ポケットに入れていた自分のスマートフォンで時刻を確認すると、チャットが届いていた事に気付いた。高倉はスマートフォンを手に取りチャットの内容を確認した。


 チャットの送信元は“岸本聡一”だった。高倉はこのタイミングで岸本から連絡が入った事に違和感を覚えたのでチャットで返信をした後、一旦席を立ちスマートフォンを持ってトイレへ向かい、トイレの個室の中で岸本に電話を掛けた。だが岸本には電話は繋がらなかった。


 高倉はトイレから戻ると、悩んだが急いでノートパソコンを畳んでリュックに片付けた。コワーキングスペースの入っているビルから外に出ると、まだ八月末なので生温い空気が漂っていた。


 高倉はスマートフォンを片手にタクシーを呼ぼうとしたが一旦考え止め、地下鉄かバスで岸本に会いに行こうとしスマートフォンのマップで岸本家までの順路を検索した。その時、スマートフォンに着信が入った。着信元は“笠木創也”だった。高倉は着信に出た。


「はい」


「有隆君、今何処に居るの?」笠木が聞いてきた。


「今はコワーキングスペースから出て…職場関係者に呼ばれたからその人の家に少し寄ってから帰ろうと思ってたとこ。帰り少し遅くなる」高倉は言った。


「嘘じゃん。岸本さんって人の家に行くんじゃないの」笠木は聞いてきた。


 自分のスマートフォンに入れたゴーストアプリ経由でチャットの内容を見たのだろうなと高倉は思考した。


「そうだよ。岸本さんは職場関係者だからね」高倉は正直に答えた。岸本は元々仕事関係者だ。


「ごめんね、さっきゴーストアプリで有隆君のチャット見ちゃったんだよ。今日は職場関係じゃないでしょ」笠木は立て続けに質問を投げて来る。


 高倉は何と言おうか考え、しばらく沈黙した。


「有隆君僕に何か隠し事してない?岸本さんって殺人をして捕まった人だよね」笠木は聞いてきた。


「そうだよ。保釈された人間に会いに行く」高倉は嘘を付いても無駄だと思い正直に答えた。


 笠木は一瞬黙った。


「何で?危ないよ。今日じゃなくて別日に警察の人と一緒に行くのは駄目なの?今日警察の人も一緒に行くの?何で今日有隆君が岸本さんの家に行くの?」笠木は不安そうな声を出して立て続けに聞いてきた。


 高倉は岸本家に行かずに自宅へ帰りたかったが、もう後戻りの出来ない立ち位置に居る事を理解していた。


「前に岸本に共犯にさせられそうになったんだよ。警察に話した内容と同じ事を岸本に伝えに行く。俺は心当たりがないからはっきりさせに行く」高倉は言った。


「危ないよ」笠木は言ってきた。


「そうだ。創也、誰かが勝手に家に来ても中に入れないようにね。しばらく家から出ないで欲しい」高倉は念の為伝えた。


「何で?有隆君、岸本さんの家には行かないで今日は帰って来れない?」笠木は聞いてきた。


「ごめん。大事な用事なんだよね」高倉は申し訳なく思いながらも言った。


「岸本さんと浮気してたの?」笠木は聞いてきた。


 高倉は驚きから一瞬思考が停止した。


「浮気じゃないよ。俺は創也が好きだよ」高倉は伝えた。「そうだ。前に言ったけど、俺の部屋の金庫に通帳とか印鑑と予備のクレジットカードと現金少し入れてるからさ、俺に何かあったらそれでしばらく生活してよ。暗証番号は…」


「待ってよ。何でそんな事言うの」笠木は高倉の言葉を遮り聞いてきた。


「創也に後でチャットで暗証番号送るよ。創也、今まで色々ごめんね」高倉はこれ以上笠木と通話をしたくなく、通話を切った。


 通話を切った後笠木からまた電話がきたが、高倉は電話に出ずに笠木にすぐにチャットで、金庫や銀行のカードとクレジットカードの暗証番号を送った。これで笠木もしばらくは金に困らないだろうと思考した。


 マップで再度岸本の自宅を確認する。高倉はバス乗り場へ向かった。






 高倉がバスの乗り継ぎで岸本家へ近付くと、岸本家は家中に電気が点いており窓から光が漏れていた。家の中から大きなクラシック曲が聞こえた。この豪勢な一軒家の周囲は田畑や空き地に囲まれていて隣家とは距離があるとはいえ、外からも聞こえる音量に高倉は戸惑った。


 岸本家はホワイトとベージュのクラシカルな二階建ての一軒家で、家の目の前には車が二台分入ると思われる大きな車庫があり、家の周囲を二メートル程の高さのコンクリートの壁が覆っている。セキュリティに厳重な家に見えたが、今家の外壁に取り付けてある庭に入る黒い大きな扉は鍵が閉められていないようで扉が少し開いていた。


 高倉は不審に思ったが、インターホンを押さずに岸本家の庭の扉を少し開けて中へ入った。


 庭は広く、高倉は門から家の玄関まで続いているコンクリートの歩道に沿って歩いた。歩道の周囲は芝が植えられており、庭の奥には高い木が数本植えられている。家に近付くにつれクラシックの音が大きく聞こえた。


 高倉は家の玄関から中に入らずに窓から家の中をまず確認した方が良いのではないかと思考し家を外から一見したが、一階の表に面している窓は全てカーテンで家の中が見えないようになっていた。


 高倉は恐る恐る玄関の扉に手を伸ばした。インターホンを押そうか悩んだが、押さなかった。


 家の扉の鍵も開いていた。高倉は以前岸本家を訪れた時を思い出した。岸本家は玄関で靴を脱ぐ習性がなく、欧米式スタイルで靴のまま生活をするため玄関の靴置き場がない家だった。高倉は靴のまま岸本家へ上がった。


 廊下の左側にリビングがある事を知っていたが、曲はどうやらリビングとは反対側の廊下の隅にある階段上の二階から聞こえているように感じた。高倉は二階へ行くべきか悩んだが、まずリビングに足を運んだ。何故なら匂いが気になったからだ。


 高倉はリビングの全開に開いた扉越しにリビングの中を見て、唖然として自然と口が開いた。


 リビングの中は血塗れだった。人が血溜まりの中倒れている。三人だ。二人は床にうつ伏せや仰向けに倒れ手足を床に投げ出している。仰向けの死体は目を見開いたままだ。死体の周囲に肉片が散らばっているのが見て取れた。リビングの奥のベージュ色のカーテンに血が飛び散っている。


 リビングのソファーにもたれて目と口を開けたまま座っている人間を見た。この人間は岸本聡一だと高倉はすぐに分かった。岸本は自分の口に散弾銃を入れていた。自殺のようだ。岸本の着ている白いワイシャツは血で赤く染まり、ベージュ色の大きなソファーも血で赤く染まっている。岸本聡一の背後にあるリビングと横のキッチンの間にあるガラス窓の付いた白い間仕切りの壁には、岸本聡一の頭部と思われる内容物が血と共に飛び散っていた。


 高倉はすぐに自分の周囲を見渡した。生きている人間は誰も居ない。


 この悲惨な状況を作ったのは自殺をした岸本聡一なのかと思考をした。だが岸本聡一の父親である岸本有馬が見当たらない。


 ふとリビングの隣にある大きなアイランド型キッチンに視線を送った時、高倉は開いた口が塞がらなくなった。アイランド型キッチンの目の前に、キッチンに背を付ける形で床に座り込んで俯いている人間が目に入った。


 その背の低い小柄な、ウェーブがかった黒髪の男を見た。男は俯いていたが高倉には誰かすぐに分かった。男は腹に包丁が刺さったまま俯き、動かない。高倉はすぐに男の元へ早足で向かった。


「創也?」高倉は笠木がここに居る事が理解出来なかった。


 笠木の腹に刺さった包丁が目に入り痛々しい。包丁を刺された傷口から血が流れている。笠木は俯いたまま動かない。


 高倉は恐る恐る笠木の頬を触り笠木の顔を上に上げた。高倉がしゃがみ込んで笠木の顔を見るとやはり見間違いではなく、笠木だった。笠木は顔色が悪く目を瞑っていたが、浅く呼吸をしていた。まだ生きている。


 高倉は急いでワイシャツの胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、救急車を呼ぼうとした。


「お前はあの日俺と目が合った方か?俺の事を陥れようとしたという事は、俺の事をまだ覚えてたんだろう?」


 高倉は大音量のクラシックに負けない声で声を掛けられ、急いで後ろを振り向いた。


 リビングの入り口に、こちらを見下ろして片手に散弾銃を持った中年の男が立っていた。切れ長の冷たい目をしてこちらを見ている。その切れ長の瞳を普段は優し気に微笑ませているのを高倉は何度もニュースで見ていた。


 男は岸本聡一の父親で札幌市長の、岸本有馬だった。

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