第十章 8月31日

「ふざけるなよ。お前の人生も俺の人生ももう終わりだ」岸本聡一は車の中で父親の岸本有馬に言われた。


 先程まで留置所に居たのだが、父親が保釈金を支払ってくれ釈放された。


 高倉は証拠隠滅を手伝うと言ってくれたが、嘘だった。あの後すぐに通報され、自宅に帰宅し車の助手席の証拠隠滅をしていた岸本はすぐに警察に捕まった。


 岸本は父親から先程渡された警察に預けられていた自分のスマートフォンを使って、高倉に連絡を取った。高倉を問い詰めたかった。


「だってそれは高倉が証拠隠滅をするって言ったのに、通報したから。俺は騙されたんだ」岸本は父親に言った。


「高倉?」丁度自宅の駐車場に着いて車をバックで駐車しようとしていた父親は、運転する手を止めて聞いてきた。


「父さん知ってるの?」岸本は聞いた。


 岸本は後部座席に座っていたが、バックミラー越しに父親の顔を不安に思い見た。父親は眉間に皺を寄せ、切れ長の目を細め目の前をただ見ていた。岸本は父親のこのような顔を今まで見た事がなかった。普段からよく叱られてはいたが、父親は叱る時も無表情だったからだ。


「下の名前は」父親は聞いてきた。


「有隆」岸本は答えた。


 父親は一瞬下を向き項垂れると、すぐに車の運転を再開し自宅の駐車場に車を駐車した。






 岸本が無言の父親と共に自宅に帰宅すると、まず玄関に母親が出てきた。いつも先に玄関に出てくる家政婦の伊織は出て来なかった。まだ夕方だが、今日はもう帰ったのだろうかと岸本は思考した。


「ああ聡一さん、お帰りなさい。ずっと待ってたのよ」母親は心配そうな声を出して言った。


 いつも母親は化粧を完璧にしているのに、今日は化粧をしておらずやつれた顔をしていた。髪も整えておらず、いつも丁寧に巻かれたパーマのかかったセミロングの黒髪が乱れていた。


 リビングから祖父が出てきた。


「お前何てことしてくれたんだ。北海道知事の娘さんに。お前の人生はもう終わりだよ。有馬、お前ももう終わりだ。俺達は終わりだ」祖父は苦悩の表情をして言った。


「ねぇ貴方、これから仕事はどうなるの?私達どうなるの?」母親は不安そうに玄関で父親に聞いた。


 父親は玄関から廊下に出ると、質問攻めをしてくる母親と批判をしてくる祖父を玄関に残してそのまま無言でリビングへ向かった。


「貴方が聡一さんの事をちゃんと見てくれなかったからこうなったのよ」母親はリビングへ向かう父親を追い掛けてヒステリックな大きな声で言った。


 岸本は茫然として、リビングとは逆方向にあるトイレへ向かった。一時的に釈放されたは良いが、裁判が終わったら自分は捕まるのだろうなと思考した。


 岸本は手に持っていたスマートフォンに視線をやった。高倉からまだ返事が入っていない事に気付き、苛立ちからスマートフォンで再度高倉にチャットを送信した。


 批判をしてくる祖父と母親から身を隠すように岸本がトイレの便器の上に座り呆然と目の前の何もない空間をただひたすら見ていると、急に大音量でクラシックの曲が流れた。


「は?」岸本は思わず声を出して目の前に焦点を合わせ、トイレの扉を見た。


 トイレの外から曲が聞こえている。これは普段から父親がよく聞いているクラシック曲だと思った。リビングにプレーヤーは置いていない。父親は自室にプレーヤーを置いていたから、そこから流れているのだろうかと思考した。音が大きすぎて岸本は目が点になった。


 岸本が慌ててトイレから洗面所に出ると、激しい曲調のクラシックがさらに大音量で聞こえた。


 近所に聞こえてしまうのではないだろうかと岸本は不安に思ったが、この家は郊外にある。周囲は空き地や田畑だらけで近隣の家とはかなり離れた位置にある。父親が誤って曲のボリュームを間違えたのだろうか。どちらにせよこんな煩い音を急いで止めなければと岸本は思考した。


 岸本が洗面所を出て廊下を渡ると、階段の上から曲が聞こえた。やはり二階の父親の部屋から流れているのだと思った。岸本が階段を上がろうとすると、階段の向こうのトイレとは反対側にあるリビングの入り口付近に父親が立っているのを見た。


 父親は片手に黒く細長い何かを持っていた。それは父親が普段から趣味で集めていた散弾銃だと遠くから見ても分かった。父親は散弾銃の弾を交換すると、リビングの方に散弾銃の銃口を向けた。


「お前、何を…」祖父の声が小さく聞こえた瞬間、父親が銃を撃った。大音量のクラシックのせいか銃声が小さく聞こえた。祖父の声は聞こえなくなった。


 岸本は茫然とした。


 今父親は何をした?母親は何処だ。祖父はどうなった?


 岸本は咄嗟に危険を感じ、スマートフォンを片手に持ったまま父親から逃げるように慌てて玄関へ行こうとした。


「動くな。動いたら撃つ」父親の声が小さく聞こえた。


 岸本は玄関に向かう足を止めた。廊下からリビングに居る父親の方を恐る恐る見た。


 父親は岸本に散弾銃の銃口を向けたまま近寄ってきた。


「父さん、やめて」岸本はつい涙声になりながら腰が抜けて廊下の床に座り込み、父親に懇願していた。


 父親は散弾銃の銃口を一旦下に向けると、岸本と少し距離を置いた場所でしゃがみ込み岸本と目線を合わせた。


「俺の言う通りに行動しろ。そうしたら殺さない」父親は冷たい目をして言った。

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