第37話 イン・ザ・ムード



《有間愁斗―視点》



 18:30――、上野の雑居ビルにて。

 張り紙や落書きのある薄暗い階段を地下へ降りていくと、地下1階に重厚な扉の店が――。ネオン看板で店の名前が書いてある。

『SunSetBLUE JAZZClub』


「ここだな」

「凄く怪しい感じですね」


 繋いでいた紫陽花の手に力が入った。


「大丈夫、俺も最初はそう思ったけど居心地は悪くないよ」

「そうですか……」


 重厚な防音扉を開けて中に入ると店内は狭く、テーブル席が4つ、それとカウンター。照明は少し薄暗いが演奏が始まればスポットライトが当たる。

 客はまだ誰もいないな。


 カウンターにいた若い女性がこちらを見て挨拶した。


「いらっしゃい!おお!有間君の彼女」

「ええまぁ、はははは」

「二人で7000円ねっ♪」


 カウンターに移動した俺は財布から金を出して彼女に手渡す。


「ちょっと、めちゃくちゃ可愛い娘じゃない。流行りのレンタル彼女じゃないよね?あ、これドリチケね」

「違いますよ。本物の彼女です」


 俺はドリンクチケットを二枚受け取りながら答えた。


「ふぇー、ちょっと見直したわ。凄いね有間君、あんな美少女捕まえるなんて」

「料理も注文していいですか?」

「いいわよ。演奏が始まる前に食べちゃう?」

「そうします」

「りょうかーい♪席は好きなところに座って、注文決まったら声かけてね」


 俺はメニューを貰い紫陽花を誘ってテーブル席に着いた。


「知り合いなんですか?」

「この店たまに来るからね。オーナーの娘さん」


 ナツキさん、歳は28だったかな……。

 テーブルの真ん中にメニューを置いて紫陽花と一緒に見る。


 彼女はそれを見ながら――。

「さっき払ったのが食事代じゃないんですか?」


 メニューの商品横に値段が書いてあるから疑問に思ったのだろう。


「あれはミュージックチャージ料と1ドリンクチケットだよ」

「ミュージックチャージ料?」

「こういう店って毎日違うバンドが演奏してて、そのバンドに払われるお金。今日のバンドは2500円で、それだと店の利益がないから1ドリンクが1000円なんだよ」

「そういうシステムなんですね」


「都内だとだいたい相場だと思う」


 料理を注文して食事をとる。

 紫陽花はオムライスを注文し、美味しいと連呼しながら食べていた。


 食事していると他の客が入ってきた。知り合いのお兄さん?いや、お姉さん?である。


「有間ちゃんじゃなぁ~い。久しぶりね~。むふふふふ、可愛い彼女ちゃんもこんばんは〜♡♡♪」

「どうも、お久しぶりです」

「はじめまして……こんばんは」


 お姉さん?のようなお兄さん?はカウンター席に座ってナツキさんと話している。


「知り合いなんですか?」

「ここの常連さんらしいよ。何度か相席したことある」

「ふーん」


 更に時間が経つと次の客が入ってきた。男二人組だ。その内一人、角刈りのゴリラが店に入るなり俺達の席に来て。


「おいおいおいおい!有間ぁああああ!有間ぁああああ!有間ぁああああ!」


 叫びながら俺の肩を掴んで揺らす。


「煩いよ!」

「か…かか…かふっ……か、かの…じょ、だとう?」

「まぁね、……あ、紫陽花、この人は大学時代の同級生で丸田君」


「ど、どうも……こんばんはです……」

「くぅううううう!こんなお美しい彼女様ができて羨ましいぞ!この野郎ぅ!」

「はっはっはっはっ!いいだろぅ?最高の彼女なんだぜっ!ほら、負け組は隅っこの席に座ってろ?」

「ちくしょー!これからは有間と呼ばせてもらいます。今まで生意気言ってすみませんでした」


 丸田も俺と同様、彼女いない歴イコール年齢の童貞だ。もう一人は彼の友達だったかな……。

 その後二組、客が入ってきて、演奏開始10分前になった。後から来た客は今日のバンドメンバーの同僚と友達で見たことある顔だ。客は全部で10人、女性は紫陽花だけ……あ、一人女性?みたいな男性もいる。


 店の裏からバンドメンバーが出てきて楽器の調整を始めた。

 俺達は既に食事を終えている。


「演奏ってどれくらいやるんですか?」

「19:30から20:30と21:30から22:30で二回やるんだけど、一回目が終わったら帰ろうか。最後までいると帰り遅くなるし……」

「私もその方がいいです。早く帰って有間さんとゆっくりしたい」

「もう少しで始まるからトイレ行ってくるね」

「うん」


 紫陽花はさっき行ったから大丈夫か。



《砂月紫陽花―視点》


 有間さんがトイレに行ってすぐバンドメンバーの人が声を掛けてきた。


「こんばんは、俺はサックスとトランペット担当の広野台ひろのだいです。本日は宜しく願いします」

「僕はコンバスの姫宮ひめみやだよ」

「どうもっす。自分はドラム担当の玄海げんかいっす」


「宜しくお願いします」


 皆、有間さんの大学時代の同級生らしい。

 私がお辞儀をすると丸眼鏡を掛けた広野台さんが……。


「有間から聞いたんですけど、Fly me to the moon歌えるんですか?凄く綺麗な声だって」

「えっと……昔のアニメで好きになってカラオケで少し歌う程度ですよ……」

「おお!それ俺も見てました。それで、良かったら後で歌ってみませんか?」


 えええええ!?む、無理だよ!?人前でなんて。しかも全員男の人だし……!。


「上手く歌えないと思いますので……ちょっと……」


「あらぁ~素敵じゃない~有間ちゃん絶対喜ぶわよ~♡むふふふふふ♡」


 カウンターに座っていたお姉さん?が話しに入ってきた。


「でも、私本当に下手くそですよ」


「だっはっはっはっはっはっ!!大丈夫ですよ!彼女さんっ!歌は下手な方が演奏は合わせ甲斐がありますからな!有間も彼女の歌聞けたら幸せだろうな!だっはっはっはっはっはっ!!」


 有間さんに言われて隅っこの席に座っていた丸田さんが叫んだ。


「自分は合わせるだけなんで、良かったらどうぞっす」

 クールな感じのドラム玄海さん


「僕も歌って欲しいな、君みたいな綺麗な子の横で演奏ができるなんてゾクゾクするよぉ〜」

 茶髪パーマのコンバス担当姫野さん


「有間には内緒で、彼女さんの歌をサプライズプレゼントしましょうよ。絶対に驚きますよ。ふふふふ」

 広野台さんがいたずらな笑みを浮かべた。


 えええ?恥ずかしい。皆さん初対面だしな……。


「本当に有間さん喜びますか?」


 私が尋ねると会場から声が上がった。


「絶対に喜びますよ」「嬉しいに決まってる」「僕も嬉しいです」「彼女さんやっちゃいなよ!」「アオハルね♪羨ましいわ~♡」


「こらこら!無理強いしない。困ってるでしょ」


 とカウンターの奥からマスターの娘、ナツキさんが止めてくれた。

 私は胸に手を当てて考える。本当に有間さんが喜ぶなら、凄く恥ずかしいけど歌ってみたい!


「……歌ってみます」


「「「「おおおおおおおおお!」」」」


 会場から歓声が上がったところで有間さんが戻ってきた。



「え?どうしたの?」

「な、何でもないですよ」

「始まるね」



 中央のステージにスポットライトが当たり、広野台さんが挨拶する。


「皆さん本日はお越し頂きありがとうございます。宜しくお願いします。因みにピアノの薄木うすき君は残業で遅刻しておりまして、そろそろ到着するそうなので僕等だけで先に始めさせてもらいます」


 チャッ チャッ ♪


 演奏が始まった。遅刻とかあるのね……。結構グダグダなのかも。

 ああでも、音楽は凄くかっこいい。

 あっそうだ!スマホで歌詞見とかないと……。


 有間さんはニコニコしながらステージを見ている。手に持っているお酒は3杯目だ。


 演奏が始まって少しすると、ロン毛で黒縁眼鏡、黒いスーツを着て太った大男が何事もなかったかのようにスルスルと歩いてステージのピアノに座って演奏を始めた。


 他のバンドメンバーはそれを見ながら笑って演奏する。

 お客さん達もこのハプニングを楽しんでいるような雰囲気で皆さん顔を綻ばせていた。


 ピアノのソロが始まった。これ凄く綺麗な曲。


「有間さん、これなんて曲ですか?」


 私は小声で聞いた。


「ビルエヴァンスだよ。曲名はなんだっけな……、確か恋の曲だったけど」

「凄く綺麗な曲ですね」


 その後も演奏は続いた。有間さん、音楽は詳しくないと言っていたくせに、私が聞くと曲名やバンド名なんかを教えてくれた。IN THE MOODやMoaninも曲名を教えてもらって私も聞いたことがある曲だったから楽しめた。


 ずっと続いていた演奏が一度止まり、広野台さんが――。

「最後の曲はスペシャルゲストをお呼びしております」


 そう言って私に手を差し出した。


 私にスポットライトが当たる。

 広野台さんは続けて――。


「砂月紫陽花さんです」


 私は意を決して立ち上がった。

 緊張で足と肩がガクガク震えている。

 手汗が凄いことになってる。

 ……怖い。安請け合いしちゃったけど、やっぱり怖いよ。


 そんな震えた私の手を有間さんが掴んだ。





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