第23話 信心は至高の力の源


 ちびドラゴンの眼前に迫った根の先が、殺傷の意図も明確に、螺旋を描いて鋭く変化する。


「アルルク!!」


 レーナは叫びながら、幼馴染の少年に差し迫った危機を退けようと手を伸ばす。


(距離がありすぎて間に合わないっ)


 絶望的な思いに囚われかけたその時、空中に留まり、襲いかかる根を見据えたちびドラゴンが大きく喉と頬を膨らませる。


 ボォォオォォ


 大きく開けられた彼の口腔から、地を這う鈍く低い音が響いて、青白い焔が噴き出した。その凄まじい炎のひと吐きで、残っていた木の根は全て地面に炭化して崩れ落ちる。


「えぇぇぇーーーー!?」


 アルルクだと思っていたちびドラゴンの、まさかの人外らしすぎる攻撃に、驚愕の声しか出ないレーナだ。もしかしたら、ただのドラゴンだったのか、アルルクが勇者となって新しい技を覚えたのか、そもそも人は炎なんて吐けるのか、いやアルルクは既に人外になってしまったのか―――つらつらと、幾つもの候補が頭を過るけれど答えなど出ない。


 けれど、彼が何であれ気掛かりなことはあった。


「火なんて吐いて、大丈夫なのっ!? 火傷しちゃうっ!」


 レーナは急いでちびドラゴンに両腕を伸ばし、ぐっと引き寄せる。炎はまだ口から轟々と出ている最中だ。


 ぎょっとして身体を強張らせたちびドラゴンは、レーナに抱え込まれる直前、目一杯力んで身体に溜めた焔を吐き切った。それから大丈夫だと伝える代わりに、彼女に向かって「みゃうっ!」と元気にひと鳴きしてみせる。


「どこもおかしなところはないのね!? 本当ね!?」


 ちびドラゴンの意思は通じた様だが、今度は安心したレーナが「よかったーー」とため息交じりに呟きながら、彼の小さな身体を両腕でしっかり抱え込む。その際、腕の中の生き物が小さく跳ねる感触があったが、さらに力を入れてむぎゅぎゅっと抱き締めた。


「ぅみぎゃぉぉっ!? ぎゃぉっ! みぎゃぅっ!!」


 またしても、必死で抗議の声を上げ、じたばたと藻掻いて拘束から逃れようとするちびドラゴンだ。背中に生えた蝙蝠のような形の羽根で、擦り寄せられたレーナの頬をパシパシと叩く。


 あまりの嫌がりように、レーナが不満げに拘束を緩めれば、すぐさま身体一つ分の距離を取ったちびドラゴンの全身からシュウシュウと音を立てて蒸気が噴出してきた。


 次の瞬間、目の前が真っ白になるほどの蒸気が一気に「ぼふんっ」と噴出する。濛々とした煙の中から現れたのは、レーナの想像通り赤髪のアルルクだ。


 1年以上離れて過ごしたアルルクは、最後に見たときはまだレーナよりも小柄だった。なのに今では身長を追い越され、元々恵まれていた体格に更に筋肉が付いて、以前より明らかにガッシリとしている。やんちゃ坊主から、ひと段階、男らしくなった印象だ。頭以外の全身を覆う、赤い鎧姿になっているのも逞しい印象に一役買っているかもしれない。


(やっぱりアルルクだった! っていうか、凄く成長したよね!? 嫌だぁ、目線が完全にわたしより高いし)


 ゲンナリしたレーナとは対照的に、人に戻ったアルルクは、頬を染めつつも、憤慨した表情で彼女に詰め寄る。


「おれはっ…… 愛玩動物ペットじゃねーーーーっ!!! むきゅむきゅも、 すりすりも すんなーーー!」


 叫ぶアルルクは、ドラゴン形態の彼に対するレーナの猫可愛がりが殊更耐え難かったらしい。


「それにっ、危ないだろ! なにやってんだよ レーナ!!」


 文句を言い始めたアルルクは、それまで溜め込んでいたモノが一気に溢れ出す。


「おれが間に合わなかったら けが してたかもしんねーんだぞ! せっかくレーナのために、強くなったのに! 何かあった 後だったらって……。心配で、心配で ひっしに 飛んで来たんだぞ!!」


「えーと、その節はどうもありがとう?」


 途切れない鼻垂れ坊主からのお小言に、いたたまれなくなったレーナは、ついおざなりに謝ってしまう。


 すると、適当なところで話を終わらせたい彼女の思惑を、的確に捉えた幼馴染みの少年は、キッと視線を強める。


「こんなもんのために、レーナが けが すんのなんて、許さないからなっ!!」


 怒気も顕に、アルルクは祠の扉を右の拳で強く叩いた。


 ズズ……


 ――と、重い物を引き摺る掠れた音がして、祠の黄金の扉が僅かに傾く。


「あ」


 あれだけ押しても引いても開かなかった扉が動いたことで、ポカンと口を開けたレーナは、けれどそのまま更に大きく口を開くことになった。


 ズズズ……ズズンッ


 優美なアーチを描いた観音開きの扉は、本来開くであろう中央からではなく、蝶番のあるところから外れて、手前に倒れ掛かって来たのだ。人の出入りを想定した軽い扉ではなく、森のオーブを納めた祠を護るために付けられた扉だ。堅牢でずっしりとした重みのある作りだから、倒れ掛かられては堪ったものではない。


 レーナとアルルクが、さっと身を逸らすと、大きな左扉はそのまま足元の湿った土の上にべシャリと倒れ込んだ。と同時に、扉の外れた開口部を薄氷のように覆っていた、エメラルド色に輝く膜が、パキンと硬質な音を立てて弾け飛ぶ。


「今の、何!?」


 扉だけでなく、何かとんでもないものを壊してしまった気がする。だからレーナは膜の消えた場所から、何も見通せない暗がりに沈んだ祠の中を、恐る恐る覗き込んだ。


 途端に祠の中から強風が吹き出し、目を凝らして奥を窺がっていた2人は「わっ」と短い叫び声を上げて、目を閉じる。


「レーナ!」


 その時、中から探していた相手の声が聞こえた。と同時に、まるで人の気配の無かった祠から、忽然と現れた姿に、レーナは目を見張る。


 見えなかったものが突如として認識できる様になった事実から推察するに、壊れたあのエメラルド色の膜は、祠を外界から遮断する結界のようなものだったのだろう。


(なんて念入りに監禁してるのよ。ほんと執着心が強すぎる困った絶叫姫よね……)


 不安の強張りと安堵の入り交じった表情で、扉の外れた空間から抜け出てきたのはエドヴィンだ。レーナはと言えば、彼を見付けられた喜びよりも、精霊姫への呆れが勝って大きく溜息を吐く。その様子を観察していたようなタイミングで、再びリュザスの声が響いた。


 ―― この土地を護り続ける彼女は、大きな力を得ているからね。土地の人たちの信仰心と、彼女の子孫らを守護する気持ちがうまく相乗効果をもたらしたってわけだ。言うなれば、神に近い性質ってところかな ――


(子孫繁栄を願ってシュルベルツに力を貸すうちに、神様じみた力を持った……と。すごいわね。力の奮い方は、おかしいけど)


 思い遣りと努力の成果が、拉致監禁とはいただけない。


 ―― 信心は神の至高の力の源だからね ――


 自嘲気味な苦々しい口調に、レーナはおや、と首をかしげる。


 ―― 神は力を持つし、気まぐれだ。何年も見なかった神隠しにあった人間が、ある日ひょっこり現れるなんて話を聞いたことあるかい? ――


 玲於奈の世界では都市伝説としてそんな話も伝えられてはいる。だがダンテフォールここでは、事実として可能だということだ。笑えない話だと、レーナは顔を顰めた。

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