第5話 覚醒は無かったことにするモブ村娘


「なんで」


 そう呟いたものの、レーナにはその状況が示す意味はしっかりと理解できていた。彼女が奪い、アルルクの武器となったのとは反対の、もう一方残った異形の手が彼を貫いたのだ。


 さっきまで、うっとうしいくらいしつこく話し掛け、まとわりついていたのに、今は―――動かない。


 まだ10歳でしかない幼さで、レーナを襲った異形を許せないと、自分の危険を顧みずに立ち向かって行った少年がぴくりとも―――動かない。


「アルルク!!!」


 レーナが、叫びながら全体が赤黒く染まった背中に駆け寄り、無我夢中で異形の爪に貫かれたままのアルルクにしがみつく。至近距離で見れば、アルルクの顔は真っ青になっていたが、満足げに笑みを浮かべている。何故と視線を漂わせれば、彼の右手に握りしめたが、しっかりと異形の胸に刺し込まれていた。


「やだ! だめ! なに満足そうな顔してんの!? アルルクみたいなおバカさんが、そんな格好つけなくたっていいのに! これから大きくなって、どんどん賢くなって……それからちゃんと格好つければ良いんだよ!? だから、こんなちっちゃいままで終わっていいはずないんだからーーーーーーー!!!」


 レーナの叫びが響くと、満面の笑みだったアルルクの顔面が、かすかに喧しそうにしかめられた。


(生きてる! まだ生きてる!! そう、生きなきゃダメだからっ!!!!)


 彼女の強い願いに呼応するように、再びレーナの腹の底がカッと熱を持ち、静電気の様な鋭い痛みが、アルルクに触れる彼女の全身の至る所で弾ける。すると、アルルクの全身が力強い赤の輝きに包まれ、彼の髪を燃え立つような深紅に染め上げた。同時に、さっきレーナが自身の体内で聞いたのと同じ「ビキン」と云う硬質な音がアルルクの中から響く。




「ぐぎゃぉぉぉーーーーーーーーーーおおぉぉぉ!!!!」



 その瞬間、静かに胸を貫かれていた異形は、村まで轟く凄まじい咆哮をあげた。


 おぞましい叫びを上げた異形は、両方の手先が無くなった腕と、アルルクが刺し貫いた胸、そして口から真っ黒い液体を撒き散らしながらその場に崩れ落ちる。


 いつの間にか、アルルクと異形を縫い止めていた『爪』は消え去り、支えを失った2人もごろりと地面に転がった。


「レーナ! ぶじか!?」


 すぐさま身を起こしたアルルクが、レーナの両肩をがっしりした手で引っ付かんで、ガクガクと揺さぶる。


「だいじょ・ぶ・だからっ ほっと・いてっ」


 とんでもない疲れに襲われていたレーナは、顔をひきつらせるしかない。経験したことの無い大きな疲労感は安堵のせいなのか、アルルクに「生きて」と念じていたときに感じた全身の力が持っていかれるような感覚のせいなのかはわからない。


 ……いや、分かる気がするが、放っておくことにしたのだ。


 自分を一般庶民モブ転生だと信じて疑わなかったレーナだが、さすがに2度も短時間に同じ現象が起これば気付く。


 レーナには、他素材を使って肉体を再構築する力――修繕リペアと呼べる力があるようだった。


 その力が働いて、異形から深手を負ったはずの自分やアルルクの体は、怪我した箇所に接していた異形の手を素材として傷を塞いだのだ。転生でこの世界に肉体を再構築したレーナだからこそ備わったものなのかもしれない。


 けれど、この力はとんでもない欠陥がある。


 アルルクの破れた服から覗く胸は、確かにきれいに傷口が塞がっている。けれど代わりに異形の身体を覆っていた様な鱗が、刺し貫かれていたところに薄っすらと散っているのだ。鱗は、肌色よりほんの少し赤い色だったから目立ちにくくはあるけれど、人間の肌としては異常だ。何が起こるかわかったものではない、とんでもない合体を実現してしまう困った力であるようだ。


「レーナ! だいじょうぶ、じゃないよな!? しんでたもんな! やっぱ無事じゃないよな! 村まで抱えてってやるよ!」


「へ!?」


 レーナが自分の修繕リペア能力について考え込んでいると、いきなりアルルクが、背中と尻の下に両腕を差し入れてきた。まさかのお姫様抱っこ――にしては尻の下を支えるのは歪だしスマートではないが――とにかく、頼りないおバカな子だと思っていた相手に、全く結びつかない行動を取られて、レーナは心底びっくりして「ぎゃぁ」と声を上げた。


 すると、アルルクも驚いたのか、レーナをわずかながら持ち上げていたはずの腕から、咄嗟に力がぬけたのだろう。ドスンと音を立てて、レーナの尻が地面を打った。


「――ったぁぃ! アルルクったら、なにするのよぉ」


「…………」


 レーナが抗議の声を上げるが、相手からは何の反応も帰ってこない。それどころか、何故か扇であおがれたようにパッサパッサと風が吹く。一体何をやっているんだと、レーナが抗議の意思を込めて、アルルクの顔をばっと仰ぎ見たところで―――彼女はぴたりと静止した。


「ぎゃぉぅん」


 彼の顔があった位置に、情けない鳴き声を上げた小型犬サイズの赤いちびドラゴンが、小さな羽根で羽ばたきながら、そこに浮かんでいたのだった。


「かっ……かわ、可愛いぃぃっ!!!」


「ぅみぎゃぉぉっ!?」


 得体が知れなくとも可愛いは正義だ。レーナは、ほとんど脊髄反射でちびドラゴンに飛びついて抱え込み、がっちりと羽交い絞めにしてすりすりと頬擦りする。


「みゃっ!? ぎゃぉっ! みぎゃぅっ!!」


 必死で抗議の声を上げ、じたばたと藻掻いて拘束から逃れようとするちびドラゴンから、シュウシュウと何かが噴き出す音が響いてくる。しまいには、本当にドラゴンの全身から湯が沸いたような蒸気が噴出してきた。


「あちっ!!」


 思わずレーナがドラゴンから身を引けば、目の前が真っ白になるほどの蒸気が一気に「ぼふんっ」と噴出し、濛々とした煙の中から赤いドラゴンの代わりに、真っ赤に顔を染めた赤髪のアルルクが現れた。


(って――。あれ? 赤髪で、ドラゴンに変身するビジュアルに、なんだか覚えが……)


 突然、目の前の光景に閃いた妙な既視感に首を傾げつつ、レーナは再びその姿を見てハッと目を見開く。毎日纏わりついていたのに気付かなかったけれど、のめり込んだソーシャルゲームに彼が居たからだ。


 ――ヒロインの幼馴染ポジションの攻略対象『ドラゴンの力を秘めた、赤髪の勇者アルルク』。


(正統派ヒーローらしい設定だと思ってたけど、まさかわたしのせいで半ドラゴン化しちゃったのぉぉ!? 普通の人間だったのに、あの化け物と合成したせいよね! 罪悪感が半端ないわ……。それに、水桶片手に涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で泣き喚いて、あげくにわたしのこと勝手に死んだなんて決めつけちゃうような薄情者よ!? 攻略対象って言われてもピンとこないわー)


 レーナには、手のかかる鼻たれ坊主にしか見えないアルルクなのだ。彼には是非とも何処かから現れるヒロイン聖女と結ばれて、この世界を救ってほしい。そう、他人事に考えるのだった。




✼••┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈••✼




 奇妙な姿のむくろは、一見して誰もが事態の重大性を感じずにはいられないものだった。だから異形の出現と、アルルクの活躍はすぐに村長から領主へ伝わり、ひと月を経ずして国王へと奏上された。


 そう言う訳で、異形退治からわずか1か月の後、王都からの遣いが、高位神官を伴ってアルルクの家を訪れたのだった。




 国王の遣いとしてやって来た高位神官らは、異形のむくろを確認し、それを『魔族』だと断じた。数百年に一度、国の滅亡の予兆として出現すると言い伝えられる存在だ。さらには、それをたった人で討伐したアルルクは、神から特別な救国の能力を与えられているはずだと、恭しく宣告された。そして、その能力を確認し、より確かなものとするするため、アルルクは彼らと共に王都へ行くことになった。


 生まれながら持つ特別な救国の能力。すなわちそれは神からの『加護』と呼ばれ、それを持つ人間は、この世界でもごく稀な存在だ。そして、その能力は最高神リュザスを祀る神殿の頂点――王都大神殿でのみ神託で知ることが出来る。何人もの高位神官が、祭壇に設えられた巨大な蛋白石オパールに多大な魔力を捧げ、神託を授かるのだ。そこで加護が確定されれば、アルルクは国王直々の恵まれた環境で更に能力を磨くことになるのだという。


 こうして、10歳のアルルクは王都の大神殿に赴き、正式に『勇者』の神託を授かるのだった。


 ちなみにレーナは、魔族に襲われながらも勇者に助けられ、奇跡的に生き延びた『ただの村娘』として記録に残された。


 レーナが脇腹に致命傷を負いながらも、修繕リペア能力で治していたことは本人だけしか分からないことだったし、その本人が口を噤んだのだから仕方がない。それに、とんでもない合体を実現してしまう困った力を、大っぴらにしたくはなかったし、何よりアルルクを治して以降、他人の怪我は、どんな些細な擦り傷であっても治すことは出来なくなってしまったのだから仕方がないのである。

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