第1章 精霊姫 編

攻略対象 辺境伯令息エドヴィン

第6話 出会いは突然に


 アルルクを伴った一行が王都へ向かった。


 村では、騒がしい鼻たれ小僧が居なくなり、ほんのちょっと物足りない日常が始まった――だけではなかった。



 レーナやアルルクの故郷である『プペ村』は、王国内で初めて魔族が確認された地として、隣接するシュルベルツ領のドリアーデ辺境伯率いる領兵をはじめとした、多くの兵士が常駐することになったのだ。幸いにして、いまだ2体目の魔族の出現は確認されてはいないが、以前の様に子供だけで村の外へ気軽に出かけることは出来なくなってしまった。


 つまり、レーナの仕事だった水仕事のピンチである。


 村には、公共の井戸が点在しているのだが、小柄なレーナは力も弱く、一人では井戸から釣瓶つるべを引き上げることもできない。だから、これまでは村の外の清流に出掛けて洗濯や食器洗い、ついでに沐浴もささっと済ませていたのだ。


「レーナ、危険なことは絶対にダメよ? あなたがお家のことを手伝ってくれるのは嬉しいけれど、そのために危険な目に遭ったら、お母さんはとっても悲しいんだから」


「いいか? 愛らしすぎる俺の娘は、いくらしっかりしていると言っても、こんなにも壊れやすそうで、本当に目の中に入っちゃいそうなくらいの尊い存在なんだから。何かあったらお父さんは、絶対に立ち直る自信なんか無いんだからな!?」


 家族そろっての朝食が済み、水の確保に頭を悩ませつつ食器を集めていたレーナに、両親が真剣な面持ちで口を開いた。


 母は心配し、父は鬱陶しい思いの丈をぶつけて来る。だから母とレーナが揃って眉間に皺を寄せて、父に冷たい視線を向けたのは仕方ない。


「お母さん、わたし思うんだけど、このままこの村に籠っていたら、お父さんが駄目になっちゃう気がするの」


「奇遇ね、私もそんな気がしてきたところよ。子煩悩で可愛い夫だと思って来たけど、レーナがしっかりしすぎているから、却って子供に甘えて欲しいかまってちゃんの、束縛父になってる気がするわ」


 円形の食卓でレーナと母は、額を寄せてヒソヒソと囁き会う。当然そうなると一人蚊帳の外になった父が、もの言いたげに女性陣を見詰めながら、しょぼんと眉尻を下げている。まるで置いてけぼりをくらった飼い犬だ。


(うちは両親に娘一人の3人家族なのよね。一人っ子の一人娘だから、余計にお父さんの溺愛っぷりが加速してるのよ、きっと)


 これはダメだ――と、レーナはある決意をして、細い腕にぐっと力を入れ、小さな両手を握り締めて父に力強い視線を向ける。


「決めたわ! わたし、お父さんが子離れできるように、もっと強くなる!! とりあえず身体を鍛えて、力をつけるからっ」


(そしてもう少し成長した暁には、最推しのリュザス様を探す旅に出るのーー!)


 心の中で前世以来の萌える想いを滾らせたレーナの決意表明に、父はこの世の終わりの表情を見せ、母は苦笑を浮かべた。





 村の中に設けられた、簡素な木組みの一階建ての小屋。一見しただけでは分からないが、そこがレーナの父が勤務するプペ村唯一の警邏隊本部だ。


 その正面扉には申し訳程度の看板が付いている。まな板サイズの白木の板は、表面が深緑に塗られていて『警邏隊詰所』と彫り込まれており、離れて見れば文字が白く浮き上がる。


 警邏隊と銘打たれてはいるけれど、その役割は文面とはかなりかけ離れた穏やかなものだ。村中が顔見知りで、もとより余所者も足を運ばない辺鄙な土地柄だけあって、これまで武力に頼るような事件が起こることもなかった。だから警邏隊員の仕事はもっぱら老人たちの力仕事の手伝いや、急病人を治療所へ搬送するくらいのもの。たまの武力行使は酔っ払い同士のけんかの仲裁といったところだった。いわば村人たちのお助け屋である。レーナの父も、恵まれた体格を活用できるこの職場で、大いに村人らに貢献し、周囲からの信頼を集めている。自慢の父ではあるのだ。


 ただ、過保護すぎる点を除けば。


「レーナっ! 絶対に遠くへ言っちゃダメだぞ! 村の人たちの目に入るところに居るんだぞ!?」


「分かってるから。知らない兵士さんについていったり、村の外へ出たりはしないから」


 レーナが今いる場所は、父の日勤に合わせてやって来た警邏隊の屋外訓練施設だ。ここは長閑なプペ村らしく、普段は村民のトレーニング用としても解放されている。繰り返し言おう、レーナが今いる場所は警邏隊の敷地内だ。それなのに過分な心配をする父親なのだ。


 くどくどと何度も伝えられた注意事項を復唱すれば、父は不承不承ながらレーナから離れて、屋外訓練施設に隣接する事務所棟へと入って行った。何度もちらちらと振り返りながら。


 そうしてようやく一人になったレーナは、多数設置されている訓練器具……には目もくれず、ひたすらストレッチ運動にスクワット、腕立て伏せ、地面に梯子模様を描いてのラダートレーニングをこなし、広い施設外周をぴょこぴょこ走り出す。羽角はずみ 玲緒奈れおなの記憶から引っ張り出した子供の定番トレーニングだったのだけれど、その場に居合わせた者たちは不可思議な動きの連続に目を見張った。


 訓練施設の平坦な外周を1人黙々と走り、ダッシュし、また走る。そんな少女が目を引くのは当然だったし、ましてやレーナは父の溺愛ぶりも納得な黒髪黒目の庇護欲そそる美少女なのだ。その姿は、警邏隊施設にも役目上頻繁に出入りするようになっていた、王都から派遣された兵士たちの眼にも興味深く映った。


「へぇ? なんだい、あの面妖な動きをする子供は。お前、ちょっと行って調べておくれ」


「はっ」


 レーナの父の危惧通り、緑色の滑らかな長髪を、頭の高い位置で一括りにして腰まで垂らした身形の良い兵士が、彼女に興味を示した。鷹揚に部下に命じる姿は、高慢そのものなのだけれど、告げられた兵士は当然の務めとばかりに速やかに仕事に移る。駆けるレーナを追い掛け、背後に回り込んで猫の子を捕まえるように首根っこを引っ掴んで持ち上げたのだ。


「ちょっ!? 変態! 幼女趣味!! 危険人物!! 放しなさいよぉぉぉっ!!!」


「うるさい!! 我が主が興味を示されているのだ! これはお前の身に余る光栄なことなのだぞ!?」


 両手足をジタバタさせながら、大声で喚くレーナを、兵士は尚も強引に運ぼうとする。「変態! 人さらいー!!」などと不穏な言葉をわめき続けるレーナのお陰で、2人は周囲の視線をすっかり集めているが、居合わせた兵士たちは困った表情を見せるだけで止めに行こうとはしない。


 ばんっ


 そんな中、警邏隊事務所棟の扉がけたたましい音を立てて開け放たれ、中から鬼の形相の男が弾丸の勢いで飛び出してきた。


「ごぅるらぁぁぁ!!!」


 咆哮に似た怒声を上げ、レーナを持ち上げた男に躊躇なく体当たりを食らわせたのは、言わずと知れた彼女の父だ。


 鍛え上げていたはずの兵士は、僅かの抵抗も出来ずに、父の突撃を受けた逆側――真横に吹き飛ぶ。もちろん、ひっつかまえられたままのレーナも一緒に。


「レェェェ――――ィ ナァァァァ――――ッッッ!!!」


 父の悲痛な叫びが、隣接する家々にまで響き渡った。









「この度は、不慮の事故とはいえ誠に申し訳なく……」


 父が、眉間に深く皺を刻み、こめかみに青筋を立てて、下唇を血が滲むくらいギリリと噛み締めつつも謝罪の言葉を絞り出す。ふるふると小刻みに震えながら僅かに頭を下げはするが、いっそ清々しいほど不本意を隠しきれていない。


 急遽設けられた謝罪の場ではあったけれど、目的は全く果たせてはいなかった。


 警邏隊事務所の、滅多に使われない応接区画。そこには長方形の質素なローテーブルが置かれており、長辺に2脚づつ簡素な木製椅子が並べられている。部屋の隅に、業務日報や報告書などの書類の山が出来ているのは、このローテーブルに置かれていたものを慌てて移動させたからだ。今は、扉から遠い側に王都から派遣された兵士2人が並んで座っている。緑髪の身形の良い兵士と、レーナを掴み上げた兵士だ。その向かいには、謝罪する側として父と警邏隊長が立ち、レーナも父の隣に付き添っている。


 兵士への父が起こした衝突事故は、吹き飛ばされた兵士が気を失い、集まった警邏隊員や、トレーニングに訪れていた老人らによってレーナが保護されて、一応の収束を見せた。しかし問題が残った。兵士にレーナの確保を命じたのが、魔族出現の危機に合わせて、村に駐留していた辺境伯騎士団に属する貴族だったのだ。助けに来てくれた貴族に損害を与えたとあっては、吹けば飛ぶような小さなプペ村がどうなるか分かったものではない。よって、プペ村警邏隊責任者である隊長が慌ててこの場を設けたのだが、事態は全く好転することは無かった。


「おいっ! ドリアーデ辺境伯様はこの地域に隣接するシュルベルツ領から、この村防衛のためにわざわざ応援に来てくださったお方だぞっ! ちょっとは敬意を持て!!」


 隊長がすっかり顔色を青くして、父の頭を力任せに押し下げる。……いや、下げようとするが、父の頭は下がらない。どころかまだ相手を呪い殺さんばかりの鋭い視線を向けつつ「よくも俺の可愛い、可愛すぎる、目に入るなら入れてしまいたいレーナによくもぉぉぉ」などとブツブツ呟いている。安定の娘を溺愛しすぎる困った父ではあるが、隊長はとんでもないことを言っていた。


(え!? 辺境伯お抱えの騎士とか兵士じゃなくて、まさかトップの辺境伯本人!? 父さんったら勘弁してー!!)


 思わず父の頭を押さえつけたレーナだった。

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