第24話 応報

「よい、しょっと……ふぅ」


「まさか魔力では無く物理的な鍵を用いているとはのう。鍵自体を複製されたら終いではないか。魔界でその様な物を使えば、数日もせんうちに攻め込まれて一族郎党皆殺しじゃぞ」


「魔界と比べるな。そんな物騒な事こっちじゃほぼほぼ起きないんだよ」


 あののち。マンションから近くの公園へと場所を移した私達は、意識を失ったままの石動さんを安静にさせる為ラピスさんの魔法...?を介して、彼女がよく寝泊まりしているらしいアパートへとやってきた。


 途中、鍵がない事に気付いて大地が慌てて探しにいったり、派手すぎるラピスさんが訝しげな目で見られたりと多少のトラブルはあったものの、何とか室内へと入り込めた私達は彼女をベッドへと寝かせて一息をつく。


「よし。では後は帰るだけじゃな!流石に腹も減ったので食事を摂りたいの」


「軽く食べてから帰ろうか。片澤はどうする?」


「私は......石動さんが起きるまで一緒にいようかなって。なんだか放っておけなくて...」


「——分かった。一応玄関にセンサー的な物を張っておくけど、何かあればすぐ連絡して欲しい。俺も明日の昼頃には様子を見にくるよ」


「うん。ありがとう、大地」




 大地とラピスさんを見送った私は、再び石動さんが眠る寝室へと戻る。


 彼女があの部屋で男達から何をされたのか……それを大地からはっきりと聞かされた訳では無いけれど、流石の私でもある程度の察しはついてしまう。私の様に既の所すんでのところで助かっていたのなら、記憶を消す必要なんて無い筈なのだから…。


「ごめんなさい…」


 河瀬という男の話を聞き、大地へ近付こうとしたのは紛れもなく彼女自身の意思。


 それでも私は...私の軽はずみで稚拙な行動が、巡り巡って大地と彼女を巻き込み傷付けてしまった。そう思わずにはいられなくて、ただ一言彼女に謝りたかったのだ。


 あんな男に靡かなければ…あの日大地の優しさに甘えていなければ……


 目の前で穏やかに寝息を立てる彼女をじっと見つめて、反省する。


 大地を愛人にするなんて言い出したり、中々に破天荒な印象を受ける彼女だけれど、きっと悪い子では無いのだと思う。それに何より…大地の話をしている時の石動さんの、あの優し気な顔を忘れられなかった。


(たまに凄い顔してた気もするけど...)


 ラピスさんが言うには、私と話した記憶も消えてしまっているみたいだけれども...。


 目を覚ました彼女とまた一から向き合い、次は友人として仲を深めたいと...心からそう思う。


「私もちょっと横になろうかな。ハンガー借りるね石動さん.......って、わ⁉︎」


 寝室にあるクローゼットを開けると同時。中から溢れ出したのはくしゃくしゃに詰め込まれた男性用の衣類だった。


 成人男性用にしても少々サイズが大きい。まさかこれを石動さんが部屋着にしているとも思えない。


「これ...もしかしてあの男の......?」


 崩れ出たそれらを慌てて戻した私は、上着はソファにでも掛けておこうとリビングへ向かった。


 ジロジロと見るつもりは無かったけれど、改めて見ると気付いてしまう違和感。


 恐らくここに、河瀬というあの男も頻繁にやってきていたのだろう。

 所々に女性用とは思えない品々が散乱している。


 好きでもない相手から脅迫され束縛されるなど、その屈辱はどれ程のものだっただろう。


 どれだけ私が気に病んだところで、その胸中を理解する事は出来ないかも知れない。

 しかしそれでも....やり切れない気持ちが胸に込み上げる。


(今日は色々な事がありすぎて、流石に疲れたな...)


 様々な感情を抱きつつ、私は明日に備えて仮眠をとる事にした。



————————————————————————



 石動の部屋を出た俺とラピスは近くの牛丼チェーン店でテイクアウトを頼み、その足で他府県にある山奥へと来ていた。


 ふとスマホを見ると時刻はもう深夜の2時を過ぎている。


 そして通知欄には妹からのメッセージと着信履歴。


『兄さん、お友達のところですか?』


『返事くらいして下さい』


『どこに居るんですか?お願いだから返事して下さい。心配です』


 思っていた以上に心配を掛けてしまったみたいだ...。


 帰り次第事情聴取は免れないだろう。


(帰った時の説明も考えておかないとな...)


 放っておくと徹夜で待ちかねない妹に、謝罪と朝には帰るという旨のメッセージを送っておく。


 電波のアイコンが一本しか立っていないので届くかは分からないが...。


「んん...⁉︎おい大地!この牛丼とかいう料理、簡素な見た目に反して中々美味いではないか!タレも美味いがトッピングのネギと卵が絶妙じゃな!こちらのチーズも妙に味が濃くて最高じゃ!」


「分かったから少し静かにしてくれ...」


 初めて食すであろうこちらの食事に舌鼓を打つラピス。向こうの食事が余程まずいのか、舌が肥えておらず存外に安い悪魔である。


 この牛丼で大はしゃぎする金髪女こそ、死に物狂いで戦い続けた魔族達の上位存在だと言うのだから、何とも複雑な心境だ。


「一人で黙々と食べていては楽しく無いじゃろ。美食の感動は共有してこそじゃ。...まぁ、それもそこの見窄らしい男共のせいで台無しだがな。何故なにゆえこの様な山奥で食事を摂らねばならん」


 ラピスの視線の先には、石動を陵辱していた男達。


 全員を丸裸の状態のまま一本の木にキツく縛りつけてやった。


 何かしらの薬物を使用していた痕跡はあったが...。

 動揺一色といった様子を見るに、多少の理性は残っているらしい。


「——それで?その男共はどうするんじゃ。の準備は一応しておくが、精々一回分の魔力しか残っておらんぞ」


「ああ。それで大丈夫」


 仮にこの男達を警察に突き出したところで、まともな刑罰が科される事などまず無いだろう。それどころか中途半端に終わらせればどんな報復が片澤や石動に降り掛かるのかも分からない。


 一網打尽にする以外に選択肢は無い。


 故にラピスにはもう一仕事してもらう予定である。


「まあ、わざわざこんな山奥にまで連れて来られたんだ.....タダでは帰れない事くらい、分かってるだろ」


 ガタガタと寒さに震える河瀬へ歩み寄り、その顎を鷲掴みにして強制的に俺を意識させる。


「なぁ?——河瀬」


 問われた河瀬の息は荒く、未だ状況の認識に意識を囚われている様である。


「はぁ...はぁ......お前、何をしやがった?あの一瞬でどうやって俺を拉致りやがった?いや...そもそもどうやって部屋まで.....がっ⁉︎」


 下顎を砕く程の勢いで、河瀬を掴んだその手に力を込める。


「——ぐっ!ふぅ...はぁ......!」


「お前の仲間は未だに声も出せないみたいなんでな。本当は口も聞きたく無いが、仲間の分もお前に話してもらう。対応次第では生きて帰してやってもいい」


「わはっは!わはっはからはなへよ!!おえる!」


「なら今回の件に関与した外部の人間。それと東龍会だったか.....そこに所属するお前の仲間を全員教えろ」


「痛ってぇな......くそっ...!」


 ある程度の目星はつくが、全員でなければ意味がない。


「教えろっつっても、この状態で何が出来る?頭に全員の名前が入ってる訳ねえだろ!」


「そう言うと思ってあの部屋に置いてあったスマホは全て持ってきた。お前のスマホはどれだ?」


 石動のアパートの鍵を探しにあのマンションへ戻った際、使えそうな物は幾つか持ち出しておいた。


「チッ.....その一番デカいサイズのスマホだよ」


 数個あるスマホの一つ。河瀬の説明通り一番大きくギラギラとした装飾が施された物を手に取る。


「——つか待てよ......やっぱお前、あん時加奈のケツ追っかけてたガキじゃねえか。風貌が変わりすぎてて今の今まで気づかなかったが...」 


 俺を認識した途端に、露骨な程見下した態度を取り始める河瀬。


「なんだよ。へっ.....んで?お前がそんな事聞いてどうすんだ?こんな大層な事までしでかしやがって」


「友人が襲われたんだ。関わった人間を知りたいと思う事が不思議か?」


「あーいや、違えよ。俺が言いたいのは、"聞いたところでどうせまた何も出来ねえだろ"って。実際加奈に対しても何も出来なかったもんな。お前」


「この状況で軽口を叩くとは、凄い神経の持ち主じゃのう」


 剥き出しの敵意をこれでもかと示す様見開かれた瞳とは裏腹に、人を心底馬鹿にしたような冷笑。それは河瀬の様に粗暴な人間が良くする威嚇みたいなものだった。


「そうだな。確かに"あの時"は何も出来なかった。なら"今"のこの状況はどう説明するんだ?捕まったお前は無様な姿を俺に晒して、お前の仲間も殆どが同じ状態だ」


「あ...?ぶっ!ははははは!!頑張ってお友達でも掻き集めたか?そういやお前、斎藤のグループを誑し込んだりと妙な才能はあったもんなあ。お前にばっかり気を取られてたが、そいつらにスタンガンでも持たせてたんだろ?流石の俺でもそんな狡い手を使われりゃあこうなっちまうわ」


 荒くれ者との上下関係において、一度舐められた場合にその認識をひっくり返す事は難しい。


 この男にとって俺という存在はどこまでもあの時のままの無力な存在でしかなく、取るに足らない相手だと位置付けされているのだろう。


「もう一度聞いてやる。関わった人間を全て教えろ」


「だから、んな事聞いたところでお前が何を出来んだよ。お前こそ死にたくねえならさっさとこれを解け。まだ間に合うかもしれねえぞ?」


 最早これ以上会話をしたところで前には進まない。あの部屋で起きた事も思っていた程認識出来ておらず、今も尚興奮状態にある。大人しく内情を話すとは到底思えない。


「ラピス。準備は出来てるか?」


「既に出来ておる。いつでも良いぞ」


「さっきから気になってたが、あんな目立つ外人どうやって唆したんだ?どうせ何も分からねえからって適当こいて騙してんのかよ?詐欺師もビックリの才能だなぁオイ」


 ごちゃごちゃと煩い河瀬は無視をし、その横の男へと歩みよる...。


「答えないなら答えないでいいが、コイツらは何者だ?」


「シカトしておいて何質問してんだお前。言っとくが、そいつらに何かすればいよいよ終わりだぞてめえ。社会的に死ぬ程度で許されたらラッキーだな」


「社会的に...ね」


 単なるハッタリか、それとも本気か。


 どこまでが真実なのかは後から分かる事だろう。


 俺は怯える男...如何にも営業マン然とした髪型をした男の首根っこを掴み、


「...............は?」


「お前がもう少し殊勝な態度を見せてくれていたのなら、生きて帰れる可能性もあっただろうにな」


 まあ、だとしてもまともな状態で帰す気はなかったが。


「けどもう時間切れだ。これ以上お前に付き合っても時間を無駄にするだけだろうしな」



 殺した男の頭部を左手に持ち替え、更に隣の男へ歩を進めて行く。


 脂ぎった小太りの中年。


「その指輪......このおっさん、既婚者のくせにこんなくだらない事をしたのか。呆れて言葉も出ないな」


 どこか見覚えのある、俺と同じ位の歳であろう俳優風の若い男。


「同い年位か?真っ当に生きていれば、前途有望だったんだろうに」


 それなりに高齢であろう事を窺わせる白髪混じりの男。


「お前に関しては、良い歳して気持ちが悪いの一言しか浮かばない」


 


 河瀬を除いた全ての男を即死させ、引き抜いた頭部を河瀬の眼前に掲げる。


「......うっ、オェ.......!」


「吐くことないだろ。お前だって少なからず似た様な事をしてきたんだろうに」


「お前っ...!イカれてんだろ......‼︎俺だけならともかく、コイツらが消えれば世間は嫌でも騒ぎ出す。そうなりゃ警察にもあちこちから圧力が掛かるだろうな。そんな状況で逃げ切れると思ってんのか?捕まりゃお前みたいな一般人、どう足掻いても死刑だぞ⁉︎」


「なんの対策もしていないと思ったか?それに見られて都合の悪い物はこうやって隠す事だって出来る」


 『保管庫』から閉じ込めた男を取り出し、また戻して見せる。


「今の...江崎か.....? はっ、なんだそりゃ?まるでマジシャンだな。そんなもん見せられても、反応に困るんだよ......クソが」



 先程までとは打って変わり、目に見えて覇気を失っていく河瀬。


「なんじゃ、すっかり茫然自失といった様子じゃな。仲間を殺したのがそんなに効いたか?」


「いや、この男達は本当に権力者か...もしくは有名人だったんだろう。コイツが言った様に、そんな人間が一斉に消えたとなれば世間は少なからず騒つくし、責任の所在を明らかにしようとする。その上最後に関わっていたのは紛れも無くコイツだ。一人生き残ったとしても、の責任は取らざるを得ないんだろう」


「なんとまあ...ネチネチしていて嫌な関係じゃのう。少しばかり同情するわい」


「.........クソが。仮にお前が捕まろうが、必然的に原因になった事まで調べられる。そうなりゃ火消しに利用されて消されるのがオチなんだよ。.....もういい。ヤるならさっさとヤれよ。アイツらのやり方に比べれば、まだそいつらみたいに一瞬で死ぬ方がマシだ」


 過去にその一端を見た事があるのだろうか。

 河瀬の表情は青褪め、全てを諦めた様に吐き捨てた。


 しかしその開き直りともとれる態度に怒りが込み上げる。


「報復を受けるなんて考えてもいませんでした。ってか?自分のした事にすら向き合わず、開き直って殺せとか、調子に乗ってんじゃねえよクズが...!」


「.....何とでも言えや。今更説教なんて聞いて俺が改心するとでも思ってんのか?あぁ⁉︎」 


「.....だそうだ。もういいラピス。やってくれ」


「...おいおい、その姉ちゃんを共犯にするつもりかよ。あんたもあんたでなんでコイツに従ってんだ?」


「食事を対価に程良く使われるだけの女じゃ」


「へっ、なんだそりゃ。同情するぜ」


「余計なお世話じゃな」


「......そういや、聞きたかった事はいいのかよ?」


「お前の口から聞くよりも確かな方法がある」


「そうかよ.....じゃあ最後に一つだけ言わせてくれや」


「..........」


「アイツの事だから、どうせ俺の事なんざすぐ忘れるんだろうがよ.....どう足掻こうが、アイツが俺のだった事実は死ぬまで消えねえ。一生その事を噛み締めて生きろクソ女ってなぁ!」


「.....残念だが、石動は既にお前と出会ってから今日までの事を殆ど忘れている様子だったぞ。目覚めた時には存在ごと無かった事になるかもな」


 当然こんな話は嘘でしかない。

 今日以前の記憶は残っているだろうし、石動がその事実に苦しめられる日がいつか来るのかも知れない。


 しかし、単なる負け惜しみであってもこの男が石動に対して勝ち誇ったまま終わる事だけはどうしても許せなかった。


「........へっ、薬まで使ってやり過ぎたってか?都合の良い脳味噌してやがるぜ本当......クソ女がっ‼︎最後の最後まで俺を馬鹿にしやがって‼︎」


 感情の箍が外れたのか、唐突に我を忘れて喚き出した河瀬。


「ラピス」


「そうじゃな...見苦しさもここまで来ると見ているこちらが腹を下しかねん。愚者の断末魔程聞く価値の無い音もなかろうて」



 

 ラピスの体が淡く光り、突き出された左手から飛び出した光球が一瞬の後に複数の魔法陣と化す。


 虚空に浮かび上がる魔法陣より這い出たのは一体の悪魔だった。


 膝ほどの高さしか無い身長に灰緑色の鱗に覆われた体。細長い手足には黒く鋭い爪があり、頭からは短くねじれた角が二本突き出ている。


 その悪魔は所謂インプを想起させる外見をしていた。


「......ここは?」


「そこな有象無象。喜べ。お主を呼び出したのは他でもない妾じゃ」


「あ、あなた様は...かの悪名高きバロウ家が三女、ラピスティア様⁉︎」


 .....今の言葉で三つほど疑問が湧いてしまったが、それはひとまず置いておく。


「貴様如きに詳述している暇は無い。貴様に頼みたい仕事は一つ。そこで呆けている男に入り、妾の命を全うせよ」


「はは!畏まりました!!」



 事前に聞いてはいたが、あまりにもスピード感のあるやり取りに面食らってしまう。


 平身低頭でラピスを信じて疑わないその姿勢は、悪魔といえどもどこか健気に見えてしまう程だった。


「では早速...」


 ラピスの指示を受けたそのインプ?の姿が次第に霞がかり、紫色の球体へと急速に変化していく。


 完全な球体と化したインプは、河瀬の頭部と重なる様に溶け込んでしまった。


「まさかこれ.....憑依したのか?」


「こ奴等はこれしか出来ぬが、他者を操る事に関してはそこらの悪魔より遥かに秀でておる。適任じゃろ?」


「あ、ああ...」


「まあ、自身より少しでも心得のある者には問答無用で弾かれてしまうのが難点じゃが」


 ある種の強烈な暗示を掛けるだけの"洗脳魔法"とは違い、直接他者を乗っ取ってしまう"憑依"は前者とは一線を画す技術に加えて、相性等の運も必要だと聞いた事がある。


 あまりにも前例が少ない為、その対処法に至っては殆ど未解明の魔法だ。


 俺が戦ってきた相手にも使える奴等はいた様だが、条件の厳しさ故か終ぞ使ってくる事はなかった。


 もしもあの戦いにこのインプ達が参戦していれば、それだけでかなりの悪戦を強いられた事だろう。寝首をかかれて全滅.....という展開も普通に有り得てしまうのだ。


 改めて、目の前の悪魔二人が常識を超えた存在なのだと認識させられた気分だった。


「この男、精神は脆いですが肉体はそれなりでございますな......ふんっ!」


 軽々とロープを引き千切ってみせる河瀬(インプ)。


「適当なロープで縛ったとはいえ、それなりの強度はあった筈なんだけどな...」


「私ほどの使い手となれば、憑依した者の力を上限突破させる事も容易なのですよ。当然、素材ごとに限界はありますが」


「その男の面で満足気に語られてもイラっとするだけじゃな。早よう仕事に取り掛かれ」


「はっ!それでは早速行って参ります!」


「ああちょっと待ってくれ。コイツらと...あとこれも頼む」


「これは失礼を。かしこまりました」


 そう言って周囲の死体と『保管庫』に閉じ込めたままだった男達を魔法で持ち上げたインプ。そのまま空へと飛び上がり、東京方面へと飛び去っていった。





「——さて、今度こそ本当に終わりで良いか?」


「ああ。呼び出して早々すまないな」


「差したる支障はない。特段疲れてもおらんしな。まあ労わってくれるというなら、アレを所望する」


「.....何だ?」


「ここに来る途中で見かけた...なんだったかの......やたらといい香りが漂っていたんじゃが」


 この時間帯で強い香りを出している店...


「もしかしてラーメンか?赤い看板があった」


「多分それじゃ。次はアレを食してみたい」


 ニンニクかスープの香りでも嗅ぎ取ったのだろうか。


 結局、自宅に帰れたのは朝の7時前。


 ラーメンを7杯に餃子を5人前。更に追加で唐揚げやチャーハンをこれでもかと平らげるラピスを見届けた後の事だった。



————————————————————————



 河瀬翔貴。


 東龍会と呼ばれる寄せ集めの半グレ集団。その中でも事実上のトップとして構成員から認識されているこの男の半生は——、決して恵まれた環境の中には無かった。


 一児の親としては精神的に未熟過ぎた母。

 母の妊娠を知って姿をくらませた顔も知らぬ無責任な父。


 物心ついた時には既に母の関心は河瀬に無く、寧ろ憎しみさえ感じ取れる様な母の態度は少しずつ、しかし着実に、河瀬という人間の人格に影響を及ぼした。


 半ば物置部屋と化した自宅アパートの一室。

 この狭苦しく陰鬱な空気の中にある部屋こそ幼少期の河瀬の殆ど全てであり、存在を許された唯一の居場所であった。


 夜の仕事を終え、帰宅した母から追い出される様にして学校へ通った小学生時代。


 愛情等一切感じられない簡素な食事。時折り酔った母と共に現れる気味の悪い男達。そしてそんな男達と肌を重ねる獣の様な母の姿。


 当時はこれが普通なのだと思い込んでいた河瀬だが、中学高校と成長をするにつれて自身がどのような環境に置かれていたのかは嫌でも理解出来た。


 母と明確に縁を切ったのはそんな折。

 歳と共に収入が減ってしまった母が河瀬に対して金を無心してきた事が切掛だった。


 自身を縛り付けていた母の鎖から解き放たれ、一人当てもなく街を彷徨い続ける。


 家族とのコミュニケーションも無く、友人はおろか知人すら居ない男が一人で生きて行く為の知識や経験、守るべき倫理観等持ち合わせている筈もなく、生きる為に罪を重ね続けた河瀬は次第に夜の世界へと呑み込まれていく。


 暴力で他者を従わせる快楽

 思うがままに金を使う快楽

 見目の良い女を抱く快楽


 初めて知る暴力的な快楽は河瀬の脳を薬物の様に変質させ、内に眠るその凶悪さに拍車をかけていく。

 そんな河瀬を一方的に慕い、行動を共にする仲間達も徐々に増えていった。



 そんな折、夜の街を彷徨う河瀬が不意に見かけた一人の女子高生。


 その容姿にかつて無いほど心を奪われ、気付いた時には彼女へ話し掛けていた。


 それはまさに河瀬にとっては人生で最高とも言える出会いであり、彼女にとっては最低の出会いだった。


 しつこく接触を繰り返し、彼女がどれだけ自分を拒絶しようとも絶対に引き下がらない。


 執念の末彼女をその手に収めた河瀬だったが、初めて肌を重ねたその時でさえも彼女は拒絶の意思を隠そうともせず、あまつさえその気持ちを他の男へ向けている事は容易に読み取れた。


 ——しかし。どれだけ彼女が他人を想っていようとも、同じ時を過ごし、同じ食事を摂り、男女の関係を結べるのは自分だけだという、圧倒的な優越感がある。むしろその事実さえあれば良かった。


 他人が何を思い、どう感じたかを知る事に何の意味があるというのか。


 どれだけ気持ちを尽くしたところで愛される事のなかったかつての記憶が...河瀬翔貴という男の価値観に大きなひずみを生み出していた。


 だが彼女が自らを欺き、裏切りを画策している事を知った時。これまでに感じた事のない感情が河瀬の思考を掻き乱し、止めどなく溢れる怒りがこの男なりの愛という感情を憎悪へと反転させてしまう。


 行き場のない憎しみをぶつける様に

 己の中で彼女と決別をする為に


 複数の男達を招き、彼女を陵辱するという凶行に走った河瀬だったが、胸に支える悔しさは一向に晴れる気配が無い。


 薬物に刺激され、一時的に鋭くなった思考が次から次へと彼女への思いを巡らせる。


 金さえくれるなら相手を選ばない、母の様なアバズレとは似ても似つかない。


 容姿だけではない。

 心にある種の信念とも言える一本の筋を持ち、今時珍しい程に一途を拗らせる彼女に.....いつの間にかどうしようもなく惹かれてしまっていたのだ。その気持ちが自身へと向けられたのなら、どれ程心地良いだろうかと。




 無意識のうちに母と彼女を比較してしまった河瀬。

 結局根底にあるのはそれなのかと気付き自嘲する。


 もっとまともな両親の元に生まれていたのなら...

 

 まっとうに、他の生き方が出来ていたのなら...


 あるいは彼女に愛される様な、そんな"男"になれていたのかも知れない、と.....。



————————————————————————



(あぁ...クソッ、あれからどうなった......?)


「河瀬さん。朝からいきなり全員召集ってどうしたんすか?何人か連絡取れない奴等もいますし...」


 朧気な意識の中...

 

 見慣れた溜まり場に仲間達が集まっている。


(はぁ?誰が言ってたんだよんな事)


 身に覚えがなかった。


 仲間達には警察や他グループへの悪目立ちを避ける為、一定以上の人数で集まる事を禁じている。


 その俺自身が全員を一ヶ所に集めるなど有り得ない。


「ああ、今日はいい日になりそうなんでな。たまにはパァーッと騒ぐのも良いだろ。おい!誰でもいいから食う物と酒の準備してこい」


(—————あ?)


 聞こえてきたのは紛れもなく自身の声。


「いい日って、なんかあったんすか?てか来てない奴等はどうします?そういえば加奈さんも居ませんけど...」


「"なりそう"だって言っただろ。来てないメンバーは昨日から別件で動いてる。それと加奈の奴は風邪だ」


 口も手足も、自分で動かしているという感覚は確かにある。だというのに、思ってもいない言葉ばかりが口から発される。


(なんだこれ.....どうなってんだクソっ!)


「お前ら!今日は一日、好きなだけ飲んで騒げ‼︎」


(馬鹿かお前ら!今はそんな事してる場合じゃねえんだよ!)


 その掛け声に場は沸き立ち、当人の意思をよそに宴会の準備は着々と進められて行った。


 



 ——その夜。


 日通し続いた宴会により集まった者達は皆酔い潰れ、ゴミが散乱した会場のそこかしこではグッタリと眠りこける男達の姿が見受けられる。


(物を食ったら味はする。酒を飲んだらちゃんと酔える。一体どうなってやがる?)


 脳に病を患ってしまったのかとすら考えてしまうこの状況を受け止めきれず、未だ理解が及ばない。


「——ふむ。こちらの食事は魔界とは違って非常に工夫が為されていますね。どれもこれもが感嘆に値する素晴らしい品々でした」


(.....魔界?何言ってんだ......?俺は)


 今更独り言などに驚きはしないが、奇妙なのはその内容だった。


「ですが残念ながら潮時です。いい加減あの方の御命令を果たさねば」


 言うと同時、いつの間に用意したのかも分からないナイフを懐から取り出し、仲間達へ向き直る己の体。


(命令...あの方...さっきから何の話だ?)


 不気味な気配を感じ取り、今一度身体を動かそうと試みるが、相も変わらず思い通りにはならない。


「皆様との宴会、楽しかったですよ。まるで魔界の住人の様な低俗さは非常に好ましく感じられました」


 一歩、また一歩と眠る仲間達へ歩みを進める。


(おい!そのナイフで何するつもりだ⁈くそっ!いい加減動けよ‼︎)


「もしも魔界に来る機会がありましたら、私が直々に便宜を計って差し上げる事をお約束致しましょう。それでは皆様、どうかその時までお元気で」


 その言葉を皮切りに、自身の肉体が尋常ではない速度で動き出し、一人、また一人とその首を一振りで斬り取っていく。


(なにを..........して...........?)


 理解が追い付かぬ間にも次々と行われる凶行を、ただ呆然と見守る事しか出来ないもどかしさ。


 そんな状況でも仲間の肉や骨を斬り裂く感触だけは鮮明に感じ取れてしまう。


(誰か...誰か俺を止めてくれええええええええ‼︎‼︎)







 それは時間にして数分の出来事だった。


 数時間前まで多勢の喧騒に包まれていた宴会の場は、足の踏み場もない程の死体と血の海と化していた。


 その中に一人、生気を失ったまま項垂れている男を残して。






————————————————————————


あとがき


色々とお伝えしたい事はありますが...

今回よりあとがきに記載したいお話等も全て近況ノートに纏めて参ります。


本日〜明日中には

24話 あとがき

として更新致しますので、是非其方もご一読頂けましたら幸いでございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【14万PV感謝】異世界帰りで魅力アップ?~NTRもBSSもクソくらえな勇者のやり直し計画~ 酒丸 @sakamaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ