第15話 たった一枚の扉

「何年ぶりだろ…」


「ふふっ、こうして大地君を迎えるのも懐かしくて、なんだか嬉しいわ」


 真尋の不甲斐なさにイライラしつつ飛び出した迄はいいものの、いざこの家の中に入ると嫌でも冷静にさせられてしまう。


 真尋の家は二階建てのどこにでも見られる様な一軒家だ。玄関を入ってすぐの所に階段があり、右手にはリビング、左手には客間。数年を経て随分懐かしく感じるこの家には、俺と真尋の思い出がこれでもかと詰まっていた。


 例えばリビング…誕生日やクリスマスもそうだったが、おばさんが帰れない時等はよく真尋に引き摺り出されて、ここで一緒に買って来たお菓子やインスタント麺を食べた。


 客間…この家に泊まる時はここに布団を敷いて寝るのが常だったが、その非日常感にワクワクしてあまり寝られなかった事も昨日の様に思い出せる。夜通し宿題を手伝わされた事もあったっけ。


 キッチン…真尋がおばさんの代わりに料理を作ると言い出した事もあった。真尋の人生初のオムライスは見事に大失敗。悔し泣きを始めた真尋を宥めながら、一緒にオムライスを作り直した。


 この家の全ての場所で色々な出来事があったし、その全てが思い出として記憶に刻み込まれている。


 例えどれだけ真尋に幻滅したのだとしても、進んで不幸になって欲しい等と思っている訳ではない。


 アイツにぶち撒けたい事もたくさんあるが、全てはアイツが自分の意志でやっている事。俺に何かを言う権利が無いのも分かっている。


 しかし、かつては共に過ごした幼馴染として…、何よりも世話になったおばさんの為に、今回ばかりは母と娘の間に割って入らせてもらおうと思う。





 真尋の部屋の前に立ち、ドアを軽くノックしてみる。昔と変わらず真尋のネームプレートが下げられていた。


「お母さん…?ごめん...今は放っといて......」


「俺だよ。大地だ」


「……え?」


 強い動揺が感じられる声。


「今朝、おばさんがウチに来たぞ。真尋が部屋から出てこなくなったってな」


「大地が…それで……、家に?」


「ああ」


「…」


「出たくない理由、聞いてもいいか?」


「…」


「真尋?」


「…」


 返事が無くなったので話題を変えてみる。


「真尋、おばさんの顔最後に見たの、いつだ?」


「…」


「おばさん随分疲れて痩せてたぞ。それは知ってるのか?」


「…」


 返事が返ってくる気配は無い。『転移』を使って部屋に入るのは簡単だが、流石にそれは躊躇われた。






 待つ事数分。真尋は未だに反応を返さない。


「もうずっと家に帰ってなかったらしいな」


「…」


「何があったか知らないけど、親に相談出来ないなら、どんな相手なら話せる?」


 返答はない。


「……暫くはここに居るから、何か言いたい事があれば言ってくれ」


「…」






 待ち始めて1時間と少し。一向に話出す気配の無い真尋に、今日は帰ることを伝える。


「今日は帰ることにする。またおばさんが居る時に来るから」


 リビングで待つおばさんにも同様に伝え、俺は一旦その場を後にした。最終的には強行手段という手もあるが、可能な限り対話を続けた方が良いだろう。






 あの時の大地の表情が脳裏に焼き付いて離れない。あの夏とは違う、その表情を反芻するうちに辿り着いた1つの結論は、余りにも私の胸中を締め付けた。


(やっぱり私は…)


 気持ちを伝える資格などあるはずもない。1つの過ちから大地との間には修復出来ない程の大きな溝が出来てしまった。彼を忘れる為に好きでもない男に幾度となく抱かれ、私自身が私を裏切り続けた。全ては自分の為だった。


 でも、彼は今日…恐らくは母の為なんだろうけど、それでも来てくれた。


 自室の扉1枚隔てた先の空間には大地が居る。例え私の為では無くとも、優しく問いかけてくれたその事実に、これ以上無いくらい喜んでいる私が居る。


 そして喜べば喜ぶ程に、過去が私を締め付ける。


 結局私は伝えたい言葉1つ上手く纏められず、痺れを切らした大地は帰ってしまった。


「どうして…!何も言えないの……っ!」








 1人の女の切実な思いは1つの存在に伝播する。ソレは地の果てよりも遠い世界から大地を追いかけ、志半ばで霧散した者達の1人。


 地球の魔力では形を維持できなかった彼女達は、微かに揺蕩うのみの存在と化し、本能のままに大地の痕跡を追い続けた。


 時には魔力を、時には気配を、そして記憶を…。


 その果てに見つけたのは一人の女。大地への執着のあまり今まさに心が引き裂かれている彼女は、この存在が拠り所とするにはこれ以上ない存在だった。

 




 

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