希望を釣る機械

ふぉるく

希望を釣る機械

 僕がその奇妙な釣り人を見つけたのは、高校の夏期講習からの帰りしな、本屋で参考書を買って、普段は使わない川沿いの土手の道に、自転車を走らせている最中だった。


 はじめは、河原にひとつ、真っ黒なゴミ袋が落ちているように見えた。よく見れば、古風なメイド服に身を包んだ少女がひとり、膝を抱え、釣竿を握り締めていたのだ。


 こんなところで、メイドさんが釣り?


 怪訝に思うと同時に、不安になる。この昼下がりの炎天下で、帽子も日傘もなく、あんな暑そうな格好で項垂れている。まさか。


 思わず土手を駆け下りて、もしもし、大丈夫ですか? なんて声をかけた僕は、顔を上げた少女の返答に、さっそく失敗を悟った。


「肯定。トムリのコンディションは正常です。はじめまして。なにか御用ですか、お客様」


 白い肌、金の髪、中心に朱い電子光を灯した、青い瞳。釣り人は、人間ではなかった。


「なん……だ。アンドロイドか、お前」


 アンドロイドは、乗用車程度の価格で購入できる人間そっくりな生活家電だ。面倒な家事炊事を一手に担い、いまや半数以上の一般家庭が所有しているという。かくいう我が家にも、昔いたことがある。


「肯定。トムリはミシマ重工製、一般家庭用アンドロイド、ハダリーシリーズモデルⅣです。ご主人様は、トムリをトムリと呼びます」


 それも、こいつと同型が。


 無感情な返事を聴きながら、後悔する。正直、僕はアンドロイドが苦手だ。なのに、うっかり声をかけてしまうなんて。


「どうしてアンドロイドが、ひとりで釣りなんかしてるのさ」


 単独での行動など、許されて買い物がせいぜいの家庭用アンドロイドが、ぽつんと釣りをしてるなんて。周りには、トムリと名乗った彼女の持ち主らしき人物の姿もない。


「トムリは、ご主人様のオーダーで釣りをしています」


「ふうん。そのご主人様は?」


「席を外しております」


「ああそう。アンドロイドを連れてきて釣りをさせるなんて、いい趣味してるんだな」


 アンドロイドなんて、結局ただの機械だ。人間の真似事をさせて、なんの意味があるのだろう。それにこの川は、徹底的な護岸工事が行き渡っていて、魚がいるのかさえ怪しい。事実、ほかの釣り人の姿はない。


「肯定。ご主人様は、とても優れた感性をお持ちしております。ありがとうございます」


 川面から目を離さないままでの返答に、僕は肩をすくめる。皮肉も通じやしない。


 なにもかも、彼女の持ち主の自己満足だ。ひどく虚しく、居た堪れない。やっぱり関わるんじゃなかった。もう、さっさと帰って忘れてしまおう。けれど、ひとつだけ。


 踵を返そうとして、結局僕は足を止めた。妙に引っかかるのだ。ゴミ袋に見えたくらい、薄汚れてくたびれた、彼女のメイド服が。


「なあ、お前、いつからここにいるんだ?」


「トムリは二百四十六時間前から、ここで釣りをしています」


「にひゃ……それ、十日以上前じゃないか! じゃあ、お前の持ち主は?」


「ご主人様は席を外しております」


 まるで、ついさっきです、というような調子で告げられた数字に、唖然とした。


 アンドロイドに竿を持たせたまま、十日も放置している持ち主。どんな馬鹿だって、そいつがなにを考えているのかわかる。


「お前の持ち主、たぶん戻ってこないぞ」


「疑問。発言の意図が理解できません」


「だから……釣りなんかしても無駄だって言ってるんだよ」


「ご主人様は、この川の魚が見たかった、と仰られました。トムリに魚を釣るようオーダーされたということです」


 融通の利かないアンドロイドの返答に、思わず頭を抱えた。やっぱり機械だ。無意味な命令を、無意味に守り続けている。


「十日も放置する主人が、本当にお前になにか望んでるって思ってるのか?」


「肯定。トムリが魚を釣れば、ご主人様に喜んでいただけます」


 青い瞳は川面を見続けている。まっすぐに。


「そんなわけ」


「それが、トムリの望みですので」


 まっすぐな返事に、急に顔が熱くなる。


 望みだって? そんなまるで、人間みたいな感情が、アンドロイドにあるはずがない。希望や信頼なんて、知るはずない。だって、彼女はそう言っていた。愛する家族だと思い込んでいた、こいつと同型のアンドロイドが。


『私たちはただの機械。持ち主への愛も、恐れも知らない機械です。だから、どうか』


「……ああ、そう。なら好きにしろよ」


 それ以上そいつを見ていることも出来ず、自転車に乗ってその場を後にする。さっさと帰って、もうここへは近づくまいと決めて。



 その日以来、僕は黒いゴミ袋の夢を見る。朽ち果て、破れ目から青い目を覗かせるゴミ袋の夢だ。うんざりしたが、河原へ足を運ぶつもりはない。なかったのだ。今日までは。


 夜。窓を叩く音に、ベッドで寝返りを打つ。


 外では空に重い雲が立ち込め、雨と風が唸りを上げ、街路樹がざわめく。台風が上陸しつつある。川は、増水しつつある。


 瞼の裏で、黒い影が、川に飲み込まれる。


「ああ、くそ!」


 ベッドから、家から飛び出て、大荒れの中に自転車で飛び込んでいく。馬鹿げていると思いながら、足は止まらなかった。


 そして、数日ぶりの河原で、そいつはやっぱり、大雨の中で釣竿を握っているのだ。


「お前、なにしてるんだよ!」


 自転車を放り出し、腕を掴んでも、そいつは動こうとしない。


「お久しぶりです、お客様。トムリはご主人様のオーダーで釣りをしています」


 張り上げた声もかき消されそうな暴風と、いまにも溢れかえりそうな川を前に、アンドロイドは相変わらず、まっすぐに川面を見つめていた。なにも疑わない目で。


「バカ言うな、こんな天気で魚なんて釣れるはずないだろ!」


 なにをしてるんだ、こいつは。


「ご主人様のオーダーですので、トムリは魚を釣ることをやめられません」


 無感情な答えが、目の奥を熱くした。


「いい加減に気付けよ、なんでわからないんだ。捨てられたんだよ、お前は! お前を連れてきて、ここで釣りしろって命令して、そのまま置いて帰ったんだって!」


 なにをしてるんだ、僕は。機械なんかに向かって、頭の中にまで台風を呼んで。


「否定。ご主人様はトムリを捨てません。ご主人様は、そんな方ではありませんでした」


「現実を見ろよ! お前はもう、こうして何日も……ありませんでした?」


 なんで過去形なんだ。いや待て、前にも一度、こいつは過去形で話している。まるで。


 青い瞳が、まっすぐに僕を見ていた。吹き付ける雨粒に潤みながら。


「ご主人様はご病気のため、三百時間前にバイタルが停止しております」


 持ち主が、もう死んでるだって?


「ご主人様は、最期に仰られました。ずっと窓から見てきたこの川の魚が見たかったと。トムリはそのオーダーに従っております」


「なにを……言ってるんだよ。そんなの、命令でもなんでも……」


 いや、まさか。


「お前、壊れるつもりか」


 青い瞳は、僕の問いに答えなかった。


 アンドロイドは自壊できない。彼らの人工知能は、自らを守るよう設計されている。ただし、所有者の命令に反しない限り。


 僕は、咄嗟に竿に掴みかかる。強情なアンドロイドは、竿を放そうとしない。


「自殺なんて、機械のくせになに考えてるんだよ! 誰がそんなこと望んでるんだ!」


「否定。トムリはオーダーに従っています」


 こいつは、主人の今わの際の言葉を命令だと解釈することで、野ざらしになって壊れようとしているんだ。魚なんていないってわかっていながら。


「屁理屈言うな! 今のお前は、持ち主が死んだ野良アンドロイドだろ……そうだ、なら僕が拾ってやる、だから命令に従えよ!」


「否定。トムリのご主人様は、ご主人様だけです。トムリが壊れるそのときまで」


『だから、どうか悲しまないで』


 どうしてか、大好きだったアンドロイドの、壊れ際の言葉が脳裏を過った。


「この、いい加減にしろ……トムリ!」


 そのとき。もみ合う弾みで引いた竿の先、針に釣り上げられるように、なにかが跳ねた。ひれをしならせ、荒れた水面を叩くように身をよじる、あり得ないはずの影が。


 影はすぐに水中へと消え、あとには増水しつつある荒れた川と、竿を掴んで動きを止めた僕たちだけが残される。雨も風も、相変わらず荒れ狂っていたが、波立つ川面を見つめる僕の心は、不思議と穏やかだ。


「お客様」


 不意にかけられた声にトムリを見る。トムリの光る瞳は、川を見続けている。


「差し支えなければ、お宅にお伺いしてもよろしいでしょうか。濡れない場所で、身体機能の自己診断を行いたいです」


「なんだよ、いまになって」


 トムリが僕を見た。青い瞳に光を灯して。


「トムリはあれを釣り上げたいです。それがトムリの望みですので」


 よく言う、さっきまで死ぬ気だったくせに。


「勝手な奴だな。いいよ、好きにしろよ」


 けれど僕も、トムリのことをどうこう言えない。こいつの希望を、もう疑っていない。


 信じてもいいなにかを、見た気がしたから。

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