可愛い弟

 屋敷の中庭をこっそり掃除していると、いつものようにあっけなく見つかってしまった。はめていた泥だらけの軍手をさっと外し、持っていた竹ぼうきと共に後ろに隠す。しかし、あまり意味はなかったらしい。私を見つけた人物は困り顔でこちらを見つめている。


「お嬢様。また、そんなことをなさって……。旦那様が泣いてしまいますよ?」


 私の専属メイド―テルマ。屋敷では最年長のメイドだが、その身のこなしはいまだ新人をも凌ぐ。私の憧れの人。彼女は、私がごまかそうと慣れない口笛を吹くのを見て、腕を組んだままため息をついた。


「ごまかそうとしても無駄です。また勝手にお庭のお掃除をなさっていたのでしょう?」


「……ちょっとだけよ。昨晩は風が強かったでしょう? 小枝や葉っぱが散らばっていたし、テルマたちだって他の仕事が忙しそうだったから。……そ、それに、ほら、見て。とっても綺麗になったと思わない?」


 そう言って、私は先ほど手入れをしていた場所に手を差し向ける。落ち葉一つない美しい石畳。周りの花壇に生えていた雑草もきちんと処理しておいた。


 しかし、テルマの表情が明るくない。彼女の呆れ顔を見て、私はとっさに指を鳴らした。途端に、美しい魔法の花びらと光の粒が舞い、庭中を彩る。

 

 一段と美しさを増した庭を誇らしげに見せるも、テルマの表情はさらに暗くなる。焦った私は、右手を軽く握ってタクトを持つようにし、一度だけ振りかざす。


 すると、先ほどの光の粒が規則に従って立ち並び、小さな虹が出現する。これでどうだ、と言わんばかりにテルマの方を見ると、彼女は低い声でつぶやいた。


「お嬢様」


「は、はい……」


「全く。その才能を別のところで生かしていただきたいものですね」


 ぴしゃりと言われてしまい、手に持っていた軍手やほうきを奪われる。テルマはそのまま用具室の方へと戻ってしまった。


「別のところって言われても……」


 他にやりたいことなんて何もない。魔法の勉強は好きだけど、屋敷にある魔法書は全て読んでしまったし、ほとんどの魔法は習得してしまった。これ以上は何もできない。


 歩いていくテルマの後ろ姿を見送りながら、ため息をつく。品の良いメイド服姿のテルマ。きゅっと結んだエプロンの結び目からは彼女の仕事に対する思い入れの深さが伝わってくる。かっこいい。その一言では表しきれない気持ちの高鳴りに私はそっと蓋をした。


 十八才になった今、将来のことを考えなければいけないのは分かる。せめて婚約者から求められさえすれば、少しは新たな目標を持てるはず。けれど、私の婚約者は……。


 現状を思い出してため息をつく。すると、遠くのほうからかわいらしい声がした。

 

「お姉さまー!見てください!」


 満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきたのは末の弟、ハリス。六つになって間もない彼は、最近特にしっかりしてきたものの、まだまだあどけなさが残る。綺麗な亜麻色の髪をふわふわとなびかせて、私のもとに飛び込んできた彼は、私と同じアメジスト色の瞳をきらきら輝かせていた。

 

「今日のテスト、満点でした!!」


 嬉しそうに答案用紙を見せるハリス。後ろには彼の家庭教師、ナタリーが汗をぬぐいながら、困ったように笑みを浮かべている。きっと採点が終わってすぐ部屋を飛び出したハリスを追いかけてきたのだろう。御年六十の彼には、さぞかし大変な仕事である。


 にこにこと嬉しそうなハリスの姿に私は自分の幼少時代を重ねた。私も幼い頃はよく、彼と似たようなことをしていた。大好きな家族に一番に褒めて欲しくて、採点し終えたばかりのテストを手に、家族みんなの部屋を回ったものだ。


 へとへとのナタリーには申し訳ないが、こうしてハリスが朗報を持って走ってくるこのときが私は結構好きだったりする。ハリスの柔らかな頬っぺたが赤く染まっているのがたまらなく愛おしい。我が弟ながら、かわいすぎて困る。


「すごいわ、ハリス。がんばったわね」

 

 私がギュッと抱き締めると、ハリスは「えへへ」と嬉しそうな声を出す。ハグをしても足りない愛を伝えようと、私は彼の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でた。

 

 すると、彼のこめかみに残る古傷が目に入る。普段は髪で隠れているその傷は、完治しているにも関わらず、しっかりと彼に刻まれている。そんな痛々しい傷痕にそっと触れると、ハリスは不思議そうに私を見つめてきた。


「……お姉さま?」


 澄みきった紫の瞳が私を心配している。私は静かに微笑んで、もう一度、ハリスをぎゅっと抱き締めた。


「お父様たちには見せてきたの? きっと喜んでくださるに違いないわ」


 お父様はいつだって、私の成長を自分のことのように喜んでくださった。それはもちろん、私に限ったことではなく、お姉様にもお兄様にもハリスにだってそうだ。


「はい!先ほど見せに………はっ!そうでした。僕、お姉さまにでんごんをあずかったんでした!」


 ハリスが何かを思い出し、私の手をぎゅっと握ってくる。かわいい。


「お父さまがかぞくかいぎをする、とおっしゃっていたのです」


 どうやら、ハリスは私の元にくる前に、お父様やお母様にテストを見せてまわってきたようで、その時に私宛の伝言を預かっていたらしい。


 家族会議というのは、イグレシアス家では一種の団らんのようなもの。いつもはお菓子をつまみながらゆったりとときを過ごすといった休息時間なのだが、今回は少し違うようだった。言葉足らずなハリスの説明を補うように、ナタリーが口を開く。


「旦那様はアリシア嬢に大切なお話があるとおっしゃっていました。何やらホワード家からお手紙が届いたようでして……」


「……ホワード家って、まさかオリヴァー様から……?」


 久しぶりに聞いた婚約者の名に、私の心はざわめいた。

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