突然の手紙と家族会議
「……それで、お父様。オリヴァー様からのお手紙にはなんと書いてあったのです?」
お父様の書斎につくと、そこにはいつもの定位置に家族の姿があった。部屋の中央にあるローテーブルを囲んで皆が集まっている。
「……そうだな……それが、その……」
「ほら、エリック。しっかりして」
神妙な顔で言いよどむお父様。そんなお父様を諭すのは隣に座るお母様―リンナ・イグレシアス。亜麻色のロングヘアをかっちりとまとめた、アクアマリンの瞳の持ち主。凛とした佇まいだが、表情は柔らかな優しい方だ。
「父上。アリーはもう十八ですよ。本人に判断を委ねるべきです」
そう茶化すように言うのは、お兄様―ライル・イグレシアス。ハリス以上にお母様の容姿を強く受け継いでいる彼は、髪の色のみならず、瞳も同じアクアマリン。年は私の二つ上である。いつもはお茶らけているものの、私たち兄弟のことは誰よりも見ているし、案外隅には置けない鋭い人だ。
ちなみに私にはもう一人、お姉様―ハンナ・イグレシアスがいるが、彼女は数年前にとある公爵家に嫁いでいる。今でも頻繁に手紙をやり取りしている仲で、お姉様はライルお兄様と双子の姉弟である。
お母様とお兄様に急かされたお父様は、ますます顔色を失っていく。その様子に、私は少々覚悟を決めた。
オリヴァー様からの突然の手紙。彼とは今まで顔を会わせたことがないどころか、直接的な手紙のやり取りだって行ったことはない。数年前に彼の両親であるホワード前公爵夫妻が事故で失くなってからは、まるっきり連絡が途絶えてしまった。
それに、噂が本当ならオリヴァー様は私を好いていない。婚約が両家の親同士によるものならば、その両親がいなくなった今、突然、婚約破棄されるという可能性も少なくはない。いえ、むしろそれが一番あり得るわ。
これがもし婚約破棄の申し出だったなら、私の将来はますます霧の中だ。早鐘を打つ心臓の音が体中に響く。ごくり、と唾をのみこむと、お父様は静かに口を開いた。
「正式にお前を嫁に迎え入れたいという申し入れだった」
「……へ?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。私は、お父様の告げたことに耳を疑った。目を白黒させている私に、お父様が手紙を差し出してくる。ホワード家の家紋が入った紺色のシーリングスタンプ。差出人として、オリヴァー・ホワードの名が記されている。まだ震える手で中身を確認すると、その内容は端的だが、お父様の言っていた通り、私を正式な妻として迎え入れたいというものだった。
「私が、結婚……」
見限られていると思っていた婚約者から、いきなり求婚されてしまった。あまりに突然すぎてにわかには信じがたいことだが、停滞した日々から抜け出せるかもしれないことに胸の高まりを感じる。
ただ、お父様は慎重だった。
「だが、少しばかり問題がある。というのも、ホワード家はオリヴァー様の両親—前ホワード侯爵夫妻が他界して以降、財政難に陥っているらしい。その影響かここ数年で大規模に使用人のリストラが行われたようだ。向こうでの生活はここよりも大変になるかもしれない」
十三年前に婚約が結ばれて以降、お父様と前ホワード侯爵は定期的に手紙のやり取りをしていたらしい。しかし、それも侯爵の逝去後、文通はいつの間にか途絶えてしまった。そんな中突然届いたのが今回の手紙。お父様は、ホワード家に不信感を募らせているようだった。
「それに、オリヴァー様はこれまでお前と会って下さらなかっただろう。それなのに突然、嫁に来いなどと言うのは何か裏があるのかもしれん。しかも、彼が指定してきたのは明後日だ。あまりに急なのも不自然すぎる。返事は少し待った方がいいかもしれない」
あまり前向きではないお父様の言葉に、私は小さく下唇を噛んだ。
これまで何度も計画されてきた顔合わせの機会、それらはすべてオリヴァー様が当日に欠席の連絡を届け出ることによって中止になっていた。一度なら、不遇の事態。だが、それが何度も続けば、さすがに思うところがある。オリヴァー様が私を見限っているという噂が流れるのも仕方がないほど、彼の態度は私にとって優しいものではなかった。
それなのに、今回彼が求婚を申し出てきたということは、何か裏があるに違いない。それは分かっているつもりだし、お父様の危惧するところもよくわかる。しかし、それでも私は今回のチャンスを失いたくはなかった。
「いえ。私、行きます。ホワード家に嫁いでまいります」
「……アリシア?」
私の発言にお父様が表情を曇らせる。想定外と言わんばかりの顔で、お父様は私に目を向けた。右左に小さく揺らぐ瞳を前に、私は声を大きくした。
「学校を出てから、私は特にやりたいことも見つけられず、毎日、ただ時が過ぎるのを待つようにして過ごしてきました。でも、嫁ぎ先では何かを見出せるかもしれない。そんな機会を無駄にしたくはないんです」
私の想いを込めた主張。今まで口にしてこなかった言葉をぶつけ、私は小さく息を吐いた。
「……そうか。それがお前の答えなのだな」
お父様はそう言って、私の判断に思いを巡らす。一方の私は、もう一度手元に目を落とした。オリヴァー様からもらった初めての手紙。彼自身が書いたのかもわからないどこか冷たい文体を目にしながらも、私は改めて決心した。
―私はホワード家に、オリヴァー様の元に嫁ぐ
しばらく続いた沈黙の後、私は異様な気配を察知した。
「……お父様?」
手元の手紙から目を上げ、顔を引きつらせる。
お父様が私を見つめていた。しかも、その両目からは大粒の涙がこぼれている。
「アリシアが、……結婚? いやだ。この間、ハンナが嫁いだばかりじゃないか。なのに、もうアリシアをよそに? いやだ。そんなの。絶対いやだ」
表情を変えないままに、悲しみをつぶやくお父様。驚いたお母さまや周りのメイドたちは慌ててハンカチを差し出した。ハリスはまるで未確認生物を見つけたような困惑した様子で固まっている。そんなカオスな状況に、お兄様は呆れたようにため息をついた。
「父上。落ち着いてください。ハリスが怯えています。しかも言いぐさが子供みたいだ」
「ひどいこと言うなよ。ライル。私の大切な娘と離れ離れになるのだぞ。そんなの嫌に決まっているだろう」
「だから、言いぐさのレベルが変わってないですってば」
「誰だ。アリシアの婚約者を決めたのは!」
「……お父様ですわ」
思わず突っ込みを入れると、お父様はますます涙を流した。今度は表情を崩し、おいおいと泣くお父様。そこに今度はお母様も加わり、私と離れる寂しさを口にし始めた。
「……お姉さま。およめに行っちゃうの? 遠くに行っちゃうの? そんなの僕も嫌です」
ようやく状況を理解し始めたのか、ハリスがうるむ瞳でこちらを見つめる。私のドレスの裾を小さく引っ張りながら、今にも泣きだしそうな彼は、私の決断を揺るがしかねない破壊力を持っている。それでも、私は何とかとどまることができた。
「お姉様の決心を応援するのが弟の務めだぞ? ハリス。お前なら出来るよな?」
ライルお兄様がハリスの頭優しくなでる。お兄様に諭されたハリスは大粒の涙をこらえ、口をへの字にしたまま、大きく頷いた。
そんな愛おしい家族を前に、私は少し頬が緩む。呆れるほどに、親ばかで過保護な両親。私を大切に思ってくれる兄弟。私はこの家族が大好きだ。
だからこそ、この結婚は私にとって大切。家を出て私なりの幸せを見つける。それがきっとこの人たちへの恩返しだ。
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