第20話

 再会に居たたまれなさを抱かずにいられるほど図太くはない。それは互いにそうであって、言葉もそこそこに訓練に打ち込むことで一掃しようとした。

 後回し。据え置き。弱腰。何とでも言えばいい。目的を達成するために、約束しているのだ。それが守られるのであれば、今日という日の過ごし方として真っ当だろう。そうして体裁を保とうとしているだけ、意識があるのが丸わかりだった。自分の心情は誤魔化せない。

 それでも、美海から目を離すわけにはいかなかった。その義務を怠らずにいられたのは、もしかすると直前の明莉の発破が効いたのかもしれない。仮定を外したくないのは、明莉に踊らされた結末だとは思いたくなかったからだ。

 何のこだわりなのか。やっぱり、美海の姿が格別に見えているような気がしてならない。何度目を瞑ってみても、擦ってみても変化はなかった。天を仰いでみても、相変わらず薄暗い曇天が塞いでるばかりだ。

 雨季が近付いている。昨日の雨から、ずっとこんな調子だ。しばらくは続くだろう。せめて試験日だけでも、晴れ間が見られればいいが。この悪天候も訓練の一助にはなるだろうし、そう思えば悪くもない。

 ただ、薄暗さは安直に暗雲立ちこめる印象を抱かせる。美海の運転が不安定になる瞬間があるから尚のこと。

 しかし、と美海をよくよく見つめた。それまでも見ていたが、フリューの動きのほうに主軸を向けていた。安全のためとは言え、女子をじろじろ見るのが失礼である心くらいはある。無意識にその良心に従った視線になっていたはずだ。

 それを意識して美海に切り替える。


「美海」


 違和感に気がついて声をかけると、美海はのそりとスピードを落として止まった。いつも以上にふらついていて、怪しさは満点だ。

 少し離れた位置で止まった美海が、その場に立ったままこちらを振り向く。それも違和感のひとつにカウントされた。俺はフリューで見る間に距離を詰める。美海はそれをじっと待っていた。またひとつカウンターが上がる。

 呼びかけているにもかかわらず、これほどぼーっとしていたことはない。フリューから下りて美海の正面に立つ。見下ろすと、顔色がよく見えた。曇天で陰っているわけではない。


「美海」

「……どうしたの? 急に」


 呼びかけると、今までぼうっとしたことを認めるのように、鈍くこちらを見上げてくる。真っ直ぐに捉えると表情の悪さがよく分かった。よくないくせに、耳元と目元だけがやけに火照って見える。眉間に皺が寄った。


「こっちの台詞だよ。顔色、どうしたんだ。体調、悪いんじゃないのか?」


 つっと視線が逃げる。たったそれだけで、大息が零れた。たとえ初めて見るような仕草であろうとも、ニュアンスを逃すものではない。


「ちょっと」


 悪足掻きであることは一目瞭然だった。元より謙虚さを持っている人間だ。その心理展開図はさほど想像しづらいものではない。

 俺は無遠慮に手を出して、美海の額に押し当てた。美海が足を引いて逃げようとするのが視界に入って、すかさず両頬を挟み込んだ。


「バレバレだからな」

「……ごめんなさい」

「何に対して謝ってる?」

「練習に付き合ってくれているのに迷惑かけて」


 息を吐き出したのは、条件反射だった。呆れの中には、怒りも撹拌されていたかもしれない。美海が小さくなっていても、フォローしようと思わないほどには。


「そうじゃなくて。体調不良を押して来るなよ」

「だから、迷惑かけてごめんなさい」

「心配してんの」


 また視線がうろつく。その視界を狭めるように、掴んだままの頬を包むように固定した。美海の眉が下がりきる。


「俺が心配しないと思わなかったのか? 昨日の雨か?」

「……夜は、大丈夫だったの。朝、出際にちょっと熱っぽいかなって思ったけど、気のせいかなって」


 気のせいというのが希望的観測であったことは、美海だって分かっているようだった。儚い音が、如実に物語っている。

 額を合わせると、美海はひゅっと息を吸った。我ながら、大胆で戸惑う。けれども、それはすぐに額に移ってくる体温に塗り替えられてしまった。


「気のせいってレベルじゃないだろ!」


 思わず声を張り上げると、美海はぎゅっと顔を顰めて頭を抑える。


「悪い……今日はもうおしまい。引き上げるぞ」

「手間かけて、ごめん」


 感謝していたときと同じだ。こうなると、美海は言葉を繰り返す機械と化す。経験していることであるから、理解も深い。


「次からはちゃんと休みの連絡をしてくれればいいから、自分を大切にして。手間なんて思わないから、無理しないでくれ」


 こくんと頷いた美海の身体が傾いだ。頬から手を離して、腕の辺りを掴んで身体を支える。


「大丈夫か?」

「ごめ、ありがと……なんか、もう知られたと思ったら、力抜けてきて」


 バレないように、気を張っていたらしい。そんな意識で乗り回していられたのだから、フリューの腕は思いの外上がっているようだ。できれば、こういう事情で気がつきたくはなかった。


「休んでていいよ。連れて行く」

「連れて……?」


 脳の回りも遅くなっているのだろう。額同士で発熱が分かるのだから、当然に思えた。

 のったりと傾げられる首に、髪の毛がだらりと垂れてくる。それを払って耳にかけてやると、俺はその場に背を向けて腰を下ろした。美海は呆然と猫背で突っ立っているままだ。


「乗って。おんぶ」

「おんぶ……? 私?」

「俺がするんだよ。美海は乗ったらいいから」


 一気に気が抜けて、がたがきたのだろう。腑抜けた口調は、頭の回転率を極端に落としているのを悟らせた。

 しかし、具体的に伝えれば、のろのろとではあるが動いてくれた。羞恥に気を回す余裕もなさそうだ。こちらは意識をせざるを得なかったが、それでも心配のほうが上回っている。

 自分の良心が働いていることに安堵しながら、美海を引き上げた。重いと嘆くほどではないが、人を抱えるのだから重量感がないわけもない。そのうえ、熱で脱力してしまっている身体は全力で体重を預けてきていた。なので、重みはある。フリューで移動するには難があるほどには。

 やむなく徒歩を選択して、フリューは体育館そばの駐車場に置いて女子寮へと向かった。女子寮も男子寮も同じ島にはあるが、棟が違う。

 男女禁制、とまで明文化されていないが、暗黙の校則として知れ渡っていた。今朝のカップルだって、見つかれば説教を受けるはずだ。朝帰りは他よりずっと厳格な処分があるだろう。

 今回のこれは、救急搬送。大目に見てもらえることを願いながら、女子寮へと向かった。いや、叱られることも覚悟すべきだろう。こんな状態の美海を置いていけるわけもないのだから、括るしかなかった。

 そうして女子寮のラウンジに入ったところで、部屋を知らないことに気がつく。美海の頭が回っていないと思っていたが、俺だって頭は回っていなかったようだ。


「み」

「あれ? どうしたの?」


 開口しようとしたところに滑り込んできたのは、別れたはずの明莉の声だった。

 どうやら、あの後戸尾とデートに行ったわけではないらしい。……こっちに戸尾がいる可能性もあるが、まぁいい。今は明莉でもいてくれればありがたかった。


「美海が発熱してるんだ。部屋分かるか?」

「大丈夫? 二〇五号室。早く連れてってあげて」

「いや、でも、部屋までは」

「そんなこと言われても、あたしじゃ運べないよ。まったく知らない人をここで募るより、よく知った翔大が運んだほうが美海ちゃんもいいでしょ。あたしはドラッグストアで適当に何か買って来るから」

「あ、ああ」

「しっかりしてよ。早く行ってあげて」


 明莉の突っ走る性格は、こういう緊急事態においては長所になる。こっちが飲み込む前に、明莉は走り出していた。

 財布は持っているのか。買い物に行くところだったのか。キャッシュレス化しているのか。疑問は湧き上がったが、今俺が気にすることではなかった。明莉の言うように、美海を早く部屋へ運ばなければならない。

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