第11話
「そうやって感謝してくれるだけで十分だよ。欲はあるけど、月岡さんにどうこうしてもらおうなんて思わないし、本当に困ったときはちゃんと頼る」
「……分かった。じゃあ、この感謝は貯金しておくね。時間があるなら、お茶したりしないかなと思ったんだけどな」
「悪い。友だちと来てるから。月岡さんだって、自分のことがあって来てるんだろ?」
「休憩するくらいするよ。休日のお出かけだもん。でも、そっか。友だちがいるんじゃしょうがないよね」
「月岡さんは? 一人?」
「うん。部屋がまだ整ってなくて……日用品なんかも揃ってないんだよね。海からこっちに来るのも入学のギリギリになっちゃったから買い足してるの」
「意外に足りないものってあるよな」
引っ越しのレベルが違う。空の島を移動するだけでも不具合を感じるのだ。海からとなれば一層のことだろう。大変そうだ。
「だよね。寮生活で家具や電化製品は設備投資してくれてるし、色々便利なんだけど、生活は一人暮らしと変わらないし、不慣れなことがたくさんあるよね。キッチン道具もまだ揃わなくて、料理しようとしたら困ったりするし」
「月岡さんはしっかり料理してるの?」
「鷹宮君はしてないの? 食堂?」
「八割くらい」
寮の一階に食堂と呼ばれるレストランが入っている。学食扱いなので格安だ。契約内容によっては、寮の賃料に食費として組み込むこともできる。
俺は多少は自炊するように言いつけられて、親に分離させられた。現状、親の分離の結果は出ていない。できないわけではないが、ざっくばらんで野菜炒めのようなものしか作ったためしがなかった。
「一人分の料理って慣れないと作るの大変だよね」
生憎、俺が手をつけないのはそういう理由ではないけれど。曖昧な相槌を打った。
「月岡さんはもう慣れてそうだな」
「作り置きと冷凍保存を覚えたからね」
「覚えるの早いな」
不慣れだと言っていたにもかかわらず、覚えたと言う。ということは、この一ヶ月にも満たない間に習得したということだ。それだけ、毎日やっているのだろう。
しっかり、どころの話じゃない気がした。整えているという部屋も、過ごしやすさを重視した部屋っぽい。俺の部屋は、過ごせればいいみたいな状態でふわふわしている。掃除の意味でも、ふわっとしていた。
「生活しないといけないし。鷹宮君だって、二割はやってるんでしょ?」
「月岡さんに言われると、胸を張っては頷けないかな」
高低差があるのは想像に容易い。
苦笑すると、月岡さんは不思議そうな顔になった。自分が折り目正しい生活をしている自覚がないのだろう。できている人は、気がつかないものだ。
「二割って言っても、全体的に手抜きだし、食べられればいいってもんだから。生活できないとは思っていないけど、ズルズル生活してるよ」
「私だって緩々してるよ」
そう笑って言うが、緩々している月岡さんを想像するのは難しかった。
雰囲気の柔らかさは、直に感じる。だが、授業やお礼の生真面目さを見ていれば、規則正さが勝った。俺と月岡さんには、その程度の交流しかないものだから、余計に。
「想像できないなぁ」
「鷹宮君って私のこと何だと思ってるの? そんなにかっちりしてないのに」
「真面目っていいことだと思うけど?」
「勝手に幻滅されるのも面倒だよ? 期待とか。らしくないとか」
切迫しているほどではなかった。だが、心当たりがなければ出てくる悲嘆ではない。
月岡さんに幻滅することがあるだろうか。とても考えられなかった。ただ、ギャップという点で言えば、抱かれる可能性はあるかもしれない。
美人というのは平たいまとめだ。それでも、月岡さんは美少女と呼ぶに相応しい。色々な面を知っていくうちに、ギャップを感じることもあるはずだ。そこから漏れる愚痴であるのだろう。
だが、そのギャップがマイナスに振れるというにはピンとくるものがない。これは気にし続けていたが故の贔屓なのかもしれないけれど。
「あ、ごめんね。鷹宮君がそんなふうに思うって言ってるわけじゃないよ。困らせるつもりはないから……友だち、待ってるよね? これ以上、引き止めちゃダメだね」
引き止められている、という解釈はなかった。戻る意思が欠如していたくらいだ。月岡さんと会話していれば、明莉から離れる便宜になる。
とはいえ、通路の一角で雑談し続けているわけにはいかない。このまま明莉を放置していれば、面倒くさいどころの話でなくなる。相手が月岡さんだなんてバレようものなら、自分の首が絞まるだろう。そんなリスクを背負うつもりはなかった。
「気にしなくて良いよ。俺が月岡さんを引っ張ったんだしね。ただ、そうだな。戻らないってわけにはいかないから」
「うん。本当にありがとうね。いざとなったら、って言うのは方便でも何でもいいけど、私はそのつもりがあるから、そのことは頭に止めておいて」
「分かったよ」
多分、俺がそれを真っ当に請け負うとは、月岡さんも思っていない。それでも、告げずにはいられなかったのだろう。ほぼ無意味にも等しいやり取りではあるが、踏んでおくことには意味がある。交流とは、こうしたものが積み上げられて深まっていくものだろう。
「それじゃ」
「あー!!!」
いざ別れようというタイミングで飛び込んできたはしゃいだ叫び声に、こちらまで叫び声を上げたくなった。辛うじて抑制できたが、頬は引きつる。月岡さんも目を真ん丸にしていた。
明莉はまったくもって意に介さずに、こちらに猛進してくる。月岡さんの瞳が俺へと向いたのは、友人かどうかということだろう。
「……ごめん」
叫びは一度だけだったが、その熱量のまま突っ込んでくるので、周囲の注目を受けていた。そして、月岡さんがいるお誂え向きの状態で、明莉がこのまま引く理由がまるきり思い浮かばない。
そこまでを含んでしまえば、口から出るのは謝罪しかなかった。
「積木さんと一緒だったんだね」
「引っ張り回されてるんだよ」
弁解がましくなるのは、注目の中心が自分の連れという居たたまれなさからだ。どうしてこうも過度な行動力なのだろうか。明莉の長所ではあるけれど、こういう場では勘弁して欲しかった。
「急にいなくならないでよ、翔大。美海ちゃんを見つけたからって、あたし放り出す?」
「トイレに行くって言って離れただろ。月岡さんとは偶然会っただけだよ」
失敗した。
月岡さんと話している間は、戻らない理由ができると思っていた。そうした思惑だけがあったわけではないが、月岡さんと話すことに難点はなかったのだ。見つかった場合の面倒くささの見通しが甘かった。早急に離れるほど冷酷でなくてよかっただろうが、談笑に興じている場合ではなかったらしい。月岡さんに迷惑をかけてしまう。
「本当?」
俺がそこまでバイタリティに溢れていないことなど分かっているだろうに。明莉は月岡さんに首を傾げた。
どういう思考で動いているのか分からない。こうなると、守勢に回るしかなく、つまり翻弄が確然とする。見つかったが最後だったのだ。
「本当だよ。声をかけられて困ってるところを助けてもらったの」
「翔大が?」
「うん。鷹宮君にはいつも助けてもらってるの」
「いつも……?」
明莉は俺と月岡さんの事故については知らない。はずだ。明莉のことだから、知っていれば絡んできているに決まっている。それがなかったということは、情報は伝わっていない。
「月岡さんが義理堅いだけだから、気にしなくていいよ。明莉、買い物の途中だろ。もう行こう」
引き際だった。不自然でもないだろう。そこに準拠して立ち去ろうとしたが、俺の持つ強引さなんてものは付け焼き刃にしか過ぎなかった。普段からそれを意のままに操る術者には、敵うはずもない。
「なんで? 美海ちゃんが迷惑じゃなきゃ一緒に行動してもよくない? あたしは目的果たせそうだから、それでいいし」
「……」
こいつ。
ともすると、月岡さんがモールにいるかもしれない可能性に賭けるなんて大博打を打っていたわけじゃあるまいな。いや、さすがにそこまで行き当たりばったりではないだろう。月岡さんと俺をどうにかするつもりだったことを思い出しただけに違いない。そうであると思いたかった。
どちらにしても、状況は悪い。
「でも、それ……積木さんは、大丈夫なの?」
「なんで? へっちゃらだよ。美海ちゃんだって声かけられる……ナンパ避けになるしよくない? 一緒に回ると迷惑かな?」
「ううん。日用品を買いに来たから、所帯じみた買い物になるけどいいかな? ファッションとかを見に来たんじゃないの?」
「大丈夫大丈夫。そんなのはついでだから。美海ちゃんとお近付きになれるなら、それが第一だよ」
「そうなの……?」
明莉の発言は、意味が通っていない。要らぬ邪推や予測を立てて、やっと隙間を埋めることができるくらいのものだ。
月岡さんにしてみれば、疑問だらけだろう。自分が優先順位の一番になっている理由すらも定かではあるまい。
「そうなの。美海ちゃんと仲良くなりたかったんだよね。翔大から話を聞いてたから」
瞬間、月岡さんの視線がこちらへ向いた。どんな話をしたのか。それを尋ねられているのは、考えるまでもなく回路が繋っていた。
「挨拶とかするようになったのを見られて、話すことがあったからって言っただけだ。明莉が大袈裟に言ってるだけだよ」
フリューの不得手さについて話したことは伏せた。隠しきれるものではないだろうが、勝手に話されるのも不快だろう。
軽く話してしまったことは、失態だ。申し訳なかった。罪悪感がちくちく刺激される。ここでさっと伏せた言い方をする自分の卑怯さもまた、後ろめたかった。
「そうそう。あたしも気になってきたから、美海ちゃんと近付けたらいいかなって? ダメかな?」
「積木さんがいいなら、私も仲良くしてくれると嬉しい。こっちには友だちがいないから」
「そっか! じゃあ、一緒に回ろう。行くよ、翔大」
いつもなら、ため息ひとつで従うところだ。妥協だとか辟易だとか。そういうものを表に出しても、明莉は気に留めない。だが、今日は嫌気を出すわけにはいかなかった。
俺の了承を窺う視線が横から突き刺さっている。月岡さんの問いかけを無視することはできないし、とてもじゃないが適当にしておけるものでもなかった。
「分かった。行こう、月岡さん」
「うん。よろしくね、積木さん」
俺の了承を得て、月岡さんは明莉に微笑みかける。それを受けた明莉は上機嫌で歩き始めた。女子二人の先導は、ごく自然だ。穏やかに進んでいく。
月岡さんがいるのは異質だが、明莉の後ろを歩くのはいつものことだ。俺は悠長に二人の後を追った。
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