第9話

 決定打で告げられて、遅ればせながら問いがかかっている場所に気がつく。明莉相手に後手を打つことがどれほど面倒なことか。そんなことは承知だが、会話を持ちかけられた時点でそうなのだから、あまりにも不利だった。

 何にしても面倒くさいという話だ。


「それがどうしたって?」

「あれ? 否定しないの?」


 どんな状態だろうと、相手するのには慣れている。やりようはいくらでもあった。開き直るほうが、明莉の失速を狙える。俺が慌てなかったがために、明莉は不満そうな顔になった。


「もうちょっと慌てふためいて照れるとかすると思ったのに」

「そういう意味で気にしているわけじゃないからな」


 あんな含み笑いで持ちかけてくる中身を察することは容易い。ましてや明莉だ。分かりやすかった。

 見透かした答えは、ますます明莉の機嫌を損ねたらしい。とはいえ、本気でないのも見透かせている。手心を加えてやるつもりはなかった。そんな態度を見せようものなら、抉り取られるのだから。


「じゃあ、何? 翔大が人を気にするなんて珍しいじゃん。美海みうちゃん、そんなにタイプ?」

「馴れ馴れしいな」


 ふっと零れた感想は、別段話題を逸らそうとしたわけではない。いつの間に名前呼びするほど距離を詰めたのか。純然たる疑問だ。

 明莉は知ったことではないとばかりに、会話を押し進めた。その首根っこを捕まえるほど、俺の気力はない。明莉相手の気苦労を抱え込むつもりはなかった。


「タイプなんじゃん」

「誰も何も答えてないだろ。勝手に決めつけるなって」

「だから、じゃあ何で? 翔大って基本的に他人に興味ないじゃん」


 そこまで非道なものになったつもりはないが、貧困な友人関係を思えばそう言われるのもやむを得ない。

 事故というハプニングがなければ、図書室後のような距離を保持していただろう。まさか俺が、月岡さんに困ったことがあったら、なんて申し出ているとは明莉は思いもしないはずだ。


「フリューに乗れないんだよ」

「え。美海ちゃん? 本当に海出身だったってこと?」


 月岡さんは隠していない。それで真実を知らないのだから、明莉の距離の詰め方は一方的なものだと理解した。このフレンドリーさはどこ由来なのだろうか。一緒に育ってきたようなもののはずだが、こうも変わってくるものであるらしい。生来の気質とは面白いものだ。


「そうだよ。だから、フリューに乗れなくて困ってるみたいで気になってるだけ」

「気になってはいるんじゃん」

「自分に都合の良いところだけ切り抜くな」

「大切なことをピックアップして何が悪いの?」


 言葉通りに悪びれない。いっそ感心してしまうが、そう思ったら負けなのだろう。


「明莉にとって、だろ。それを勝手って言ってるんだよ」

「でも、実際そうでしょ。気になっているんだから、あたしは露悪的には言ってないもん。大体、気になっているって言ってるだけで、具体的なことは言ってないのに、何をそんなに必死に否定することがあるわけ?」


 にまにま顔が復活してきていた。通じていたはずの共通認識をひっくり返されると、形勢が悪くなる。何故、勝負事のような会話をしなくてはならないのか。やはり声をかけられたところで、惨敗していたのかもしれない。


「気になっていることは認めたのにしつこいからだろ」

「動かないのかと思って」


 発言では動きを見せている。というのは、大言だろうし、明莉に伝えるつもりもなかった。

 勇んだ提案をさも当然というように言ってくる明莉に、胡乱な目をしてしまう。意味深な方向に傾いていることも含めて。しかし、こんな細微な抵抗では、明莉をセーブする力にはならなかった。


「だって、美海ちゃんはフリューに乗れないんでしょ?」


 そう言って右手の人差し指が立てられる。簡易で凹凸も何もあったもんではないが、それは月岡さんのつもりなのだろう。


「それで」


 そう言いながら、左手の人差し指が立てられた。この時点で、その指が何なのか。どうするつもりなのか。予期できていたが、明莉は妥協などしてくれなかった。


「翔大はフリューが得意でしょ?」


 左右の一本ずつをちょんとぶつける。いかにも、な手つきだ。速やかに離されたのは不幸中の幸いだっただろう。

 ……何の、と言われるとちょっと困る。


「ちょうどいいんだし、教えてあげるなりしてあげなよ」

「図々しいだろ」

「気になってしょうがないんでしょ? 放っておくこともできないなら、いっそ手伝ったほうが気も楽じゃん。美海ちゃんだって、乗ることができるようになれば嬉しいだろうし。ていうか、乗れないと試験も困るでしょ」


 俺を唆す主旨のほうが強いにもかかわらず、一理はあった。

 確かに、今のまま無策な練習を繰り返していて、月岡さんの上達が見込める気がしない。シーボードには乗れていたと言っていたのだから、そのうちに慣れるだろうと思っていた。しかし、月岡さんはなかなか慣れない。


「いいじゃん、手を貸してあげれば」


 俺が一理を感じているのを察せられているのか。うりうりと肘打ちをしてくる。痛みはないが、邪魔くさい。手を振って距離を取った。

 まるで俺がフリューに一家言がある言いざまだが、この距離を維持して会話してくる明莉だって相当だ。手を貸す云々だけに留めれば、明莉が手を挙げたっていい。

 俺が気にしている、という事実に基づいているのだから、そんな理論で落とせる気はしなかったが。


「不都合ある? 翔大、乗るの好きだし、いいじゃん」


 何をそんなにこだわっているのか。文句のひとつも零れそうになったが、明莉は楽しそうにしていて止まりそうにない。

 これはグッドアイデアを思いついたときのそれだ。俺が気になっているだなんだという部分は、今や放り出している。くっつけようという気があるのかないのかはさておき、とにかく第一段階を実行しようと貪欲になっている顔だった。

 はぁと吐息が零れる。明莉は否定だと思ったのか。むぅと唇を尖らせた。分かりやすいのはいいが、こうして不服を訴えるほどに固着しているのはいただけない。逃してもらえる気がしなかった。


「美海ちゃんが事故ってもいいわけ?」


 明莉にしてみれば、将来の危惧を告げているつもりだろう。しかし、俺にしては身近で直近の危機感だ。切実によくないと即答できる。口にするかは別にして、心は決まっていた。

 そして、こういうときに限って明莉は人の心を看破する。いや、単に勢いで都合良く突っ切っているだけなのかもしれないが。


「嫌でしょ? だから、翔大が手伝ってやればいいわけ」

「教えるなら俺でなくてもいいだろ。事情を知ったんだから、明莉が手を貸せばいい」

「又聞きで構うとか怖くない?」


 変なところで冷静さがある。それが著しく厄介で面倒くさくて、たちが悪い。この冷静さを、俺をいいようにすること以外に使う気がないことが何よりも。次の一手は考えるまでもなかった。


「だから、全部ちゃんと本人から聞いてて心配してる翔大が助けるのが不自然じゃないでしょ? フリューのことなら、大丈夫だろうし」


 運転の腕を買われているのはいい。俺だって、そこに不安は持っていない。空島の住人としての自負はあった。

 だから、それはいいのだが、だからって月岡さんを助けることを前提に話されても困る。明莉の中では既成事実になっているようだが、俺は一度だって了承した覚えはない。


「問題ないでしょ?」

「……あるって言ってもないことになるんだろ」


 実際、問題があるとは言えるものではなかった。気持ちの問題だ。逆に言えば、動く理由もないのだから、気になるというだけの話でしかない。

 そして、明莉がそういう消極的な情を加味してくれるはずもなかった。こうなった明莉の手綱を引いたところで、引きちぎられるのがオチだ。

 これを少々でも何でも宥められるのは、戸尾くらいなものだろう。幼なじみですら手こずることをやってのける戸尾には尊敬しかなかった。明莉相手にそこまでできる胆力はただ者ではない。


「じゃあ、そのために準備しなくちゃね」

「は?」


 もう観念していた。だから、このまま月岡さんの元へ引きずり出されても仕方がないと思っていたくらいだ。だというのに、素っ頓狂な案が出てきて、間が抜けた。ぽかんとする俺に、明莉は口の端を吊り上げて笑う。


「明日の土曜、時間あるんだよね? 薫はいないけど、出かけるからね」

「いや、ちょっと待て」


 何の説明もないのはいつものことだ。とはいえ、今回ばかりは匙を投げるわけにはいかない。いや、いつだって勘弁だったが、今回は月岡さんに被害が拡大する。しかし、今更明莉が止まるわけもない。


「大丈夫大丈夫。約束だからね」

「話を聞けよ」

「聞いても仕方がないって返事したじゃん」

「だからいいって論理で動くのはやめろ」

「おかしなことはしないし、美海ちゃんを助けるために必要なことだから。大丈夫大丈夫。アピールできるようにしてあげるから」

「それ、意味戻ってるだろ!?」


 気にしている。意味深ではないものとして、フリューの件であるとスライドさせられたはずだ。明莉自身がちゃぶ台もひっくり返した。

 それだと言うのに、ちゃっかり元の意味合いに戻されている。主旨替えをしているとさえ思っていないだろう。この威勢で意味合いをころころ転がしてくるので、厄介極まりない。


「だって、お手伝いってそういうことでしょ。じゃ、アピールのための明日寮島の空船場に十時に待ち合わせだからね。遅れてきちゃダメだよ? 買い物だからお財布忘れないようにしてね。それじゃ、ばいばい」


 言い捨てた明莉は、返事も聞かずにフリューのスピードを急加速させた。これは愚直に突撃しているわけではなく、逃げている。

 この野郎、という感情が高まったが、どうしようもない。連絡を入れたところで、スルーされること請負だ。こうなった明莉は俺の言葉を聞き入れやしない。決め打たれたことに付き合わないほうが、迷惑を被る。行かなければ、寮に侵攻してきて引っ張り出されるに違いないのだ。

 はぁーっと深いため息が零れ落ちる。どうか月岡さんに悪影響が届きませんように。俺に願えることはそれしかなかった。

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