第4話
寮とは言っているが、マンションの一室だ。
消灯時間が決まっているわけでもない。門限も厳密に決められてはいないが、モール島の遊興施設は午後九時以降に閉店している。これはイベント事によって変動し、羽目を外せる日もあるらしいが、基本的には施設の閉館を門限のように定めていた。
生徒寮島のコンビニは、二十三時に閉店する。ただし、深夜に誰も歩いていないのかと言われると怪しい。公園で逢い引きしている生徒がいるし、自販機に買い物に出ている生徒だっている。部屋での過ごし方は完全に自由なので、夜ふかし勢は色々と謳歌しているようだった。
その日、外に出たのは偶然だ、喉が渇いてふらっとマンション下の自販機へと向かった。気まぐれは気まぐれに、戸尾と巡り会わせる。
「やぁ、鷹宮」
「おう。今、帰りか?」
「うん。明莉を送ってきたとこだよ」
「目いっぱい付き合わされてんな」
「好きで一緒にいるからいいんだよ」
照れなんてものはないらしい。こうも臆面もなく言われてしまうと、こちらは苦笑するしかなかった。
「それは何より」
「そういえば、今度は鷹宮と一緒に遊びに行くって言ってたけど?」
「約束させられたからな。戸尾さえよければ」
「明莉が決めちゃったならどうしようもないね」
好きで一緒にいる戸尾でも、明莉の強引さは沁みているらしい。面倒な部分に目を瞑っているわけでもないようだ。
まぁ、そういうものか。俺だって、明莉のことは幼なじみとして好いているが、面倒さも重々承知している。
「日程の候補はそっちに任せるから」
「OK。明莉と話して決めるよ」
「ああ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
戸尾と仲良しとは言い難い。と思っていたが、今日月岡さん相手にへっぽこなコミュニケーションを取った身としては、戸尾とは会話できるほうだと気がつかされた。
明莉を介したものでしかないと言えばそれまでだが。というか、内容も明莉を介している。事実に気がついて、がっくりと肩が落ちた。
友人を作ることだけがすべてではない。ただ、その関係を幼なじみに牽引されているのは、情けないことこの上なかった。それくらいは、自分で面倒を見るべきだろう。
かといって、突然何をすればいいのか思いつくわけでもなかった。仲を深めたいと思っている人がいるわけでもない。月岡さんのことを思い出しこそいたが、それと仲を深めたい相手が結びついてはいなかった。
特殊な意味合いで遠ざけようとしているわけでもない。だが、同じ理由で仲良くしたいと願うほどに、何かがあるわけでもなかった。所詮は一時の遭遇でしかなく、平坦な日々のちょっとした波でしかない。俺はそのわずかなものに飛びつくような野心がなかった。
戸尾と別れてから、飲み物を買って部屋へと戻る。フリューがあるからといって、ベランダに乗り付けるような住環境ではない。建物内で乗り回すものでもないので、マンションにはエレベーターがついている。
それに乗り込んだところで、スマホが鳴った。取り出すと、明莉からの着信だ。このあまりにも早い連絡は、戸尾と打ち合わせたものか。それとも、明莉個人の用事か。
それにしたって、戸尾と別れたばかりだろうに気忙しいものだ。
「もしもし」
『薫と話したって?』
「話が早い」
『薫に言ってよ』
それはそうだ。しかし、連絡が来てからの明莉の行動力も素早い。
「それで? 戸尾と話はついたのか?」
『来週か再来週の日曜日はどうかなって。ひとまず、候補』
「俺はどっちも予定はない」
『じゃあ、薫の部活次第かな。また決まったらあたしから連絡するからね。予定入れちゃダメだよ』
「俺にそんなものが転がり込んでくる予定はない」
我が事ながら、物悲しい言い分だ。しかし、現実問題として、明莉以外に誘われることはない。そして、約束するような友人がいたとして、先約を反故にするつもりはなかった。
『もうちょっと友だち作れば?』
「お前、それは言うことかよ」
『今更?』
多分、とぼけた顔で首を傾げながら言っているのだろう。その想像ができるほどには、お互いの感触は分かっていて、今更はまさしく今更だ。
「今更だからこそ、言わなくてもいいことは言わなくてもいい」
『あたしという大親友がいるもんね』
「自分の価値を勝手に大層なものにするな」
否定するほどではないかもしれない。幼なじみとして今日まで仲良くしているのだ。心も許している。大親友と言っても過言ではない。いまいちピンとこないのは、比較対象がいないからだろう。
……これこそ虚しくて口にしなくてもいいことだ。
『ひどくない!? あたしと翔大の仲じゃん。つれない』
「お前には戸尾がいるだろ」
俺がつれる必要はない。戸尾が相手してくれるのは、違えようのない事実だ。俺よりも明莉のことを大切にしているだろう。好きだと公言するのだから。
『そりゃ、薫はいるしそれでいいけど、翔大は翔大でしょ』
「はいはい。来週か再来週な」
『こら、話を畳もうとするな』
唇を尖らせて怒りを露わにしているのだろう。想像に容易いのは、俺の慣れというよりも明莉が分かりやすいだけのような気がしてきた。
「分が悪い」
『納得しているならよし。それを伝えるようにしてよ』
「分かったよ。大親友様。遊びに誘ってくださってありがとうございます」
『うむ。よろしい。じゃ、そういうことで』
「はいはい。切るぞ」
『はーい。おやすみ~』
おやすみ、と答えようとする前に、ぶちりと切れた。俺がやったら無礼だが、明莉がやると意気揚々とやってしまっただけなのだろうと分かる。
愛嬌。というのは、付き合いの長さから腑に落ちない。それでも、そうした面があることは否定できそうにもなかった。それ一本で世を渡っている。そこまで言うつもりはないが、愛嬌がかなりの面を占めているのは間違いない。
戸尾と仲良くなったのも、そうした面を見せる機会が多くあったからだ。俺は二人の詳細を知っているわけではないが、それでも距離が近くなっていく過程を観測し続けている。観測ほどオーバーでないにしても、明莉はそばにいる友人だった。その人の動きは、知らず識らずのうちに分かるものだ。
だから、戸尾と仲良くなくとも、明莉を介しての交流もそれなりにできている。
これは明莉が、俺を戸尾と一緒にしたがることもあるだろう。友人を引き合わせたい感覚なのか。仲が良い人が仲良くしてくれているのが嬉しいのか。その気持ちは分からんでもない。人付き合いがよくない俺ですら分かる感覚なのだから、人好きする明莉には強くある感情なのだろう。
それに巻き込まれて、俺と戸尾はそれとない距離感で交流していた。他の人よりは、距離が近い。こうしてすぐに明莉に報告されることに、違和感も抱かないほどには普通だ。これは、明莉なら仕方がないという点もあるだろうけど。
けど、戸尾だって報告を明莉にしかやらないと確信を持っている。それくらいの信頼度はあった。
そんなことを考えながら、廊下を進んで部屋に戻る。防音対策も施工されているが、だからってどんな音を立ててもいいわけもない。遅い時間に廊下を移動するのには、一応気を遣っていた。
部屋に戻ってから、ベッドに腰を下ろす。
ワンルームの部屋はベッドと勉強机。小さなローテーブルとテレビ。クローゼットが設えられている。他は任意だ。キッチンにも冷蔵庫と電子レンジ、炊飯器までの用意はされていた。エアコンも備え付けられているので、寮生活は最初から快適だ。
もちろん、備品は個人で用意しなければならないし、生活をよくしようと思えばそれなりにかかる。
とはいえ、俺の部屋はほぼ入居時のままだ。食器や調理器具類はいくつか買い揃えたが、それでも最低限でしかない。
後は、実家から持ってきた三段の本棚だ。学習机の上にも本棚がついているので、教科書だけならそれで事足りる。それにプラスして本棚を持ち込んだのは、同時に中身となる本も持ち込んだからだ。
他は、空き室くらいにものがない。これと言って困ったこともないので、そのままにしてある。これから生活していけば、色々と欲しくなってくるんだろう。
今は電気ケトルが欲しいくらいだ。麦茶を作ろうとするくらいの生活力はあったが、やかんを買うという発想が抜けていた。実家にはケトルがあったので、すっぽり抜け落ちていたのだ。結局、その麦茶は水出しだったので、問題なく飲めているが。
小さな手落ちは生活している間に見つかってくるものらしい。少しずつ環境を整えていくことにしてある。
明莉も同じようにちまちまと買い足しをしているのか。時々、買い物に付き合わされていた。
ショッピングモールでも、まだまだ生活用品を買い求める新入生の姿を見る。入学して一ヶ月にも満たない。寮に入ったのは入学式より一週間早かったものだから、部屋を整えるにはもう少し時間があっただろうが。何にせよ、本格的な生活が始まってから足りないもの。生活を楽にするものを買い求める一年生は多かった。
中にはゲーム機をひっさげているものもいるが、それはそれだ。たがが外れる生徒がいるのも、当然の運びだった。
島という環境は、ある種隔離されている。親元を離れる、が冗談でも何でもなく切り離される。一人暮らしの部屋に親が襲来してくる、なんてイベントが起こりえないのだ。
学園島は学園敷地内なので、入島するのに手続きがいる。そんなものだから、生徒たちだけの生活空間ができあがっていた。
教師も寮に住んでいるが、寮島が生徒と教師では別れている。こっちは生徒指導として巡回もしているので、完全に切り離されてはいない。それでも、部屋までチェックされることはないので、騒ぎを起こさなければ自由が約束されている。教師だって、そこまで束縛する気はなさそうだった。
上級生を見ていれば、その自由さは感じ取ってあまりある。うちの学園はかなり自由な校風だ。
他の学園島はもっと規則が厳しいところも多い。説明会に行った高校は、セキュリティがしっかりしている分、寮の入退室についても厳粛に管理されていた。
セキュリティが高いのはいいことだが、正直に言えばそれは学園島全体のセキュリティが完備されていれば、気にすることはない。
そもそも、島のセキュリティは高いものだった。外から入ろうとすれば、空を駆けて来るしかないのだ。どうしても見咎められる。公共交通機関を使えば、チェックが漏れることもない。
こうした環境下を、生徒を監禁しているというような言いざまをするものはいる。こういうケチをつけるのはどこにでもいるものだ。
だが、現地の生徒たちはこの整った環境に順応している。安全で自由。学校生活で問題さえ起こさなければ、これほど過ごしやすい島もない。
居住区だけの島に住んでいると、買い物のたびに空船を利用して別の島に渡らなければならないこともザラにあるのだ。橋で結ばれた島移動ですべてのことが叶うのだから、居心地が良くなくてなんというのか。
生徒たちは思い思いの趣味に遊びに、部活に勉強にバイトに、とやりたいことに邁進しながら充足した日々を送っている。活力が漲っていた。
先輩方がそんな調子であるから、一年生も生き生きしてくるものらしい。明莉など、早速その枠組みに飛び込んで、島の中をあちこち飛び回っているようだった。
その中で俺がやっていることと言えば、フリューでの散歩くらいのものだ。ささやかだろう。学園島じゃなくても、どこでもできることだ。けれど、俺にとってはこれが心地良く環境の一部に組み込まれた過ごし方だった。
そうして、明莉に振り回されながら漫然とやっていく。そんなものだろう、とこのときは確かに思っていた
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