ep.07 予期せぬ遭遇
服を詰めてもらった紙袋を右手に持って俺は店を出る。紙袋を上下に揺さぶって、都合1万3519円分の重みを確かめた。
軽い、実に軽い。虚しくなるくらい軽い。
「紙袋の軽さと、財布が失った重さが釣り合ってない気がする」
「むしろ小銭が増えて財布が重くなったんじゃないですか?」
先に店を出ていた浅草がイタズラっぽく言った。そういう話じゃねーよ。分かってて言ってるだろ。
はぁ、と一つ溜息を吐く。
「こんなんで、誰かに好かれるようになるのか?」
「少なくとも何もしないよりはマシになるはずです。恋人にするなら、今の先輩はなしよりのなしだし」
「そこまでかぁ?」
「そこまでですよ」
淡々と浅草は断言する。確かに誰も恋人に出来なかったが、そこまでじゃないとは思っていた。いや、たった1人に好かれるためにめちゃくちゃ努力してきた浅草が言うってことは確かなんだろう。成果はなくても経験がコイツの意見を証明してる。努力してなければ、人に好かれる資格すらないのだ。
「厳しい世界だな」
「何を今更なことを言ってるんですか」
いやはや、全くもってその通りだ。どうやら俺は、とんでもない甘ちゃんだったらしい。
ただ、この認識はこれから改めるとして、とりあえず目下の問題に目を向ける必要があるだろう。
すなわち、デート。いきなり服屋に連れ込まれてお説教を食らったが、今はデートの時間である。
楽しいっ、楽しいっっ、デートの時間である!! 忘れてない、忘れてないぞッ。努めて胸の奥底から湧き上がる興奮を抑え、俺は浅草に問う。
「で、これからどうするんだ?」
「うーん、先輩のせいで結構予定狂っちゃったからなぁ」
「昼には良い時間だから飯でも食うか」
「ですね。そうだ、駅地下に美味しい洋食屋さんがあるから行きません? 先輩の奢りで!」
「もう俺の財布はすっからかんだっての」
「1食分くらいは残ってるよね? デザートはつけないで置いてあげるから☆」
ウインクと共にそんなことを言ってくる。悪魔か、コイツ。
だが、コイツには服を選んでもらった恩もあるしな。ここは俺が一肌脱いでやろう。
「あんまり高いのは頼まないでくれよ?」
「ふふん、しょうがないですね。それくらいは配慮して上げます。あー、なんて良い彼女なんだろー」
「はいはい」
そういう恩着せがましいというか自分勝手なところがなければ、ただ単に人懐っこくて生意気なところが可愛らしい系後輩なのにな……いや、それはないか。ただただ小憎たらしいギャルだ、コイツは。
はぁ、と1つ溜息。ただ1点を除けば、コイツの良いところはとことんねぇな。契約彼女としてきちんとそれっぽい振る舞いをしてくれればそれで良いけど。
「おーい、先輩。何ぼーっとしてるんですか、こっちこっち」
いつの間にか先に進んでいた浅草が、大きく手を振って俺を呼ぶ。そうそう、こういう恋人っぽいことが出来れば良いんだよ。
待たせると面倒くさそうなので、俺はアイツの傍まで駆け寄った。
それから言う。
「そんなに急がなくても良いだろ。もしかして、めちゃくちゃ腹減ってるのか?」
「ち が い ま すぅーっ! 急がないと混んじゃうじゃないですか! アタシ、あんまり待ちたくないので!! アタシを食いしん坊キャラにしないでください!!」
「腹は誰でも減るぞ。何言ってんだ」
「指摘されると、なんかそんな感じするじゃないですか」
そういうもんか? 女の子の感性はほんとに分からん。
その後も、ぴーちくぱーちく囀る浅草を適当にあしらいながら、洋食店へと向かう。
「先輩は、もう少しデリカシーってヤツを覚えた方が良いですよ! どうしてこうも無神経なんですかねっ?」
「別に無神経なつもりはないんだが……というかお前が気にしすぎなんじゃないのか?」
「先輩が気にしなさすぎ何ですっ。だいたい、今日の服だって――って、何をニヤニヤしてるんですかっ」
「いや、こういうやりとり恋人っぽくて楽しいと思ったんだよ」
「きも」
「きもとか言うな」
もう少し躊躇いを持てっての。
「先輩さぁ、恋人欲しい欲を隠した方が良いですって」
「だが、欲しいもんは欲しいと言わないと、出来るもんも出来ないだろ」
「だとしてもですねぇ、女の子的には――」
「――あれ、
聞き覚えのない男の声がすると、威勢の良かった浅草が途端に凍り付いた。
未来……? って、あぁ、浅草の名前か。誰かと思った。
声のした方に目を見やると、そこには殴り飛ばしたくなるような軟派な顔がある。
大徳。大徳祐介。俺にとって不倶戴天の敵で、浅草が見返したいと熱意を燃やすお兄ちゃん。ソイツが俺と浅草を見て、目を丸くしていた。
ったく、なんだよ。こっちは上機嫌だって言うのに、水を差すようなことしやがって。
そして一番ムカつくのは、隣に俺が98番目に——つまり今の2年生の中で一番最初に告白した——
しかも手を繋いで。手を繋いでッ!
薬師は全体的にほっそりとしたシルエットで、黒髪ロングと優し気な目つきが何処ぞの令嬢を彷彿とさせる目鼻立ちをしている女の子だ。履いている若草色のロングスカートと白のカットソーという清楚な服装も相まって、余計に令嬢イメージが補強されていた。1年生の頃は図書委員をやっていて図書室でよく見かけたが、今はどうなんだ? 新年度になったばかりだからよく分からん。委員をやる傍ら、いつも文庫本を読んでいたのが印象的だった。
そんな薬師は大徳が名前を呼んだ浅草を不思議そうな顔で見つめると、
「知り合い?」
「ほら、いつも僕が話してる幼馴染」
「あーっ、あの子っ。すっごくカワイイって言ってた子だよね?」
薬師は顔を華やがせた。ちくしょう、滅茶苦茶可愛いな。なんだその柔らかくも、喜び一杯の微笑みは。アニメだったら暖色系のほんわか背景で、花が咲いてる演出が出てるぞ。
彼女は惚けたように浅草を見つめると、「わぁ、ほんとにカワイイ。すごい、モデルさんみたい」なんて感嘆の声を上げる。
けれどもすぐに自分の無礼に気が付いたのか、結んでいた手を解き、姿勢を正して頭を下げた。
「初めまして。薬師優と言います。大徳君の彼女をやらせてもらってます」
まるで釘を差すような言葉に、心の中で(うっわ)と呟く。いや、薬師には釘を差すような意図はないんだろうけどさぁ、今の浅草にとっちゃ胸が痛くなる言葉だ。
大丈夫か? 落ち着かない気持ちになりながら、目線だけで隣に立つ浅草を見る。
「ハジメマシテヤクシセンパイヨロシクオネガイシマス」
……駄目だこりゃ。大好きなお兄ちゃんの彼女を予想もしない形で目の前にした衝撃で駄目になってやがる。
「大丈夫?」
「ダイジョウブデス」
「大丈夫には見えないけど……ほんとに大丈夫?」
「ダイジョウブデス」
壊れたおしゃべり人形みたいに同じ言葉を繰り返すだけの浅草に、薬師は「あはは……」と困ったように笑うしかない。浅草とコミュニケーションを諦めた薬師は、視線をこちらにスライドする。
目が合う。相変わらず綺麗な瞳だ。色素の薄い虹彩と艶を放つ潤んだ光沢に、今でも見惚れてしまう。
彼女は綺麗な所作で頭を浅く下げた。
「こんにちは、清水先輩」
「よっす」
相も変わらず振る舞いが丁寧だ。当然っちゃ当然なんだが、告白した相手の俺に対する態度はおざなりだからなぁ……なんだかんだ仲良くはしてくれてるけど。だから、薬師のようなタイプは極めて珍しい。
「清水先輩はどうして浅草さんと?」
「えっと、あー……」
さて、どうしたものか。ここでデートというのは簡単だが、契約相手の浅草がどう判断するかが俺には読めない。これがただのクラスメイトとかだったら噂を広げるために堂々と肯定するのが吉だ。けれども相手は、浅草が見返したい大徳とその彼女である薬師だ。果たして浅草の判断なしに認めてしまった良いものか……。
俺が返答に困っていると、薬師は何やら一人合点したらしい。両掌をパチンと合わせると、ニコニコ笑顔でこう言った。
「そういえば、清水先輩は浅草さんとお付き合いしてるんでしたっけ? 噂で耳にしました」
「え、あー、うん、まぁ」
「じゃあ、今日はお2人でデートなんですね」
「あー、ソウダナ」
俺が言いあぐねている間に、浅草がばら撒いた噂を知っていた薬師は一人で結論に至ってしまった。あーあ、状況が動いちまったけどどうすんだこれ。
仕方がないと、俺が場を濁す言葉を口にしようとすると、突然浅草に左腕に縋りつくように抱きつかれた。そして、裏返った声で叫ぶように言う。
「そ、そうですけどっ?! デートですけどっ?!!」
話がワンテンポ遅い。混乱しすぎて馬鹿になってやがる。不自然な浅草の返答に、薬師も困惑した顔で首を傾げていた。
しかし、すっかり周りが見えなくなっている浅草はこうまくし立てる。
「お兄ちゃんと薬師先輩もデートですかそうですか楽しそうで良いですねええほんとに別に私も先輩とデートしてるから嫉妬とかないですけどそれにしたってえぇ仲睦まじそうで何よりですほんとにほんとに嘘なんかついてませんけどえぇ良かったですねぇほんと――」
隠せてない……妬み嫉みが隠せてない。大丈夫かこの先。というか、流石に動揺しすぎだろ。そろそろいつものお前に戻ってくれ。
けれども、俺の切なる願いは届くことなく、浅草は小声で呪詛を吐き続ける。
「――大体どうしてアタシと同じ場所をセレクトするかなぁいや確かにデートするんだったらここが一番だけど同じ日とかあるこれはあてつけだよあてつけアタシに対するあてつけ以外ありえないしえなにこっちが喧嘩売る前に喧嘩売らないで欲しいというかというかそっちがその気ならこっちにも考えがあるというか――」
あぁ、いかん。こりゃ止まらねえヤツだな。薬師の表情も困惑を通り越して、愛想笑いになってしまっている。
そろそろ潮時か。止めないと何が飛び出すことやら。面倒なことになる前に黙らせよう。そんな風に考えていた頃だった。
浅草の腕を掴む力が強くなる。不味いと思った時にはもう遅かった。力を込めるだなんて、それは何かを意気込む時しかないだろう?
浅草は、好きになった人が自分じゃない誰かとデートしてる様を見た錯乱しきった恋する乙女はとんでもないことを言い放つ。
「――Wデート、Wデートしましょう! 来週の、土曜日に!」
想像を超えた提案。斜め上を行く意見。錯誤に錯誤を重ねた思考回路が吐き出した放言に、俺と薬師は顔を合わせてこう言うしかなかった。
「「はい?」」
「はい!」
いや、「はい」じゃないが。
しかし、苦言を呈する隙もなく、浅草は俺の腕をさらに強く抱きしめると真後ろに――つまり薬師と大徳が居る方向とは逆方向に、俺を半ば引き摺るような形で歩き出す。
「そういうことなんでっ、あとはお兄ちゃんに連絡するのでよろしくお願いします! それじゃ!!」
「う、うん、それじゃ……?」
「ちょ、待て、浅草――!」
俺は抗議の声を上げようとするが、しかし浅草は聞く耳を持たず、ただひたすらにこの場を立ち去ることしか頭にないようだった。
いや、どーすんだよ、ほんとに。大徳を見返したいなら、Wデートなんて勢いで言って良いものじゃない。俺と浅草の恋人っぷりを見せつける絶好のイベントなのに、まだ俺達の距離は遠すぎるんだから手札を無駄にするだろうが。
それに、あっちを巻き込むなら、事前の根回しというのも必要なんじゃないのか。薬師も滅茶苦茶戸惑ってたし、大徳は……大徳は、どうなんだ? 薬師のことばかり見てて、そういえば隣の男のことなんて気にも留めていなかった。だがまぁ、どうでも良いか。幼馴染なら浅草の暴走にも覚えがあるだろうし、こういうのもありふれた日常だろう。
だから俺の思考は、自然とWデートについて再び考え始める。
どうやら来週は、薬師と大徳と一緒にWデートをすることになるらしい。我の強い浅草のことだ。一度言い出したことは撤回しないだろう。Wデートの予定は確定だ。
Wデート、Wデートか……妄想はしたことはあるが、やるとは思わなかった。しかも、こんな破れかぶれな形で。
浅草に引きずられながら、俺は遠い目をする。
いや、ほんとどーなるんだよ。
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