第11話

 四季であらば秋に該当するにも関わらず、今なおセミが我が夏を謳歌する時分。

 グランドアイ店内は、平日という事情を考慮しても普段より客足は疎らであった。

 原因は央間町民であれば明白。観光目的に足を運んだ人もニュースの一つにでも目を通せば、巡り合わせの悪さに歯噛みしているだろう。

 ショッピングモール吐血事件。

 店を訪れた客と店員合わせて約七割が原因不明の腹痛を訴え、吐血する異常事態に対してメディアがつけた名前である。

 被害者に女性か子供といった共通点しか存在せず、老人や男性に不調を訴える者はいないという状況にマスコミは雨後の筍の如くに群がり、陰謀論やゴシップを好むネット界隈も俄かに活気づいた。

 口々に勝手な詮索を繰り返す彼らに毒づく地元住民も珍しくない。が、ショッピングモール自体が原因究明のために一時封鎖とあっては何か不気味なものを感じざるを得ない。

 自然と不要な外出が控えられ、グランドアイは二次被害的な営業不振へと陥っていたのだ。

 故に、今店内でテーブルに座している客は二人。


「……」

「……」


 向かい合う形で座る男女は、互いに無言で飲料を口に含む。

 男性は飾り気のないシンプルな加糖コーヒー、バツの悪そうに視線を逸らす少女は大きな抹茶フラペチーノ。

 秒針が時を刻む音だけが静寂に華を添える。デートと形容するには重苦しい雰囲気は、ともすれば別れ話を切り出す切欠を求めているようにも思えた。


「……どうして」


 先に切り出したのは男性。

 穏やかな口調でこそあるものの、モノクル越しの瞳はただただ感情を削ぎ落した無が広がっている。


「どうして、わざわざ接近したのですか。あの威力であらば、危険を侵さずとも目標を無力化できたでしょうに」

「そ、それは……」


 男の詰問に対して言い淀みつつも口を開いた少女は、直視に耐えかねたように視線を逸らしてロングスカートを掴む。


「あ、あそこからじゃ……服屋が、はなと行ったお店が吹き飛んじゃう……から」

「そんなことのためにあんな危険を? どうせどこが吹き飛ぼうとも長期的な営業停止は免れませんし、その間に吹き飛んだ店も再度入るでしょう」


 仮に吐血事件を大きく取り上げないにしても、単純に店の一角が壁ごと蒸発したとあっては保修するまでの間は営業停止にするしかない。

 眼前の少女が危険を侵そうが安全に事を運ぼうが、結末は不変だったのだ。


「あの危険に意味はなかった。あそこでシホウに取りつくリスクを侵す必要はなく、ならば安全に距離を取った状態で決着を図ればいい。違いますか?」

「そ、それに……」

「違いますか?」


 淡々とした口調は暗に少女が誤っていると叱責し、凡そ感情の抜け落ちた眼光が糾弾を繰り返す。

 踏み抜かれた初雪の如き肌の額から、冷房の効いた店内では不自然な汗が滴ってテーブルへと落下する。

 彼女からすれば、男性からここまでの叱責を受けたことそのものが初めての経験であった。今まで優しく接してくれた存在の豹変は、自身の行いがそこまで悪いことであったかのような印象を与え、自然と口を謝罪の形へと変化させる。


「ご、ごめんな──」

「ちょっと待って下さい」


 紡がれかけた言葉を遮ったのは、テーブルの横に立っていた女性。

 ウェーブのかかった甘栗色の髪を揺らし、スウェットシャツの上からカジュアルな上着を羽織った女性。赤縁眼鏡の奥では、少女への詰問を繰り返す男性を攻め立てる烈火の炎が揺らいでいた。

 男性は声の方角へ振り返ると瞬きを一つ、先程までとは異なる穏やかな表情を張りつける。


「おやおや、鷹見たかみさん。体調は大丈夫でしょうか?」

「話を逸らさないで」

「逸らすとは? 今来たばかりの貴女には、逸らす話もないでしょうに」


 道化たように肩を竦める楯無たてなし

 事実として、二人の間で繰り広げられた話題に対して鷹見は無関係に等しい。

 ただ、等しいだけで完全な無関係ともまた異なる。


幸子さちこさ……幸子は悪くない」

「悪くない? あのですね、僕らと貴女では見えているものが違う。それとも、何故吐血事件が発生したのかに心当たりでもあるとでも?」


 嘆息交じりの言葉には、楯無自身が抱く諦観が含まれている。

 モノクル越しの瞳もまた、何も知らぬ鷹見への蔑視が内包されていた。ともすれば依頼人へ向けたものとは思えぬ態度に、しかして女性はレンズの奥で燃える確かな炎を翻さない。

 騒動の直後、友人たる少女を追って泥濘を纏うかのように重い身体を引き摺り、吹き抜けまで向かった彼女は見たのだ。

 四肢を異形に変えつつも、骸を無数に足し合わせた化物と対峙する友人の姿を。

 射線の先にナニカを見つけ、即座の砲撃を取り止めてリスクの高い選択を選んだ幸子を。

 何故か口にしない、向けられた砲口の先にいるナニカの正体を。

 転落防止の柵に寄りかかる形で、少女の奮戦と共に。


「幸子の腕の先には、蹲ってる子供が二人いました。女の子と男の子が」


 ショッピングモール全体に呪いが蔓延し、混乱の極に達したことで親と逸れたのか。

 床に倒れて動きを止めていた女の子と、彼女を気遣うように肩をさすりつつ口から血を流す男の子。

 どちらが年上なのかも判別がつかない距離ではある。が、それでも天井を貫く破壊の奔流を無遠慮に放てば、二人がどのような運命を辿るかなど自明の理。

 故に幸子は危険を侵して接近し、極力被害を及ぼさない天井へと砲口を伸ばしたのだ。


「子供が……二人……?」


 鷹見の言葉が予想外だったのか、楯無も俄かに表情を歪める。


はな……」


 一方で幸子は普段の快活さが鳴りを潜め、潤んだ瞳を鷹見へ注いだ。

 肌に浮かぶ無数の傷痕との相乗効果が、彼女に幸多からんと庇護欲を掻き立てる。


「それは、本当ですか」

「……」


 楯無が震えた声で問いかけた返事は、無言の首肯。

 ややあって幸子は、内心を吐露した。


「だって、怖かったから……」


 それは近づいた理由、ではない。

 それは本当の理由を口にすることなく、頭を下げかけた理由。

 眼前で放たれる無言の圧力が幸子から答弁という選択肢を奪い去り、謝罪へと意識を傾けさせたのだ。

 尤も肝心の楯無としては素直に首肯し難い主張に、首を傾げて反論する。


「で、でしたら、何故最初は服屋を壊したくなかったなんて理由を……始めから兄妹がいたから躊躇ったと言えばよかったでしょうに」


 どことなく狼狽えた様子の口調に、思わず視線を逸らしたのは幸子。


「つ、つい……先に出たのが、そっちで……」


 少女の呟いた答えに脱力したのか、楯無は片眉を痙攣させた。

 あまりの圧に本心とは異なる、とまでは言わずとも優先度の低い理由を思わず口にしてしまったのが真相ということ。

 必要以上に詰問してしまった身から出た錆とでもいうべきか。間の抜けたオチに静寂が周辺を包み込み、時計の長針が時間を刻む音が殊更大きく鼓膜を揺さぶる。


「え、あぁ……その……すみませんね」


 整った顔を冗談染みて崩し、楯無は謝罪の言葉を口にした。

 モノクルの奥に潜んだ瞳は、窓から差し込む光の反射で本意を覆い隠していたが。

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