第10話
「ハァッ」
裂帛の気迫を以って、
目標はコトリバコの頭部。生物にとって等しく弱点となるそこを形成したことは、単なる魔術式に過ぎない存在にも意味はあるという確信の元に。
暖色のオーバーパーカーがはためく間にも右腕は形状を変える。
真紅の液体を撒き散らし、二の腕から生えた大百足の腹を沿う刃は先程の比ではない。その刃渡りも重量も、一振りで幸子二人分はあろう頭部を両断するに足る密度を有する。
無論、呪い側が刃の一振りを甘受する訳もない。
むしろ動きの制限される中空に身を晒したのを好機とばかりに、足元の魑魅魍魎が上空へと腕を伸ばす。地獄に垂らされた蜘蛛の巣へ群がる罪人にも似た光景は、たった一人の少女を引き込むには過剰とも思える密度を以って殺到する。
しかし、罪を償う意思のない罪人へ救いの時は訪れない。
足を掴むよりも半瞬早く振り抜かれた刃が、頭部を袈裟に両断したのだから。
「幸子さんは
大振りの刃が迫っていた腕の幾つかを切り裂き、更に空いた左腕が不気味に蠢く。
肉を食い破り、血を撒き散らして進むは蛇の胴体を持つ獅子。
距離を詰めてきた腕達を餌とばかりに食い散らかし、貪り喰われた残骸が落下していく。とはいえ元は呪術の顕現、腕の勢いが収まるのに間を置かず、獅子も駄肉は勘弁とばかりに舌を垂らす。
尤も、獅子はあくまで幸子の一部。左腕を一度白磁の肌へと戻して再度形成すれば、再び喜び勇み駄肉へかぶりつくのだが。
両足に加えて左手を足した三点着地の直後、幸子は後方へと飛び退くことでコトリバコから距離を取る。
間を置かず、血河から湧き立つ腕の群体が道連れを求めて少女へと迫ったのだから。
「効いてない……頭は飾りなの?」
右腕の刃を振り易いサイズへと変化させて捌く中、幸子は視線を上げる。
そこには何事もなかったかのように頭部を再生させ、幸子を睨みつける八つの眼孔。怯んだ様子すらもなく、口は意味もない言葉を垂れ流す。
『呪いを、呪いを、呪いを。女子一人を縊り殺すだけの呪いを』
「全部削り切れって話じゃ、ないよね……」
「それは大丈夫ですよ、幸子さん」
夢想した最悪を口にした直後、反論の言葉が背後から突き刺さる。
聞き慣れた声音に喜色満面で振り返ると、そこには予想通り幸子の愛する男性が立っていた。
「楯無ッ!」
「今は眼前の敵へ集中を。僕の声はあくまで耳だけで聞いて下さい」
「分かった!」
見て取れるほどに態度を一変させ、幸子は上機嫌のままに刃を振るう。
舞い散る汚泥は花弁を際立たさせる鮮血の如く少女を彩り、同時に呪いに濡れてなおも負けぬ腕が、西東幸子を名乗る異形の姿を強調する。
「悪性魔術顕現態シホウ、とでも名付けましょうか……アレの腕にしろ頭にしろ、見えてる範囲はあくまで魔術で具現化した部位。魔力が尽きるまで再生を繰り返すはずです。
魔術の弱点は魔術式や起点となっている物体……シホウの場合は、コトリバコの破壊が有効のはず……」
幸子へ告げるよう、気持ち大きな声を出すとモノクルを撫でる。
途端、楯無の視界が変化した。
黒く、淀み、沈殿した不純物を彷彿とさせる濁りの塊。レンズの先で存在を主張する悪性魔術が、濃淡著しい闇の具現へとその姿を変貌させていた。
より魔力が濃密な部分は濃く。
本体から離れた部分ほど薄く。
「とはいえ」
呪いがショッピングモール中に蔓延しているためか、もしくは単に異常な密度の魔力が込められているのか。
モノクルの先に映る光景は、さながら月明かりも届かぬ真夜中のように暗い。ともすれば、足元の判断すらも覚束なくなるほどに。
そしてシホウの身体を形成している魔力の一角──三階程度の高度に位置する部位から一層濃密な魔力、更には実体を持たぬ存在には不自然な形を視認する。
「あそこです。あそこを狙って下さッ……!」
楯無が指差すのも束の間、眼前に割り込む存在を前に視線を逸らす。
「あそこ? 分かった!」
快活に応じたのは、無数の魂を無理矢理一つの器に押し込めて蠢動する群体。
群体の一つ一つは泣き叫び、今にも纏まりを無くして破裂するのではないかと錯覚する蠢きを繰り返す様は、声音から来る印象からは著しく乖離している。
楯無が右目を瞑れば群体の姿は消えてなくなり、同じ場所には右腕のみを異形へと変型させたお洒落な服装の少女が立っていた。
「……ただ、やり残しがあってはならない。確実に、一撃で、コトリバコを微塵も残さず蒸発させるのが好ましいですね」
「一撃で、ならこれ……かな」
最愛の相手が息を呑む間に含めた意味に気づかず、幸子は右腕を一層激しく変貌させる。
皮膚を貫き顔を出すは毒蛇に大百足、そして蚯蚓。
柔軟な肢体を持つ程度の共通点で集まった三種の生物が絡み合い、螺旋を描くと外殻を補強すべく無数の骨や生物の甲殻が表面を覆う。その度に肉を食い破るグロテスクな音と共に血が渋くも、少女の肉体が損傷する悍ましき光景へ異議を唱える者は絶無。
最後に砲口部から一神教への統一にあたって悪魔へと落とされた山羊の頭蓋骨を添えれば、魔の極致たる破滅が具現する。
「
自身の体躯を上回る砲身を有する生態兵器を前に、場違いとも言える声を上げる幸子。尤も、彼女からすれば楯無が抱く感想こそが最大の意味を持つのだが。
「まぁ、そうじゃないですかね。幸子さんが思うなら……それよりも」
「分かってる。一撃で、でしょ」
「見たところ、コトリバコが動く気配はありません。このまま照準を合わせて、さっさと吹き飛ばして下さい」
「動いてないなら……」
少女は右腕から生えた砲身を軽々しく操り、当然の如くに砲口を目標へと合わせる。
だが、後は微調整の上で砲身から力を解き放ち、悪性魔術の根源を薙ぎ払うだけだという段階で滑らかな動きに淀みが加わる。
ふとシホウの先を捉えた真紅の瞳が、俄かに翳りを見せたのだ。
「……どうしました。慎重になる気持ちも分かりますが、この距離なら……」
「ごめんなさない。楯無」
「は?」
唐突に謝罪を口にされ、思い当たる節のない男は首を傾げる。
しかし、幸子は彼の返事を待つよりも早く動き出した。
無数に蠢く呪いの腕が蔓延る、悪性魔術顕現態の下へと。
「な、にを……?!」
当然、家系断絶の呪いが機能しない唯一の獲物が突撃すれば待ってましたとばかりに腕は殺到する。
『呪いを、呪いを、呪いを。我らの意義たる呪いをここに』
「そう、簡単に……!」
地面を這う二本の腕を跳躍で回避する隙に両足が弾け飛び、代替として獣の後ろ足にも似た逆関節へと生え変わる。無論のこと、本来の足に纏っていたバギーパンツとお気に入りのブーツも飛び散る鮮血と同じ末路を辿るも、幸子が意に介する様子はない。
肉体が変化したことで機動力も増し、地と共に空を蹴る素早さに腕は半瞬前の幻影へと掴みかかる。
とはいえ、動き回るには不便な大物を担いでいることはマイナスにも作用する。
「グッ……!」
後ろから引っ張られる感覚に視線を向ければ、砲身を掴む漆黒の腕が次々と群がり、少女の進路を足止めしていた。
「乙女に触るな、変態ッ!」
怒声を一つ、遮る腕を膂力で無理矢理引き千切ると幸子は更に足を早める。
向かう先はシホウの懐。巨体を支える汚泥の湧き立つ魔の湖。
「何をやっているッ。わざわざ近づくことはないッ、戻ってきなさい!」
この時ばかりは楯無の声も関係ない。
幸子は自らの感性に従い、危険を承知の上で敵との距離を加速度的に詰めていく。
そして──
「ここならッ……!」
湖をスライディングの要領で滑り、天へと伸ばされた砲口がシホウの胴体を捉える。
既にオーバーサイズのパーカーも無数の腕に引き千切られ、残すは袖口の破れたシャツに呪いに汚れたバギーパンツの残骸のみ。乙女の服装とは著しい乖離を見せる服装だが、今の幸子に後悔はない。
故に、砲口から瞬く光が逡巡を見せることはなく。
「吹き飛べッ!」
砲身内部で多重展開されていた魔術式を同調起動させ、外圧によって収縮に収縮を重ねた魔力が開放の瞬間に歓喜の調べを高らかに謳う。
淀んだ闇を掻き消す、正常なる光の柱を。
『呪いを、呪い、を……』
ほぼ真下から放たれた魔力の塊が無尽蔵にも思えたシホウの魔力を吹き飛ばし、肉体を秒単位で表面から切削する。元より再生力に重きを置いた魔術、数秒と経たずに骸は原形を失い、光の奔流に晒されるはたった一つの立方体。
怨恨によって強化を促す呪術により強度を増していても、奔流の只中とあっては無謀そのもの。
何度か激しい振動を見せると呆気なくパズルが砕け散り、内部に入れられていた小柄な骨数個と共に消滅した。
ややあって徐々に光の線は勢いを落とし、そして収束する。
残されたのは砲身と足を元の傷ついた白磁へと戻す少女と、塵一つ残さずに消滅した天井から覗ける太陽の煌めきだけであった。
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