第7話

はなー、これはどうかなー?」


 カーテンが捲れた先。元気のいい声で問いかけた幸子さちこが着用していたのは、ペンキをぶちまけたかのような原色のペイントを施したシャツと藍のオーバーオール。右の肩紐だけは敢えてつけずにぶら下げているスタイルは、華奢な腕とは反比例する半袖の裾余りと合わせて活発な印象を見る者に与えた。

 そして呼びかけられた鷹見たかみは、伸ばした白髪をはためかせてターンを決める幸子に対して両手を合わせて柏手を鳴らす。


「凄い似合ってますよ、幸子さん!」

「へっへー、それは良かった!」


 互いに上機嫌な二人が訪れたのは、央間町おうまちょうの都市部に位置する大型ショッピングモール。

 コトリバコによって付着した魔力こそ楯無たてなしが切除したものの、精神的な衰弱にまでは手が回らない。故に幸子が気分転換を目的にショッピングモールでの買い物を提案したのだ。

 そこに秘密を打ち明け、友達となったショッピングを堪能したいという本音が入り混じっているのは否定し難いが。

 とはいえ、独断専行ではなく上司から指示を仰いだ上で赴いている。

 曰く、鷹見の負担にさえならないのであらば、特別否定する理由もない。とのこと。


「だったら次のヤツはぁー、これ!」


 カーテンを閉め、再度開くまでに十秒経過したかどうか。

 その極短時間で幸子は、上を囚人を連想させる白黒ストライプのシャツとジャケット、下を七分丈のガウチョパンツへの換装を果たしていた。

 先程とは異なり、体型に合わせた上は華奢でかつ小柄な幸子の印象を一層強めたのに対し、鷹揚なガウチョパンツの幅から覗ける肉の薄い白磁の足はアンバランスさを強調する。右手に装着した指抜きグローブはワンポイントのつもりなのか、他よりも派手な染色のものを採用していた。

 目を閉じ、自信ありげに口端を持ち上げる幸子の表情は暗に望む声音の予想がつく。

 そして鷹見もまた、彼女の抱く予想図を正確に読み取った。


「それも凄い似合ってます。お洒落さん!」

「そうなのだ、幸子さんはお洒落さんなのだ!」


 胸を張る少女は見るからに天狗となり、視覚化できるのであらば天井を突き抜けるのではと思える程に自信を生やす。

 衣服店の試着室で行われているファッションショーは、他の客の注目も集めている。が、幸子は意に介することなく、むしろもっと衆目を集めんとするように派手な動きでカーテンを閉める。

 次の早着替えの時間は二三秒。

 時間経過の理由は、服装との兼ね合いか。

 チェック模様のチューブトップに男性ものの黒スーツを肩から羽織り、下にも同様に黒のズボンを着用している。先程までとは一転した、胸元から上を羽織って隠しただけの扇情的な着こなしは薄い体型の幸子でも見る者の関心を集めた。

 上機嫌に身体を回せば明らかに余剰なベルトが蛇よろしく宙を舞い、人々の視線を釘付けにする。


「ちょっ……それは危ないですよ、幸子さん!」

「ハッハッハー、幸子さんこそが時代を引っ張るファッションリーダーだ!」

「お、お客様……!」


 流石に姿見の危機とあっては見過ごせず、騒ぎを聞きつけて店員が駆け寄る。

 店員からの注意で周囲の熱も冷めたのか、何度となく鷹見が頭を下げる度に喧騒の元は散開していく。同時に幸子も横で申し訳ないといった表情で俯いていた。

 その後、衣服の精算を終えるとフードコートへと向かい、二人用の席を確保して腰を下ろす。

 因みに荷物持ちは病み上がりの鷹見を気遣った幸子が担当したが、両手に抱えた紙袋の中に彼女が購入した衣服はない。店からすれば随分と迷惑な話で、ファッションショーに付き合った鷹見も指摘している。が、当人に言わせれば楯無と来た際に買ってもらうための予行演習らしい。


「本当に服を買わなくて良かったんですか、幸子さん?」

「さっきも言ったでしょ。今日はあくまで華の付き添いだから、そっちの荷物持ちをやるって」


 うんうんと頷く幸子の服装は半袖のシャツの上から赤のオーバーパーカーを頭と肩に引っかけ、下にはシルエットを誤魔化す白のバギーパンツ。ラフな印象が強いが、少女が浮かべるあどけない笑みを一目すれば不良の類と勘違いされる心配は無用だろう。


「さっきと言い分が違うような……」

「こ、こっちも本当だからッ!」


 照れて頬を紅葉させる幸子は白磁の肌と相まって艶めかしい印象を見る者に与え、同時に微笑ましさに眼前の女性も頬を緩ませる。

 実際、目まぐるしく少女が衣服を切り替える以前は鷹見の服へのアドバイスなども行っていた。そのお陰か、今回購入に踏み切った衣服には気持ち明るい色合いのものが増えたように思える。


「フフフ。それにしても本当にありがとうね、幸子さん。私一人だと、服を買おうなんて気分にならなかったから」


 賞賛の言葉を受け、幸子は先程とは違う意味で頬を赤くした。


「や、やっぱり辛いな時は誰かといた方がいいよね。うん……幸子さんも気持ちは分かるからさ」

「うんうん、そうだね。幸子さん」


 彼女の言い分に肯定の頷きを返す。

 事実として幸子に引っ張られる形で、鷹見も沈鬱な気持ちを上向きにさせられた。朗らかな微笑を見せる彼女には、周囲に花が咲いたような気分にさせる能力でもあるのだろうか。と真剣に考える程に。

 加えて、楯無が応援を頼んだ呪術師の専門家が到着すれば、彼女を痛苦を以って悩ませてきたコトリバコの呪いも解除される。

 微笑ましい眼差しで腹部を覗き見て、手を添える。

 ケープ生地の奥では楯無の手でひとまず落ち着いた内臓が安定稼働している。心臓と違って掌に活動の脈を感じることこそ叶わないが、それでも常に同居していた痛みがないだけ上等というもの。


「コホッ、コホッ……」


 不意に咳き込み、鷹見は左手で口元を覆う。

 状況が状況故に幸子も机を乗り出して心配の声を上げる。

 真紅の瞳には容体の急変を不安視する色がアリアリと浮かんでいた。


「大丈夫なの、華?」

「え、えぇ。ちょっと咳き込んだだけ……だ、から?」


 心配する少女を静止すべく、左手を向ける鷹見。

 しかし掌を通じて腕を伝う生暖かく、粘性の高い液体の感触が言葉を途切れさせた。

 糸を引くねばついた感触。二酸化炭素を含みやや黒に染まった赤。そして、赤の根源と思われる臓腑が捩れるような激痛。

 全てが鷹見の手に付着した液体の正体を雄弁に物語り、更には同色のそれが口から肌や衣服を穢して垂れ流されていた。


「え……?」

「華ァ!」


 ショッピングモールをつんざく幸子の絶叫が、事態の急変を訴えた。

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