第6話
一方、一人
二人が家を後にしてから三度、知人と連絡を取るために電話を入れた。が、いずれも現在取り込み中とのことで繋がる気配はない。
四度目ともなれば面倒さが顔を覗かせ、手持無沙汰な左手は一定のリズムで机を叩いている。
コールすることに五回。
また繋がらないか。邪念が鎌首をもたげたタイミングで、人工音声とは異なる生の声が鼓膜を揺さぶった。
『はい、こちら
「遅いですよ、
『……んだよ、楯無か』
電話先から聞こえた声は、連絡相手が知古の仲だと知ると口調を砕けさせた。
害牢館真也。
呪術を専門とした魔術師であり、呪術絡みの事柄となれば最初に一報入れて意見を仰ぐ程に信頼関係を構築している。更に事件とは別に私的な交友関係にも及んでおり、旧知と呼んで差し支えない。
「おいおい、今回は意見を仰ぎに連絡を取っているのですが。営業の態度じゃなくていいんですか?」
『別に構わねぇよ。どうせお前は他の誰かが言った意見なんて聞かねぇだろうしな』
「それもそうですね……で、今回はコトリバコという呪物に関してなんですが……」
『コトリバコだぁ?』
怪訝な声音を上げる害牢館に呼応してか、楯無は机の上へと視線を落とす。
幾重にも巻かれた御札は端々が擦れ、素材の木目が各所から漏れている。パズル状の表面は実際に木材を組み合わせて構築したことを伺わせ、幸子の証言が正しければ素材となった人間は四名。
いずれの情報も、害牢館と連絡が取れない片手間にネットで入手した情報である。
楯無は調べたコトリバコの情報に加えて鷹見から耳目にした証言を電話の先へと伝えた。すると、電話越しでも伝わる動揺を声にして彼は口を開いた。
『四人、シホウってところか……しかも入手経路が偶然染みてる上に封印は解けかかっていると……』
「確かそれが呪いの強力さを測る指針、でしたね」
『あぁ。四人分の水子ともなれば、貴族なり武家の家系を断絶させるには充分な代物だ。とてもじゃねぇが、市販に出回るとも思えねぇ』
最新鋭の携帯端末は電話の先で慌ただしく何かの準備をしている音さえも正確に拾い上げ、ノイズキャンセラーの重要性を雄弁に訴える。
続いて、知古の友人は声色を数段低くして伝えた。
『とにかく、俺が到着するまでコトリバコから目を離すな。封印が弱まっているってことは、何が起きてもおかしくねぇ。
今から家を出るし日を跨ぐだろうが、こっちもなるべく早く着くように急ぐ』
「分かりましたよ、真也。久しぶりの再開を楽しみに待っています」
『随分と余裕だな、テメェの依頼だろうが』
軽口を叩くと電話の先から怒気混じりの声が鼓膜を揺さぶり、楯無は柄にもなく苦笑を漏らす。
漏れた笑い声に余程衝撃を受けたのか、もしくは身支度に専念したのかは分からない。が、以降に真也が口を開くことがなかったため、モノクル越しにコトリバコを一瞥してから電話を切る挨拶を告げた。
「でしたら、そろそろ身支度に専念したいでしょうし、こちらもボチボチ電話を切りますよ」
『……あー、もう少しいいか?』
すると、友人の方から電話の続行を望む声が上がった。
家の本来の主は既に墓で眠り、暫定的に所有権を主張できる鷹見は
「時間が惜しいのはそちらなのでは。僕はコトリバコを見てるしかやることがないので、口でしたら幾らでも空いてますが」
『そりゃよかった……なぁ、楯無。今も変わってはないのか』
「? 質問の意味が理解できませんが。年齢のことなら三か月の間に誕生日を迎えました……」
そうじゃねぇよ。
ともすれば冗談とも思える楯無の言葉を端的に遮り、真也は嘆息を漏らす。
眉間に皺を寄せた友の表情を想像し、男性は口端に笑みを浮かべて背もたれに寄りかかる。が、続く彼の疑問はモノクルの奥に控えた瞳を鋭く研ぎ澄ますには充分であった。
『魔術界の転覆。今も、目的は変わんねぇのか』
「……」
『別に盗聴器の類は仕掛けてねぇよ。これは単なる友人としての確認と、忠告だ』
「……なる、ほど」
数秒か数十秒か。
熟考を重ねた末、レンズの奥で眼光を鈍く輝かせると楯無は肯定の意思を伝えた。
害牢館真也に限って自分を嵌める悪辣な計略を練るとは思えず、また彼の信頼に背く真似をしたいとも思わなかった。
尤も、以前と変わりない意思こそが彼の失望を煽るのであらばその限りでもないが。
『……』
「今は手段を模索するための資金源確保と……去年手に入れた玩具の可能性を模索しているといった所ですね。
アレは実に優秀です。一目で魔力の流れを理解し、呪物に込められた魂すらも観測し得る。その上、刻まれた魔術式の数は膨大で僕にもその全ては把握し切れない。手札を探れば、それこそ魔術界を転覆させるだけのものを秘めているやも……!」
口端を吊り上げ、獰猛な肉食獣を彷彿とさせる凄絶な笑みを浮かべる楯無の姿は、幸子の前で浮かべる柔和な笑みとは乖離した存在と言えた。両方を目撃した者がいれば、むしろ彼女に向けて浮かべる表情にこそ疑惑を抱きかねない程に。
声の調子と早口具合だけでも憎悪の一端を掴めたのか、真也は携帯端末を握る手に力を込める。
『これは友人としての忠告だ。
いくら幸子ちゃんの件が憎いからって、魔術界を転覆させるなんてのは無茶だ。仮に実現できたとしても、表裏で繋がっている表の世界すら巻き込んだ未曾有の大惨事が起きるのは目に見えている。
……幸子ちゃんだって、そこまでの道連れは望んじゃいないはずだ』
「えぇ、優しい幸子が……僕の妹が虐殺なんて望む訳がない」
『だったら……!』
熱の籠った真也の言葉に待ったをかけたのは、努めて平坦な口調で告げられた楯無の言葉。
「だから、それを望むのは僕と幸子さんだ」
『幸、子……さん?』
「これ以上はもういいでしょう。そろそろ真也も荷支度に集中すべきです」
『おい、待……!』
一方的に告げると、楯無は液晶をフリックして通話を打ち切る。そしてすぐに着信をオフにするとソファの上へ放り投げた。
軽い音を立てて着地する端末は、案の定というべきか害牢館の名を液晶に瞬かせている。
当然、一方的に対話を打ち切った側が連絡に応じる訳もなし。数分もすれば、液晶は鏡のように真上の照明を映し出した。
そのまま背もたれに深く寄りかかると、モノクル越しの瞳は天井を見上げる。
「僕が望んでいる以上、幸子さんももちろん望みますよね。魔術界の転覆を……幸子のための復讐を」
漏れ出た憎悪は虚空に響き、誰の鼓膜を揺らすことなく露と消える。
そして霧散した憎悪を啜ったかの如く、コトリバコは御札を一枚捲り上げていた。誰の手を借りることもなく、独りでに。
木目のパズル状が一層露わとなっていることに、天井を見上げていた楯無は気づかない。
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