第5話
「
首にタオルを引っかけ、
現在の彼女はパンダを模した着ぐるみ状のパジャマを着用し、中学生辺りが適切な見た目を一層幼く見せていた。動物園の人気者と他の熊と分かつ白黒模様は不均一で、またややダボついたシルエットは未成熟な体躯を覆い隠す。
一方で声をかけられた鷹見はベッドの上に腰かけたまま、身動ぎの一つもない。
現在二人は駅と一体化したホテルであるホテルオウマへ一時的に避難していた。
「浮かばない顔だね、鷹見さん。辛いなのか?」
「……」
俯き加減で床を見つめる鷹見を覗き込み、小首を傾げる幸子。合わせて絹布を彷彿とさせる白髪が揺れ、手入れされてないが故に床を撫でる。
ただでさえ呪いで憔悴していたが、それが生命を脅かす代物と判明したのだ。二の句が告げられなくても不思議ではない。
だからか、幸子は不躾な瞳を閉じると鷹見の隣へと腰かけたのは。
「これは幸子さんの推測だが、鷹見さんは誰かと一緒にいたかったんじゃないか」
「分かる、の……?」
「分かる。一人が辛いなのも、辛い時に誰かと一緒にいたいってのも」
「……」
「幸子さんもそうだったから」
懐かしむように遠くを見つめる幸子。
真紅の瞳が捉える先はホテルの照明ではなく四年前、楯無と邂逅を果たした雨の日。
「そんな疲れてる鷹見さんのために、幸子さんがちょっと昔話をしてやる。興味が湧くでしょ?」
「そう、ね……お願い」
見透かされているならば、取り繕う必要もない。
憔悴した声音で肯定すると、側に腰を下ろす少女は拳を握って力を込めた。
「任されたのだ。
まず前提なんだけど、幸子さんは作られた人? なんだ」
「作られた……?」
そして前提という前振りでとんでもないジャブが飛んできた。
人の興味を引くには一行目から全力で殴り抜け、というのは小説の常套手段らしい。が、実体験として自分が被造物というのは、些か信じ難い。
それは呪いや魔術といった非日常を何とか咀嚼できた今の鷹見にとっても同様。
幸子自身も証拠なしに信頼されると思っていないのか、ダボついたパジャマの右肩をズラして証拠を開示する。
「これが証拠……正直、あんまり見せたくないけど、鷹見さんの辛いが紛れるならまぁ、いい」
右肩に存在する証拠。
白磁の肌へ無粋に刻まれた無数の切り傷とは異なる、明確な意図を持って刻印された黒線の集合体──商品を意味するバーコードと下部の八号という刺繍であった。
会って一日足らず、所詮依頼者と万屋の付き添い程度の仲に過ぎない二人には過剰な開示に女性が目を見開き驚愕する。一方で幸子は目蓋をやや下げる程度で然して気にした様子も見せずに言葉を続けた。
「難しい話はよく分からない。けど、幸子さんを作った場所での生活は辛いと……痛いばかりだった。知り合いも何人かいたけど、皆いなくなった。
辛いだった。ちょうど今の鷹見さんみたいに一人で辛いだった。だから逃げた」
事もなげに言うが、控え目に言っても人道に反する組織。そう簡単に逃走を図れるとは思えない。
だが幸子は所詮過ぎ去った過去とばかりに軽く流す。
今から話す本題を前にした、物語の前振りなのだからと。
「逃げたと言っても行く当てもなければ、頼るという考えもない。だから幸子さんの辛いは変わらない。いる場所が硝子張りの部屋から段ボールの中になっただけ……
一人は辛い。話す相手がいないのは、とても辛い。
そんな中、雨の日に通りがかったのが楯無……幸子さんにとっての線なのだ」
『おや、捨て女の子とは珍しい』
投げかけられた声音を努めて再現する幸子の頬は僅かに上気し、シャワーを浴びた直後よりも熱を帯びる。顔に手を当てて左右に揺れる様など、まるでここまでの苦労が報われたかの如く。
熱っぽい調子の少女は上機嫌のまま、言葉を続ける。
「熱の籠った目を向けられて、でも今とは違ってそれがなんなのか分からなかったから……思わず肩のそれが見られたと思った。
だから慌てて隠したけど、もう楯無は見た後みたいで……幸子さんが幸子さんになる前の名前で呼ばれるのかと怖かったけど……でも楯無はそれも察したみたいで」
『その名前は嫌いなのかい。だったらそうだな……響きも似てるし、幸子ってのはどうだい?』
キャー、と黄色い声を上げる幸子は、鷹見へ聞かせる昔話という前提も忘れて一人舞い上がる。
そも聞いている側からすれば、楯無登場直後から語彙が怪しく何を言っているのか明瞭さを欠いている。何を言っているのか分かり辛いにも関わらず、当時のことを思い出して舞い上がった幸子はベッドに皺ができるのもお構いなしで悶えた。
時折漏れるこれって実質告白だよねー、幸子さんと一緒にいたいって意味だよねー。という誇大妄想染みた内容は、初見の鷹見もやや呆れた眼差しを注ぐのみ。
「……」
だが、同時に隣でここまで舞い上がっている誰かがいる。という事実が今の鷹見には有難かった。
コトリバコの呪い以降、食欲も湧かず寝ている途中で胃痛によって目が覚めた経験も一度や二度ではない。三大欲求の内二つに不調が起きれば、自然と仕事のミスも増える。そして精神的に疲労が溜まれば、更に食欲不振が深まる。
悪循環に嵌まっていた彼女にとって、こうまで楽しげな誰かを見るのは随分と久しぶりに思えた。
「フフフ……」
だからだろうか。自然と零れた笑みは幽鬼のそれではなく、一人の女性に相応しいものだったのは。
「あ、やっと笑った」
「あ……本当ね、ありがと。幸子ちゃん」
「礼には及ばない。辛いに一本線を足すのが、幸子さんなのだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます