第4話

 央間町おうまちょうの始まりは江戸時代。

 山岳地帯に囲まれた村が交通の要所として栄えたのが原形であり、江戸と西日本を繋ぐ場所として央間の文字が与えられた。

 由来の関係か。立地の割には交通の便は整っており、町内外の移動には新幹線が通り、乗用車さえあれば町内での移動には事欠かない。それは比較的栄えている都市部だけではなく、一歩離れた僻地でも同様。

 鷹見たかみ邸もまた、都市部から離れた立地に居を構えている。


「随分と離れた場所に家があるんだね、鷹見さん」

「はい。その関係で実家から離れて生活してたんです」

「こんな遠い場所じゃ、嫌になっちゃうよねー」


 自らの言を肯定する相槌を打つ鷹見へ微笑む幸子さちこは、後部座席からハンドルを握る楯無たてなしを覗き込む。

 後部ミラーに反射する彼の眼差しは真剣そのもの。他者の命を背負う自覚が深く、茶々を入れていい状況ではないと少女にも理解できた。


「そんな真剣な顔もいいなー」


 頬に熱いものを覚えながら後部ミラー越しに楯無を見つめる幸子であった。

 が、急激に放たれた悍ましい気配に表情を凍らせる。

 人が放つ殺気とは趣きを異にする、淀んだ邪気や悪意の凝縮を前に眼前の男へ驚愕の声を上げた。


「楯無ッ、今の……!」

「えぇ。分かってますよ、幸子さん」


 幸子の声へ冷静に接する楯無も、頬から一筋の汗を伝わせていた。

 一人理解の及ばない鷹見も、元々遺品整理に端を成して体調不良が始まっているからか。距離が近づくに連れて表情を硬くしていく。


「まさか、家も見えない距離からここまで感じるとは……」


 楯無の言葉に幸子もまた勢いよく首を縦に振る。

 カフェで聞いた話では精々封印が漏れた程度の認識であった。が、地域一帯を汚染してもおかしくない邪気の密度は、時限式の呪術なのではと疑惑をすら抱かせる。

 楯無の頬を伝う一筋の汗は、今後の先行きを不安視させるに充分な効力を有していた。

 彼らが抱いた不安を他所に、やがて鷹見邸を覆う塀が姿を現す。次いで時代錯誤とも評すべき武家屋敷が、陽光を浴びて鈍く煌めく瓦屋根から露わとなる。


「あれが、父さんの家です」

「でしょ……失敬、そうですか」


 口から漏れそうになった言葉を引っ込めたのは、モノクル越しに漏れ出る邪気の発端が武家屋敷だと如実に訴えかけていたから。天候を覆いかねない邪気の発端が二つもあれば、間違いなく地域一帯が呪いに飲まれて破綻する。

 そのような確信すらも、魔術の理解がある二人は抱けた。

 しかし、一方で行き交う人々が散見されるのは、あくまで魔術の効果範囲が家内部に限定されているのか。


「ねーねー、鷹見さん。あの家って他に誰か住んでるの?」

「いえ。私が高校生の時に母が亡くなって、この前に父さんが亡くなったから……今は誰もいないかな」

「それはよかっ──」

「言葉を謹んで下さい幸子さん。ここは鷹見さんの家族にまで被害が及んでないのは幸いでした、とでもいうべきです」

「……はい」


 楯無に強い語気で遮られ、しょぼくれた幸子は身体を後部座席へと預けた。

 そしてモノクル越しに目線を僅かに下げて謝意を示すと、鷹見も頭を僅かに下げて受け取る。

 門を潜れば、彼らを歓迎するのは天を目指す大蛇の如く樹木がうねる赤松。亀甲状に割れた厚みのある樹皮と青々とした尋常葉は、生前の主が注いだ愛情の結晶か。

 他にも竹製のししおどしで一定の流れを作られた池や砂利を敷き詰めた庭など、乗用車が通るために踏み固めた道以外には景観への意識が強く感じられる空間が広がっていた。

 鷹見の案内の元、空車となっていた車庫へ停めると三人は家へと向かう。


「玄関を開ければ、これまた強烈な……」


 玄関を開けた途端、叩きつけられる邪気もとい魔力の塊に幸子は眉を潜め、不快感を隠す素振りも見せない。

 そのまま魔力の元凶へと向かおうとした幸子であったが、楯無は先に仏壇への一報を要求した。

 彼もその付き添いである幸子も、鷹見の父親との面識など皆無。仏壇に飾られた生前の写真を見れば何か思い出すかもしれないと考えるも、実際にお出しされた穏やかな笑みを見てもやはり見慣れない顔であった。


「楯無、先にこの魔力の原因をなんとかした方がいいんじゃない?」

「いいですか、幸子さん。仮にも彼の遺品を扱い、場合によっては破壊も視野に入っているのです。せめて事前に一言断っておくのが礼儀というものです」

「そういうものなのかなー」

「そういうものなのです」


 断言する男性の言を受け、幸子もまた納得しておりんの清らかな音色に合わせて手を合わせる。意図が読めない故、二人よりも早く顔を上げたのはご愛敬か。

 祈りを済ませると、一行の足取りはいよいよ邪な魔力の根源──居間に置かれた箱へと向かう。


「これは、見るだけで間違いないですね……」


 最早呆れる他にない楯無の言葉に同調し、幸子もまた首を縦に振る。家へ近づくに連れ、口数が少なくなっていた鷹見は既に顔を蒼白に染めつつあった。

 無造作に机の上へ置かれていた箱は、全面を御札に包まれながらも年月から来る老朽化によって各所からパズルめいた木目を露わにしていた。そして幸子の視界越しに映る赤黒い淀んだ魔力は鷹見邸全体に広がりつつ、鷹見の周囲へ纏わりつく。

 一呼吸ごとに、体内へ侵入を果たすように。


「た、楯無さん……これ、何とかなるんですよ、ね……?」


 縋る声を上げたのは、顔色を急速に悪くする鷹見。

 腹部に手を当ててる辺り、体内に侵入した魔力が再び内臓を捻じる流れを形成したのだろう。

 しかし、彼らが彼女の問いに即答することは憚られた。


「……これは魔術の中でも呪術、人を呪うための術式に該当します。

 正直、この分野は専門外でして……ひとまず知人の専門家に声をかけてみますが、彼の意見を聞くまでは断言できませんね」

「というか、これってただのコレクターが持っていい代物じゃない。私でも見るだけで分かる。

 多分三……いや、四人は素材にしてる」

「素、材……?」


 幸子の言葉に理解が及ばず、鷹見は単語を反芻した。

 否、理解が及ばないのではない。正確には理解したくないのだ。

 彼女の発言を素直に解釈した場合、机の上に置かれた手乗りサイズの箱を作成するためだけに、四人もの尊い命が失われていることになるのだから。


「コトリバコ、という都市伝説をご存知でしょうか」


 現状への理解を拒絶して首を左右に振る鷹見に対し、楯無は否応なしに現実へと向き合う言葉をぶつける。


「細かい説明は省きますが、一度解き放たれれば女子供の内臓を捻じ切って殺害し、家系を断絶させる呪いです。

 この箱はそれ──厳密にはコトリバコの伝承を元に作成された呪物です」

「伝承を、元にって……本物とは違うんですか?」

「都市伝説自体が眉唾物ですからね。

 これは知人からの受け売りなんですが、ある程度広まっている噂は呪術的には好都合らしく、実在の有無に関わらず模倣品が作られ易いんです。何でも、人々の周知は呪いの効力を強めるんですとか」


 別に解呪するための手段が異なるでもなし、真贋の程は現状に於いては些事に過ぎない。

 重要なことは、呪物を封印ないし破壊する手段。そして無力化するまでの間、被呪者を如何にして呪いから遠ざけるか。


「幸いにも、コトリバコの呪いはあくまで家系断絶が目的。それも今は封印の隙間から零れる程度です。

 これなら、こちらが何とかするまでの間はホテルなり民泊なりに滞在してもらい、危険を排除してから改めて連絡するので問題ないはずです。今からでも宿泊の予約ができるホテルを探しますが、鷹見さんはそれでよろしいでしょうか?」


 依頼者に問い質しこそすれども、楯無の口調は殆んど断定に近い力を秘めて鼓膜を揺さぶった。

 元より他に安全を確保する手段がない以上、我儘を言える訳でもない。鷹見が首肯するのを横で眺める幸子は、その顔色にどこか暗いものがよぎったのを感じ取る。

 もしくは、彼女自身も今の鷹見が抱いたのと同じ感情を有した過去を持つからこそ、感じ取れたのかもしれない。

 だからだろうか、彼女が手を上げて一つの提案をしたのは。


「楯無ッ。幸子さんも鷹見さんと一緒のホテルで泊まりたい!」

「…………は?」


 彼の言葉に素っ頓狂な響きが混じって聞こえたのは、鷹見だけではあるまい。

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