第3話

「お待たせしました。加糖コーヒー普通サイズとキャラメルフラペチーノのグランデです」

「ありがとうございます」

「お、待ってました!」


 お盆を片手に持った店員が、トイレ付近のテーブル席にいる幸子さちこ楯無たてなしが注文した商品を運ぶ。二人からのリアクションもそこそこに、店員は慣れた手つきでそれぞれの品を正面に置き、お辞儀を一つ残して席を後にする。

 幸子は早速大きめのサイズで注文したフラペチーノを啜ると、口内に広がる芳醇な甘味にご満悦といった表情を浮かべる。そこに本来の目的が残滓程度も残っているかは、わざわざ口にするまでもあるまい。

 他方でコーヒーの苦味を含みつつ店員が離れたのを一瞥すると、楯無が手招きする形で鷹見たかみへ言葉の続きを促した。

 如何せん助けを求められても、そもそも何に対する助けかも不明では部外者に打てる手などない。故にまずは、依頼人たる鷹見からの言葉を待たねばならないのだ。


「……切欠は多分、父の遺品整理だったと思います」


 少しづつ、区切って紡ぎ出したのは鷹見が何に対する助けを求めて、楯無へ依頼したのかの変移。


「一週間前に父が老衰で亡くなって、それで葬式が終わった後に遺品を整理してたんです。元々私くらいしか家族らしい家族はいませんでしたし、母とは私が幼い頃に離婚してましたから……」

「なるほど、随分と苦労をしていらっしゃいますね」

「……それで、古くて立てつけの悪い押し入れにも手を入れたんです。元々、父が亡くなった時には家も不要だから売って生活の足しにでもしてくれとは言われてましたから……」


 立てつけの悪さが災いしたのか、鷹見が力を加えても扉が開く気配はない。

 父親が亡くなり、傷心の中にあった身として少なからず気が立っていたのかもしれない。葬式の手配や参拝客への招待状などを殆んど一人で行っていたのも、冷静な判断を欠く行動に繋がったのかもしれない。

 幾つもの蓄積は鷹見に襖を蹴りつけるだけの動機を与え、数秒後に後悔する衝動的な破壊活動への後押しをする。


「思いっきり、襖を蹴ったんですよ……

 すると、限界を迎えた襖が独りでに倒れて、そしてよく分からない小物に紛れて妙な箱が見つかったんです」


 手乗りサイズの立方体に、表面を覆う程の御札を張りつけた箱。御札の上から更に御札を重ね張りしている状況で、比較的読めるものも難読漢字が多く意味を見出すことは叶わない。

 そして御札自体も相当の年季が入っているのか、所々が擦れて内のパズルめいた木目が露わとなっていた。


「で、それからなんです……なんだか身体の内側が痛いというか、内臓を掴まれたような感覚がするというか」

「なるほど、内臓を掴まれた感覚が……」


 反芻して相槌を打ちつつ、楯無はコーヒーを一口含む。

 口内に溢れる苦味と、砂糖によってほんのりと感じられる甘味が適度に脳を刺激する。

 先程のハンカチを穢す朱は、内臓を掴まれた感覚による刺激が原因ということ。そしてカフェで待ち合わせをし、依頼された側が飲み物を注文していながら何も頼んだ様子がないのは、胃が飲み物を受け付けない程に衰弱している証か。


「ところでその箱の他にはどんなものがありましたか?」

「さぁ、それが父は骨董品のコレクターでして……私にもよく分からないものが多くて。ただ、それでもあの箱だけは何か異質なものが感じられたんです……」

「箱から異質なもの、ですか」


 首肯する鷹見。隣では我関せずとばかりにフラペチーノを満喫する幸子。

 楯無は意識して正面の依頼人を視界に捉えると、モノクルを一撫でして意識を内へと沈める。

 レンズが写し取りしは、魔力の流動。

 生物や無機物、大気を伝う魔力の流れを敏感に掴み取り、レンズの中にそれぞれの色として可視化する。当然、魔術の心得など露ほどにもない鷹見の体内にも確かな流れが成立しており、楯無の視界には順動する青が映る。

 同時に内臓へ付着する歪で淀んだ赤が、彼女の主張を肯定するように体内の流れとは異なる流動を見せていた。


「箱に関しては実物を見る必要があるでしょうが、確かに魔力の流れに問題が見られますね」

「魔力の、流れ……?」

「はい。どうも肝脂肪みたいに内臓へ付着した別の魔力が悪さしてるようでして、捩じ切るような流れ方をしていますね」

「捩じ、切る……?」


 単語そのものの意味こそ理解できなくとも、放置した場合の最悪を理解するには充分な説明であった。故に鷹見は背筋に冷たいものが走り、吐く息を白くする。

 すると必要以上に不安を煽ってしまったと、楯無は両手を振って慌てて弁明を口づさむ。


「いやいや、これは何もせずに進行した場合ですよ。それを何とかするための万屋、何とかするための僕ですから」

「は、はぁ……」

「それでは対処療法ではありますが、なんとかしますので。

 ちょっとお腹、触りますね?」

「楯無ッ?!」


 席を立ち、鷹見の腹部へ手を伸ばした男性へ驚愕の声を漏らしたのは、先程までキャラメルフラペチーノへ意識を注いでいた幸子であった。

 人形めいた造形美の顔を歪め、感情を露わにした様子は今から腹に触れられる女性が驚く余地を奪い去る程に。

 それでも実際に腕を掴んで遮らないのは、彼へ抱く信頼故か。


「はぁ……そのまま注文に意識を割いてくれれば良かったのに……」


 反応が予想できたのか、男はわざとらしく嘆息すると呆れた視線を少女へ注ぐ。


「内臓に付着しているのはあくまで魔術として成立していない魔力の塊です……この程度でしたら、少し魔力を通せば切除が叶います。

 尤もこれは対処療法……根本治療にはやはり、魔術の核を成してるであろう物への対処が欠かせないかと」


 なるほど、と一人納得する幸子とは対照的に鷹見は彼の言葉遣いにどこか引っかかりを覚えた。

 違和感を指摘する隙間はない。

 では、とつけ加えて楯無は改めて腕を伸ばして腹部へと触れる。

 未だ夏の残滓を残す時分にも関わらず、嫌に分厚いウール生地。そして五指で触れて伝わる腹部の感触は、女性らしい起伏に富んだ体格とは不釣り合いな凹み具合。

 過度なダイエットの影響、といっそ笑い飛ばせれば良かったのだが、魔術による衰弱とあれば話も変わる。

 掌の先へ力を込め、鷹見の体内へ魔力を通す。


「う……!」


 呻く女性の声など眼中にも入れず、意識を注力。

 指先より注ぐ魔力が肉体を傷つけぬよう緻密に筋線維の隙間を通し、内臓の表面を撫でる。淀んだ外部からの魔力を洗浄し、自分の小指へと帰還するよう事前に構築した流れへ落とす。

 正式には成立していないとはいえ、他者を害する類の魔術。体内へ取り込めば多少の痛苦が楯無を襲う。

 周囲からの視線が刺さったのは、どれだけの時間か。


「はぁ……ひとまず、終わりましたよ。これで少しは、楽になったかと」


 肩で息をし、額から暑さとは原因を異にする汗を流す楯無。疲弊しながらも努めて柔和な眼差しを鷹見へ注ぐも、肝心の彼女はむしろ相手を案じる表情を浮かべた。


「終わりましたって、大丈夫なんですか。西東さんは?!」

「他人の魔力を取り込むってのは、得てしてこういうものですよ……今回は幸いにも流れの問題なので、取り込むだけなら大したことはないですよ……」

「汗拭いとくね、楯無」


 排出できればもう少し楽なのだが、他者を害する魔術の疑いがあっては浅慮な行動をする訳にはいかない。魔術の心得がある人物が抱える方が安全というもの。

 そう、魔術の心得があるものが。


「気持ちと、後少しばかりの安全をいただきますね。幸子さん」

「? うん」


 ナプキンを持つ白磁の腕をやや乱暴に掴むと、楯無は鷹見の体内から回収した魔力を注ぎ込む。肉体への考慮などない、乱雑な供給にしかして肝心の幸子は理解している素振りすら皆無。

 小首を傾げる少女は、真紅の瞳に慈しみの情すら交えて男性を見つめる。

 そこに恋する乙女を見出すのは、赤の他人である鷹見にも理解できた。

 一方でモノクルの奥に潜む真意は分からず、不均衡な何かを思わずにはいられなかった。

 手を離すと視線を鷹見へと向け、楯無は口を開く。


「それでは、その箱とやらを確かめにいきましょうか」

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