四、『プレーリー・オイスター』その4
「――ようこそ、我が卓へ」
車両庫から悠然と現れた砂男は開口一番そう言って、僕の前で大仰な仕草で辞儀をした。
「ゲームの参加者は貴君だけか?」
「ああ。後は全員ギャラリーだ」
答え、僕はゴーグルを付けながら、背後を右手の親指で指す。
背後には応急処置をしたアメリカンなワゴンがエンジンを掛けたまま停まっており、中には運び屋三人と咲龗子が待機している。
車の・・・・・・中。
エアコンの効いた、車内。
・・・・・・幾ら外が寒いからってさ、車の中から観戦しなくてもいいじゃないか。
薄情者共め。
「想定人数の百分の一――――と、いったところか。ふむ・・・・・・」
パチンと、砂男は指を鳴らす。
遠くで、何かが引き千切れる薄気味悪い連続音がした。
音だけで、魂が抉られるような不快感。ずしりと、紛い物の心臓が重く脈を打つ。
「何を――」
「気にしなくても良い。仕掛けを少し、減らしただけさ」
さて、と砂男は左腕を展開させ、内部に収納した巨大なナイフを引き出した。
「これでイーブンだ。さて、貴君の全力を見せて貰おう。安心したまえ、貴君にその気がなかろうとも、」
縮地。
「吾輩は全力でいくぞ――」
間合い、という言葉が浮かばぬ程の接近。
回避。
左手から突き出した鞄で一太刀を受け止め、開いた鞄から銃を抜き放ち
AMT社製、ハードボーラー。月明かりに照らされ淡く輝く長身の
命中、
「・・・・・・何かの修行でもしたかと思ったが、変わらんなァッ!」
――せず。
砂男は身体を反らしながら、左脚を展開させた。
現れたのは、ガトリング砲。
鉛筆をゴムで頑健に束ねたような銃身が回転し始め、
「傷を癒やす暇があるなら、癒やしてみるがいい!!」
夜闇に鈍色のゲリラ豪雨を降らし始めた。
冗談じゃあない。
僕は傘を忘れた時のように鞄を頭に翳して金属の雨を除けながら、動きにくい砂利だらけの地面を逃げ惑う。
今更だが、線路の上は意外と歩き難い。中途半端にコンクリートの平坦な地面がある所なら尚更だ。
地面が安定しない。視界がぶれる。
狙いが――――定まらない。
――気配やら音、何でもいい。封じられた視界以外の感覚を総動員して、面の範囲を狭めるんだ。
無茶言うな。
そう簡単に出来るものじゃない。
大体、d-OSピニオンとやらを使い熟すなんて無茶すぎる。
そもそも本当に、d-OSピニオンかどうかも――――分からないってのに。
でも――
「やらなきゃ・・・・・・死ぬ」
それだけは、嫌だ。
あの地獄を生き残ったのにこんな平和な日本で死ぬなんて、そんなクソ恥ずかしい事――
「出来る訳が・・・・・・ない」
死ぬなら、雑踏の中と決めている。
散らすなら、依頼人を庇ってと決まっている。
くたばるなら、泣き崩れる女の腕の中と決め込んだ。
何故なら僕は、探偵だから。
「探偵はァ――――」
歯を思い切り食いしばる。
感覚を極限まで研ぎ澄ます。
紛い物の心臓を――――自分の両手で、鷲掴むイメージ。
「格好いい時以外、死なないんだよォッ!!」
耳鳴り。
偏頭痛。
レールの上を弾丸が這う。
電車のように。
「命中・・・・・・おめでとうと、言いたい所だがァ――」
「これで終わりだと、思うかァッ!」
回避し掛けた砂男へ、砂利を蹴って肉薄。
「
連結しながら、レールを滑る銃弾。
まさに比喩表現なしの――――――
「――やってェ・・・・・・くれたな・・・・・・・・・・・・ァ」
よろめきながら、砂男は呻く。
「しかし・・・・・・敷かれたレールを照準に使うとは――――面白い」
そんなに面白がられても困る。
脈動。
正直、こんなに上手くいくとは思わなかった。
拍動。
だが、運も実力の内。
相手の武器を一つ、壊した。
これで、
「・・・・・・ゲームを有利に進められると、思ったかね?」
「ッ!?」
影。
月を遮る、人影。
――否。
人影、ではない。
あれは人間の――――いや、サイボーグの手足。
義手、義足。数はおそらく二十を優に超える。悠然と宙に浮かんで隊列を組み、各々内蔵された武器を晒して一斉にこちらへ向けていた。
「小細工を弄した所で、圧倒的な火力の前では無策と同じ。
「っ――――――」
一斉掃射。
銃弾と金属片、そして手刀。
先程のゲリラ豪雨よりも鈍重な殺意の嵐が、僕を目掛けて襲い掛かる。
拍動。
避け――――られない。
脈動。
幾ら紛い物の心臓で、身体能力を強化しようとも――
――僕は今、地獄の底に居る。
憎たらしい青空。
脈動。
青空を駆ける名も知らぬ鳥達。
拍動。
あの空を自在に飛ぶ事が出来たら、
鼓動。
直ぐにこの地獄から抜け出せるのに――
刹那。
「――なんと、」
心音が、爆撃音を掻き消した。
内燃機関のように力強く、それでいて全身を包み込んでくれるような、優しい音。
それが自分の胸の奥から聞こえてきた事に、気付かないぐらいに。
「それが貴君の真なる
「さあな――――どうだろう」
肩をすくめ、僕は言う。
背中には、脈打つように夜空を打つ皮膜の翼。
着込んだ上着を突き破り、僕を中空へ佇ませる。
「まだ僕は、手札を全て開いてはいないぜ?」
斯くして、あの日の願いは叶えられた。
ただ一つ、決して青空を飛べぬ事を除いて――
◆◇◆◇◆
「――一年前の、夏休みにね」
突如翼を生やして宙へ舞った潭澤 澪を追うようにワゴン車から降車した雨皷 咲龗子は、焦点の合わぬ視線を虚空へ遊ばせながら
「アイツは、国連が設営した難民キャンプのボランティアに行ったのよ。サボって取り損なった単位の為にね。キャンプから少し離れた村へ向かう途中、キャンプの設営に反対する武装した現地の住民達に襲われて、生き残ったのはアイツだけだった。後から聞いた話だと、現地ではボランティアがクローン人間を作る材料にする為に村を襲っているって、根も葉もない噂があったらしいわ」
「・・・・・・よくある話だ。デマゴーグってのは、なくしたパズルのピースみたいに疑心暗鬼によく填まる」
雨皷の言葉に、助手席に座った三八谷は化膿を始めた傷口に触れながら応える。
「しかしその事件なら、テレビで見たな。流石に顔や名前は出なかったが、去年は年末まで流れ続けていたからよく覚えている」
「・・・・・・アイツ、昔からよくテレビに出るのよ」
胸を寄せるように腕を組み、雨皷は言う。
「お手柄小学生だとか、名探偵中学生だとか、一時期飽きるぐらいテレビに出まくっていたわ。わたしを嘯樹の――――いや、誘拐犯から救ってくれた時なんて、一年ぐらいバラエティ番組の雛壇にまで座っていたのよ」
「確かに半人前君なら、テレビ映えしような顔だもんね。草食系な人畜無害で、男にも女にも性的に好かれそうな感じが。実際はクソガキを拡大コピーしたような性格だけれど」
沢田はケラケラ嗤いながら、雨皷のスペースが空いた後部座席に寝そべり脚を組み直す。
「・・・・・・ボランティアに行くまでは、自堕落だったけれど人畜無害の片鱗は残っていたわ。でも、ボランティアから帰ってきてから、アイツは完全に変わった。それこそ、別人みたいにね」
バタン、と後部座席のドアを思い切り閉めながら雨皷は言った。
「大学には前から積極的に行っていなかったけれど、帰ってきてからはまったく行かなくなったわ。その代わり、毎日毎日繁華街や路地裏を渡り歩いて、不良グループや半グレみたいな連中に対して殺人紛いの暴行事件を散々引き起こす日々。
「見かけによらず結構暴れているのね、半人前君。そりゃ、ヤクザの事務所に単騎でカチコミ掛けて無事生き残ったら、誰だって天狗になるわ」
開けた窓から身を乗り出しながら、人を喰ったような表情を浮かべて沢田は嘯く。
「で、わたし達と変態サイボーグにケチョンケチョンにやられて、ヘコんだ訳だ。井の中の蛙大海を知らず――いや、この場合は井戸でじゃなくて地獄の釜かしら?」
「――たった、数日よ」
沢田の戯れ事を無視し、雨皷は言った。
「健康診断と治療の為に入院した期間を入れても、二週間弱。『巌窟王』のエドモン・ダンテスだって、『虎よ、虎よ!』のガリバー・フォイルだって、もっと長い間苦しんで徐々に変わっていったってのに、アイツはたった数日で怪物みたいになった! たまに本当に別人なんじゃないかと思うぐらいに。そして、今よッ!!」
視線の先で、死線を潜る二つの影。
どちらも、人間を捨て去った成れの果て。
「あんな姿、とても人間とは思えない! 怪物になったのよ、アイツは。あっちでナノマシンに
「おい、ナノマシンに塗れた心臓って――――潭澤 澪はd-OSピニオンを誰かに投与された訳じゃないのか!?」
助手席から勢いよく降車し、雨皷の元へ駆け寄る三八谷。雨皷は三八谷の気迫に気圧されながら、何度も頷いた。
「何動揺してるのよ、三八谷。それって、拙い事な訳?」
「分からんから、動揺しているんだ。d-OSピニオンの為に心臓を移植するなんて、俺は聞いた事が無い。考えられるのは、移植手術時に臓器の拒絶反応を緩和する為にd-OSピニオンを使用したぐらいか――」
「一人だけ助かった後ね、アイツを介抱したのが闇医者だったらしいのよ。治療費の代わりに、心臓を抜き取られて交換させられらの。天然物の心臓は高く売れるから。笑っちゃうでしょ、まるでガリバー・フォイルの入れ墨だわ。彼と違う所は、アイツは復讐なんて一切考えていない所かしら。少しぐらい、誰かを憎めばいいのに」
三八谷の言葉を遮るように語り、乾いた声で雨皷は嗤う。
「検査した医者の話によると、アイツの心臓は心臓本来の役割だけでなく、ナノマシン――アンタらが言うd-OSピニオンを無尽蔵に生産する機能を備えている。だからアイツの軀からナノマシンが完全に排出されることはなく体内に蓄積され続け、それがどうアイツに影響するかさえ未知数――」
「心臓そのものがd-OSピニオン製造プラント――そんなヤバい心臓、ますます俺は知らねぇぞ・・・・・・」
「・・・・・・今まで、紛争地帯で暗躍する闇医者や臓器泥棒が使う非合法な人工心臓の類いかと思っていたけれど、アンタの話を聞くとどうやら違うらしいわね。ヤバい心臓――――か」
雨皷の吐き出した嘆息が、地面に堕ちること無く白く立ち消えた。
「さしずめ・・・・・・フランケンシュタインの怪物ね」
雨皷の眼前では、止む事の無い死闘が繰り広げられていた。
サイボーグが銃弾を躱しながら巨大なナイフを振り翳して潭澤へ迫り、それを潭澤が鞄で弾く。
そこに騎士道も無ければ武士道も存在せず、スポーツマンシップも無ければフェアマインドも介在しない。
――単なる。
獣と獣の喰らい合いであった。
「そう――――怪物怪物と連呼するな、署長ちゃん」
その眼を覆いたくなるような凄惨な光景に一瞥を送り、沢田は静かに言った。ポケットから銀製のシガーケースを取り出し、一本口へ咥えて張山に火を点けさせる。
「たった数日・・・・・・そう言うけどね、有り得ない経験すると数日で価値観が百八十度引っ繰り返るのよ、人間ってのは。アンタが挙げた物語の登場人物だって、その数日で変わったのよ。もしかすると、もっと短いかもしれない。アンタには、長い時間掛けて変わったように見えてもね」
紫煙を燻らせながら語る沢田の言葉は、雨皷へ向けての言葉であると同時に、自分自身へ言い聞かせるように雨皷には聞こえた。
でなければ、こんなに辛そうには語らない。
「変わった事に・・・・・・怪物のような外見になった事に一番戸惑っているのは、他でもない半人前君本人だとは思わない? そんな彼氏に対して怪物呼ばわりしたら、逃げる所がなくなって袋小路に突っ込むわよ、彼」
「別に、彼氏なんかじゃ――」
「言葉の
「な――――」
赤面。
包み隠さぬ下劣な話題に対し、男二人はそれぞれ明後日の方へ視線を移しながら無関心を決め込んでいた。
流れる一筋の涙に、一抹の哀しさを宿しながら。
「――あら、皆様お揃いでしたか」
途端。
物陰から、ゆっくりと姿を現す
「随分、冷えてきたようですね。お茶の支度をしましょうか」
この場に不釣り合いな
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