三、『レッド・アイ』その2
――
簡単な、ボランティアの筈だった。
企業や国家の思惑で紛争が続くアフリカで、難民キャンプの設営を手伝ったり現地の子供達と遊んだりするだけのボランティア。必要なのは体力だけで、特別な技能は必要ない。
時期は八月、期間は一ヶ月。バイト代が出ない代わりに、食事や渡航費などの必要経費は大学持ち。参加すれば大学で十単位として認められる。普通一年間講義に参加しても四単位しか貰えないのに、一ヶ月行くだけで十単位貰えるならかなりおいしい。普段サボって単位が足りない
不謹慎だろうが、しょうがない。
社会奉仕や現状把握は名目で、僕らの本音は単純に普段旅行で行けないような場所に行ってみたかっただけなのだ。本物の戦場なんて、そうそう行けるものでは無いし。傭兵気分に浸りながら非日常的なスリルを味わうのも、たまには良いだろう。
――――――気分?
気付く。
これは、わたしの記憶ではない。
多分きっと、これは彼の記憶。混ざり合って、夢の中で自分の記憶として意志とは関係なく再生されているだけ。
まるで、一つの映画を体験するように。
――
難民キャンプへ向かうバス。
それを取り囲む、
殺されていく、
運転手を失い、横転するバス。
憤怒を孕んだ現地の言葉。
銃声。
バッグから銃を取り出し果敢に立ち向かおうとした
じんわりと広がる真っ赤な血。
声を荒げる男。
連中は、
これを握るなら、今――
◇
「――――――!?」
「迎えに来たよ、カタリナ」
僕の言葉にはっとしたような顔をすると、直ぐに焦点を合わせてカタリナは僕を見た。
見てはいけないものを見てしまったような、ばつの悪い顔。こんな表情をする彼女が
「君、本当に
「はい。わたしは
「復唱はいらない。ただちょっと、まだ信じられないだけさ」
「証拠を見せろ、という事ですね。それも目に見える形で」
「ああ。なるべく、一発で分かるようなヤツが良い」
「では――」
言うと、カタリナは粗末なパイプ椅子から立ち上がり、ドレスの裾を摘まんで一礼した。
白磁を思わせる彼女の右手薬指が、ドレスの左肩裾へしなやかに伸びる。そのまま穢れ一つない衣服へと指を――
「え――――――」
掛けず、肩を掴みガチャリと肩を外した。
脱臼、などという生易しいものではない。肩そのものと、肩の下へ伸びた左腕を文字通り取り外したのだ。
「わたしの一糸まとわぬ姿を想像しましたか?」
カタリナの茶化しに、頷くことさえ出来ない。
彼女の言う通り、てっきり服を脱いで自分の
「人目のある場所で殿方に肌を見せる程、わたしは下品な人形ではありません」
人目のある所で自分の腕を取り外すのは、下品じゃねぇのかよ。
「ですが、澪が命じるのであれば従いましょう。着の身着のままのわたしでは、この身を捧げる事でしか貴方に依頼料をお支払いする事が――」
「何言ってるんだ、お前は!!」
やった。ようやく声が出た。
「冗談ですよ。そのような機能は搭載されていません。ですが、腕を自在に取り外せる人間などこの世には居ないでしょう?」
「残念ながら、この二〇四五年にはごまんと居るんだよ。腕や足を失っても義手や義足で不自由なく生活出来るからな」
言いながら、僕はカタリナが握っている彼女の腕を凝視した。
本体と結合されていた箇所から、真鍮製の歯車とピアノ線に繋がれた分銅、そして撥条の一部が見える。
恐らくは腕を動かす為の仕掛けだろうが、このような大量の部品を必要とする複雑怪奇な機構は、電気を流せば筋肉のように収縮する素材が実用化された現代に於いて間違いなく義手には使われない。
「そうですか。閉じ込められていた間に、随分とおかしな世の中になったのですね」
言いながら、カタリナは取り外した左肩を取り付ける。動作を確認するように腕を何度か動かし、一本ずつ指を折り曲げた。
「ですが、澪は驚いていましたね。腕を自在に取り外せる人間が当たり前ではなかった頃の坊ちゃんと同じように」
そりゃそうだ。幾ら当たり前になったとはいえ、突然人前で義手義足を取り外すような奴が居るか。
「・・・・・・もしかして、その〝坊ちゃん〟とやらにも腕を外して見せたのか?」
義手義足が当たり前の世の中に住んでる僕でさえ、しばらく声が出なかったんだ。それが当たり前ではなかった世の中に生きていた年端もいかぬ子供であれば、相当ショックを受けたに違いない。
「ええ。彼が人形である証拠を見せろと、執拗にわたしのスカートの中へ手を入れて下着を
「あー、それなら少し灸を据えた方が良いな・・・・・・」
どうやら〝坊ちゃん〟なる何処かのご子息様は、とんでもないエロガキだったようだ。それならちょっと脅かしてやっても、構わないだろう。
「頭部を、外して見せました」
言って、カタリナはガチャリと首から上を取り外す。
失神、し掛けた。
こんなものを子供に見せたら、間違いなく一生消えぬトラウマになっただろう。
「やはり・・・・・・そうなりますか。坊ちゃんが愛読していたアラレちゃんの真似をしてみただけなのですが」
「僕より長く生きているなら、せめてマンガと現実の区別を付けてくれよ・・・・・・」
現実世界で取れた生首が顔色一つ変えずに喋ってるなんて、ギャグにはならねぇよ。
単なる、趣味の悪いスプラッタ系ホラーだ。
「当然、マンガと現実の線引きはきちんと行っています。ですが、マンガで知っていた知識を目の当たりにしてあそこまで驚くとは、まったくの想定外だったのです。一度経験したことをあそこまで新鮮に驚くとは、わたしの方が驚きでした」
「いや、だからそれが――」
「――いい加減、人形と喋るのは止めなさい。危ない人だと、思われるわよ」
しびれを切らした咲龗子が、後ろから口を挟んだ。
半眼でこちらを睨み、巨乳を強調するように腕を組みながらもの凄いスピードで右脚を揺すっている。
「カタリナは僕の依頼者だ。依頼者を無視しろってのは流石に無理があると思うよ」
「人形は人形よ。仕草や喋り方でどんなに人間に近づけても、所詮は作り物。無機物。構築されたフローチャートに従っているだけの出来が良い茶運び人形よ」
「だからって、備品室に放り込まなくてもいいじゃないか・・・・・・」
僕はカタリナがいる部屋を見回しながら、ぼやくように言った。
ここは第三会議室の隣にある備品室・・・・・・とは名ばかりのガラクタ置き場。古い捜査資料から信楽焼の狸まで無造作に置かれた渾沌とした空間の僅かな隙間にパイプ椅子を置き、そこにカタリナを座らせていたようだ。どうやら僕にとっての依頼人は、彼女にとって備品室のガラクタと同等の価値しかないらしい。
「仕方がないじゃない。
ギロリと僕を睨み付け、ムスっとした声で咲龗子は言う。
どうやら、さっきの取調室の一件をまだ根に持っているらしい。
「単刀直入に言うわ、人形」
「カタリナと、申します」
「わたしは昔から、人形に名前を付ける趣味は無いのよ。理解した? 人形」
「ですから、わたしはカタリナと申します」
眉間に皺を寄せて敵意を剥き出しにする咲龗子に対し、手に持った頭部の笑顔を一つ崩さず事務的に対応するカタリナ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
背筋が寒くなってきた。
何でこいつら、こうも仲が悪いんだ。
「このままじゃ
「ですから、わたしの名前はカタ――」
「カタリナ・・・・・・いい加減、話を聞いてやれよ。あと咲龗子、お前も名前で呼んでやれ」
「承知致しました、澪」
「コンソリデーテッド・エアクラフト社が開発した飛行艇のような名前の人形、だったわね。把握したわ」
「残念ながら、カタリナ型
「皮肉が分からないなんて、流石は脳みその代わりに歯車が詰まっているだけはあるわ」
「無機物な木偶人形に皮肉を言うとは、なかなか愉快な方ですね。私生活でも調子の悪い機械に説教するのではないですか?」
当たっている。
雨皷 咲龗子は、エラーを吐き出したパソコンに文句を吐き出す奇妙な癖を持っているのだ。
・・・・・・いや、感心している場合ではない。
「いつまで続ける気だお前ら、本題に這入れよ。でないと僕が置いてきぼりになる」
「そうね・・・・・・幼少期を思い出して、人形と戯れる純粋無垢な少女を演じるのも、飽きてきた頃合いだわ」
嘘吐くな。
お前はどっちかというと、人形の手足を
純粋無垢な雨皷 咲龗子なぞ、想像出来ん。
「単刀直入に言うわ、カタリナ。アンタはこの市にやって来た通り魔を釣る餌よ。人形のあなたに拒否権はない。分かった?」
「おい咲龗子、もう少し言い方ってのが――」
「・・・・・・さっきからお前が当たり前に言っていて気付かなかったけど、もしかして通り魔って
「言ってなかった? 彼はもう、この市内に入ってきてるわ」
「
そもそも、この富士見台分署は市内に張り巡らされた監視カメラのコントロールセンターとしての機能を果たす為に作られた施設だ。そんな所が肝心の通り魔を排除出来ないでどうする。
「そりゃ、暴力団とかチンピラならね。どうやって、戦闘訓練を受けた軍用サイボーグを相手にする訳? 市内に挽肉の山が出来上がるだけよ。所詮、
自嘲気味にせせら嗤い、咲龗子は言った。
「砂の城なのよ、
「探偵に仕事人っぽい事をさせるぐらい人材不足だしな」
嘯き、僕はカタリナを見た。
「・・・・・・事情はそういう事だけど、いいかい? ちなみに僕は
「先程も囮に使われましたし、別に構いませんよ。ただ――」
ガチャン、と首を定位置に戻しカタリナは言う。
「わたしに致命的な破損が起こる危険性が生じた場合、わたしはその命令を破棄して自身の安全を優先させます」
「自身の安全を優先?」
「端的に言えば、スタコラサッサと逃げる事です」
初めて見た。
真顔で〝スタコラサッサ〟という言葉を使う奴を。
「わたし――カタリナ・ツー・マキナ=クラインボトルの最優先事項は、自身をこの世界に存在させ続ける事。その為には、どんな手段を使う事も厭いません」
ドレスを摘まんで、一礼。
「貴女に無理だ、と否定されても逃げ果せて見せましょう。わたしはそうやって、貴女の倍以上の刻を稼働(いき)てきたのですから」
「・・・・・・大した自信ね、
人を喰ったように嗤い、咲龗子は言った。
「それだけの健脚があるなら、鉄屑になる事は無いでしょう。精々、うちの
嘆息し、咲龗子は髪を掻き上げる。
「潭澤 澪。今度は、先程のように無様な失態は許さないわ。過程も手段も問わない、結果が全てよ。幾ら使い捨ての消耗品とはいえ、
「・・・・・・アレは失態じゃなくて、単に分が悪かっただけだよ」
後頭部を掻き毟り、僕はささくれを隠さずぼやいた。
「長々と偉そうなことを並べ奉ったけれど、とどのつまり面倒だから作戦は僕が勝手に考えろって事か・・・・・・雇い主はいいねぇ、口は散々出すくせに肝心な所は丸投げ出来るから」
「お膳立てぐらいはしてあげるから、そう僻まないで。負け犬の僻みは見ていてこっちが見苦しいわ」
悪かったな。
どうせ負け犬だよ。
「・・・・・・よく言うよ。お膳立てだけ御座なりにしておいて、もしもの責任は全部押し付ける算段のくせに」
「アンタが戦うのは
「・・・・・・・・・・・・」
痛い所を突いてきやがった。
そんなことを言われて引き下がれる程、探偵稼業は楽な仕事ではない。
「当たり前さ、僕は探偵なんだ。僕が事件に首を突っ込んだ瞬間、全ての事件に楔が打ち込まれ解決する――探偵とはそういうモノだと言ったのは他でもない・・・・・・雨皷 咲龗子、お前自身だぞ」
根掛かりを起こす気は、無い。
依頼人を守ってこその、探偵だ。
「良い――――心がけね。ご褒美に、市内巡回中の
「六人?」
確か、富士見台分署に配備されたサイボーグは全部で七人だったような。そもそも、
「ええ――」
そんな僕の疑問を察したように、咲龗子は口を開く。
「彼女、
腰に下げたホルスターに、弱々しく手を触れながら。
「彼女ってまさか、お前の秘書をやっていた――」
「あの子、立川署のお客さんでね。わたしを椅子から引きずり下ろす為に、仕事の傍ら裏で色々やっていたのよ」
僕が秘書の名前を紡ぐ前に、矢継ぎ早に咲龗子は答えた。
「
「確かに、年中あの辺の暴力団やチームやらと血で血を争う抗争を繰り広げているような武闘派集団が、通り魔一人始末出来ずに自分の
秘書の事にはこれ以上触れず、僕は
三多摩地域最大の歓楽街である立川市は、絢爛豪華な華やかさの裏で様々な凶悪犯罪が横行する犯罪都市の顔も持つ。そういった凶悪犯罪に対応する為、立川署は富士見台分署の比ではない程要塞化されており、署員全員を武装化する事でちょっとした軍隊並みの兵力まで保有している。そんな立川署が、外国からやって来た多少気性が荒いドブネズミを始末出来ない筈はない。
また、立川署は戦力と他市への影響力の低下を危惧し、最後まで国立に独自の警察署が置かれる事に猛反対した過去を持つ。現在、事実上国立署である富士見台分署が、わざわざ〝分署〟の名を冠して便宜上立川署の下部組織に属しているのも、当時のいざこざが原因だ。その
――例えば。
両市を跨ぐ無差別通り魔事件・・・・・・なんて、燃え止しに振りかける油としては申し分ない程、上質な――
「・・・・・・お前が本気で通り魔事件を止めようとしている理由、なんとなく分かったよ」
誰にも聞き取れぬ程小さな声で呟き、僕は咲龗子に視線を移した。
「残ったサイボーグは、市境の警備に当ててくれ。通り魔をこの市内から出さないようにするんだ。出入り口を封鎖しておけば時間稼ぎ程度にはなるだろう?」
「七対一で戦うって方法もあるのに?」
「それじゃあ、足手纏いの汚名を返上出来ない」
笑い、僕は握った鞄を軽く振った。
「決着は、僕一人で着ける。依頼人を守れない奴は、探偵なんて名乗れないからね」
「何格好付けてんのよ、ナルシスト」
「でなきゃ、探偵なんてやってないよ」
肩をすくめて、嘆息。
「何処か、適当な場所に通り魔を誘き出せないかな?
「そう言うと思って、誘き出す場所は既に決めてあるわ。西に廃校があるでしょ? あそこ、災害時の避難施設を建設するために今度取り壊すことになってね。だから、施設内で何壊しても問題ないわ。周辺住民には事前に深夜工事をやるって告知を出しているし、余程暴れない限りは
「随分早い手回しだな。まるで、ずっと前から考えていた感じだ」
具体的には最初の通り魔事件があった時から、かな――
「思い付きで金をばらまいて人事を動かせる程、
「僕としては
「その前に最後の力を振り絞って、アンタをとことんまで追い詰めてからこの国にいられなくしてやるわ」
「お前が言うと本気でやりそうだから、止めてくれ・・・・・・」
僕が心底げんなりとした口調で言ったのが可笑しかったのか、カタリナはクスクスと笑った。
「御二人は、とても仲が宜しいのですね」
「少なくとも、仲が良い人は社会的に抹殺する的な事を言って脅したりはしないよ」
「残念ながら、わたしは自分の所有物を友達や家族のように扱う変態じゃあないのよ」
口々に不平を言うと、カタリナはさらに可笑しそうに笑う。
その笑顔はとても人形とは思えぬ程自然な柔和さで、こっちが朗らかになりそうなぐらい幸せな貌だった。
だから僕は、思わずそれに釣られて笑いかけ――
「ッ!?」
轟音。
ぐらりと、建物全体が揺れる感覚。
銃声。
誰かの、命の灯が掻き消される音。
「――予定より、些か無粋な登場となったか・・・・・・手札が悪い」
粉塵で閉ざされた階段の奥で、くぐもった声が聞こえる。
階段を一段、昇る度に響く駆動音。
義足、もしくはサイボーグ――
「この城に住まう、女王陛下にお目通り願いたい。吾輩の大切な姫君が彼女の世話になっている筈だ」
言うや、レーザーポインターのような青い瞳が一つ、粉塵から突き抜ける。続いてヒトよりも大分細い頭部、触手のような右腕が姿を現した。
「ほう・・・・・・わざわざ出迎えてくれたか。嬉しいぞ、我が姫君。直接謁見するのは初めてだが、貴姫は画像データ以上に麗しい。やはり人形は良い物だ。肉の軀を精巧に模しながらも、肉の軀のような醜さが微塵も感じられぬ。それが、思考し自立する人形であれば尚更――」
舐めるように青い視線がカタリナの貌に触れ、覆面で隠れた表情が下世話に歪む。
「姫君の保護、感謝する。早速だが、彼女をこちらに引き渡して貰おう」
「嫌だと・・・・・・言ったら?」
「ならば、仕方がない」
咲龗子の不敵な
S&W社製M500――――そう名付けられた、規格外の大口径用回転式拳銃。
鮮血が滴るかつてそれの所有者であった男の野太い右腕ごと構え、銃口を真っ直ぐ咲龗子へと向ける。
「オープニング・ベットだ」
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