第三章『レッド・アイ』

三、『レッド・アイ』その1

 警視庁立川警察署所属富士見台分署。


 市内の治安を維持し、現在国立市を事実上統括する日本初の警察分署は、元々公園があった場所に建っている。


 外観はどことなく輸送艇を彷彿とさせ、見る角度によっては宇宙船にも見えない事は無い。当初は、近未来的な外観で市民へ開かれた行政を目指して造られたらしいが、現在は富士見台分署の署長であり、国立市の影の統治者である雨皷あまつづみ 咲龗子さくらこによって改築され、入り口以外のガラス扉や窓を撤廃し、日差しを取り込む最低限の小さな窓があるのみである。


 その威圧感のある要塞然とした雰囲気は、とてもではないが、かつて子供達が無邪気に遊んだ公園であった面影を慮る事など出来ず、一種の魔窟のようになっていた。


 魔窟。

 その魔窟の、最深部。


 僕はパイプ椅子に手錠で拘束され、無骨な机を挟んで雨皷 咲龗子と対峙していた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 机の上には、白熱球を用いる時代後れの電気スタンド。ご丁寧に店屋物の丼まで用意してある。咲龗子の近くには水で満たされた傷だらけの金属製のバケツ、その隣には先端が不自然に赤黒く黒ずんだやっとこが顎を晒して打ち棄てられていた。


 間違いない。

 誰がどう見ても、此所は拷・・・・・・否、取り調べ室であった。


「でも何で、僕が取り調べを受ける必要があるんだ・・・・・・?」

「取り調べる気は、元からないわ」

「じゃあ、何で・・・・・・?」

「趣味よ」


 どうやらこの女子高生署長様は、特殊なプレイがお好きなようだ。

 そういうことは、公務以外且つ僕の知らない場所で一人でやっていてもらいたい。


「まあ、六十パーセント嘘よ。ただ、アンタを当分の間拘束しなければいけないのは事実」

「カタリナ絡みって訳か・・・・・・」


 この部屋に彼女の姿がないことを確認し、僕は言った。


「あのを使って、何をする気だ? それに、僕はまだ彼女を人形だって信じた訳じゃないぞ」

「だから拘束するのよ。アンタは頭に血が上ると、何するか分かったものじゃないからね。怒り狂ったアンタに、わたしの城を壊されても、腹が立つし」

「怒り狂う事をするつもり・・・・・・なのか?」


 自分でも驚く程に、声のトーンが著しく下がる。


「さあ? まあ、アンタみたいに単なる人形相手に人間の小娘と接するような態度を取る人間なら、怒り狂う可能性はあるわね」

「・・・・・・誰かを釣る餌にする気か」

「察しが良くて助かるわ」


 そりゃそうだ。

 ついさっき、やったばかりだから。


「釣り上げる魚は、何処かのシンジケートといったところか。お前この間、結構大きな暴力団一つ潰しているんだから、あんまり派手なことはやるなよ」

「ご忠告どうも。でも今回わたしがやりたいのは、底引き網じゃなくて文字通り一本釣りなの。狙うのは、たった一人よ」

「まさか、例の通り魔・・・・・・じゃないだろうな?」

「そのまさかよ」


 僕の冗談に一切動じることなく、腕を組んで胸を張るように咲龗子は言った。

 心なしか、褒めてくれと言わんばかりに得意げである。


「どうして、立川を荒らし回った通り魔とカタリナが関係あるんだ。どう考えても、ベクトルが違うだろ」

黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンって知ってる?」

「いかにも、悪の組織みたいな名前だな」


 肩をすくめ、僕は御座おざなりに答える。背中の方で、手錠の鎖が小気味良く鳴った。


「残念ながら、実在する組織よ。組織、というよりかは秘密クラブ――――結社、と置き換えてもいいかもしれない。同名の組織が十九世紀のイギリスにあったんだけど、それとは一切関係ないわ。もっとも、関係ないとわたしが一蹴すると、会員達が口角泡を飛ばして何か言ってきそうだけど」

「話が見えない、もうちょっと簡潔に語れよ」

 

 結論だけさっさと言ってしまえばいいのに、小説じみた語り口調で長い長いあらましを延々と語って聞かせられるのは面倒だ。


「いいから黙って聞きなさい」


 面倒な顔をする僕に、咲龗子は怒気を込めた視線をぶつける。


「アンタの望み通りに結論から述べると、黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンは一種の学生サークルよ。発足は七十年代後半から八十年代前半辺り。終末思想かなんかでオカルトがちょっとしたブームになった時、アメリカに住んでる当時の大学生達が悪ふざけで作ったのが最初らしいわ」

「いつの時代もどこの国も、馬鹿をやらかすのは常に暇な大学生って事が如実に分かる話だな」


 暇だからな。

 講義だバイトだレポートだと、どんなに忙しいフリをしたって、自分の為にだけ使える時間は社会人と比較にならない程、大学生はたっぷりと持っているんだから。


「で、その狂信者カルティスト共の末裔が、今回の通り魔ってわけか?」

「結論を急ぎすぎないで、話はもっとややこしいのよ。アンタはどうしてそう、精神的にも肉体的にも恒久的早漏なのかしら」


 黙れ、処女。

 耳年増が知った風な口を利くな。


「何、図星?」

「あんなもん、回数をこなせば自然と時間は伸びる」

「? 回数――」


 思い至り、咲龗子の顔が耳まで赤くなる。


 ・・・・・・ったく。

 そういう顔するなら変な言葉を使うなよ。

 背伸びしてまで大人こっちに入って来るな。


「・・・・・・話を戻すわ」


 こほん、と咲龗子はわざとらしく咳払いをすると、まだ僅かに赤みを帯びた頬を動かして語り出した。


「通り魔は、黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンの会員じゃない。間接的な関係者ではあるけれど」


 言って、咲龗子は胸ポケットから写真を取り出して僕に見せる。

 写真に写っていたのは、サイボーグ化した白人の女性。軍属なのだろうか、カーキ色の軍服を模した外装を身に纏い、カメラに向けて凛々しく敬礼をしている。


「へぇ、なかなかな美人じゃないか」

「彼女は脳以外を機械化したサイボーグよ。どんな顔だろうとも、オスカー女優顔負けの容姿になるのは容易いわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 なんでそう、直球の悪意を相手に投げつけるんだ。

 お前、絶対に学校で友達居ないだろう。


「・・・・・・彼女の名前は、メイベル・ノウマン。第二十六アメリカ空軍空挺機甲部隊所属の中佐よ」

「空挺機甲部隊・・・・・・ああ、以前大学の講義で習った事があるな。サイボーグ化した兵士達だけで構成された空挺パラシュート部隊で、二〇二八年のアフリカ大地溝帯グレート・リフト・バレー戦線で結構活躍したんだっけか」

「詳しいわね」

「そりゃ、例の事前講習で散々やったからね。もっとも、役に立ったかどうかは、分からないけれどさ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 僕が嘯くと、咲龗子は静かに目を伏せた。


「・・・・・・別に、気にしないで良いさ。僕に運がなかったのが、原因なんだから」

「気にしてなんかいない。でも、あそこに行かなかったら、今もきちんと大学に通っていたのにって、思っただけよ」

「ボランティアに行ったのも、大学を辞めて探偵になったのも僕の意志だ。今更後悔したって、仕方がないさ」


 後悔した所で、仕方がないんだ。

 人は誰しも、過ぎ去った時間には戻れぬ者だから。


「・・・・・・それで? その美人の軍人さんが、一体どうしたんだい?」


 美人、という言葉を聞いて咲龗子は眉間に皺を寄せる。一体、彼女はどれだけ写真の女が嫌いなのだろうか。


「立川の通り魔事件、覚えてる? 一番新しい犠牲者が、彼女よ」

「被害者の写真だったのか・・・・・・ニュースは映像を見ていなかったから、顔までは知らなかったよ」

「被害者でも有り加害者でもある・・・・・・まあ、そういう女よコイツは」

「・・・・・・どういう意味だ?」


 嫌悪感を露わに吐き捨てチョコレートを囓る咲龗子に、僕は訝しみながら問うてみる。


「その前に、通り魔の目的は何だと思う?」

「マスコミ辺りなら、サイボーグに対する差別意識を持った人間の犯行、って報道するだろうね。でも、違う。襲われた人間は全員戦闘訓練を受けていた。犯人もサイボーグである可能性が高い。自らのアイデンティティを否定するような、サイボーグ狩りをする筈はないさ」

「じゃあ、一体何が目的?」


 値踏みをするように嗤う咲龗子に、僕は肩をすくめて嘆息した。

 手錠がガチャリ、と音を鳴らす。


「襲ったのではなく襲われた――――そう、考えた方が納得がいく。通り魔が何らかの機密を保持していて、それを奪う為に襲われたんだ。例えばそう・・・・・・――――とか、ね」

「正解よ」


 盛大な拍手を送らんばかりの満面の笑みを浮かべ、咲龗子は言った。


「でも、ここまでヒントをあげたんだから、答えられなかったら流石に馬鹿よね」

「僕は馬鹿だから、それでも良いんだよ。最初にお前が言っただろう、推理も思考も策略も作戦も自分の領域だと」

「そんな事、よく覚えていたわね」


 つまらなげに嘆息し、咲龗子は髪を掻き上げる。


「最初の三人は文字通り、襲撃者だった。とある企業に雇われた民間軍事会社PMCの社員達や、この国の治安の為に存在しない部署で働く退役自衛隊隊員。彼らは皆、メイベル中佐から人形を奪取する為に派遣されたエージェントよ。そして、通り魔と称されるサイボーグの返り討ちに遭って、天国の階段やら三途の川を渡る羽目になったという訳」

「ちょっと待て、メイベル・ノウマンと通り魔は協力者だったってわけか・・・・・・? じゃあ、何で通り魔に襲われたんだよ?」


 それとも、のか――

 僕の仮説を見透かし、咲龗子は首を振った。


「メイベル中佐を襲ったのは、間違いなく通り魔よ。幾ら政府の特殊機関が絡んでいるからとはいえ、そこまで事実をねじ曲げて隠蔽する気はないわ。実際、日本政府はこの件に対し、既に身を引いているから」

「身を引く・・・・・・? 仮にも政府が、重要な機密をそんなに早く手放すのか?」

「重要な機密ではない、と判断したんでしょうね」

「どういう事だ・・・・・・?」


 今いち話が見えない僕に対し、咲龗子は言う。


「それを話す為に、最初の話に繋がるのよ。黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンにね。メイベル中佐は、この黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンの会員だったのよ」

狂信者カルティストがよく米軍に入れたな。あそこって、そういうの結構気にするんじゃなかったか?」

「言ったでしょ? 黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンは大学生が悪ふざけで作ったって。その設立メンバーが厄介でね、アイビー・リーグに所属する某大学の学生だったの。かつて悪ガキだった彼らも、今では政府機関の重要なポストに吐息を掛けられる立場になっていて、そう簡単に黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンの会員を排除出来ない現状があるのよ」

「成る程、それは厄介だ」


 呆れ半分に、僕は言う。


 アイビー・リーグとは、アメリカの名門大学八校で構成された連盟だ。学生の大半は卒業後、業種はどうであれ国を左右する要職に就く。学生時代の秘密結社ごっこも、刻が経てば絶大な権力を有する本物の秘密結社と化す訳だ。


「今も昔も相変わらず、黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンは悪ふざけの秘密結社ごっこサークルよ。悪魔払いと称して路上で通行人へビールをぶっかけたり、ハロウィンの日に本物そっくりのカエルや毛虫の幼虫を模ったお菓子を子供達に配ったり、図書館の本をひっくり返して、それで巨大な魔法円を作ったりする、かなり傍迷惑はためいわくな・・・・・・ね」

「詳しいな」

「ネット上に、彼らが作った動画が腐る程あるからね」


 言って、咲龗子はポケットから取り出したスマートフォンを操作し、動画サイトにアップロードされている黄金の夜明け団ゴールデン・ドウン関連のサムネイルを僕に見せた。

 成る程、確かに見事なまでの悪ふざけサークルだ。


 アイビー・リーグの看板が泣いてる。


「・・・・・・で、このリア充のコンパみたいなサークルにメイベル・ノウマンは所属していたわけか。この写真からは、ちょっと想像出来ないな」


 僕はしげしげと写真を見ながら、率直な感想を口にした。


 美人ではあるが、やや地味めな顔。コンパに参加して悪ふざけをするより、図書室で静かに本を読んでいる事が似合いそうな女性だ。


 咲龗子は先程ああ言ったが、実際百パーセント別人に整形するサイボーグはかなり少ない。様々な理由が考えられるが、以前ネットで拾った情報によると人間ではない何かに変質した彼らは、人間であった頃の自分に偏執して自己の人間としてのアイデンティティを保つ性質があり、それが彼らが整形を厭う事に関係しているらしい。


 僕はサイボーグではないし、サイボーグの知り合いもいないので詳しいことは分からないが、人間ではない何かに身としては、分かりたくないが理解は出来る。


「――それは多分、彼女が思ったことでしょうね」


 びくり、と僕は軀を振るわせる。


 思わず、咲龗子に胸の内が見透かされているのかと思ったが、直ぐにそれが〝リア充のコンパみたいなサークル〟に掛かる言葉である事に気付いた。


「彼女は黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンを本物の魔術結社ミスティック・サークルだと思ったのよ。薔薇十字とかグノーシス、精霊召喚に交霊術、生命の木やカラバや三原色――――とにかく、そういうのに憧れて入ったらしいわ」

「勧誘か体験入部で気付けよ」

「ないんでしょ、きっと。アメリカの大学生活なんて、分からないけど」


 僕だって分からない。


「で、入部したはいいけれど現実と理想のギャップに苦しみ、彼女はとうとう黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンで単独魔法の研究を始めるの。当然、サークル内でも気味悪がられて孤立したわ。それでも彼女は諦めなかった」

「その研究が実を結んで・・・・・・何かになったわけだ」

「ちょっと違うわ」


 否定。


「彼女の研究は何も実を結ばなかった。正直、魔法ってのは大部分が幻覚やら錯覚が原因で起きた奇跡に過ぎない。条件を幾ら均一化して再現した所で、同じ魔法は二度と使えないのよ。万華鏡の中での出来事みたいなものだからね」

「じゃあ、彼女は何をやったんだ?」


 さっきから、何でそんなに魔術とか魔法に詳しいんだ。お前、実はオカルトに傾倒しているんだろう――――なんて、余計な茶化しをして機嫌を損ねないように、僕は素直に咲龗子に最低限の要所だけ尋ねた。


 人間、誰しも触れられたくない過去はあるものだ。

 それを理解してスルーするのが、大人の優しさってやつさ。


「発見よ」

「発見?」


 僕のオウム返しに、咲龗子は水飲み鳥のような動作で頷いた。


黄金の夜明け団ゴールデン・ドウンのパイプを使って集めたコネクションや文献などを漁って、彼女は発見したのよ。この世界で唯一存在する、魔法の結晶をね」

「まさかそれが、カタリナだって言うんじゃ――」

「少し、違うわ。あの人形は結果に過ぎない。ねぇ、クラインの壷って分かる?」

「馬鹿にするな、それぐらい僕だって知ってる」


 手錠を鳴らしながら、僕は答える。


「メビウスの輪みたいなやつだろ? 立体のくせに裏表がなくて、鉛筆か何かで線を引っ張れば始点に戻って来れるっていう」

「正解。そのクラインの壷を動力炉として永久機関を作り出すことを考えた紙一重の天才が居たのよ。彼の名前は、ヨーゼフ・ゲーテル。オーストリア出身アメリカ移民の時計職人で、クラインボトル・エンジンの発明者よ」

「クライン――――ボトル・エンジン・・・・・・」



 ――一九三〇年製カタリナ型試作クラインボトル・エンジン搭載自動人形オートマタ――――それがわたしです



「メイベル中佐が発見したのは、彼の構築した理論が書かれた論文とクラインボトル・エンジンの設計図。でも、それを彼女の力で再現することは不可能だった」

「さっき言っていた、万華鏡の理屈か・・・・・・」


 僕の言葉に、咲龗子は無言で頷く。


「だから彼女は探し求めたのよ。現存する唯一の魔法を、それが組み込まれた人形を。愛国心から志願して大地溝帯グレート・リフト・バレー戦線に参加し、重傷を負って生身の躯を失っても、ずっと――――ね」

「そこまでの執着心――――一体、どこから湧いてくるんだ・・・・・・」

「さあね、そこまでは調べられなかったわ。ただ、彼女があの人形に異様に執着していたのは事実よ」

「その執着が原因で、仲間であった通り魔に裏切られて殺されたってところ・・・・・・かな」

「恐らくね」


 咲龗子は短く肯定の言葉を紡いだ。


「魔法とかカタリナの事とか、よく分からないけれど、もっと分からないのは、その魔法の成果っていうカタリナから、何で日本政府が手を引いたのかって事だ。そんなに凄い物なら、是が非でも手に入れたいと考えるのが普通じゃないか?」

「退いたのは日本だけじゃないわ。米軍も――――延いては、アメリカも一緒よ」

「へ?」


 思わず、素っ頓狂な声を上げる。僕の反応を至極当然だと言わんばかりの表情を見せてから、彼女は口を開いた。


「人形を狙っていた連中は、当初人形が――――クラインボトル・エンジンが、兵器に転用出来ると考えていたのよ。永久に動く動力炉を量産すれば、戦争で有利になるのは間違いないからね。もっと大きいのが作れれば、エネルギー関係のパワーバランスだって根本から変わってしまう」

「でも、さっきの万華鏡の理屈で量産は出来ない・・・・・・か」

「そう。どんなに素晴らしい兵器も、量産出来なければ意味はない。おまけに、クラインボトル・エンジンは人形に搭載されていなければ、永久機関としての力を発揮出来なかったのよ。流石にあどけない外観の骨董アンティーク自動人形オートマタ一体に機関銃やら迫撃砲をしこたま持たせて、戦線に配備するような馬鹿馬鹿しい光景は誰も見たくなかったようね。例え、戦闘用自立機動兵器禁止条約がなかったとしても」

「そりゃそうだ」


 撥条ぜんまい仕掛けの少女が屈強な男達を次々駆逐する様は、もはや戦争の悲惨さを描いた悲劇ではなく、モンティ・パイソンかピーター・セラーズの分野であるシュールレアリスムじみたナンセンスな喜劇だ。


 そんな戦争、金払っても見たくない。


「しかし、永久機関を搭載したその自動人形オートマタに何でメイベル・ノウマンと通り魔は執着し、あげくに仲間割れを起こしたんだ? そんな使い難い存在ならば、使い道は精々、好事家に高値で売り払うぐらいだろう」

「それは本人達しか分からない事でしょうね。一枚数万するゲームのカードだって、集めていない人間からすれば薄汚い紙切れと同じよ」


 言って、咲龗子は蔑むような視線を僕に送った。

 悪かったな、薄汚い紙切れで。


「まあ――――推測ではあるけれど、恐らく〝成果〟を形として欲しかったんじゃないかしら。他の会員から蔑まれ気味悪がられても研究した魔法・・・・・・そう簡単に、諦められるはずないもの」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 彼女の言葉は、決してメイベル・ノウマンの心情を表した言葉ではない。それは自分自身――――雨皷 咲龗子への言葉だ。

 それが分かったからこそ、僕は敢えて茶化すことを止めた。


「・・・・・・こっちの持っている情報は以上よ」


 腕を組み直し、咲龗子は言った。


「わたしの目的はあくまでも、通り魔事件を立川だけで終わらせる事。この多摩地域唯一の行政特区で――わたしの領地で、通り魔事件は起こさせない。その為には、例え重要文化財指定されそうな骨董品だろうとも、疑似餌ルアーとして使ってやるわ」

「事情は把握した。彼女が疑似餌ルアーならば、僕はさしずめ釣り針フックって訳か。別にそれでも構わないが――」


 思い切り、咲龗子を睨み付ける。


「その疑似餌ルアー、ちゃんと無傷で戻ってくるんだろうな? 根掛かりを起こして消失ロストなんて事・・・・・・くれぐれも、起こさせるなよ」

「それは釣り針フック次第ね」


 僕の怨嗟を受け流し、にべもなく言葉を紡ぐ。


「わたしは釣り人、竿ロッドでもなければラインでもない。道具が壊れたら新調すれば良いだけの話。釣り針アンタにとって疑似餌ルアーが大事な存在ならば、精々根掛かりを起こさぬよう頑張りさない」

「分かったよ・・・・・・」


 奥歯を噛み締め、僕は呻いた。

 どんなに虚勢を張ろうとも、僕と咲龗子の間には絶対的な溝がある。僕に勝ち目はない。将棋の駒が棋士と争うことなど、有り得る筈はないのだから。


「取りあえず、カタリナと話をさせて貰えないか? 彼女も署の何処かに居るんだろう?」

「駄目だ、と言っても力尽くで会いに行くつもりでしょう? わたしの許可無く、とっくの昔に手錠を外しているし」

「バレていたか」


 振り返り、手錠を嵌められていた両手に視線を送る。既に手錠は解かれ、竿竹に吊したハンガーのように半円がぶら下がっていた。


「さっきからね、手錠をガチャガチャする音が五月蠅かったのよ。アンタならその程度、簡単に外せるでしょうけど、やるならもう少し静かにやりなさい」

「僕に鎖を引き千切れる力があれば、一気にやって音を少なく出来るんだけどね。非力な僕には、隠し持った針金で慎ましく鍵穴をこじ開ける事しか出来ないのさ」


 もう後ろ手にする必要もなくなった両手を机の上に投げ出し、手錠を取り払って僕は肩をすくめて言う。


「これで自由になったし、目の前のカツ丼食べて良いかな? さっきから激しく動き過ぎてハラペコなんだ」

「無理よ」


 無慈悲に言い放ち、カツ丼の蓋を取る。


「これ、食品サンプルで作った小道具セットだから」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 この小娘、どこまで性根が腐っていやがるんだ。

 百歩譲って、飯を出さないならまだいい。しかしこうやって丼を出して割り箸まで付けているのに、食品サンプルって何なんだよ。


 ついでにこの食品サンプル、無茶苦茶出来が良いのが余計に腹が立つ。飴色に透き通ったタマネギが絡んだ半熟の卵に、出汁がほどよく染み込みしんなりとした豚カツ。卵のヴェールから僅かに顔を覗かせる白米は艶やかで、米の一粒一粒が立ち上がっている。中央に散らされた紅ショウガも、なかなか旨そうな赤色だ。もういっそ、樹脂だと知りながらもカツ丼だと自己暗示して食ってやろうか。


「・・・・・・あれだけ肉を平らげたのに、よく食欲が湧くわね」


 深いため息を吐きながら咲龗子は自分の鞄を漁り、予備の板チョコを積み上げると、中から小ぶりな浅葱あさぎ色の包みを取り出した。


 取り出した包みを解くと、中から半分に切られたツチノコに似たフランスパンが現れる。フランスパンは右横がざっくりと切り開かれ、中にはトマトやタマネギ、レタスにピーマンといった生野菜、肉がないのが寂しいけれど代わりにぶつ切りにされたプロセスチーズがぎっしりと詰め込まれており、オレンジ色のドレッシングソースが切り口から滴り落ちていた。


「夜食用に適当に作った奴だから味の保証はしないけれど、取りあえずお腹は膨れると思うわ」

「食って良いのか?」

「どうぞ。アンタの目の前で平らげても良いけれど、餓えた飼い犬にハムかソーセージの代わりに噛み付かれても困るからね」

「頂きますッ!!」


 両手を合わせると、僕はフランスパンを掴み取り口を最大限まで開けて齧り付く。


 噛み締めた途端、パンが吸い込んだ野菜の甘みが絡んだドレッシングがじんわりと味蕾を撫でた。その官能じみた味覚に、思わず恍惚に酔いしれる。美味い。ハラペコだから特に。このプロセスチーズも人工乳を使った代物ではなく、紀伊國屋で売ってる本物だ。一体誰だ、雨皷 咲龗子を性根が腐っていると宣った不届きな輩は。


「よく息が続くわね・・・・・・少しは飲み込んで一息吐いたら?」


 無理だ。

 あまりにも美味すぎて、僕の意志に関係なく顎が勝手に動く。


「――ねぇ、」


 理性のたがはとっくの昔に外れていて、今の僕は味蕾へ新たなる刺激を絶えず送り続ける事しか考えられなくなっていた。


「だから――」


 願わくば、この至福の時間が永遠に続いてくれれば――


「・・・・・・いい加減、人の話を聞きなさいッ!」

「痛ってぇッ!!」


 激痛がした左手を反射的に見ると、怒りと憎しみが込められた小型のナイフが僕の手の甲に突き刺さっている。


 至福の時間などと瞬間的に通り過ぎ、今は爪先から頭頂部に至まで恐怖という恐怖が冷たく全身を包み込んでいた。


「お前・・・・・・幾ら何でも、これはやり過ぎ――」

「血、調べないと駄目でしょ。久しぶりに派手に動き回ったんだから」


 咲龗子は悪びれもせず嘯くと、僕から引き抜いたナイフから血を一滴彼女のスマートフォンに繋いだ測定器に滴らせ、実行ボタンを押した。


「いや、だからって言っても、もっと穏便な方法が――」

「アンタはどうせ直ぐ直るんだから、何やっても変わらないわよ」


 僕の手の甲に視線を送り、咲龗子は言い放つ。事実、あれだけ深々とナイフが突き刺さった僕の手の甲は、痕一つ残る事なく綺麗に傷口が塞がっていた。


「確かに。治療用ナノマシンを自分自身で製造出来るってのは、経済的で良いな。この心臓になってから医者いらずだ」

「暢気に喜ばない。アンタの血中ナノマシン濃度は通常の人間の許容量を遥かに超えてるわ。ヘモグロビンや白血球よりずっと多い。血管の中を血液の代わりに、小さな機械が這いずっているようなもんよ。いつ何かが起きても、不思議じゃない」

「・・・・・・大丈夫さ」


 最後の一欠片を口に放り込んで飲み込むと、僕は口を広げて犬歯を見せた。


「ほら、牙が生えてる訳でもないし、鏡にもちゃんと映る。もちろん、太陽で溶ける事もない。まあもっとも、太陽は大嫌いだけれどね」

「そんな馬鹿馬鹿しい冗談よりも、高濃度ナノマシンによるアナフィラキシーショックの方が先よ」


 検査結果が表示されたモニターを僕に突き付け、咲龗子は言った。


「見なさい。力を使用した分を差し引いても、確実にナノマシンの濃度は以前に比べて大分濃くなっている。ナノマシンの過剰投与によるアレルギー問題は知ってるでしょ? 身体の自由が利くうちに身の振り方を考えておきなさい。一回、立川病院で透析を受けてみたら? それか、前から言ってるようにドナーを探すとか」

「厭だよ、僕の入っている民間保険じゃ入院費だけで破産しちまう。それに移植するにしたって、クローン人間から抜き取られた臓器なんて気味が悪い」


 は名前こそ〝クローン人間〟だが、効率よく臓器を生産する為に遺伝子を操作し生み出された化け物だ。外見はイモムシに酷似しており、関係者からは莢豌豆ストリング・ビーンの愛称で呼ばれている。豆の代わりに臓器が内包された肌色の莢豌豆ストリング・ビーン。そんな化け物から生み出された臓器なんざ、絶対に自分の軀に入れたくはない。


「・・・・・・大体、身の振り方なんてもんは、お前と初めて逢った時から決めているさ」


 胸に手を当て、僕は咲龗子の双眸をじっと見つめる。


は、お前が僕を殺すんだ。飼い主の義務としてね」

「そう・・・・・・ね。国立市うちの保健所は、アンタを殺せる程頑丈ではないから」


 咲龗子はスマートフォンから測定器を引き抜いて、専用のケースにしまいながら俯き加減に呟いた。


「・・・・・・そんな事、今はどうでも良いよ」


 嘆息し、僕は机に立て掛けてあった僕の鞄を掴むと、中を開いて銃を取り出した。AMTハードボーラー。元となったコルト社のM1911ガバメントよりも大分長い遊底スライドが、机の上で異質な存在感を示す。


 弾倉脱着マガジン・リリースボタンを押して弾倉マガジンを引き抜く。弾倉から顔を覗かせた禿びたクレヨンのような形状の弾丸を一発弾き、それを咲龗子の前に転がせた。


「もっと強い銃弾が欲しい。このフルメタルジャケット弾よりも強力な奴。さっきも銃弾の威力が無かったばっかりに、人形を追ってきた連中に殺され掛けた」

「口径の小さな九ミリ弾ならいざ知らず、.45弾で致命傷を与えられないのはアンタの腕不足でしょ」


 髪を掻き上げ、面倒くさそうに咲龗子は言う。


「けど――――そう言うと思って、軍用ホロウポイント弾を用意したわ。喜びなさい。ただし、今から色々と書類を書くのが面倒だから、ちょろまかせた二弾倉マガジン分だけだけれど」


 言って、鞄から弾倉マガジンを二つ取り出しハードボーラーの隣に並べて置く。中から覗く銀色の弾丸は、フルメタルジャケット弾と違い頭頂部が火口のように窪んでいた。


「二弾倉マガジン・・・・・・十四発か。心許こころもとないけれど、まあやれないことはない弾数だな」


 言って、僕は弾倉をジャケットの内ポケットにしまう。


「文句を言うならSTIやインフィニティみたいに装弾数の多い多弾倉式ダブル・カーラムを採用した銃か、素直にベレッタM9かワルサーP99のような九ミリ弾用の銃を選びなさい」

銃把グリップが太くなる.45用多弾倉式ダブル・カーラムの銃は僕の手じゃあ握り難いし、幾ら弾数が多くても九ミリ弾じゃあ威力に不安が残る。だから、ハードボーラーコレのままで良いんだよ。それに、予備の弾倉マガジンなら鞄に入ってるしね」


 言って、僕は鞄に一瞥をくれた。内部に空の弾倉マガジンへ銃弾を素早く供給出来る全自動式弾倉装填機オート・マガジン・リローダーが組み込まれたこの鞄には、合計六個の予備弾倉マガジンが搭載されている。余程のことが無い限り、弾切れを起こす心配はないだろう。


「でもその銃は、実戦向きではないわ。通常より長い遊底スライドも、溝が深く彫り込まれた菱形模様の銃把チェッカー・グリップも、全ては精密射撃を行う為にカスタマイズされた代物。競技に出場する訳でもないのに、取り回しの悪い銃を使う意味は無いでしょう? せめて、普通のM1911ガバメントに――」

「意味はあるさ」


 僕は机に置かれたハードボーラーを握り締め、ゆっくりと机から引き剥がす。

 それから真っ直ぐ、何度も何度もやってきた行為を繰り返すような慣れた動作で、銃口を顳顬こめかみに押し付けた。


 同時に、撃鉄ハンマーに指を掛けながらゆっくりと引き金トリガーを引き――


――――――ッ!!」


 ガシャン、というパイプ椅子が倒れる音。遅れて直ぐに、食品サンプルが詰まった丼が割れる、小気味の良い音がした。


「心配するなよ、弾倉マガジン・・・・・・入ってないだろ?」


 必死の形相で僕へ覆い被さり、震える両手で僕からハードボーラーを奪い取ろうとする咲龗子に僕は言う。


「馬鹿ッ! 何で急に自殺しようとするのよ!?」

「・・・・・・自殺、しない為さ。ほら、遊底スライドが長いと撃鉄ハンマーに手を掛けながら眉間に銃口を当て難いだろ? それを実演する為に――」

「馬鹿ッ! だからってそんな、そんな風に・・・・・・幸せに笑いながら銃を・・・・・・自分に突き付けなくても――」

「笑っていたのか・・・・・・僕。全然、気付かなかった」


 仕方がない。自分の表情なんて、意識しなければ気付かないからな。

 でも、笑っていた・・・・・・か。やはり、僕は――


「ごめん、悪かった」


 銃から手を放し、僕は言う。僕が手を放したにも関わらず、咲龗子はまだ力強く抱きしめるように銃を握っていた。


「絶対、許さない。どんなに謝っても、許さないッ!」

「そう言うなよ。お前にまで許されなくなったら、僕はもう世界の誰にも許されなくなってしまうんだから」

「・・・・・・それでも、許さない――」


 両手で握っていたハードボーラーをゆっくりと机に戻し、咲龗子は静かに立ち上がる。同時に、指先が腰のベルトに吊されたホルスターに掛かり、ボタンを外す音が取調室に鳴り響いた。


 現れたのは、小振りな鈍色の拳銃。照星の類いを廃した代わりに中央に深く彫り込んだ溝と、ぴったりと上部の遊底スライドが合わさった遊底覆ダストカバーの醸し出す外見から、近未来のレーザー銃を彷彿させるシルエットに、砂時計を刻んだ胡桃材ウォルナット銃把グリップがアンバランスに映える。


「インフィニティ・ファイアーアームズ社の小型拳銃――――Tikiか。久しぶりに見たよ、お前の愛銃」


 彼女がホルスターから引き抜くと、遊底スライドに刻み込まれたTikiのロゴが、白熱球の強い光で自己を主張するように鮮明になった。


「わたしは、銃を使わせる立場の人間だから。わたし自身がTikiこの子引き金トリガーを引く時は、身内を始末する時だけよ」


 遊底を一回後退させ、銃口を僕の眉間へ突き付ける。


「だから肉が嫌いなの。血の臭いが、嫌なのよ」


 乾いた声。そのくせ、怯えたように上擦うわずっている。

 きっとこの声を出しながら、彼女は手に持つ処刑道具で誰の手も借りずに、何度も元同僚うらぎりものを葬っていったのだろう。


「・・・・・・死にたいなら、わたしがいつでも殺してあげる。だから、わたしに断りもなく自分で自分を殺さないで」

「それは、飼い主の命令?」

「違う。だってアンタは、いつも命令に逆らうから」

「天の邪鬼だからね、僕は」


 ゆっくりと身体を起こし、僕はジャケットに付いたゴミを払った。


「死にたくなったら、お願いするよ。その時は、一撃で殺してくれ。痛いのは、もうこりごりなんだ」


 僕は自分の胸を押さえながら、静かに言う。


「それに、当分死ぬ予定はないさ。僕は探偵なんだ。探偵っていうのは、どんな理由があっても依頼を成し遂げるまでは死んではいけないものだろう?」

「馬鹿」

「今頃、気付いたのか?」

「馬鹿ッ!」


 吐き捨て、構えを解いてから咲龗子はもう一度遊底スライドを後退させる。

 カチンと、遊底止めスライドストップが掛かる音。吐き出された銀色の銃弾を掴み取り、僕へと投げ付けるように放った。


破魔の銀弾シルバー・ブレットか、良い趣味してる。お守りにはぴったりだ」


 空でそれを受け取り即座にポケットへねじ込むと、机に置かれた銃に弾倉を差し込み、

開かれたままの鞄の中へ滑り込ませるように収納する。

 それから、さっき巨乳・・・・・・じゃなかった、咲龗子が覆い被さった時に吹き飛んだ中折れ帽を拾い上げ、軽く払って形を整えてから被り直した。


 煙草を一本咥え、ジッポーを擦って着火する。


「さあ、警察署長殿。僕の依頼人に会わせて貰おうか」

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