一、『プッシー・フット』その4

 身の上話。


 どうやら僕は、人から過大評価を受ける性質の人間らしい。


 塾にも入らず私立の有名中学校に入学したのだって運が良かっただけだし、近所に入った空き巣を通報したのだって鉢合わせて逃げ回ったあげく命辛々交番に辿り着いただけだ。中学の時に誘拐された何処かの女の子を見つけ出した時は無駄に連日テレビで報道されたが、実際は僕も誘拐されて女の子と一緒に捕まっていた所を二人で逃げ出してきただけだったりする。


 実際の僕は、中間よりかなり下。中間になろうと足掻くだけで精一杯の、至極つまらない人間だ。なのに両親やら世間は、僕に過度の期待を持って接してくる。そしてガス状の期待ではち切れん程に膨らんだ虚像の中に本物の僕を見つけると、期待外れと勝手に落胆して去って行くのだ。


 所詮、鍍金メッキ鍍金メッキ

 鍍金メッキは高校で剥げ出し、三流大学に入学した事で完全に剥がれ堕ちた。

 剥がれ堕ちれば、後は錆びて腐っていくだけ。


 僕は、何度も両親と咲龗子に反対されながらも、去年の夏休みの終わりと共に大学を辞めた。


 将来の不安とか、明日の生活とか、辞める事によって被る不利益全般を考えない訳でもなかったが、残り一年間をぼんやりと無為に過ごすよりは有意義に思えたのだ。

 三年間学費を払っていた両親からは当然勘当され、咲龗子の紹介で八百屋の倉庫に使っていた二階をこうやって事務所兼自宅として過ごしているが、これはこれでなかなか具合の良い。


 好きな時に起きて、好きな時に寝る――――こういう生活は、大学ではなかなか出来ない。意外と忙しいのだ、大学って。学内で資格を取るとなると尚更。


 今の生活に、後悔はしていない。

 後悔があるとすれば――


「酔ったかな・・・・・・どうも感傷的になりやがる」


 先程まで咲龗子さくらこが寝そべっていたソファーを奪還し、僕は冷め切った焼きトンを肴にタンブラーでシンデレラを呷っていた。


 残り物のジュースを適当にシェイクしたシンデレラで酔えるなんて、随分経済的な軀になったもんだ。どうせなら水で酔える軀になってくれれば良いものを。そうすれば酒代が浮く。


「まあ・・・・・・何飲んでも酔う軀ってのは、それはそれで不便な気がするけど」


 そんな体質で自転車に乗ろうものなら、間違いなく逮捕ノルマに餓えてるお巡りさんを喜ばせる事が出来るだろう。だが僕には咲龗子を喜ばせる趣味はないので、このままで良い。


「・・・・・・そもそも考えてみれば、酒を飲んでいないのに酔うというのは、かなり癪に障る。詐欺に遭ったようなもんだ」


 呟き、僕は戸棚に入っている酒瓶を持ってくる為に立ち上がった。


 時刻はそろそろ午前零時。シンデレラの魔法は解け、大人の時間に突入しても良い頃合いだ。僕は右手で戸棚に入っていたフォアローゼスの雁首を掴み、ショットグラスが収められた隣の戸棚に左手を伸ばす。


 途端。

 安っぽい、ブザーのようなチャイム音。


 やり過ごそうかと思っていたのに、条件反射で「はい」と返事をしてしまう。


「お届け物です」


 低い声。きっと男。僕はフォアローゼスをテーブルへ置くと、ポケットにナイフを突っ込んでドアを開けた。


 現れたのは、二人の男。一人は棺のような大きな箱を担いだ機械眼を持つ筋肉質の三十代の男で、もう一人は眼鏡を掛けたもやしのような二十代後半の痩躯の男。どちらもカーキ色の作業着を着ており、キャップを目深に被っている為に表情は伺えない。


「ここに、判子かサインをお願いします」


 有り体に言えば、怪しい二人組。

 宅配便の業者を装っているが、間違いなく宅配便の業者ではないだろう。

 そんな連中に本名を知られるのが厭だったので、僕は痩躯の男から受け取ったボールペンで、〝沢田さわだ〟とサインをした。男は偽名と気付かずに、そそくさと伝票をポケットに仕舞い込む。


 気付かないのも無理はない。実はこの事務所、八百屋をやっている沢田さんの表札をそのまま付けているのだ。偽名と変装は探偵の嗜みといえば聞こえは良いが、単純に釘で打ち付けてある古い表札を取り外すのが億劫だから、というのが本音である。


 僕は通販の類いを利用しないし、手紙を送ってくる人間も居ない。そもそもこの商店街で暮らす人は僕の本名を知っている。このままでも全然不便はない。


「有り難うございます。では、振り込みは三十分後に」


 低い声で言い終わると棺をゆっくり降ろし、筋肉質の男は踵を返した。痩躯の男もそれに続くが、僕に不審そうな視線を送り続けている。


「何か?」

「い、いえ別に・・・・・・」


 僕の問いに、痩躯の男は両手を振って否定した。筋肉質の男がそんな痩躯の男を睨み付けている。どうやら痩躯の男は、こういった仕事にまだ慣れていないらしい。


「ご苦労様です」


 階段を降りていく二人に適当に礼を言うと、僕は棺を持ち上げた。

 意外と、重い。

 体感で大体百キロ。これを片手で担ぐとは、あの筋肉男、一体どんな馬鹿力をしていんだろうか。


 僕は棺を引き摺って事務所に引き入れると、靴を脱いでからしっかりとドアに施錠した。それから棺を矯めつ眇めつ眺めてみる。


 お届け先の欄には、デネブ第四惑星から始まる出鱈目な住所とカタカナで偽名らしきメイベル・ノウマンと書かれていた。依頼主はロキュータスという名前らしく、発送した人間がSF好きであることは間違いなさそうだ。


 棺は樹脂製で、おそらく元は精密品を輸送する為の小型コンテナだったのだろう。色は、限りなく黒に近い光沢のあるブラウン。蓋と箱は南京錠で固定されており、雑な印象を受ける。よく見ると箱は所々色が剥げており、塗り直した箇所が多々存在する。それは、この箱が作られてから随分年月が経っていた事を如実に示していた。


「何で、僕の所にこんな物が・・・・・・」


 僕宛でない事は間違いない。僕は通販を利用しないからだ。僕を狙って、爆弾か何かを送りつけられたという事も考えられなくはないが、あの男達が僕の偽名に気付かなかったあたり、それはないだろう。


 お届け先の名前とサインが一致しない事を連中が気にも止めなかった辺り、恐らくサインにさほど重要性はないと考えられる。


 多分、僕の事務所兼自宅は、怪しい誰かに荷物の預かり場にされたのだ。お互い顔を見せない為のアナログな手段。時間差で本来の依頼人が、荷物を受け取りにやって来るだろう。


 もちろん、素直にその依頼人様に荷物を渡す僕ではない。


「中身はドラックか何かかな・・・・・・?」


 その辺に転がっていた鉄片を南京錠の鍵穴に突っ込みながら、僕は呟いた。新手の安価な合成麻薬が立川のガキ共の間で流行っている事を以前咲龗子から聞いた事がある。

 もしドラッグだった場合、この箱の重さから考えて相当な金額分だろうから、署長の咲龗子に渡せば結構な謝礼が貰えるはずだ。万年金欠の僕としては、かなり有り難い。


 もちろん、個人で捌いた方が儲かるのは百も承知。

 だが、咲龗子を敵に回して釣り合う金額ではない。

 何事も堅実が一番なんだ、堅実が。


「大学を辞めた僕が言っても、説得力はないか・・・・・・」


 嘆息と同時に、南京錠ががちゃりと外れた。どうやら何の変哲もない、単なる南京錠だったらしい。若干拍子抜けしながら南京錠を取り外すと、ゆっくりと蓋を上へ持ち上げる。

 箱には繭玉のような小さく白い梱包材が、ぎっしりと敷き詰められていた。僕は梱包材を掻き分け、中身を引っ張り出そうとする。


 途端。


「え、」


 僕は箱の中身と、握手をした。

 握手。手と手が触れあうだけでなく、がっちりと僕の右手が掴まれている。


「なっ――――――」


 驚いて反射的に手を引っ込めるが、同時に僕を掴んだ正体不明の腕も梱包材から露出した。


 腕だけでない。その腕の持ち主と思われる人物の頭も、梱包材のプールからひょっこりと顔を覗かせている。


 金髪碧眼、中学生ぐらいの真っ白い少女。何かを読み取るように、しきりにコバルトブルーの双眼を上下に動かしている。


「あの――」


 僕の言葉に反応したように少女の両眼がぐるりと動き、僕の双眸と一致した。

 見つめ合う事、一刹那。


「初めまして――」


 口を開いたのは、少女の方が先だった。


「あなたが、わたしの王子様ですか?」

「はっ――」


 思考停止。

 たった今、この世から失われた言語が使われた気がする。


 何て答えたら良いか迷っている僕から視線を周囲に移し、ひとしきり見回した後、再度僕に両眼を合わせた。


「あなたが、わたしの王子様に仕えている人ですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 僕は探偵だから、よく分かる。

 この少女は間違いなく、性格が悪い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る