第二章『エッグ・ノック』
二、『エッグ・ノック』その1
少女の名前は、カタリナ・ツー・マキナ=クラインボトルと言った。
正直、一回で覚えられる自信がまったくない。僕は彼女の許可を取って、彼女のファーストネームらしきカタリナと呼ぶ事にした。
腰まで届く錦糸のような金髪。頬に掛かる両房を丁寧に結い上げレース地の白いリボンで飾り、着込んだ白いドレスには一点の曇りもない。頭部の左側には
「まるで人形みたいだな・・・・・・」
「人形みたい、ではなく人形そのものですよ。一九三〇年製カタリナ型試作クラインボトル・エンジン搭載
どうやら〝普通とは違う自分〟を演じたがる風潮は、世界共通らしい。
この程度、臆する僕ではない。
「それはつまり、サイボーグって事?」
僕は大人の対応で、現実的な領域に夢みがち少女を持ってくる。
「いいえ、違います。わたしは
「サイボーグを知らないって・・・・・・」
映画や小説、漫画にアニメに疎いのとは訳が違う。サイボーグは二〇四五年現在、現実世界に実在しているのだ。
これまで軀の一部分を機械化する事は医療機関で散々行われてきたが、脳だけを残して全身を機械化するサイボーグ化技術は拒絶反応や免疫などの問題から確立してはいなかった。
二〇一六年から本格的に始まったサイボーグ技術研究は、二〇二二年アメリカのヒューストン研究所で開発されたサイボーグ第一号ジェームズ・アシュトンの完成によって、一つの区切りを見せる事になる。
人間と機械の完全なる融合――――この成果は、進化の速度を鈍化させ始めた人類に、風化し掛けた不老不死の夢を再燃させるには十分すぎる成果であった。
まさに、夢のような技術。各国の研究機関医療機関はこぞってサイボーグ技術の研究に勤しんだ。
しかし現実は、甘くない。
サイボーグはその絶大な力を目当てに医療面よりも軍事面で使われる事が多く、また外観の特異性からサイボーグ化した者への偏見や差別も数え切れない。全身を機械化された事によって肉体の劣化は克服したが、脳細胞の死滅からは免れず、未だ不老不死とは言い難いのが現状だ。
様々な問題を孕みながら、サイボーグと生身の人間が危ういバランスで共存する社会――――それが、今の世界である。
「ずっと、暗い部屋の中に居ましたから。世間とわたしの知識の間に、大きなズレが生じているのでしょう」
「暗い部屋?」
「はい。暗い部屋。何もなく、尋ねてくる者もなく、ただ朽ちるのを待つだけの――――地獄のような、場所でした」
――僕は今、地獄の底に居る。
「地獄・・・・・・ね」
地獄という言葉を聞いて、僕の胸が強く拍動した。それを沈めるように僕はポケットから潰れた煙草の箱を取り出し、一本口に咥えてジッポーで火を点けた。
「・・・・・・すまないね、普通は君みたいな女の子が居る前では吸わない主義なんだけど」
「何を言ってるのですか、殿方が煙草を呑むのは至極当然ではありませんか」
小首を傾げ、不思議そうな顔でカタリナは言った。
この時代に、こんな価値観を持った少女が居るとは思えない。
煙草を吸っている奴は、肩身が狭いどころか最悪
まさか本当に旧世紀の
「・・・・・・そんな訳ないか」
独り言ちて、否定する。
コンピューターもなかった一九三〇年代に、ここまで人間に似ている人形が作れる筈がない。小型
しかし、どうも嘘を吐いているようには思えない。大真面目な顔で大真面目に語っている。突拍子もない夢物語のような嘘を。
夢物語――――
――何もなく、尋ねてくる者もなく、ただ朽ちるだけの・・・・・・
「監禁・・・・・・」
僕の中で、一つの仮説が浮かび上がった。
彼女は、商品。有り体に言えば、人身売買である。
人身売買――――一般人の何倍もの労働力になるサイボーグや、クローン人間とは名ばかりのイモムシを製造し臓器を出荷する臓器牧場が確立していなかった旧世紀ならば、その目的は主に労働力や臓器目的であったが、昨今では、主に
彼女もきっと、自分を人形だと思い込ませるように
「もしかするとこの事件、僕が思っていた以上にやばいかもしれないな・・・・・・」
「あの・・・・・・どうしたんですか? 先程から、不明瞭な独り言を続けておられるようですが・・・・・・」
「・・・・・・落ち着いて聞いて欲しい。君は狙われている。君を箱詰めにした連中が、君の事を奪い返しに来るだろう」
灰皿に吸い殻を落とし、少女を安心させるように僕は言う。
「でも、心配しなくても大丈夫だ。こういう面倒事は、慣れている」
少女を安心させるように、僕は言う。
「自己紹介、忘れていたね。僕の名前は、
「小間使いの方では、なかったんですか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
痛い所を突かれてしまった。
確かに小間使いといえば、小間使いだよな。
探偵とか格好いい事言ったって、咲龗子の言う通り実際は江戸時代の岡っ引きみたいなもんだし。
資格試験は国家資格だから無駄に難しいくせに、事務所を開いて生活出来る人間なんか僅かで殆ど兼業。成果主義なので、時給換算はしないお約束。正直、普通にコンビニでバイトしていた方が安定して稼げる。市内全域監視カメラだらけで、他市よりも犯罪率が少ない
名称だって、そのまま〝探偵〟ではお偉いさんの受けが悪いからとわざわざ〝
度重なる過度の人員削減で人員が最盛期の半分にまで減っても、相変わらず警察組織は縄張り意識が強いのだ。何かしらの事件が起きても、聴衆を集めて推理を披露する事はおろか現場にさえ入れず、誘導棒を振って現場付近の交通整理していた事もある。
僕がこの仕事を続けられるのは、家賃が遅れたとしても笑顔で赦してくれる八百屋さんのご厚意と、不機嫌な顔で飼い主の咲龗子が持ってくる汚く危ない仕事のおかげだ。
考えれば考える程、憂鬱になってきた。
どうして僕、探偵なんかになってしまったんだろう・・・・・・
「何処か、具合でも悪いのですか・・・・・・?」
「いやちょっと、人生について急に考えたくなってね・・・・・・」
よろめきながら、僕は二本目の煙草を口に咥えた。
努力した者が報われないなんて、まったく世知辛い世の中になったもんだ。
もっとも、僕は努力をまったくした事の無い流されるままの人間なので、この件に関してはあまり大きな事は言えないのだけれど。
「・・・・・・仕切り直そう。まあとにかく、君の身の安全は僕が保証するよ。幸い、僕には警察関係に知り合いが居る。性格に多大な難があるけど、犯罪を撲滅する事に人並み以上の情熱を注いでいる人物だから、信用してはいけないけど安心はして良い。彼女のネットワークを使えば、君を故郷に帰す事だって可能だ」
「故郷・・・・・・ですか」
そう呟くと、カタリナは目を伏せた。
恐らく、忘却させられた故郷に思いを馳せているのだろう。
「ああ、約束しよう。僕は必ず、君を故郷に帰してあげる」
言って、僕はカタリナの頭を撫でてやる。その表情からして、僕の事を信用してくれて居るみたいだ。
子供は御し易くて良い。
僕はジッポーで煙草に着火しながら、ほくそ笑む。
何しろ、人身売買だ。ドラック売買なんか目じゃない程の大事件。
事件が大きければ大きい程、僕に払われる咲龗子からの礼金の額は上がっていく。どっかの通り魔の件と合わせれば、当分の間は家賃や生活費の心配をしないで暮らしていけるだろう。
舞い込んだ幸運、見す見す逃してなるものか。
この事件、探偵の名にかけて楔を差し込んでやる。
◆◇◆◇◆
「・・・・・・いつまでふて腐れてるんだよ、新人」
ワゴンの車内。助手席で細面を風船のように膨らませた張山に、工具を握りながら呆れた口調で二十四は言った。
「しょうがないじゃないっすか・・・・・・定時前に終わるとか言っていたのに、もう定時どころか残業タイムっすよ? 残業代出ないのに。怒るなって方が無理な話っす」
「しょーがねぇだろ、停めておいた車が駐禁喰らって持っていかれたんだから。散々探して見つけた後にまたあのサイボーグが襲って来て、ようやく奴を巻いて
「よくある事じゃないっすよ・・・・・・ああ、やっぱりこんな会社に就職しなければよかった・・・・・・」
「東大出の学生だって非正規職にしか就けない世の中で、お前のような三流大学卒を正社員待遇で雇ってくれる会社なんて他にねぇよ。恨むなら、お前の頭脳と学歴を恨む事だな」
身も蓋もない事を言い放ち、二十四は手にした銃の
「しかし、俺達は実に運が良い。普通、
「単純に偽造屋が発行したくにたちカードの権限が警官レベルにまで引き上げられているだけじゃないっすか・・・・・・」
嘆息。
「そろそろ自分も投資を始めようかな・・・・・・最近モロッコがやばそうなので、今投資すれば運が良ければ大儲け出来そうっす。取りあえず貯金下ろして、政府軍に百万程」
「小口投資による悪意無き第三者の戦争介入・・・・・・か、戦争も随分様変わりしたもんだ。殺意を込めて兵士が自動小銃をぶっ放す代わりに、殺意無き一般人が画面に数字を打ち込んで金を突っ込めば簡単に人が死ぬんだからな」
「――色々あったが、今度こそ仕事は終わりだ。夏江、流石にこの時間から宴会という訳にはいかないだろう?」
二十四は同意を得ようと振り返るが、後ろのシートに座った夏江は気難しい顔でスマートフォンを握ったまま、視線一つ合わせない。
「・・・・・・おい、どうした?」
「代金の振り込みがまだ来ないのよ・・・・・・もう一時間以上経っているのに」
言って、夏江はスマートフォンのモニターを二十四に見せる。表示された口座には、まったく振り込まれた形跡がない。
「アンタ達、取引場所間違えたんじゃないの?」
「そんな事はないと思うぜ。取引場所に居た男も、きちんと合言葉の代わりであるサインを知っていた。間違う筈がない」
言って、二十四は領収書を夏江に見せる。彼女の名字である〝沢田〟の文字が大きく崩され、領収書の中で躍っていた。
「それに依頼人が取引場所に指定したのは、富士見商店街の八百屋の倉庫。そんな特殊な場所、間違える訳ないだろう」
「あのねぇ・・・・・・事前に調べたけど、あそこは八百屋が三軒あるのよ。そんなアバウトな覚え方してどうすんの。ちゃんと住所で言いなさい、脳筋」
「脳細胞は筋肉細胞じゃないぞ。そんな事も知らないのか」
「そういう意味で言ったんじゃないッ!」
「げっ、」
二人の言い合いをよそ目にスマートフォンを操作していた張山が、うわずった声を上げる。
「どうした、新人」
「念のために住所を調べようと、今ネットで検索していたんすけど、八百屋の一つが持ち主の名前沢田っす・・・・・・」
「沢田なんて、別に珍しい名前じゃあないだろう。それに判子やローマ字でサインという選択もあった中で、奴は敢えて漢字でサインをした。こちらが漢字でサインする事を合言葉の代わりに使っている事を知っていた何よりの証拠じゃないか」
震える手でスマートフォンを見せる張山に、暢気な口調で二十四は答えた。しかし張山は激しく首を振り、作業着の胸ポケットから恐る恐るボールペンを取り出す。
「うっかりミスで、ボールペンを渡してしまったっす・・・・・・」
「「大馬鹿野郎ッ!!」」
張山の右頬に部品が組み込まれた
「ボールペン渡したら、サインするしかないじゃないッ! このド素人! 三流大卒!!」
「いや待て、まだ間違えたと決まった訳ではない。もしかしたらローマ字でサインする可能性もあったんじゃないか・・・・・・?」
「・・・・・・宅配便の荷物に気取ってローマ字でサインしようとする人間なんざ、日本では極々少数っすよ」
消沈した声で
「とにかく一度、依頼人と連絡を取った方がいいな。メールかDM、物品の受け渡しに使った手段があるだろう?」
「それが無理なのよね・・・・・・依頼人とのやりとりは一度本人に会った後は、全部一方的に送られてくる手紙だったから。当然、相手の住所なんて書いてないし消印も日本全国バラバラ」
言って、夏江は手紙の入った封筒を二十四へ見せる。中を開くと、新聞を切り取ったと思われる文字が前衛アートのように賑やかに並んでいた。
「今時この手段を使う奴がいたとは・・・・・・」
「履歴の残らないSNSがごまんとあるこのご時世に、わざわざ新聞を切り取って糊で貼り付けたあたり、古き良き職人気質が垣間見えそうっすね・・・・・・」
「・・・・・・どちらかというと、趣味人気質だろうな。どこで書いたか解らないよう、ご丁寧に全国紙全部使ってるぞ、これ」
二十四は文字のフォントの違いや紙質の違いを矯めつ眇めつ確認しながら、呆れ半分に差出人を評した。
「・・・・・・とにかく連絡手段が今のところない以上、もう一度間違えたと思わしき取引場所に行くしかないわね。張山、アンタが一人で行きなさい。今回の仕事に、留めを刺した責任よ」
「そんなあ・・・・・・経験の少ない部下の失敗は、普通上司が埋めてくれるものでしょ・・・・・・」
「そういう部下は、替えが効かない部下だけよ。代替が利く部下は消耗品と同じ。よく言うでしょう、あなたの代わりは幾らでも居るって」
「よく聞く台詞ですが、その台詞を当の消耗品に面と向かって言う人は多分社長ぐらいっすよ・・・・・・」
ほろりと涙を浮かべながら、張山は嘆息する。
「夏江、いじめると面白いからといって、新人をそういじめてやるな。おい新人、お前スマホ落としているぞ」
「ついさっき全力で俺をぶん殴ってきた人が、何善人面してるんすか・・・・・・ああ、さっき頬を撫でた時に落っこちたんすね」
半眼で二十四を一瞥し、張山はシートの下に落ちたスマートフォンを拾い上げた。
途端、車内にアナウンサーの声が響き渡る。どうやら、拾い上げた瞬間に張山が誤ってニュースアプリを起動したらしい。
「・・・・・・すみません、すぐに消します」
「ったく、鈍くさい奴だな。早くアプリを――」
「ちょっと待って」
消せ、という二十四の言葉を夏江が制す。
「どうした、ニュースが気になるのか?」
「そういえば今日一日、ニュースなんて見る暇無かったっすからね。どうやら今日もまた、通り魔の犠牲者が――」
「そう、その犠牲者よ」
後部座席から乗り出し、張山の言葉を遮って夏江は言う。
「この犠牲者が、依頼人なのよ」
モニターに表示されていたのは、犠牲者の顔写真。そして彼女の本名と年齢がテロップで流れていた。
「依頼人って、女だったのか・・・・・・」
「こりゃあ、本当に間違えたみたいっすね・・・・・・」
「問題はそこじゃないッ!」
全力で突っ込みを入れ、夏江は張山からスマートフォンを奪い取る。
「自分のサイボーグ体に一部軍用パーツを使っていたから一般人じゃなさそうだとは思っていたけど、まさか米軍関係者だったとはね・・・・・・」
「米軍なら、自分達の情報網で見つければよかったものを。わざわざ零細の運び屋に探偵の真似事をさせて、
「そりゃあ、借金の形に取られて行方不明になったお祖母ちゃんの思い出の
「お前・・・・・・それ、本気で信じていたのか?」
「え? 違うんすか?」
きょとんとする張山に対し、二十四と夏江が二人揃って脱力した。
「・・・・・・と、とにかく。二十四の理屈通り、この件に米軍が絡んでいる可能性は低いわね。彼女本人が探していたか、彼女もまた誰かの請負人だったか・・・・・・現状では何も解らないけど、あの
「社長、偶然通り魔に襲われた、とは考えないんすか?」
「偶然軍用サイボーグが襲われて、同じ場所でわたし達が偶然軍用サイボーグに追っかけ回されたりするなんて事、有り得る? しかも同じ日に」
「・・・・・・成る程。よく分かったっす」
夏江から返却された自分のスマートフォンを弄りながら、張山は引きつった顔で答えた。
「そうなると、ちょっと事情が変わってくるわね。本当は罰ゲームとして張山一人に行かせるつもりだったけど、二十四アンタも付いて行きなさい。今度は自分の得物、忘れないように」
「分かった。夏江、弾代は経費で落ちるって事で良いな? 最近こっちも色々と物入りなんだよ」
二十四は言うと、張山を押し退けて車のダッシュボードから革製の使い古したホルスターを取り出し、それを開いて銃を引き出した。
それはS&W社製のM500と呼ばれる大型のリボルバー。銃弾発射時にガスを逃がす先端のコンペンセイターが銃のシルエットに無骨な印象を与え、工芸品としての美しさよりも威圧感のある野性的な品位を醸し出している。
「社長と言わなかったから、駄目よ。それに.500S&W弾は無駄に高いんだから、経費で落とすのは絶対に嫌。それに物入りって言ったって、その手に持ってるeBayで落とした糞の役にも立たない骨董品級のガンパーツのせいでしょ?」
「二つの
「・・・・・・うっさいわね。口答えはいいから、早くさっきの場所まで行きなさい。時は一刻を争う。最悪、そこにいた男も
「了解した」
「ま、まだ死にたくないっす・・・・・・俺」
口々に言うと、ワゴンのドアを開け放った。
靴底が、アスファルトへ着くと同時。拳銃の
時刻は零時五十八分。
月さえ覆い隠す夜の帷は、全てを包み込む。
喧噪や街灯。
悪意や暴力さえも――
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