一、『プッシー・フット』その2

 嬉しい事が三つ。


 一日中空が曇っていた事、探していたカードが秋葉原で見つかった事、そして修理に出していたクロスバイクが戻った事。三つも嬉しいことが重なる日は滅多にない。

 こんな素晴らしい日を祝して、僕は懐具合を気にせずいつもより多めに焼き鳥を買う事にした。


 つくねとヤキトリ以外豚肉なので正確には〝焼き鳥〟ではなく〝焼き豚〟なのだが、何故か店では焼き鳥と称される。理由は知らない。再生タンパク質から培養された安価な人造肉を使う店が幅を利かせているこのご時世に、天然物の鶏肉と豚肉を手ごろな価格で味わえるこの店はかなり貴重な存在だ。


「シロ、つくね、レバー、カシラをタレで五本ずつ、カシラとタンを塩で五本ずつお願いします」


 僕は掛けていた航空機用のゴーグルを首までずらし、クロスバイクを近場の街灯ごとチェーンで固定して前カゴからアタッシュケースを降ろすと、店先で焼いている親父さんに注文した。


 肉と葱、そして炭の焼ける香ばしい匂いが、秋の風に載り夕焼け空を舞って商店街を包み込む。まるで遺跡のように昭和の面影が現役で残る、こぢんまりとした店。店内に備え付けられた相反する最新型の液晶テレビからは、ニュース番組が流れていた。


「・・・・・・また、立川で通り魔事件か。怖いね、国立ここ直ぐ近くだから。被害に遭った人はみんな殺されているっていうんだから、余計にね。監視カメラがあっても、犯罪者を全員逮捕するのは無理だな」


 親父さんは店から持って来た焼きトンを並べながら、財布を取り出す僕に話題を振った。


「今日で四件目・・・・・・でしたっけ。続きますね。早く犯人が捕まれば良いんですけど」

みお君、探偵でしょ? 犯人捕まえる為に、頑張ってくれよ」

「鋭意努力中・・・・・・と言った所です。もっとも、僕のような駆け出し探偵は警察のお手伝いより、雑用の方が多いから何がどうなっているかさっぱり分からない状況なんですが」

「昔から住んでる身としては、決まり事が多くなって不便でしょうがねぇよ、ったく。外出れば監視カメラ、買い物するにもくにたちカードが必要。条例で深夜に出歩けなくなって、飲み明かす事が出来なくなったのも気に入らねぇ。おい、ちょっとは愚痴に付き合えよ」


 店の奥で、お酒の入ったコップを煽り嶋元しまもとさんが赤い顔で野次ってくる。僕は愛想笑いを浮かべて「一杯奢ってくれるなら、いつでもどうぞ」と言った。


「ならこっち来い。好きなもん、飲ませてやるよ」

 シロを食みながら、嶋元さんは僕を招くべく手招きする。この酔っ払いの相手をどうしたものかと思案し掛けたその時、親父さんが焼き上がったタンをパックに詰めながら口を開いた。


「彼、今日は先約があるからシマさんの相手は出来ないよ」

「へ?」


 思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。

 だって僕は、これから一人で焼き鳥(豚)を堪能するつもりだったから。


「そうか、それでそんなに買い込んでるのか。なら、仕方ねぇな」


 いやいやいや、これ全部、僕の夕飯です。

 今日は主食副食副菜全部を焼きトンで済ますつもりで買い込んだので、誰かと一緒に食べる気は更々無い。


 一瞬、面倒くさい酔っ払い嶋元さんから僕を助ける為、親父さんなりの援護射撃かと考えたが、親父さんの表情には冗談めいたものが一切感じられなかった。


「あの・・・・・・付かぬ事をお伺い致しますが、その〝先約〟というのは一体何の事で・・・・・・?」


 僕は恐る恐る親父さんに尋ねてみた。親父さんは「なんだそんな事も知らなかったのか」という顔をして、焼き豚が大量に詰まった紙袋を僕に渡す。


「今、君の事務所に雨皷あまつづみちゃん来ているよ」


 瞬間。握った財布が地面へ落ちて、辺りに小銭が散らばった。


「約束、していたんじゃなかったの?」

「あ・・・・・・はい、していたような・・・・・・気がします」


 嘘だ。

 雨皷 咲龗子さくらこという女は、僕に会う時約束の類いは一切しない。いつも予測不能なゲリラ豪雨のように勝手に来襲しやってきては去って行く。

 レジスターに繋がれたカードリーダーへ震える手でくにたちカードをタッチし、財布に残っていた最後の一万円札を親父さんに渡すと、僕はぎくしゃくした動作で落とした小銭を拾い集めた。


「なら、早く行った方が良い。彼女、一時間前に事務所の方に向かったから」


 親父さんの言葉に、僕は血の気が引いて青ざめた。

 肉食系男子から一気に捕食者系男子へと、変わり果てる。


 突然来るくせに、咲龗子は待つ事がとにかく嫌いな性分だ。機嫌が悪くなった咲龗子は、水場でライオンを蹴散らすアフリカ象よりも質が悪い。十分待つだけで劇的に機嫌が悪くなる彼女が、一時間も待ち惚けを食らったらどうなるか――――僕は、敢えて想像するのを止めた。


「流石に焼き鳥コレじゃあ、あいつの機嫌は取れないしな・・・・・・」


 僕は受け取った紙袋を見つめ、独り言ちる。

 ふと、焼きトリ屋から左に視線を向けると、丁度僕の事務所兼自宅へ続く錆びた階段が僅かに見えた。


 階段の段数は十三段。

 絞首台へ続く階段と、同じ段数であった。

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