傭兵探偵と時計仕掛けの眠り姫
湊利記
第一章『プッシー・フット』
一、『プッシー・フット』その1
誰かが言っていた気がする。
自分の言葉でない事は、間違いない。
今年の三月まで大学四年間、文芸と無縁な理系大学生だったのだから。立方体を彷彿とさせる数式に、少女のように小悪魔なプログラムと格闘し続けてきた四年間。そんな洒落た言葉が思い浮かぶような、芳香剤じみた脳みそにはなっていない。
「――もしかしたら、突然変異という事も考えられるな・・・・・・」
荒い呼吸を交えながら、張山はそのような事を考えた。有酸素運動のし過ぎで、脳細胞が変化し普段使わない発想をしてしまったのではないだろうか、と。
有酸素運動。
現在、張山 寛は走っている。
何故なら――
「ぼさっとすんな、新人! 死にてぇのかッ!!」
冷蔵庫が入りそうな大きな箱を片手で担ぎながら、前方を走る右目が機械化された筋肉質の男が叫ぶ。
「撃て! とにかく撃ちまくれ!! 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるっていうだろ!?」
鉄砲、という言葉を聞いて張山は右手に持った冷たい
ずしりと重い、銃の感触。彼にこれを渡した社長は、FN社製ブローニング・ハイパワーと言った。開発されてから百年以上経過しているにも関わらず、未だに第一線で活躍し続けるベルギー製の拳銃である。
握り易く球数もある。張山のように就職するまで銃を握った事のない人間でも扱い易い。
これは比較的近年に生産された
後方へ振り返り、
銃弾と薬莢を吐き出すと、
短い銃声が三回、夕暮れ時の公園に響く。
繁華街から近いとはいえ、昼間は子供達が戯れる平和な公園で聞こえて良い音ではないだろう。
だが、銃声が鳴ったにも関わらず、周囲の人々はさほど気にした様子もなく、誰一人それぞれの生活を崩す事はなかった。
此所はアメリカのヘルズキッチンでもなければ、アフリカ大陸の
「・・・・・・良い気分じゃないわね、日常茶飯事で銃声なんて」
ただ一人、彼女を除いて――
外見年齢は、三十代後半。栗色に染め上げた髪を後ろで結い、上下白いスーツを着込んでいる。靴はパンプスでもなければ革靴でもなく、動き易いスニーカー。筋肉質な男と張山よりも前方で駆け走り、息切れ一つ見せる事はない。
「仕方ないだろう、
「社長と言いなさい、
「その給料も、こいつを運ばなければ一銭も入って来ない。とにかく立川を抜けるまで、全力で生き抜くぞ」
二十四と呼ばれた筋肉質の男は担いだ箱に一瞥をくれ、肩で息をし呆ける張山に視線を移した。
「銃弾・・・・・・当たったのに、全然効いていない・・・・・・」
「所詮九ミリじゃ、軍用サイボーグの強化外皮に傷一つ付かない・・・・・・か。予想はしていたが、目の当たりにすると流石に面食らうな」
「感心してないで、二十四さん何とかして下さいよッ!」
「何とかしようにも、俺のM500は車の中だ。それにお前一人で、このでかい箱を担いで走れるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
絶対に無理である。
無理だからこそ、
「
「た、確か国立って・・・・・・市内が監視カメラだらけで〝くにたちカード〟がないと外を歩けないかなり大変な所じゃ・・・・・・」
「うっはーっ、定時前に上がれるって何ヶ月ぶりかしら! 今日は朝まで飲みまくるわよッ!! 二十四、張山、奢るからとことん付き合いなさい。勝手に帰るのは禁止だからね!」
「了解!」
「しゃ、社長・・・・・・た、退社後は自由時間が欲しいっす・・・・・・」
「駄ァ目。これは、社員との親睦を図る飲みニケーションなんだから。団体行動を乱す社員は、背信罪だからね」
空になった弾倉を取り替えながら断ろうとする張山に、上機嫌で夏江は拒否した。
「奢りなんだからいいじゃねぇか、新人。うちはこういうアットホームな職場が売りなんだよ」
「そうそう、うちは未経験者でも重要ポスト間違いなしの優良企業よ!」
二人揃って、幾十年の月日が経ち使い古され手垢の付いたブラック企業の決まり文句を口にする。
嘆息し掛けた、瞬間。張山の頬を銃弾が掠る。銃弾は鬼の形をした遊具を貫き、鈍い瓦解音と共に粉塵を撒き散らした。
「い――――――」
あと少し銃弾の軌道がズレていたら、間違いなく彼の頭部は脳髄ごと爆散していたであろう。
「どうした新人、困難は生きる力を強くするぞ!」
「あなたの中に眠る未知なる可能性、信じてるわよ!」
恐怖に歯が噛み合わぬ張山に向かって再び掛けられる、無慈悲なブラック企業の常套句。あまりの無慈悲さに、涙で周囲の景色が歪んでくる。
しかし、立ち止まっては居られない。張山は目に浮かべた涙を拭って銃を構えた。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
雄叫びを上げながら胸に抱く、確かなる決意。
強固な決意は、いかなる恐怖も打ち砕く。今の彼を止める事が出来る者など、この場には誰も居ない。
絶対に、こんな会社辞めてやる。
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