第77話 カイルの秘密8
ラウラ殿の口から語られた、創世神国を襲った凶事。それは、カイル殿とシエル嬢を永遠に引き裂いた。
あまりにも、惨過ぎる。本物のカイル・ハーツィアの最期に心が痛む――シエル嬢の目の前で死んだと聞かされたが、それほどまでに凄惨な光景だとは思わなかった。
「暫くの間、その時の事を思い出して食事中に吐き気を催す事があったわ。今でも、時々夢で見てしまうくらいだもの」
ラウラ殿の心にも大きな傷となって残っているようだ。きつく拳を握り締める彼女。まだ未熟だった頃とはいえ、何も出来なかった自分を責めずにはいられないのだろう。
深呼吸した後、ラウラ殿は続きを語り始める――カイル殿が殺された直後、息を切らしながらレイザ殿が現場に駆けつけたという。彼は神殿の外で戦闘中、神殿の上空に出現した黒い体躯の巨人が神殿上部を突き破って内部に侵入していくところを目撃し、避難したラウラ殿達の様子を確認する為にやって来たらしい。
弟の無惨な姿を目の当たりにしたレイザ殿が、怒声を上げながら深淵の異形に光魔法を叩き込んだのは言うまでもない。異形が息絶えて霧散した後、彼はカイル殿の遺体の前で項垂れたそうだ。
遅れて駆けつけた神殿騎士や魔術師も、あまりにも惨たらしい現場に言葉を失っていたようだ。魔術師団の同僚達の声もレイザ殿には届かなかった。
そして、それ以上に深刻だったのは言うまでもなくシエル嬢。眼前で兄であるカイル殿が殺される光景を目の当たりにしたのだ。
茫然自失となった彼女は、震える手で神殿の廊下に転がっていたカイル殿の首を拾い上げた。彼女はふらふらとした足取りで、レイザ殿の前にある首が無いカイル殿の遺体の前までやって来たという。
彼女はカイル殿の首を遺体に添えて、治癒魔法を発動させた。何度も何度も何度も何度も、周囲の人間が止めようとしても止まらなかったようだ。
治癒魔法は卓絶した使い手が発動させれば、死んで間もない人間すら蘇生出来るという。しかし、蘇生するには条件が存在する――死んで間もない状態である事と、肉体の損傷が激しくない事が挙げられる。
首が引き千切れて即死してしまったカイル殿のような事例では、如何に優れた治癒魔法の使い手であっても蘇生させる事は不可能だろう。
「もう手遅れだと悟ったシエルさんは、意識を手放したわ」
意識を失ったシエル嬢は1週間もの間、高熱を出して魘され続けた。ラウラ殿とユーノ殿はずっと彼女の傍で見守っていたそうだ。
「そして、目を覚ましたシエルさんは――」
私とユーノはハーツィア邸の寝室のひとつをお借りして、そこで寝泊まりしていた。コンコンと、寝室の扉がノックされる。
「ラウラさん、ユーノさん!」
「エリンさん……?」
聞こえてきたのはエリンさんの声だった。
「し、シエルお嬢様が……!」
「シエルさんが目を覚ましたんですか!?」
「は、はい……と、とにかく来て下さい!」
「え……?」
どうしたんだろう、エリンさんは随分と慌てている様子みたい。シエルさんの身に何かあったのかしら?
兎に角、急いでシエルさんの寝室に私とユーノは向かった。寝室に到着するなり、目にしたのは荒らされた室内だった。
息を切らしながら、シエルさんは周囲の物に当たり散らしていた。彼女のこんな姿は見たことが無い。
「シエルさ――」
「……許さない」
「え」
「よくも、“シエル”をあんな無惨な姿に……!」
「シエル、さん……? 何を言ってるの?」
唖然とする私とユーノ。そこに、レイザさんがやって来た。
「“カイル”、客人の前だ。粗相をするな」
「レイザ兄さん……」
「エリン、すまないけど、部屋の片付けと“カイル”の面倒を頼んだよ」
「はい……」
「ラウラ、ユーノ、君達はこっちに来てくれ」
レイザさんに連れられ、私とユーノはシエルさんの寝室から少し離れた廊下までやって来た。深刻そうな顔の彼が私達を見つめる。
先ほどの彼女の様子は普通じゃなかった。一体、何があったというの?
レイザさんは深呼吸した後、今のシエルさんの状態を語り出す。
「シエルは起きてからあの状態なんだ。自分を“カイル”だと言い張っている」
「……そ、それは」
「おそらく、一種の自己暗示のようなものだろう。カイルの死を受け入れられずに、死んだのはカイルではなく、シエルだと思い込んでいるんだ。そうでなければ、心が耐えられなかったのだろう……」
「そんな……」
「頼む、これからはあの子を“カイル”として接して欲しい。何時か、あの子が真実と向き合えるその時まで――」
そう、その日からシエルさんはカイルくんになった――。
話が終わった後、ぼくは医務室を後にした。ラウラさんは、自分の試合の時間になるまでシエル嬢の傍に付いていたいと言った。
重い足取りで、闘技場の観客席に向かう。自らの心を偽らなければ、シエル嬢は自分を保つ事が出来なかったのだ。
無論、それは一時凌ぎに過ぎない。何時かは、残酷な真実と向き合わなくてはならないだろう。
『試合終了、勝者ザッシュ・シャルフィド!』
闘技場内のアナウンスが聞こえてきた。ザッシュさん、勝ったんだ――。
素直に先輩の勝利を祝いたいところだけど、今はそんな気分にはとてもなれそうにないな。歓声が響く観客席に辿り着く。
到着するなり、リューさんがぼくのところにやって来た。
「アトスくん、何処に居たの? 観客席の何処にも見当たらなかったから捜してたのよ?」
「リューさん……」
「あら、顔色が良くないみたいだけど、何かあったの?」
「いえ、大丈夫です。シ……カイル殿が少し具合を悪くしたようだったので、医務室に連れて行ったんです」
「そうなの? それにしては、随分と長かったみたいだけど……」
「そ、それよりも、ザッシュさんが勝ったんですよね?」
「ええ」
そ、そうなんだ……美女に目がないザッシュさんの事だから、あっさり負けそうな気がしたんだけどなぁ。
「ああ、私がこう言ったからよ――余計な事せずに真面目に試合をしなさい、でないとお仕置きよってね♪」
ウフフと、リューさんが笑顔でボキボキと指を鳴らす。
ああ、なるほど……真面目にやらなきゃ、恐ろしい目に遭わされるところだったんだ。ザッシュさん、顔面蒼白だったろうなぁ。
「あいつも真面目にしてれば、私より強いのよねぇ――凄く納得いかないけど」
リューさんは、不満気な表情で闘技場のリングの上に居るザッシュさんを見つめている。ザッシュさんは観客席に投げキッスしている。試合が終わったから、おちゃらけモードになってるみたいだ。
しかし、リューさんがギロリと睨むと、ビクッと震えてそそくさとリングの上から下りて行った。いや、観客席からリングまでどれだけの距離があると思ってるんですか――リューさんの威圧に気付いたのかな(;´・ω・)?
――シエル嬢、か。何時か、彼女が本当の自分に戻れる日が来るだろうか?
「アトスくん、何してるの? 次の試合が始まっちゃうわよ?」
「あ、はい」
リューさんの声で我に返ったぼくは、観客席に座った。リングの上に、ふたりの男性が上がって来る。
ひとりは、砂漠連合騎士団の騎士ソラス・レイラント殿。二振りの剣を主体とした剣術“双剣術”の使い手として活躍する、砂漠連合騎士団の若きエース。
もうひとりは、聖王国から今大会の特別枠として出場されるディゼル・アークス殿。アークスという家名は聞いた事がない、エルド陛下の推挙で参加するという事は相当の実力者である事は間違いないんだろうけど……。
『これより、第六試合ディゼル・アークス対ソラス・レイラントの試合を開始します』
親善試合第六試合が、始まろうとしていた――。
おまけ
時間は少し前に遡る――医務室から出ようとして、ぼくはある事を思い出した。
そういえば、シエル嬢は具合を悪そうにしていたから医務室に連れてきたけど……何らかの病を患っているんだろうか?
思い切って、ラウラ殿に訊ねてみた。
「あの、ラウラ殿。シエル嬢は何処か御身体の具合が悪いんでしょうか? 随分と苦しそうにしていたんですが……」
「え、えーと、その、病気とかじゃないわ」
「え? じゃあ、一体どうして?」
「……が圧迫されてるから」
「はい? 今、何て――」
「む、胸がサラシで圧迫されて苦しいのが原因だと思うの。し、シエルさん、年頃になってその、急成長しちゃって……」
「あ……///」
カーッと頬に熱が集まる。びょ、病気とかじゃなかった……身体の成長によるものだったんだ。
「シエルさんの事情は私達だけじゃなくて、学園側にも説明しているんだけど……やっぱり、色んな意味で押し通すのは限界かもしれないわね。騎士科の実技の授業の時とか、シエルさんだけ他の男子とは違う場所で着替えさせてるから」
……まぁ、男子からしたら、同じ場所で着替える中でひとりだけ女子が居たら視線を逸らさずにいられないだろうなぁ。
「いや、ホントに急成長したものだわ。年下のシエルさんに、おもちのサイズを追い越されるなんてね……(´;ω;`)」
「ら、ラウラ殿……(;´・ω・)」
涙ぐむラウラ殿に、色んな意味で掛ける言葉が見つからないぼくだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます