閑話15 犬に御用心(前編)


 ――聖王国歴724年、守護騎士隊長グランと守護騎士ブルーノは女王アストリアに呼び出され、謁見の間に向かっていた。


「隊長、陛下はどのような御用件で我々を呼び出されたのでしょうか?」


「私もまだ詳細は知らされていない。しかし、守護騎士である我々を呼び出された以上、只事ではあるまい」


 守護騎士ふたりは表情を引き締めていた。女王陛下が自分達を呼び出す……何らかの大事が起きている可能性が高い。


 謁見の間、女王アストリアが玉座に座していた。グランとブルーノは女王の御前に跪いた。


「陛下、守護騎士隊長グラン参りました」


「同じく、守護騎士ブルーノ参りました」


「御苦労様です――顔を上げて下さい」


 ふたりは顔を上げる。


「陛下、此度はどの様な御用件でしょうか?」


「何なりとお申し付けください」


「は、はい……えーと、その……」


「「?」」


 何やら、女王陛下の様子がおかしい――目が泳いでいる。彼女がこのような表情をするところを見た経験は殆ど無い。一体、どうしたというのか。


 アストリアは深呼吸した後、ふたりに用件を伝える。


「じ、実はあなた達に“あるもの”を捜索してほしいのです」


「捜索……でございますか?」


「して、陛下――如何なるものを捜索すればよろしいのでしょうか?」


「その……物品ではなく、人――いえ、生き物なのですが」


 そう言って、女王はふたりから視線を逸らす。やはり、何かおかしい。


 女王陛下が普段見せない態度に、グランとブルーノは心配になった。


「陛下、御気分が優れないのでは?」


「少し、お休みになられた方が……」


「い、いえ……と、とにかく、捜索対象を描いた紙があるのでそれを見てほしいのです」


 アストリアの傍に控えていた文官が、捜索対象とやらが描かれている紙を持ってくる。その文官の様子もおかしかった――何やら、困惑の表情をしている。


 一体、何を捜索するのだろうかと、ふたりは文官から渡された紙に視線を向ける。そこに描かれていた“捜索対象”を見て、守護騎士ふたりの思考が停止する。


 紙に描かれているのは犬……否、犬の姿を模した全身タイツに身を包んだ中年男性だった。タイツがピッチピチ、キリッとした眉毛が気持ち悪さを倍増させている。


 数秒後、思考が停止していたふたりが再起動。彼等は女王に一礼した後、踵を返して謁見の間から去ろうとする。


「お待ちなさぃぃぃいいいいいいいいいいいいっ!」


 玉座から立ち上がった女王陛下が全力ダッシュで駆け出し、立ち去ろうとする守護騎士ふたりの腕をガシッと掴んだ。


「何処に行くつもりですか!? せめて、何か一言言って下さい!!」


「陛下……どうやら、陛下はお疲れになられているようです」


「医師に御相談下さい。我々の手には負えません……」


「可哀想なものを見るような瞳で見つめないで下さいっ! 私もこれを見た時は、今のあなた達と同じ心境だったのですからぁァァァァァ!!」


「「陛下、我々をおちょく……謀っているのではないのですか(;゚Д゚)!?」」


「今、おちょくると言い掛けませんでしたかっ!?」


「何を言われますか、陛下!」


「我々は守護騎士にございます! 陛下に対して、そのような無礼な言葉遣いなど出来よう筈がございません!!」


「本当ですか……(´;ω;`)?」


「「本当でございますとも!!」」


 謁見の間でちょっとした愉快な騒動が暫し繰り広げられた後、漸く落ち着いた女王陛下と守護騎士達は捜索対象が描かれた紙をじっと見つめる。


 紙には、犬の姿を模した全身タイツに身を包んだ中年男性がしっかりと描かれていた。グランとブルーノは眉間を押さえながら、女王に訊ねる。


「して、陛下―― 何故、我々はこのような変質者を捜索しなければならないのでしょうか?」


「そもそも、この怪人は実在するのですか……?」


 未だ、犬タイツの怪人物が実在するのか疑いの眼の守護騎士達。そもそも、何故にこんな変質者を捜索しなければならないのか?


「実はこの捜索はグラン殿の御親族からの依頼でして……」


「は? わ、私の親族にございますか?」


 急に話を振られ、困惑する守護騎士隊長。自分の親族がこの犬タイツの変質者の捜索を依頼していると聞かされて、困惑しない方がどうかしているだろう。


「その通りだ――グラン、依頼者は私だ」


 謁見の間の扉が開き、グランと同じ銀髪の男性がやって来る。


「兄上……!?」


「カムル殿、何故ここに?」


 やって来た銀髪の男性を見るなり、グランのみならずブルーノも驚く。彼の名は、カムル・アルフォード――アルフォード公爵家の長子であり、グランの実兄。


 聖王宮の文官を務めており、その手腕の高さからゆくゆくは宰相に就任するのではと噂されている。


 兄の突然の来訪に驚きを隠せないグラン。カムルはアストリアの御前に跪いた。


「陛下、此度は私事の為に御時間を作って頂き、心から感謝致します」


「い、いえ……その、それよりもグラン殿に事の詳細を話して頂けますか?」


「はい」


 カムルは立ち上がり、実弟と向き合う。困惑した表情のグランが兄に訊ねる。


「……兄上、一体何があったというのですか? 何故、私はこのような怪人物を捜索しなければならないのですか?」


「グラン、見た目に騙されてはならん――こやつは罪人なのだ」


 この犬タイツの変質者が罪人……? カムルの発言に困惑が増すグランとブルーノは顔を見合わせる。


「こやつの所為で娘は……!」


「娘……? エリーゼに何事かあったのですか?」


 グランの表情が険しくなった。カムルの娘――即ち、自身の姪に何かあったのだと察した。


 カムルには幼い娘が居る。名はエリーゼ、まだ8歳になったばかりの可愛らしい女の子だ。


 叔父であるグランにもよく懐いており、グランにとっても家族同然の存在。その可愛い姪に何があったというのか。


「そうだ、あれは数日前の事だ――」


 数日前の深夜、聖王都のアルフォード公爵邸。夜も更け、警備兵以外は寝静まった頃に事件は起きた。


 警備兵が屋敷内を巡回している時、窓の外を何かが横切った――強盗か!?


 警備員兵は窓を開け、周囲に見回すが人の姿はない。気のせいだったのか、窓を閉めようとすると……ワン、と犬の鳴き声が聞こえた。


 犬、何故に犬の鳴き声が? この屋敷では犬は飼っていない筈。


 野良犬が敷地内に迷い込んだのだろうか。とりあえず、見つけて追い払う事を決める警備兵。照明用魔道具に片手に屋敷の外に出ると、敷地内を魔道具で照らしながら歩いていく。


 と、何者かが駆けていくのを目の当たりにする。誰だ、止まれ――そう叫ぶも、何者かは軽い身のこなしで屋敷に張り付くと、あっという間に屋根まで登っていく。


 なんという身軽さだ、明らかに素人ではない。もしや、さっき窓の外に見えたのは見間違いでは無かったのか。


 何者かの侵入を確信するするも、侵入者らしき人影がある部屋の窓に張り付いている事に気付く。


 あの部屋は確か――そうだ、エリーゼお嬢様の部屋!警備兵は持ち前の俊足で屋敷に戻り、エリーゼの部屋に急行する。


 お嬢様、危険です――そう言って部屋に駆け込んだ警備兵。そこには異様な光景が広がっていた。


 はっはっと荒い息遣いをする、犬の姿を模した全身タイツに身を包んだ中年男性が窓の外からエリーゼを見つめていたのだ。エリーゼは魘されていたのか、うーんうーんと声を出していたそうな。


「(……何なんだ、その光景は)」


「(正に真夜中の悪夢……)」


 話を聞いていたグランとブルーノは完全に引いていた。


 今の話の光景は、変態ロリコンが窓の外から幼女を眺めて興奮している以外の何物でもない。頭に思い浮かべるだけで嫌になってくる光景だ。


 異様な光景に慄く警備兵。無理もないだろう……まだ強盗の方が現実味があるのだから。


 犬タイツの変態の瞳が光った(警備兵の報告書にはそう書かれていた)。


 窓を割って、変態が部屋の中に侵入。警備兵がまずいと、エリーゼを守ろうと駆け出す。しかし、犬タイツは見た目の変態さとは裏腹にかなりの手練れだった模様。


 軽快なステップで警備兵を翻弄、ハイキックを叩き込んで壁際まで蹴り飛ばした。意識が朦朧とする警備兵が最後に見たのは、魘されるエリーゼに近付いていく犬タイツの後ろ姿だったという。


「娘は、エリーゼはその日以来……!」


「その日以来、どうされたのですか? エリーゼは無事なのですか?」


「幸いにも……だ、だが――う、うぅ!」


 カムルの嗚咽が室内を支配する。命が無事なら、一体どうしたのだろう。


 困惑するグランとブルーノ。すると、謁見の間の扉付近から……。


「ワン」


 舌足らずな声が聞こえた――いや、声というよりも鳴き声?


 犬のような鳴き声が聞こえた。視線を鳴き声がした方角へ向ける。


 侍女らしき女性が立っていた。彼女は銀髪の少女と手を繋いでいる。


 グランは銀髪の少女が姪であるエリーゼだと気付いた……無事でよかった、と普通なら胸を撫で下ろしているだろう、普通ならだ。


 エリーゼは犬タイツ姿だった。どっと滝の様な涙を流すカムル。


「ああ、エリーゼ!あれ以来、娘はこんな姿になって……」


「……兄上、説明を求めたいのですが」


「……カムル殿、御息女は何故こんな姿に?」


「私が駆けつけた時、エリーゼはこの姿にされていたのだ!このタイツは身体に吸い付いているのか、全く脱がせられんのだ!!おまけに言葉は全て犬の鳴き声で、意思疎通もままならんのだ~~~~~~~~!!」


「グラン殿、ブルーノ殿……以上が今回の依頼の詳細です」


 言葉が詰まる守護騎士両名。正直な話、関わりたくない気持ちで一杯だ。


 しかし、騎士として女王陛下の命に異を唱える事など出来ない。何よりも年端もいかない少女の不幸な境遇、無視するのは良心が痛む。


 乗り気はしないが、幼い子供の為に両名は犬捜しを受諾した。





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