閑話16 犬に御用心(後編)


 聖王都の大通り――多くの商店で賑わう場所。その日、ディゼルは気分転換に大通りに来ていた。


 数か月前に守護騎士に就任して以来、厳しい鍛錬や聖王宮内の警護、最近は深淵の軍勢との初めての実戦と密度の濃い日々を送っていた。今日は非番なので、思い切り羽根を伸ばそうと思っていた。


 その矢先、渋い顔で歩いているグランとブルーノと遭遇。様子がおかしい隊長と先輩が気になり、何事が起きたのかと訊ねてみた。


 彼等が女王陛下から与えられた捜索依頼。捜索対象の絵を見せられた彼がグラン達同様に思考が停止したのは言うまでもないだろう。


 何せ、描かれていたのは犬を模したタイツを全身に纏った中年男性なのだから。再起動したディゼルは汗を流しながら、ふたりを見つめる。


「おふたりとも、お気は確かですか……? お医者様に診て頂いた方がよろしいのでは――」


「ディゼル……いい度胸だな」


「いえ、隊長……ディゼルの言い分は間違っていないと思いますよ」


 青筋を立てるグランと、それを宥めるブルーノ。こんな変質者が居る事がディゼルには信じられない模様……当然と言えば、当然だろう。


「隊長、自分は客観的な事実を述べたまでです。こんな変態が徘徊してる現実なんて受け入れられません(;゚Д゚)」


「私もこんな変態を捜索する現実なんぞ受け入れたくない(# ゚Д゚)」


 女王陛下からの命でなければ絶対に引き受けなかったであろう。その上、グランの親族も関わっているのだから、尚更断る事が出来なかった。  


 溜息交じりに、変態が描かれた紙を見つめるグランとブルーノ。これを町行く人々に見せて捜索するのは気が引ける――今のディゼル同様に、正気を疑われるのは間違い無しだ。


「そもそも、何処を捜索すればいいのか。聖王都内をくまなく捜索するのは骨が折れ……」


 ――きゃぁあああああああああっ!?


 ――何だ、あれはぁぁぁぁぁぁぁっ!?


 遠くから悲鳴が聞こえてきた。


「え!?」


「何事だ……?」


「行ってみましょう!」  


 3人の守護騎士は、悲鳴が聞こえてきた場所に急行する。そこは、4階建ての百貨店――少し前に建てられたばかりの新しい店だ。


 現場には大勢の野次馬の姿があり、グランがその中のひとりに声を掛ける。


「我々は守護騎士だ、何事かあったのか?」


「あ、あれを見て下さいっ!」


「あれ?」


 3人が野次馬の指差す方向に視線を向けた。直後、硬直する守護騎士一同。


 百貨店の3階辺りの外壁を張り付く様な大勢で移動する犬タイツの不審者の姿を見つけたからである。


 全身を犬に模したタイツに身を包んだ中年男性が、百貨店の外壁に張り付いている光景を目の当たりにして、野次馬達は困惑している。


「……隊長」


「……ああ」


「……居ましたね」


「……ああ」


 あっさりと目標を発見。冷めた眼差しで捜索対象を見つめるグランとブルーノ。


「ま、まさか本当にあんな変態が徘徊してるなんて……」


 ディゼルは、あのような変態が徘徊する現実を受け止め切れずにいる模様。両手で頭を抱えていた……あんな変態を目の当たりにして、混乱するなという方が無理な話だ。


 何はともあれ、捜索対象を捕捉した以上は見逃す事など出来ない。ブルーノが右手に魔力を集中させ、小さな火球を発生させる。


 ブルーノは、守護騎士の中でも一際強い火の力を宿している。火の魔法剣“炎剣”と火炎魔法で数多くの深淵の異形を討伐してきた実力の持ち主。


 威力を極力抑えた火球をあの犬タイツの変態に命中させ、落下してきたところを拘束する――というのがブルーノが立てた作戦だ。


「隊長、あれが落下してきたら隊長が受け止めて下さい」


「……受け止めなければ駄目か?」

 

「……隊長、あんな変態を受け止めるのが嫌なのは理解しますが、これも任務の一環ですので」


「……そうだったな」


 心底嫌そうな表情をするグランだが、これも任務遂行の為だ。眉間を押さえて溜息を吐いた後、グランは肉体から魔力を発する。


 魔力がグランの両脚に集約されていく――身体強化術で脚力を強化している。あの変態が落下してきたら、一気に落下先まで加速して受け止めに行く。


 ブルーノの掌から火球が放たれる。火球は犬タイツに命中――しなかった。


 命中する寸前で、犬タイツがひらりと回避して火球は建物の壁にぶつかった。威力を抑えていた為に、火球が壁を貫通する事は無かった。


「避けた……!?」


「ブルーノの火球を避けるとは、意外と機敏な奴だな」


 犬タイツの意外な俊敏さに驚きながらも、ブルーノは再び火球を放つべく掌に魔力を込める――と同時だった。


ワォォーーーーーーーーーーーーーーーーン!


 犬タイツが遠吠えした。するとどうだろうか、遠くからも―――。


ワォォーーーーーーーーーーーーーーーーン!


アオーーーーーーーーーーーーーーーーーン!


 遠吠えが聞こえてきた。百貨店の屋上辺りに人影が現れ、一斉に飛び降りる。


 犬タイツの変態が居るところに、新たな犬タイツの変態が―――およそ10人ほどやって来た。


 唖然とするグランとブルーノ。ディゼルと野次馬達もだった。


「待て、待て待て待て待て待て待て待て……何の冗談だ!? あんな変態が他にも居たのか!?」


「げ、現実は狂ってる!ぼ、僕は何を見てるんだ!?」


「落ち着け、ディゼル! こんな現実を認めたくない気持ちは誰だって一緒だ!」


 犬タイツの変態集団を目の当たりにして、錯乱するディゼルを必死に落ち着かせようとするブルーノ……到底無理な話だ。あんな変態集団が存在する現実なんて認められないだろう。


 犬タイツ集団がグラン達と野次馬を一瞥した後、一斉に壁を蹴った。連中は隣の建物まで跳躍、その後も同じ様に建物から建物へと跳躍移動しながら離れていく。


「連中、意外と動けるな」


「追いましょう! ディゼルは……無理か」


 ディゼルは頭を抱えている。どうやら、まだ混乱している模様。


 人手が欲しいのは山々だが、こんな状態の彼を連れて行くのは無理だ。ディゼルを近くの野次馬に任せ、グランとブルーノは犬タイツ達を追跡する。


 30分が経過、ふたりは人気のない廃墟の前に立っていた。犬タイツ連中はこの中に入っていった。


 明らかに罠があるとしか思えないシチュエーションである。


「どうします? どう考えても罠しかないと思いますが」


「行くしかあるまい、ここまで来たら」


 廃墟に足を踏み入れる。暗くて、犬タイツ達の姿は見えない。


 だが、連中が何処に居るかは把握している。ふたりは、共通魔法のひとつである感知術を発動させており、敵の位置は既に掴んでいるのだ。


目的はあくまで捕獲。攻撃を受けない限り、反撃はしない。


 と、頭上から落ちてくる物が――廃墟に轟音が響く。落ちてきた物の正体は檻、ふたりは檻に閉じ込められたのだ。


 檻に近付いてくる複数の人影――言うまでもなく、犬タイツの変態集団だ。グラン達を閉じ込めて、してやったりという顔をしている。


「フフフ……掛かりおったな。我らをコソコソと嗅ぎまわる野良犬共」


「そんなふざけた格好で言っても説得力がないぞ、馬鹿犬共」


「誰が馬鹿犬か!我々を何と心得る!!」


「知らん」


「右に同じく、知りたくもないですね」


 グランもブルーノも、心底どうでもいいといった顔で犬タイツ集団を冷めた眼差しで見つめている。


 リーダーらしき犬タイツが高らかに叫ぶ。


「我々は秘密結社――犬っ子倶楽部!」


「「――は?」」


「全世界の人々を犬タイツにするという野望成就の為に生きる犬大好き人間の集まりなのだ!」


 ――暫しの沈黙が、廃墟内を支配した。グランとブルーノが顔を見合わせる。


「……隊長、彼等病んでますね」


「……ああ、手の施しようがないな。ああ、ひとつ質問がある――貴様達は何故、エリーゼに犬を模した格好をさせたのだ?」


「そ、それは……あまりにも可愛かったから」


「「やはり変態ロリコンか……」」


 変態集団に憐みの眼差しを向ける両名。


「う、うるさーい!あの可愛さが理解出来んのか野良犬共!!邪魔立てするなら容赦はせん……」


 瞬間、閃光が奔った――廃墟に再び響く轟音。


 ふたりを閉じ込めていた檻が破壊された音だ。彼等は各々の魔法剣の柄を握り、魔法剣を発動していた。


 犬タイツ集団に魔法剣の切っ先を向けるグラン。


「さて、覚悟は出来たか――」


「え?」


「今の我々に、貴様達の懺悔を聞き入れる度量など毛頭ない」


「は、はい?」


「貴様達は罪を犯したひとつ、不法侵入。ひとつ、幼子への嫌がらせ。ひとつ、人々を不快にさせた――」


「え、えーと?」


「そして、最も許し難いのは……我々に貴様達を捜索させるという無駄な時間を費やさせた事だ――」


 グランとブルーノから怒気が溢れ出し、犬タイツ集団は震え上がる。逃げようとするも、足が竦んで動かない。


 守護騎士ふたりの瞳がギラリと輝いた――彼等は魔法剣を手に犬タイツ集団に突撃する。


「「貴様らの生皮タイツ剥いでくれるわァァァァァァァァァァァァ!」」


『キャ、キャイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!?』


 深淵の軍勢も裸足で逃げ出しそうな形相で、犬タイツ集団を蹂躙するふたりの守護騎士。傍から見ると、どちらが悪人か分からない状況である。


 廃墟からはふたりの騎士の怒声と、犬のような鳴き声が響き渡った。


 その後、聖王宮に犬タイツを剥がされた変態集団が連行された。不思議な事に、時を同じくしてエリーゼの犬タイツが脱げるようになったという。


 エリーゼが犬タイツが脱げなかった理由は結局不明……呪いか何かでも掛かっていたのであろうか?


 グランとブルーノは、心底疲れた表情で聖王宮の食堂で一服する。溜息交じりに、ティーカップを置く両名。


「……疲れましたね」


「……主に精神面の疲労がな」


「そういえば――ディゼルの事聞きましたか?」


「ああ、不憫な話だな」


 その頃、聖王都にあるアークライト邸……ディゼルが自室のベッドの上で魘されていた。母ソフィアや姉であるレインが心配そうな表情で看病していた。


「ディゼル、こんなに熱が出て……」


「何か悪いものでも食べたの!?」


「うーんうーん、あれは現実じゃない。幻なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 犬タイツ集団が存在する現実が受け入れられず、熱を出して魘されるディゼルの姿があるのだった(笑)。





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